ヒシミラクル 単語

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ヒシミラクル

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奇跡ではなく

強情な人々はあり得ないことだと
顔をしかめるだろう。

だが幸運を生かせずに消えていく者が多い中で
君は確かにやり遂げた。

さあ、ここからの仕事は彼らを黙らせることだ。
君が見せたそのきを
奇跡とは呼ばせるな。

                                           JRA「名馬の肖像」ヒシミラクルexit

ヒシミラクル とは、東・佐山厩舎に所属していたカナヅチ競走馬である。

な勝ち
2002年:菊花賞(GI)
2003年:天皇賞(春)(GI)、宝塚記念(GI)

なおこれ以外は未勝利戦に1回、特別競走に2回勝利したのみで、GIIGIIIは一切勝っていない。

サッカーボーイシュンサクヨシコ、シェイディハイツ
同じくサッカーボーイに持つナリタトップロードと同じく、長距離適性の高いであった。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
ヒシミラクル(ウマ娘)を参照してください。

菊花賞まで

2歳のデビューするが結果が出ないまま3歳を迎え、5月に10戦にしてやっと1勝をあげる。
その勝利からは成績が安定し始め、には神戸新聞杯に出走できるまでに結果を残す。

しかしその神戸新聞杯では6着に敗れ、菊花賞出走は抽選次第の運頼みとなってしまう。が、その抽選(3/8の確率だった)を運良く通り抜け出走が決定する。ヒシミラクルはクラシック登録がされていなかったため、追加登録金を馬主に黙って佐山調教師が勝手に払ってでの出走となった。

菊花賞

迎えた菊花賞ダービータニノギムレットはすでに引退、そのダービー2着だったシンボリクリスエス秋天に向かったため、皐月賞ノーリーズンが1番人気、前セントライト記念を2着のアドマイヤマックスが2番人気ダービー4着のメガスターダムが3番人気と続いた。

重賞勝利の抽選を潜り抜けた一介の条件に過ぎないヒシミラクルは10番人気低評価まあ、そうなるな

レースノーリーズンスタート直後につまずい武豊が落する出オチと共に110億の馬券が一くずになる波乱、場内のどよめきに反応したかローエングリン岡部の制御もかなわず暴走3000mなのに1000m通過583ペースも定まらず縦長の展開となる。角田は3コーナー手前から進出する思い切ったまくりを見せ、直線で抜け出してメガスターダムとの追いべとなるがその後ろからファストタテヤマ(16番人気)が強襲、これを何とかハナ差で振り切り勝利した。

人気薄の2頭で決着したため馬連96070円。当時は3連単はなかったがあったら100万馬券になっていた可性すらある。
ちなみに4着にはダート路線に進む前のアドマイヤドンがいた。


このレース馬場鉄志アナの発した「今年も大波乱になるぞー!」は、レースを一言で表した名実況の1つに数えられることも多い。そしてタケノベルベットブゼンキャンドル&クロックワークの頃から定評のあった馬場アナ京都GI実況すると波乱が起こる説により深みが増した。この後にもポルトフィーノテイエムプリキュアクィーンスプマンテがあったりする。

天皇賞(春)

奇跡”は、ロングスパートから。

3コーナー手前から加速にかかり、息の長い末脚でライバルたちを競り落としていく。
リプレイのように戴冠劇を繰り返しながら、最強の座に君臨したヒシミラクル。

定石よりもかにく、常識よりもかに長く、
ヒシミラクルの繰り出すロングスパートが奇跡現実にかえていく。

JRA「ヒーロー列伝」No.56 ヒシミラクルexit

奇跡なのか奇跡ではないのかJRAに聞いてみたくなるが、ヒーロー列伝は「奇跡ではなく、現実にする」いう文意なので矛盾はしていない。いいね?

菊花賞後は有馬記念11着、阪神大賞典ファストタテヤマが3着と好走するのもに12着、産経大阪杯は7着と惨敗を重ね、天皇賞(春)では菊花賞奇跡勝利だったと見られており、7番人気人気は落ちていた。

だがまた、その天皇賞菊花賞再現するかのごとくめのまくりで先頭に立ち、またもやGIを開けた。

宝塚記念

次走の同年の宝塚記念は同世代から天皇賞(秋)有馬記念勝ちシンボリクリスエス、その有馬記念で最後に差されたものの2着に健闘したタップダンスシチークラシック世代からは二冠馬ネオユニヴァース、上の世代からも変態同年の安田記念優勝アグネスデジタル

