ビジャレアルCF(Villarreal Club de Fútbol)とは、スペイン・ラ・リーガに所属するサッカークラブである。本拠地はバレンシア州に位置するビジャレアル。ホームスタジアムはエル・マドリガル。
ビジャレアルCF | |||
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所属リーグ | ![]() |
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創設 | 1923年 | ||
ホームタウン | ビジャレアル | ||
ホームスタジアム | デ・ラ・セラミカ (24,890人) |
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クラブカラー | 黄色 | ||
代表者 | フェルナンド・ロイグ |
1923年に創設。元々は下部リーグ所属していたクラブであったが、1998年にリーガ・エスパニョーラ初昇格を果たす。初挑戦であった1998-99シーズンを18位で終え降格してしまうが、翌1999-00シーズンにセグンダ・ディビシオン(2部)で3位に入り、1年でリーガ・エスパニョーラに復帰する。
以降リーガ・エスパニョーラに定着し、2004-05シーズンの3位進出を皮切りにUEFAチャンピオンズリーグなどでも結果を残すようになり、強豪の仲間入りを果たした。2011-12シーズンには降格してしまうが、翌2012-2013シーズンにセグンダ・ディビシオンを2位で終え再度昇格を果たした。2021年には、クラブ創設以来初のメジャータイトルとなるUEFAヨーロッパリーグ優勝を果たしている。
ビジャレアルとはスペイン語で「王の町」という意味であり、その名の通りチームのエンブレムには王冠があしらわれている。ただし、この場合の王とはアラゴン王国の王を指し、現在のスペイン王室ではない。そのため王冠のデザインも他のレアルを冠するチームのものとは異なっている。
愛称はクラブカラーの黄色から、ビートルズの曲にちなんで「イエローサブマリン」「サブマリンズ」。日本では「潜水艦」とも称される。
地域的な理由により、同じカステリョン県に本拠地を置くCDカステリョンに対して長い間ライバル意識を抱いている。同じバレンシア州の都市を本拠地とするバレンシアCFとはライバル関係にあり、両チームの対戦はバレンシア州ダービーと呼ばれ白熱する。
日本人選手では、久保建英がレアル・マドリードからのレンタル移籍で2020年に所属している。
1923年にビジャレアルCDとしてクラブが創設。初代会長は化学者のホセ・カルドゥチュ・アルメーラだった。黎明期のユニフォームは白色のシャツと黒色のパンツであり、クラブ初のバッジの色が反映されていた。クラブ創設後すぐに専用スタジアムが完成し、その2年後にエスタディオ・エル・マドリガルと命名される。
1929年にリーガ・エスパニョーラが発足されると、地域リーグに参戦。ビジャレアルは、長い間4部、5部に相当するリーグで過ごす小さなクラブだった。1942年、クラブはCAFビジャレアルに名称を変更し、1947年に黄色いユニフォームが使用されるようになる。さらに、1954年、現在の名称であるビジャレアルCFに変更となる。
1955-56シーズンに地域リーグで優勝を果たし、初めてテルセーラ・ディビシオン(3部)へ昇格する。そこから5シーズン連続で3部に定着するが、1960-61シーズンにディビシオネス・レヒオヒナス(4部)へ降格。それから6シーズン後の1966-67シーズンのレヒオヒナスに優勝し、再びテルセーラ・ディビシオンに昇格する。さらに、1969-70シーズンに優勝をし、クラブ史上初となるセグンダ・ディビシオン(2部)昇格果たす。セグンダ・ディビシオン初年度は何とか降格を回避することができたものの、2年目となった1971-72シーズンに降格。さらに、1975-76シーズンにはテルセーラからも降格となり、ディビシオネス・レヒオヒナスまで転落する。1年で復帰するものの、10年間は3部リーグに居続ける。
