ヒロキミ 単語


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ヒロキミ

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 ぼくにとってヒロキミというが何を意味するかというと、それは裏切者である。
 ともかくヒロキミは僅かのレースしか勝たなかったし、ぼくはそのレースの全てをはずし、大部分のヒロキミの敗けレースでは、常にヒロキミの馬券を買っていたのである。
 ぼくはヒロキミのファンだった。
 だがヒロキミはぼくの援に応えてくれなかったようだ。

――山野浩一『栄の名 不滅の血統に生きた22頭』

ヒロキミHirokimi)とは、1959年生まれの日本競走馬鹿毛

ユウフオーレルとヒカルポーラを下して13番人気菊花賞を制した、ただそれだけの

な勝ち
1962年菊花賞(八大競走)

概要

トサミドリ*フェロニー、Admiral Drakeという血統。
は初代三冠馬セントライト皐月賞天皇賞を勝ったクリヒカリ(アルバイト)ので、1949年皐月賞菊花賞二冠馬種牡馬としても八大競走7頭を輩出する内種牡馬トップサイアーとして大活躍し、顕彰馬にも選出された。
イギリスからの輸入繁殖牝馬で、4戦未勝利だが近には多くの活躍がいる良血King of the Tudorsのを受胎した状態で輸入されたのだが流産してしまい、ヒロキミが輸入後の初である。
アドミラルドレイクパリ大賞などの勝ちで、1955年リーディングサイアーにもいている。

1959年6月20日河の名門・牧場で誕生。6月20日生まれというのは八大競走の勝ちとしては記録的な遅生まれで、八大競走/GⅠ級勝ちでこれ以上となるとアサホコ6月27日)とキタノオーザ(6月30日)しかいない。
遅生まれながら格があり、綺麗流星の見栄えもよく、牧場での育成段階から評判は良かったそうである。

オーナー相馬恵胤は、相馬中村相馬の32代目で、相馬追の振に大きく貢献し、相馬市の名誉市民となっている人。その息子の33代相馬和胤は門別で牧場を経営し、スーパークリークの生産者として知られる。

※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。

十三の緑広き君

オンワードゼアなどを管理した、中山競馬場二本柳俊夫調教師に預けられたヒロキミ。二本柳師は良血で見栄えもいいヒロキミに大きな期待を掛け、遅生まれの彼を焦らずゆっくり育てることにした。

そんなわけでデビューは4歳となって、もうクラシック前の3月高松三太騎手上に迎え、堂々1番人気に支持されたのだが、勝ちから3近く離された5着に惨敗してしまう。
しかし翌週の折り返し新馬戦を3先頭で押し切って勝利すると、皐月賞の翌週の条件戦ぼたん賞も後方から一気に差し切って連勝を飾る。

さて、この年の東京優駿は、今では到底考えられない32頭立て。単なる2勝のヒロキミも、ひっそりこの32頭の中に紛れ込んでいた。もちろんオープン実績ゼロ人気するはずもない……かと思いきや、なんとヒロキミは追い切りで一番時計を出し、この年のダービーは混戦ムードだったこともあって、8番人気まで急浮上する。
しかし高松騎手に先約があったため大和田騎手がテン乗りしたレースは、なんの見せ場もなく21着惨敗。大和田騎手は「もまれるとキャリア不足がでる。まだこれからのでしょう」とコメントした一方、ラジオ解説していた大川次郎はこのときのヒロキミに何かを感じたのか、菊花賞はヒロキミだ」レース後すぐに言ったという。いったい何が見えてたんだろう。

ともあれ高松騎手が戻った条件戦東京4歳ステークス[1]は3身半差で楽勝。ダービー人気伊達ではなかったことを示し、残念ダービーこと日本短波賞に向かったが、ここは出走取消になってしまう。2週間後のオープン特別・白百合ステークスでは後方から追い込んだが3着まで。夏休みに入る。

を迎え、菊花賞すヒロキミだったが……初戦のセントライト記念は出遅れて最下位7着。オールカマーは中団から何の見せ場もなく8頭立ての6着。前戦の京都盃(現:京都新聞杯)もブービー8着。まるでダメである。大川次郎すらこの結果には全な見込み違いだったかと、本番の菊花賞ではヒロキミを馬券から外してしまったんだそうな。