脇役勢でもGIIバランスオブゲーム、前年宝塚記念優勝ダンツフレームGI2勝イーグルカフェ、ヒシミラクルと波乱を演じたファストタテヤマオールスターにふさわしいメンバーが出った。
そんな中下記でも触れているがヒシミラクルは最終的には6番人気となった。決して低すぎるわけではないが、さすがにいくらGI2勝とは言え、クリスエスデジタルネオユニにタップには人気で負けても仕方はない。前走天皇賞(春)で打ち負かしたダイタクバートラムに人気で上回られたのはちょっと納得いかないが…。武豊が乗ってる分の補正だろうか。
勝ってるのが菊花賞春天だから2200は短いと思われたのだろう。後ズブいから加速しきる前に終わるんじゃないか、と。

ミラクルおじさんの誕生

その宝塚記念の前日発売ではヒシミラクルのオッズは9.7倍であった。
その前売りの最中、一人の中年男性がヒシミラクルの単勝馬券を1,222万円分購入。オッズは一気に1.7倍にまで下がった。

結局オッズは発走までに16.3倍の6番人気にまで落ちたのだが。
ただこのおじさんの存在はスポーツで取り上げられており本番前には競馬ファンの間に知れ渡るところとなっていた。
「もしヒシミラクルが勝ったら、とんでもない配当になるぞ…」
そんな中始まった宝塚記念角田は向こう正面から追いっぱなし。それでもヒシミラクルは最終直線では8番手であったが、そこからは直線一気で前のタップダンスクリスエスをかわし、その外から飛んできたツルマルボーイもクビ差で制し勝利
「来る、来る!ヒシミラクル!来る、来る、来た!」という梶原アナの妙に小気味いいフレーズ実況も印に残りやすい。
この的中により払い戻し額は1億9918万6000円となりワイドショーなどでも取り上げられるほど話題となった。

このエピソードはヒシミラクルを語る際には必ずついてまわりこの男性は『ミラクルおじさん』『2億円おじさん』などと呼ばれるようになった。

おじさんは直接メディアに出たわけではないのでその正体は不明であるが、

らしいことまでは判明しており、その130万と言う大金もやはり詳細は不明ながらダービーNHKマイルカップの際に大口の払い戻しがあったらしいこともわかっているためその転がしで得たものと推測されている。にしてもダービーネオユニに50万突っ込んで130万にし(一説にはNHKマイルカップウインクリューガーに5万とも)安田記念デジタルに全部突っ込んで1222万に増やし、そしてヒシミラクルに全部突っ込んだというのだからまさにドリームである。最初のネオユニが1番人気だったのを差し引いても、4番人気アグネスデジタルと6番人気ヒシミラクルを連続的中させるとは…そもそも何でネオユニもデジタル宝塚記念出走してんのにガン無視してヒシミラクルに突っ込めたのかと
その当時の記事(宝塚後)は以下の通り。

その後

京都大賞典の2着後、繋靭帯炎を発症。復帰に1年かかってしまった。
復帰後は京都記念の3着が最高記録で、2005年天皇賞(春)繋靭帯炎を再発。6歳という年齢もあり引退となった。
GIを3勝と名であることは疑いないが、それよりもミラクルおじさん・悉く人気薄からの大穴馬券炸裂と記録より記憶に残るであった。

種牡馬となった後はナリタトップロードがこの時点で死亡していたこともありサッカーボーイの跡継ぎとして期待されたのだが、としての不安定な成績と、地味アンド地味の血統ので受け入れる牧場もなかなか決まらず、種付け数も少なく、産駒地方競馬重賞を勝つのが精一杯という有様で、サッカーボーイの後継には到底なれなかった。5年で種牡馬引退し、以降は牧場で静かに余生を暮らしている。

2014年JRA宝塚記念CMはヒシミラクルの2003年が使用されている。

2024年イシノサンデーが死去したことにより、クラシックホース最高齢の座につくこととなった。

血統表

サッカーボーイ
1985 栃栗毛
*ディクタス
1967 栗毛
Sanctus Fine Top
Sanelta
Doronic Worden
Dulzetta
ダイナサッシュ
1979 鹿毛
*ノーザンテースト Northern Dancer
Lady Victoria
*ロイヤルサッシュ Princely Gift
Sash of Honour
シュンサクヨシ
1992 芦毛
FNo.16-c
シェイディハイツ
1984 鹿毛
Shirley Heights Mill Reef
Hardiemma
Vaguely Bold Lad
Vaguely Mine
シュンサクレディ
1979 芦毛
ラナーク Grey Sovereign
Vermilion O'Toole
ムーンフィニック フィダル
ミチアサ
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 5×5(6.25%)

関連動画

プールが苦手だったヒシミラクルのプール調教の様子

関連項目

JRA賞最優秀父内国産馬
優駿賞時代 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー |
1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン
JRA賞時代 1980年代 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン
1990年代 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー |
1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン |
1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード
2000年代 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル |
2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス |
2007 ダイワスカーレット
※1.該当しを除く最多得票ナリタトップロード
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