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パパイラス(Papyrus)とは、1920年生まれのイギリス生産・調教の元競走馬種牡馬である。

現役の英国ダービーとして初めて大西洋を渡りアメリカに挑戦した。

概要

Tracery Miss Matty Marcovilという血統。
TraceryはセントジェームスパレスS、サセックスS、セントレジャーSエクリプスSチャンピオンS優勝マイルから長距離まで走った一流種牡馬としても成功した。
Miss Mattyは未勝利
Marcovilは8戦4勝で7ハロンと9ハロンのステークスウィナー。

パパイラスはノッティガムシャーのジョンロビンソン卿によって生産された。パパイラスは中で額にを持った上品なだったという。

1歳時にパパイラスはドンカスターセールで3500ギニーでベンジャミンアイリッシュの代理人のバジルジャーヴィス調教師に購入され、ニューマーケットで訓致を受けた。

名のパパイラスはを意味するパピルス英語読みである。

2歳時(1922年)

パパイラスは仕上がりがく、ロイヤルアスコット開催のニューS(現:ノーフォークS)ではTown Guardの3着に敗れたが、クリリオンSでそのTown Guard勝利した。その他にプレンダーガストSやルースSなどに勝利し、この年で8戦6勝を挙げたが、このときはまだジムクラックSなどに勝利したTown Guardがこの年の最高の2歳とみなされていた。

3歳時(1923年)

パパイラスはTown Guardへのダービーでの再戦に備えて十分に期休暇を取った後、5月2日2000ギニーSから始動した。しかしここでは調整不十分なこともあって4着に敗れた。その後ダービーに向けてチェスターでのダービーと同距離の12ハロンチェスターヴェースに出走し持ったまま3身差で楽勝した。

本番のエプソムでのダービーステークス、この年は寒くてがかかったのため「オーバーコートダービー」と呼ばれるようになった。ウェールズ皇太子を含む25万人が見守る中、レースでは最後の直線でパパイラスとPharosの2頭が抜け出したが、壮絶な死闘のあとPharos尽き1身差でパパイラスが勝利した。3着にはこの年の凱旋門賞馬ParthTown Guardは着外に敗れた。パパイラスに騎乗したドノヒュー騎手は1921~1922年に続くダービー3連勝を飾ることになった。

8月になってパパイラスはアメリカ最強とのマッチレースを受け入れることが発表された。現役の英ダービー 大西洋を渡るのは初のこととなった。

8月28日に行われたデュークオブヨークSではパパイラスがCraigeleyrにアタマ差で敗れたが、ドノヒューが1位入線Craigeleyrの「強引な進路取り(boring)」を理由に異議を申し立て、これが受理され1着に繰り上がった。

2週間後のセントレジャーではレース中に複数の切り傷を負い、最後の直線でParthと叩き合っているところをTranquilに差され2着に敗れた。

プロジェクト - 大西洋を越えろ

アメリカの代表10月6日ケンタッキーダービー・ウィザーズS・ベルモントS優勝のZev(ゼヴ)に決定していた。またZevとのマッチレースは10万ドルに膨れ上がっていた。

10月20日に行われるベルモントパークでのダートマッチレースに備えるため、セントレジャーを終えた営はジャーヴィス調教師とドナヒュー騎手、2人の丁、帯同Bargold厩舎の、そして特別な飼料を乗せ立った。しかしやはりここまでしても長と初のダートもあって不安視された。7万人の観衆が押し寄せたレースではスタートは互だったが、慣れない不良馬場ダートからだんだんと後れを取り、さらに先行したZevの土を浴びて戦意喪失。5身差で敗れることとなった。この後英ダービーアメリカの競走を勝つのは45年後の1968年Sir Ivorまで待たなくてはならない。

シーズンの終わりにはパパイラスはアイリッシュ氏からジョン・ホーヌング氏に売却された。

4歳時(1924年)

この年の最初のレースではPoisoned Arrowに敗れた。アスコットゴールドカップではフランス調教Massineにはるか後方の着外に終わった。エクリプスSでは3歳馬Polyphontesの2着に敗れた。ニューマーケットでのジョッキークラブカップでは半身差でTeresinaに敗れたが、凱旋門賞馬Parth(3着)には一応先着した。関係者はこの年は半分のも出せていないとった。そしてこの年で引退することとなった。

通算18戦9勝。

種牡馬として

パパイラスはサセックスのグリンステッドスタッドで供用された。種牡馬としてはそこそこの成功を収めたが大物は出てこなかった。ポーランドジョッキークラブから購入の申し出があったが、ホーヌング氏は断っている。1940年にホーヌング氏が死去したときに遺言通りジャーヴィス調教師が引き取り、パパイラスはその翌年の1941年死亡した。

初年度産駒でいくつかのステークスを勝利したOsirisがその後大西洋を渡ったカナダで4回のリーディンサイアーとなった。
またパパイラスはPrincequilloのとなり、それを通してSecretariatShamKris S.などの祖先となった。Shergar血統表にも名前が残っている。

血統表

Tracely
1909 黒鹿毛
Rock Sand
1900 黒鹿毛
Sainfoin Springfield
Sanda
Roquebrune St. Simon
St. Marguerite
Topiary
1901 黒鹿毛
Orme Ormonde
Angelica
Plaisanterie Wellingtonia
Poetess
Miss Matty
1914 黒鹿毛
FNo.16-f
Marcovil
1903 栗毛
Marco Barcaldine
Noyitiate
Lady Villikins Hagioscope
Dinah
Simonath
1905 鹿毛
St. Simon Galopin
St. Angela
Philomath Philammon
Chrysalis

クロス: St. Simon=Angelica 3×4×4(25.00%)、Hermit 5×5×5(9.38%)、Solon 5×5(6.25%)

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