ヒトラーとレーニンが争った選挙とは、2018年にペルーで行われた選挙である。
ペルー共和国のユンガル地区で、2018年10月に実施された地方選挙における出来事。ユンガル地区の首長(地区長)に立候補したヒトラーに対し、レーニンが異議を申し立てたことで、ヒトラー対レーニンの争いとして話題となった一件である。レーニンの申し立ては退けられ、選挙ではヒトラーが当選した。
ヒトラーもレーニンもまごうかたなき本名なのだが、むろんドイツの独裁者でもソビエト連邦の建国者でもない。実はどちらもファーストネームであり、ヒトラー氏はヒトラー・ゲスクリン・アルバ・サンチェス(Hitler Guesclin Alba Sánchez)、レーニン氏はレーニン・ブラディミール・ロドリゲス・バルベルデ(Lenin Vladimir Rodriguez Valverde)であった。
なお、この出来事については「ヒトラーとレーニンの争い」という構図を延長してヒトラー氏とレーニン氏が選挙で直に対決したかのような報道もあるが、これは明確に誤りである。レーニン氏はあくまでヒトラーの立候補に異議を申し立てたのみであって、当人は立候補していない。たしかに、公職への立候補というのはあまりレーニンらしくない行動ではあるな。
ペルー共和国の中部にあるアンカシュ県。その中のカルワズ郡にユンガル(Yungar)という地区がある。広壮なアンデス山脈の谷間に位置し、面積46平方キロメートルあまり(東京ドーム約1000個分)、人口は3200人弱と、日本でいえば山間の村程度の自治体。人口の大半を先住民ケチュア族が占め、ユンガルという地名もケチュア語由来で「暖かい谷」くらいの意味らしい。つまりドイツ語に訳すとヴァルムスタールWarmsthal(総統本営とかありそう)、ロシア語ならテプロドリエТеплодольеとかそんな感じ。
2018年に行われた地方選挙において、このユンガル地区長選にソモス・ペルー党(民主党 我らはペルー)[1]から立候補したのが、ヒトラーことヒトラー・ゲスクリン・アルバ・サンチェス氏であった。御年37歳。アドルフならばようやくナチ党を掌握したくらいの年頃にあたる。キャッチコピーは「良きヒトラー(Hitler, el bueno)」。おっと、なにやら悪いヒトラーがいるかのような書き方だな畜生め!
しかし実はヒトラー氏、これがすでに4回目の公職立候補にして3回目の地区長立候補。すでにアドルフより立候補回数が多い。2010年に弱冠29歳にしてユンガル地区長に当選し1期4年を務めた立派な元職で、2014年の選挙で落選して今回再出馬した「帰ってきたヒトラー」である。どうも「立候補するヒトラー」は20世紀より21世紀のほうが多いらしい(アフリカにも地方議員に立候補して圧勝したアドルフ・ヒトラーがいる[2]し)。しかし、まさかそこにレーニンが文句をつけてくるとは誰も思わなかったであろう。
ここで補足しておくと、ペルーの地区選挙は地区長と地区評議会をひとつにした完全拘束名簿式選挙であり、有権者は地区長候補・地区評議員候補ではなく政党に対して投票する。つまり候補者は政党と一体で、日本でよくある無所属・相乗り候補はありえない。さらに勝者半取り制とでもいうべき方式により、最多得票政党が地区長と地区評議員の過半数を自動的に獲得する強力なシステムである。このため政党の候補者名簿の顔である地区長の選挙の動向は、日本の地方自治体以上に地区の政治を左右するといえる。
さて2018年、この「(ユンガルに)帰ってきたヒトラー」による地区長選立候補に対し、異議を申し立てた人物がいた。それが近隣地区の住民らしいレーニン――レーニン・ブラディミール・ロドリゲス・バルベルデ氏である。ここに、ヒトラーの政権掌握を阻もうとするレーニンという、21世紀にはいささかならず時代錯誤的な構図が成立する。そもそもアドルフ・ヒトラーとウラジーミル・レーニンの活動時期はほとんど被っていないので、いつの出来事でも時代錯誤ではあるんだが。
このレーニン氏、どうもヒトラー氏の居住する地がユンガルではない、と主張して、彼にはユンガル地区長への立候補資格がないと全国選挙審査会(JNE。ペルーの選挙管理機関)に申し立てたらしい。確かに、地区長の選挙について定めたペルーの地方選挙法にはこうある。