1990年に4部(テルセーラ・ディビシオン)に降格するが、1990-91シーズン、1991-92シーズンに2シーズン連続での昇格に成功し、20年ぶりに2部(セグンダ・ディビシオン)で戦うことに。2部に定着するようになった1997年に実業家のフェルナンド・ロイグが会長に就任。これがクラブの運命を変える大きな転機となる。就任会見で「3年以内にプリメーラ・ディビシオンに昇格し、いずれはUEFAチャンピオンズリーグに出場する」と公約し、下部組織の充実や練習環境の整備、移動用の専用機の購入などに着手する。そして、ロイグ就任1年目の1997-98シーズンに昇格プレーオフを勝ち抜き、クラブ史上初のプリメーラ・ディビシオン昇格が決定する。
初めてプリメーラ・ディビシオンを戦った1998-99シーズンは18位に終わり、セグンダ・ディビシオンに降格。それでもわずか1年でプリメーラに復帰すると、ビクトル・ムニョスが掲げた攻撃的なスタイルによて2000-01シーズンは7位という好成績を残す。ムニョスのスタイルは徐々に他チームから研究されるようになり、その後のラ・リーガでは2年連続15位と低迷するが、2003年夏にビッグネームであるフアン・ロマン・リケルメの獲得に成功。UEFAインタートトカップを優勝し、UEFAカップ出場権を獲得。
2003-04シーズン途中にムニョスが解任となり、チリの知将マヌエル・ペジェグリーニが監督に就任。この頃、チームは南米出身の選手を中心に積極的な補強をおこない、攻撃の中心に置かれたリケルメはFCバルセロナ時代には燻っていた天才的な才能を遺憾なく発揮し、初の欧州の舞台での戦いとなったUEFAカップでは、準決勝まで駒を進める大健闘を見せる。2004-05シーズンにはディエゴ・フォルランが加入。リーガ移籍初年度ながらも25ゴールを決める活躍で得点王を獲得し、リーガで3位と大躍進を遂げる。これによってCL出場権を獲得し、ロイグ会長の公約はわずか10年足らずで達成されることとなった。初出場となったCLでも準々決勝でインテル・ミラノを破って準決勝進出を果たすという快挙を成し遂げ、この大会の台風の目として注目を集める。その後、チームの王様となったリケルメがペジェグリーニとの確執によって退団し、フォルランもアトレティコ・マドリードへ移籍する。だが、下部組織出身のサンティ・カソルラやマルコス・セナがチームの中心として台頭したことで脱リケルメに成功し、2007-08シーズンにはクラブ史上最高順位となる2位となる。翌年のCLでも準々決勝まで進出しており、すっかりラ・リーガの強豪クラブとしての地位を確立させていた。
2009年夏にチーム躍進の功労者であるペジェグリーニがレアル・マドリードへ引き抜かれる。後任として期待されたエルネスト・バルベルデは成績不振で早々と解任されるが、フアン・カルロス・ガリードがチームの立て直しに成功。ジュゼッペ・ロッシとニウマールの2トップが機能し、2010-11シーズンにはトップ4入りを果たし、3度目となるCL出場権を獲得する。ところが、経営難にあったチームはカソルラやジョアン・カプテビラといった主力の売却を決定。さらにロッシ、セナが怪我で長期離脱したこともあって2011-12シーズンはこれまでの躍進が嘘のような大不振に陥る。二度の監督交代もチームを混乱させてしまい、14シーズンぶりのセグンダ・ディビシオン降格というまさかの結末を迎える。
降格によって主力の多くがチームを離れ大幅な戦力低下を招くが、それでも1年でのラ・リーガ復帰に成功。ラ・リーガ復帰後のチームは、2000年代の攻撃的なスタイルから組織的な守備を重視した堅実なスタイルへと舵を切り、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得する二番手グループが定位置となる。一方、目標であるCL出場にはなかなか届かず、2015-16シーズンにはCLプレーオフに進出するが、ASモナコを相手に2試合トータルで敗れ、ELに回ることになる。2018年には大怪我で2年間プレーできずにいたカソルラが7年ぶりに復帰し、奇跡的な復活を遂げて話題となる。
2020-21シーズンに名将ウナイ・エメリを監督に招聘。リーガでは過密日程の影響で7位に終わるが、エメリが得意としているELでは、ジェラール・モレノの活躍もあって躍進を遂げる。準決勝ではアーセナルを下し、決勝ではマンチェスター・ユナイテッドとのPK戦を制し、クラブ史上初のメジャータイトル獲得となるEL優勝を果たす。2021-22シーズンには、EL優勝によって10年ぶりにCLに出場。ラウンド16でユヴェントス、準々決勝でバイエルン・ミュンヘンを相手に連続して大金星を挙げ、二度目となるベスト4進出を果たす。準決勝でもリヴァプールFCを相手に食い下がるが、惜しくも力尽きる。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ![]() |
