ハ行転呼とは (ハギョウテンコとは) [単語記事]

ハ行転呼、ハ行轉呼とは、国語学、日本語学における用語である。転呼の一種。言語学での音韻変化、子音弱化、唇音退化の一つと見做せる。

概要

平安中期ごろに日本語で起こった言語変化で語中の無声両唇摩擦音[ɸ]が両唇接近音[β̞]へと変化した現象を言う。国語学としては、語中のハ行がワ行と合流したと説明する。

具体的には、以下のような例がある。

あは（泡、阿波、安房）[aɸa]>[aβ̞a]
あかほ（赤穂）[akaɸo]>[akaβ̞o](>[akao]>[akoː])
うひ（初）[uɸi]>[uβ̞i]
うへ（上）[uɸe]>[uβ̞e]
かは（川、皮）[kaɸa]>[kaβ̞a]
かひ（貝、甲斐）[kaɸi]>[kaβ̞i]
かふ（買ふ、交ふ）[kaɸi]>[kaβ̞i]
かほ（顔）[kaɸo]>[kaβ̞o]
きのふ[昨日][kinoɸu]>[kino β̞u](>[kinou]>[kinoː])
くふ（食ふ）[kuɸu]>[kuβ̞u]
けふ（今日）[keɸu]>[keβ̞u](>[keu]>[kjoː])
さわ（澤、沢）[saɸa]>[saβ̞a]
はふ（這う）[ɸaɸu]>[ɸaβ̞u]
はへ（蠅）[ɸaɸe]>[ɸaβ̞e]
はにふ（羽生）[ɸaneɸu]>[ɸaneβ̞u](>[ɸaneu]>[ɸanjuː]>[hanjuː])
ははき（箒）[ɸaɸaki]>[ɸaβ̞aki](>[ɸaβ̞ki]>[ɸauki]>[ɸoːki]>[hoːki])
まふ（舞ふ）[maɸu]>[maβ̞u](>[mau])

更に、語頭であっても複合語内の語中であれば、転呼する場合がある。

ふじはら（藤原）[ɸudiɸara]>[ɸudiβ̞ara]
かたはら（片腹、傍ら）[kataɸara]>[kataβ̞ara]
いもひと（妹、妹人）[imoɸito]>[imoβ̞ito](>[imo β̞to]>[imo uto]>[imoːto])
おとうと（弟、弟人）[otoɸito]>[otoβ̞ito](>[otoβ̞to]>[otouto]>[otoːto])
かりうど（狩人）[kariɸito]>[kariβ̞ito](>[kariβ̞to]>[kariudo])
たふとし（尊し）[taɸutosi]>[taβ̞utosi](>[tautosi]>[toːtosi])

助詞の「は」「へ」は、語頭乍ら常に単語が前に来るため、ハ行転呼の対象となった。

-は[-ɸa]>[-β̞a]
-へ[-ɸe]>[-β̞e](>[-je]>[-e])

最も、多くの複合語においては語源が意識され、転呼は起こらなかった。その多くは連濁している。

しまばら（島原）[sima ɸara]>[sima bara]
すなはま（砂浜）[suna ɸama]

更に、仮名遣いによって、一度はハ行転呼を起こしながらも、綴り字発音によって、現代ではハ行の発音が復活した例もある。

ほほ（頬）[ɸoɸo]>ほを[ɸoβ̞o]、現代発音[hoho]
はは（母）[ɸaɸa]>[ɸaβ̞a]、現代発音[haha]
けはひ（気配）[keɸaɸi]>[keβ̞aβ̞i](>[keβ̞ai])、現代発音[kehai]
あふる（溢る）[aɸuru]>[aβ̞uru](>[auru])、現代発音[aɸureru]
ふひと（史、不比等）[ɸuɸito]>[ɸuβ̞ito]、現代発音[huhito]
ほふる（屠る）[ɸoɸuru]>[ɸoβ̞uru](>[ɸouru])、現代発音[hoɸuru]

漢字音

なお、この現象は漢字音の入声で末子音に[-p]を持つ字でも発生しており（[-p]>[-ɸ]>[-β̞]>[-u]）、場合によっては同じ字ながら二つの発音が発生する原因となった。

合[gap]
- がふりゅう　合流[gapliu]>[gaɸrju]>[gaβ̞rju]（>[ga urju]>[goːrju]<ごうりゅう>）
- がふたい　合体[ga ptai]>[gaɸtai]>[ga tt ai]<がったい>
十[zip]
- じふかい　十階
  - [zip kai]>[ziɸkai]>[ziβ̞kai]（>[ziuk ai]>[dʒuːkai]<じゅうかい>）
  - [zip kai]>[ziɸkai]>[zikkai]>[dʒikkai]<じっかい>

別れた一方の発音が広まった結果、本来[-p]の発音を持った漢字があたかも[-t]の末子音を持っていたかのように類推され、発音されるようになったものもある。

雑[zap]
- ざふきん　雑巾[zapkin]>[zaɸkin]>[zaβ̞kin]>[zaukin]>[zoːkin]<ぞうきん>
- ざふきん　雑菌[zapkin]>[zakkin]<ざっきん>
- ざった　雑多[zapta]>[zatta]
- そざつ　粗雑[sozap]>[sozat]>[sozatu]
立[lip]
- こんりふ　建立[kon rip]>[konriɸ]>[konriβ̞]（>[konriu]>[kon rju]<こんりゅう>）
- 立体[rip tai]>[rit tai]<りったい>
- 設立[set rip]>[setrit]>[set ur itu]<せつりつ>

転呼以後

その後、合流したワ行音も、「ワ」はそのまま保たれたが、その他は平安時代後期にア行音に合流した。そのため、「ヒ」は「ヰ」から平安後期までに「イ」[i]となり、「ヘ」は「ヱ」から「エ」[je]になり、「ホ」の発音「ヲ」が[β̞o]となった。更に、江戸時代末期には「エ」[je]>[e]、「オ、ヲ」[β̞o]>[o]となり「ハ」以外は完全にア行音に合流した。

語頭のハ行音も江戸時代初頭に、現在の発音へと変化し、日本語における[ɸ]は、フ[ɸu],[ɸɯ]を除き、明治期にはなくなった。但し、外来語からの借用を通して、[ɸa], [ɸi], [ɸe], [ɸo]は復活を果たしている。

また、琉球方言や秋田、九州などではハ行転呼をしない形が残存しており、方言の形成期やより古い時代において、どのような広まりや影響があったかの推測ができる。

変遷表

		奈良時代以前	平安時代初頭	平安時代中期	中世	近世	現代
語頭	ハ	[pa]	[ɸa]	[ɸa]	[ɸa]	[ha]	[ha]
	ヒ	[pi]	[ɸi]	[ɸi]	[ɸi]	[çi]	[çi]
	フ	[pu]	[ɸu]	[ɸu]	[ɸu]	[ɸu]	[ɸu]
	ヘ	[pe]	[ɸe]	[ɸe]	[ɸe]	[he]	[he]
	ホ	[po]	[ɸo]	[ɸo]	[ɸo]	[ho]	[ho]
語中、語尾	ハ	[pa]	[ɸa]	[β̞a]	[β̞a]	[β̞a]	[β̞a]
	ヒ	[pi]	[ɸi]	[β̞i]	[i]	[i]	[i]
	フ	[pu]	[ɸu]	[β̞u]>[u]	[u]	[u]	[u]
	ヘ	[pe]	[ɸe]	[β̞e]	[je]	[je]	[e]
	ホ	[po]	[ɸo]	[β̞o]	[β̞o]	[o]	[o]