バーラム 単語

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バーラム

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バーラム(Bahram)とは、

  1. バーラム(戦艦)- (HMS Bahram)。クイーンエリザベス戦艦3番艦。名前の由来はトラファルガー戦時のイギリス海軍大臣で、初代バーラム男爵と呼ばれたチャールズ・ミドルトン卿。
  2. 1932年アイルランド生産、イギリス調教競走馬鹿毛。本記事で解説

概要

Blandfordは生まれつき足が曲がっていて、当歳時には炎にるなど病弱で万全な状態でレースに出ることはできなかったが、それでもアイリッシュダービー優勝し、また種牡馬としてもすでに2頭のダービーを送り出すなど活躍していた。
Friar's Daughterはウェールズ。当歳時に重度の炎にったが一命を取り留め、アガ・カーン殿下の専属調教師ドーソン師にを付けられ、250ギニーで購入された。Friar's Daughterは6戦して1勝、2着4回というそこそこの成績を残した。
いや書いていて思ったのだが大丈夫かこの両……。

そして誕生した子病弱で幼駒の頃に炎にったが、医の献身的な治療でなんとか競走馬としてデビューすることができた。
アガ・カーン殿下は第一次大戦で客セックスとともに沈められた従兄弟イラン皇太子、バーラム殿下からをバーラムと名付けた。

アガ・カーン殿下イスラム運動英雄であった一方、巨万の富を築いてイギリスを中心に産活動を行い、9100ギニーという巨額で購入したMumtaz Mahalを基礎繁殖牝馬として多くの活躍を出すなどとしても成功を収めていた。

なおバーラムが生まれる前にアガ・カーン殿下ドーソン師は

アガ・カーン殿下「うちの息子術が得意で凄いからレースに出させてみない?」
ドーソン師「流石にそれはやめろ、絶対にやめろ

といった感じで喧嘩別れした。

その後バーラムを含めたアガ・カーン殿下競走馬は厳しいトレーニングで知られたバター調教師に預けられた。
しかし、もともと病弱だったためかバーラムは調教で全く走らず「怠け者」の烙印を押され、バターズ師は本レースで鍛えることに決めた。
とりあえず7月調教のつもりで出走させたナショナルブリーダーズ・プロデュースSだったが、ここで本はアガ・カーン殿下が期待していた同厩舎の*セフト(Theft)に勝ってしまった。更に2週間後のラウス記念Sに出走させてみると、これも勝ってしまった。
まだまともに走ってくれるか半信半疑であったが、不良馬場ジムクラックSに出走すると、これも勝利した。
10月ボスコウェンSに出走したが3頭立てのレースだったので楽勝した。また2歳レースの1つ、ミドルパークSに出走すると2身差で勝利した。
2歳時の戦績は5戦5勝。フリーハンデでもデューハーストS優勝Hairanらより上のトップに支持され、もう疑いもなく世代最強といっていい存在となっていた。

バーラムは3歳になって16.2ハンド美しい体に成長したが病弱なのは変わらなかった。初戦はクレーヴンSに出走する予定だったが発熱で回避し、2000ギニーステークスにぶっつけで出走することになった。2000ギニーではスパートをかけると*セフトを追い抜き1身1/2差で勝利した。
ダービーステークスでは圧倒的な1番人気に支持され、ジョージ5世国王ら50万人が観戦する中、直線で抜け出すとRobin Goodfellowに2身差で勝利した。
その後セントジェームズパレスSに出走し、1身差で勝利した。
8月になってからイギリスインフルエンザが流行り、またバーラムも体調不良で調整が遅れたため、セントレジャーステークスもぶっつけで出走することになった。「怠け者」だったバーラムはこのレースではやる気を見せ、前日に落負傷した戦のフレデリックフォックス騎手代打を務めたチャーリー・スマーク騎手を背に3番手グループから抜け出し、直線で持ったままSolar Rayに5身差をつけて楽勝し無敗の三冠馬となった。スマーク騎手が「12ストーン(約76kg)背負って二人乗りしても勝てるよ」とレース後にしたほどの内容であった。
バーラムは9戦9勝のまま引退して種牡馬入りすることになった。他の世代や他との対戦がなかったので価はわからないままであった。バターズ師は「このの本当の強さはにもわからないよ」と答えている。

種牡馬としては当時の最高額の500ギニーに設定され、初年度からセントレジャーTurkhanを送り出した。その後もちょくちょく活躍は出たのだが、このレベルとしては物足りないものであり、また第二次世界大戦が始まり、アガ・カーン殿下スイスに隠居することも重なってアメリカに輸出された。アメリカでは活躍を出すことはなく、アルゼンチンに再輸出され、24歳でその地で眠ることになった。
子孫にドイツリーディングサイアー3回のMonsunがおり、その血統は現在でもしぶとく生き残っている。

血統表

Blandford
1919 黒鹿毛
Swynford
1907 黒鹿毛
John o' Gaunt Isinglass
La Fleche
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
Blanche
1912 鹿毛
White Eagle Gallinule
Merry Gal
Black Cherry Bendigo
Black Duchess
Friar's Daughter
1921 黒鹿毛
FNo.16-a
Friar Marcus
1893 鹿毛
Cicero Cyllene
Gas
Prim Nun Persimmon
Nunsuch
Garron Lass
1917 鹿毛
Roseland William the Third
Electric Rose
Concertina St. Simon
Comic Song
競走馬の4代血統表

クロスSt. Simon 4×5×5×5(15.63%)、Isonomy 5×5(6.25%)、Galopin 5×5(6.25%)

主な産駒

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