第6条 首長または評議員に選出されるためには、以下の要件を満たしていなくてはならない。
1. 市民権を持ち、国民身分証を所持していること。
2. 立候補する選挙区において出生している、あるいは候補者名簿登録申請の提出期限が満了する時点で過去2年間、当該地区に居住していること。本要件の実施にあたっては、民法第35条による複数住所についての規定を適用する。[4]
この第2項により、もし立候補したユンガル地区で出生していなかったり、居住地と認められないのであれば、ヒトラー氏に立候補資格はないことになる。ただし適用条件もあり、ユンガルと地区外の双方に居住地があるか、ユンガルで日常的に活動している場合は、民法第35条――複数の場所で代わる代わる居住するか、日常的な活動を行っている者は、そのいずれの場所も居住地とみなす[6]――に則り、ユンガルも居住地として認められうるはずである。
ヒトラー氏がこの適用条件に掛かったか、あるいはそもそもレーニン氏の訴えに根拠がなかったのかは報道が見つからないものの、結局、全国選挙審査会はレーニン氏の申し立てを却下し、ヒトラー氏は無事に立候補資格を認められた。
なお、レーニン氏は近隣地区の住民だという報道もあるが、ペルーの地方選挙法第16条は、ペルーの公民権を持つ者すべてに地方選挙法の規定に反することを理由とした立候補資格取り消しを請求する権利を与えている[7]。選挙が行われるユンガル地区の住民であるかどうかに関わらず、一般的なペルー国民なら住所がどこでも異議を申し立てる権利があるということである。
ペルーの地方選挙で今どきヒトラーとレーニンが対立した、という意味不明でキャッチーなニュースは、全世界に拡散されることとなった。
おそらくは、ペルーの放送局Radio Programas del Perú(RPP)が、投票日前の9月20日付で自社ニュースサイトに掲載した記事「Hitler postula a una alcaldía en Áncash y Lenin quiso tacharlo(ヒトラーがアンカシュの地区長選に出馬し、レーニンが排除を求める)」
がきっかけと思われる。この記事に掲載されたインタビューでヒトラー氏は、レーニン氏との面識はないと語り、申し立ては彼に敵対する陣営による妨害ではないかと主張している(ちなみに彼は、「ヒトラー」という名前を理由に対立候補から攻撃されたことはないとも認めている)。
たしかに、結果としてレーニン氏の申し立ては却下されたとはいえ、立候補資格を疑われただけでもヒトラー氏の選挙活動に悪影響が生じることは想像に難くない。もしレーニン氏の申し立てが認められていた場合には、元職でもある地区長候補者が投票を目前にして立候補取り消しになるという事態になり、ユンガル地区のソモス・ペルー党も甚大なダメージを受けただろう。
さて、このRPPのニュースで一件が通信社の目に留まったものか、9月22日から24日にかけ世界各地・各国語で後追いのニュースが配信された。RPPがみずから、自身のニュースの世界への拡散を記事にしている
。とはいえインターネット上で見つかる当時のニュースのなかには、レーニンをヒトラーの対立候補扱いする、あるいはミスリーディングさせるような、あまり質の良くない……というか普通にガセの報道も少なくない。見出し詐欺を越えていくらなんでも嘘である。
さて、申し立てを却下されたレーニン氏の動向は不明であるが、選挙そのものは大過無く2018年10月7日に実施された。 結果、ユンガル地区におけるソモス・ペルー党は945票(47.7%)の得票を獲得し、ヒトラー氏は翌2019年1月から地区長に返り咲いたのであった。
| 政党 | 投票数 | 得票率 | 地区長候補 |
|---|---|---|---|
| ソモス・ペルー党 | 945 | 47.703% | ヒトラー・ゲスクリン・アルバ・サンチェス[当] |
| 国民復興党 | 579 | 29.228% | エルメリンダ・カロ・ペレス |
| 地域運動 小さなトウモロコシ | 400 | 20.192% | フアン・カルロス・ヘスス・サエンス |
