ピート・サンプラスはアメリカの元テニス選手である。男子テニス界における90年代の最強選手。
Pete Sampras | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アメリカ合衆国: ワシントンD.C. |
生年月日 | 1971年8月12日 |
身長 体重 |
185 cm 77 kg |
選手情報 | |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
デビュー年 | 1988年 |
引退年 | 2003年 |
テニス選手テンプレート |
1990年代のアメリカを代表する選手。デビューした1988年のうちに既にTOP100に入ってきている。1990年にツアー初優勝を挙げると、同年全米オープンでは長くライバルとしてしのぎを削ることになるアンドレ・アガシを下して初優勝。この優勝は19歳28日の大会最年少記録として今も残っている。その後しばらくはTOP10内で浮き沈みしていたが1993年の春についに1位に立つと、同年ウィンブルドンから翌年全豪オープンまで四大大会3連勝。特にウィンブルドンではこの年から3連覇、さらに1年おいて4連覇を達成しており、完全にサンプラス時代と呼ぶべき状態となっていた。
1998年までは多少抜かれる時期があっても年度末の最終ランキング1位は守っていたが、99年に陥落。最後に記録したランキング1位は2000年11月13日発表時のものである。同年ウィンブルドンで当時の新記録となる四大大会13勝目を挙げたが、このあと優勝から見放される。2000年と2001年の全米オープンはいずれも決勝進出したが、それぞれマラト・サフィン、レイトン・ヒューイットにストレートで完敗。また2001年のウィンブルドン4回戦ではロジャー・フェデラーにフルセットで敗れたほか、当時アメリカ期待の星だったアンディ・ロディックにも連敗していた。いわゆるニューボールズ世代の若手選手たちに圧倒されていたことで「終わった選手」のように扱われていた2002年、全米オープンで最後の輝きを見せる。この大会、四回戦で有力若手選手の一人だったトミー・ハースを下しているほか、準々決勝ではロディックをストレートで一蹴。決勝ではライバル・アガシを下して四大大会14回目の優勝を達成した。これで満足したのか、その後は1年間大会に出場せず、翌2003年の全米オープンで正式に引退を発表した。
基本的にサーブ&ボレー寄りのプレイスタイルだったが、現役当時は「史上最強のオールラウンダー」と呼ばれていた。ネットダッシュが多かったが、一発で決めるショットは後ろからでも強力なものを持っていた。相手がネットに詰めてくるときは強烈なパッシングを浴びせることができたし、ときとしてストローク勝負でアガシに打ち勝つこともあった。当時トップクラスのビッグサーバーでもあり、通算サービスエース数は引退時点でゴラン・イバニセビッチに次いで歴代2位、2015年8月現在でも歴代5位として残っている。浮いたボールに対する豪快なジャンピングスマッシュが得意技で、これはダンクスマッシュとして知られる。
一方で長いラリーが苦手だったのは体質のせいかもしれない(彼は遺伝性の貧血持ちだった)。芝やカーペット、ハードコートでは強さを見せたが、ラリーが続きやすいクレーではあまり勝てなかった。考えようによっては自身の体質を考慮したうえで最適なスタイルを構築した選手と言えるかもしれない。しかしながら彼の試合はサーブ一発、ボレー一発でのポイントが多いため淡白な試合に映ったらしく、日本では彼の時代に男子テニス観戦から離れた人も多かったようである。最近の試合を観ずに「男子のテニスはサーブ一発で決まって面白くない」という人は未だに少なくない。
流石に時代の最強選手だけあって動画も多い。その強さに「チート・サンプラス」のタグが付くことも。
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最終更新:2025/03/31(月) 07:00
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