ともあれそんな状況でも、ヒロキミは高松騎手とともに菊花賞へと乗りこんだ。ここでも追い切りで一番時計を出したが、さすがに近走がこの結果では馬券師も「もう騙されんぞ」と思うのも当たり前である。菊花賞史上最多の23頭立てとなり、皐月賞ヤマノオーもダービーフエアーウインも評価を落として大混戦ムードの中、ヒロキミは26.4倍の13番人気であった。
しかしヒロキミは生涯最も人気を落としたここで一世一代の走りを見せる。カネツセーキがゆったりとしたペース逃げる中、ヒロキミはひっそりと中団に構えると、4コーナーで他と一緒に進出開始。直線入口ではいつの間にか3番手まで上がっていた。カネツセーキが力尽き、2番手にいたバツキンガムがそれをかわすが、そこに猛然と襲いかかったヒロキミは並ぶ間もなくバツキンガムをかわして先頭。後ろからはヒカルポーラが追いすがり、さらに外からリユウフオーレルが追い込んできたが、後の天皇賞2頭を従えて、ヒロキミは鮮やかにクビ差押し切った。
ちなみにこのとき2着リユウフオーレルは8番人気、3着ヒカルポーラは11番人気枠連万馬券がつく大荒れ決着となったが、当時3連単があったらいったいいくらついたのやら。

不振も低評価も蹴っ飛ばして菊花賞となったヒロキミは、翌年の天皇賞(春)は見送って長めの休養をとり、5ヶ休んで4月東京オープンで復帰し3着。続くアルゼンチンジョッキークラブカップ(現:アルゼンチン共和国杯)では4頭立ての少頭数の中逃げを打ってアタマ差2着、3着フエアーウインには6身差をつけ、秋の天皇賞へ向けて再び休養に入る。

ところが5ヶ休んで10月オールカマーで復帰したとき、ヒロキミはまた不振に陥っていた。高松騎手ミオソチスに騎乗したため古山が騎乗したオールカマーは6着、引き続き古山騎手と向かった目黒記念(秋)も8着。本番の天皇賞(秋)では高松騎手も戻って4番人気に支持されたが、見せ場なく8着。有馬記念でも後方から追い込んでの4着に留まり、期待を裏切ったまま5歳を終える。

明けて6歳、今度は天皇賞(春)標に定め、アメリカジョッキークラブカップから始動し勝ちから離された3着。続くダイヤモンドステークスキクノヒカリとの叩き合いに競り負けて2着ながら良化傾向を見せ、前戦の目黒記念(春)ではハンデも軽く断然の1番人気に支持された。

……だが、スタート直後、ヒロキミは転倒、高松騎手は落、競走中止。大川次郎によると、ワールドコンカというの蹴り上げた後ろ脚に前脚を引っかけてしまったのだという。起き上がったヒロキミが前脚の片方を引きずりながらコースの横に出たところを、ゴールす他たちが駆け抜けていった。

前脚骨折予後不良。ヒロキミはあっけなく天国のターフへ旅立った。

 ヒロキミの死は、まるでこのに対する期待への最大の裏切りであったかのようにぼくの胸に奇妙な不条理感覚を残した。
 計十九戦四勝、ただ菊花賞に勝っただけ馬だ。何度も人気となり、何度も敗け、最も人気のない時に勝っ馬。強馬だったヒロキミ。弱馬だったヒロキミ。
 ぼくは今もヒロキミとい馬はわからない。果たしてあののち天皇賞に出て、ヒカルポーラと対戦していれば勝ったのだろうか?

――山野浩一『栄の名 不滅の血統に生きた22頭』

山野浩一が「ヒロキミとはとにかくわからないだった」と記したように、戦績を見ても本当によくわからないである。明らかが得意でが苦手に見えるのに菊花賞。以降勝ちこそないとはいえ、菊花賞だけで燃え尽きたという感じでもない。大川次郎は「ジリ脚で、距離が二千四メートルでも、まだ短かい」と評しているが、惨敗×3から突然快勝した菊花賞距離適性だけで語れるものなのか。リアルタイムで見ていた評論家もわからないのだから後世の人間がわかるべくもない。

ただ、山野浩一が記したひとつの教訓だけはきっと、現代の競馬ファンもわかるはずだ。

 いまなら、ぼくはいかにヒロキミがどんを走り続けても、レースに出てくる限りヒロキミの馬券を買っただろう。そしていま、ぼくは、ヒロキミという裏切者に対して、当時以上の着を抱いている。
 ヒロキミは裏切ったのではない。ぼくがヒロキミを裏切っていたのだ。あれだけ好きだった馬券を買わなかったことこそ最大の裏切りだったのだ。

血統表

トサミドリ
1946 鹿毛
*プリメロ
1931 鹿毛
Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
*フリツパンシー
1924 黒鹿毛
Flamboyant Tracery
Simonath
Slip Robert le Diable
Snip
*フエロニー
1952 鹿毛
FNo.2-f
Admiral Drake
1931 黒鹿毛
Craig an Eran Sunstar
Maid of the Mist
Plucky Liege Spearmint
Concertina
Felonia
1945 鹿毛
Felstead Spion Kop
Felkington
Malo Mieuxce
Aloe

クロスSpearmint 4×5(9.38%)St. Simon 5×5(6.25%)

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さすがに1962年菊花賞動画なんて……あったわ。

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関連項目

脚注

  1. *1967年創設の重賞東京4歳ステークス現在共同通信杯の前身なのかどうかは不詳。
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