| ペルー・ナショナリスト行動運動 | 34 | 1.716% | エラディオ・アポリナリオ・レガラード・ピネダ |
| 進歩のための同盟 | 22 | 1.111% | フアン・カルロス・ヒラルド・チンチャイ |
| 地域独立運動 滔々たるサンタ川 | 1 | 0.050% | アンドレス・フランシスコ・アンブロシオ・リマック |
| 白票 | 77 | - | - |
| 無効票 | 99 | - | - |
| 投票総数 | 2,157 | - | - |
ペルー全国選挙審査会による選挙データ集積サイト「Infogob 」に基づいて作成。 |
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その後、21世紀南米の帰ってきた善良なヒトラーは、20世紀欧州のヒトラーと違って全権委任を目指したりはせず、2022年末まで1期4年を務めて退任している。
ヒトラー(Hitler)といえば、言わずと知れたアメリカ海軍軍人ウィリアム・パトリック・ヒトラー(ニコニコでも総統閣下シリーズでおなじみ)ナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーの姓。つまり本来ファーストネームではなくファミリーネームである。ペルーの主要言語であるスペイン語の発音だとむしろ「ヒットレル」に近いようだ。
「ヒトラー・ゲスクリン・アルバ・サンチェス」というフルネームは、個人名の次に父母双方の姓を並べるスペイン語系の命名法則に則った名前で、「アルバ」が父称、「サンチェス」が母称、「ヒトラー・ゲスクリン」が個人名となる。ちなみに残る「ゲスクリン(Guesclin)」も本来あまりファーストネームらしくない名前ではあるようで、例えば百年戦争フランスの英雄ベルトラン・デュ・ゲクラン(Bertrand du Guesclin)の姓と同じ綴りである。
当人によれば、彼の父親がアドルフ・ヒトラーのことをきちんと知らないまま外国風だからと付けた名前であり、当然ながら自身とアドルフ・ヒトラーとの思想的な共通点はないと表明している。長じてアドルフを知って改名も考えたと認めているが、父親が付けた名前を変えることに抵抗感があったという。とはいえ人生で「ヒトラー」という名前が害になったことはないとのことで、むしろ前述のキャッチコピーなどに積極的に利用している。名前にインパクトがあるのは政治家としては得な面もあろう。
ただし奥方の証言では、小さな娘がテレビでホロコーストのドキュメンタリーを観て「お父さんは悪い人じゃない」と言ってきたことがあり、わざわざ説明するよりチャンネルを変えたとか。
対するレーニン(Lenin)は、やはり有名なソビエト連邦の建国者レーニン(一般にウラジーミル・レーニンとして知られる。本名ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ)の名である。こちらはスペイン語だと「レニン」と伸ばさない発音になるようだ。
名前の構造はヒトラー氏と同じスペイン語系だと思われるので、おそらく「レーニン・ブラディミール・ロドリゲス・バルベルデ」というフルネームのうち「ロドリゲス」が父称で「バルベルデ」が母称、そして前半の「レーニン・ブラディミール」が個人名となる。ただし、「ヒトラー」がアドルフ生来の姓ではあるのとはことなり、ソ連の「レーニン」はあくまでペンネームである。
それはさておいても、「ブラディミール」もスペイン語名ではなく古いスラヴ系の名前(ウラジーミル)で、しかもラテン・ロマンス系言語には相当するものがない外来名だったりする。なのでこちらもレーニン由来の可能性があるものの、これ自体はスペイン語圏でも中南米ではさして珍しい名前ではないようだ。日本語名で言うならば譲二とか直美あたりのポジションだろうか。
実のところ、ペルーを含む南米では、外国の歴史上の人物や有名人の名前を子供に名付けることは、当該人物の毀誉褒貶・歴史的評価や国籍、さらに名前の言語ともまったく別問題でよくある話らしい。ペルーには他にも公職のヒトラー氏がいるようで、「ペルー国家警察カラス警察署長を務めるヒトラー・ハンス・タリージョ・ママニ氏[8]」なる人物もいる