キケ・セティエン | 1958.9.28 | 2020 | バルセロナ |
1 | GK | ![]() |
ホセ・マヌエル・レイナ | 1982.8.31 | 2022 | ラツィオ |
2 | DF | ![]() |
キコ・フェメニア | 1991.2.2 | 2022 | ワトフォード |
3 | DF | ![]() |
ラウール・アルビオル(C) | 1985.9.4 | 2019 | ナポリ |
4 | DF | ![]() |
パウ・トーレス | 1997.1.16 | 2017 | マラガ |
5 | DF | ![]() |
ホルヘ・クエンカ | 1999.11.17 | 2020 | ヘタフェ |
6 | MF | ![]() |
エティエンヌ・キャプー | 1988.7.11 | 2021 | ワトフォード |
7 | FW | ![]() |
ジェラール・モレノ | 1992.4.7 | 2018 | エスパニョール |
8 | MF | ![]() |
フアン・フォイス | 1998.1.12 | 2021 | トッテナム |
10 | MF | ![]() |
ダニエル・パレホ | 1989.4.16 | 2020 | バレンシア |
11 | FW | ![]() |
サムエル・チュクウェゼ | 1999.5.22 | 2018 | ビジャレアルB |
12 | DF | ![]() |
ホアン・モヒカ | 1992.8.21 | 2022 | エルチェ |
14 | MF | ![]() |
マヌ・トリゲロス | 1991.10.17 | 2012 | ビジャレアルB |
15 | FW | ![]() |
ニコラス・ジャクソン | 2001.6.20 | 2021 | ミランデス |
16 | FW | ![]() |
アレックス・バエナ | 2001.7.20 | 2020 | ジローナ |
17 | MF | ![]() |
ジオヴァニ・ロ・チェルソ | 1996.4.9 | 2022 | トッテナム |
18 | DF | ![]() |
アルベルト・モレノ | 1992.7.5 | 2019 | リヴァプール |
19 | MF | ![]() |
フランシス・コクラン | 1991.5.13 | 2020 | バレンシア |
21 | MF | ![]() |
ジェレミ・ピノ | 2002.10.20 | 2020 | ビジャレアルB |
22 | FW | ![]() |
ホセ・ルイス・モラレス | 1987.7.23 | 2022 | レアル・マドリード |
23 | DF | ![]() |
アイサ・マンディ | 1991.12.17 | 2021 | ベティス |
24 | DF | ![]() |
アルフォンソ・ペドラサ | 1996.4.9 | 2015 | ベティス |
27 | DF | ![]() |
アドリアン・デ・ラ・フエンテ ※ | 1999.2.26 | 2021 | ビジャレアルB |
28 | MF | ![]() |
ニキータ・ロシフォフ ※ | 1999.2.26 | 2021 | カザンカ・モスクワ |
31 | GK | ![]() |
イケル・アルバレス ※ | 2002.4.16 | 2021 | ビジャレアルB |
34 | FW | ![]() |
フェル・ニーニョ ※ | 2000.10.24 | 2020 | マジョルカ |
35 | GK | ![]() |
フィリップ・ヨルゲンセン | 2002.4.14 | 2021 | ビジャレアルB |
37 | DF | ![]() |
アドリアン・デ・ラ・フエンテ ※ | 1999.2.26 | 2021 | ビジャレアルB |
42 | FW | ![]() |
ハビエル・オンティペロス ※ | 1997.10.24 | 2019 | フエンラブラタ |
※は二種登録選手。
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最終更新:2023/06/04(日) 05:00
最終更新:2023/06/04(日) 05:00
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