。
このもともとの傾向に加えて、南米は伝統的に社会主義の強い地域でもあることから、歴史上の社会主義政治家にあやかって命名されることは多いといわれる。たとえばエクアドルの第46代大統領(在任2017-2021)はレニン・ボルタイレ・モレノ・ガルセス(Lenín Boltaire Moreno Garcés。ちなみにBoltaireはヴォルテールVoltaireを意図)である。
他にも、流石に有名人だけあって「スターリン」は人気らしく、スターリン氏(ファーストネーム)はけっこういるようだ。ペルーの政治家からひとり例を挙げれば、ウカヤリ県パードレ・アバド郡クリマナ地区での2022年の地区評議員選挙に進歩のための同盟(中道右派)から立候補して当選したスターリン・ロサノ・サンチェス(Stalin Lozano Sanchez)
という人物がいる。
さらに、ユンガル地区と同じアンカシュ県のワリ郡で2018年7月に行われた選挙では、地域政党「滔々たるサンタ川」から「ヒトラー・スターリン・ロサリオ・ロハス(Hitler Stalin Rosario Rojas)
」という候補者が出馬した。ひとりで独ソ戦ができる政治家の出現である。「スターリンのようにな!(wie Stalin!)」とカッカしていた総統閣下も相対的に相当想定していないだろう文字列。
しかし残念ながらヒトラー・スターリン氏の政党は郡首長どころか郡議会の議席も確保できず
、彼は落選。この話で総統閣下シリーズ作れるぞ。ちなみにこの2018年ワリ郡選挙、議員当選者には「レーニン氏」がいる[10]し、別政党の候補には「ベルリン氏」がいる[11]という情報量の多いイベントである。
こうなると他の名前も探したくなるものだが、チョイバルサン氏(ファーストネーム)とかホッジャ氏(ファーストネーム)とかラヤマジ[12]氏(ファーストネーム)もいるんだろうか。非スペイン語圏レア共産主義政治家ネームの出馬を見つけたらぜひ掲示板までご一報ください。
- ヒトラー氏の情報。
- ユンガル地区の選挙データ。
- ペルーの地方選挙法(全国選挙審査会公式)
(RPP Noticias、2018年9月20日)
(RPP Noticias、2018年9月21日)
(Youtube〔@RPPNoticias〕、2018年9月22日):RPPによる報道動画。ヒトラー氏へのインタビュー映像あり。
(RPP Noticias、2018年10月8日)
(The Guardian、2018年9月21日)
(Sky News、2018年9月24日)
(La Vanguardia、2018年10月8日)
(AFPBB News、2018年9月28日)
(朝日新聞、2018年9月29日)
(Peru Reports、2018年10月8日):レーニンを「ヒトラーの対立候補」扱いしている典型例。ペルー専門のメディアなのに。
とのこと。
、7ページ参照。
。国民行動党より立候補、郡議員に当選。
。ソモス・ペルー党より立候補。掲示板
41 ななしのよっしん
2026/07/07(火) 09:19:15 ID: hIdzZIC/5y
>>40
Googleに発音させてみた限りだと「イートレル」って感じ
42 ななしのよっしん
2026/07/08(水) 21:15:16 ID: n+HDPoOo2f
>>40-41
発音に関しては記事でもリンクに載せてる現地ニュース
(https://
)22秒頃~
に基づいて書いたのですが、やっぱりhを発音しているように聴こえるんですよね
43 ななしのよっしん
2026/07/10(金) 02:12:37 ID: 58zPdS4cM6
まあヒトラーという名が有名すぎてHを発音するのが自然になってるんだろうな
外来語の発音についてはスペイン語も英語並みにテキトーだからたとえば Boca Juniors は本来の発音なら ボカ・フニオル になるが、実際は ボカ・ジュニオル と発音している
急上昇ワード改
最終更新:2026/07/12(日) 17:00
最終更新:2026/07/12(日) 17:00
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