ピート・サンプラス 単語

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ピートサンプラス

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ピート・サンプラスはアメリカの元テニス選手である。男子テニス界における90年代最強選手。

概要

1990年代アメリカを代表する選手。デビューした1988年のうちに既にTOP100に入ってきている。1990年ツアー優勝を挙げると、同年全オープンでは長くライバルとしてしのぎを削ることになるアンドレ・アガシを下して初優勝。この優勝は19歳28日の大会最年少記録として今も残っている。その後しばらくはTOP10内で浮き沈みしていたが1993年についに1位に立つと、同年ウィンブルドンから翌年全オープンまで四大大会3連勝。特にウィンブルドンではこの年から3連覇、さらに1年おいて4連覇を達成しており、全にサンプラス時代と呼ぶべき状態となっていた。

1998年までは多少抜かれる時期があっても年度末の最終ランキング1位は守っていたが、99年に陥落。最後に記録したランキング1位2000年11月13日発表時のものである。同年ウィンブルドンで当時の新記録となる四大大会13勝を挙げたが、このあと優勝から見放される。2000年2001年の全オープンはいずれも決勝進出したが、それぞれマラト・サフィンレイトン・ヒューイットストレート敗。また2001年ウィンブルドン4回戦ではロジャー・フェデラーフルセットで敗れたほか、当時アメリカ期待のだったアンディ・ロディックにも連敗していた。いわゆるニューボールズ世代の若手選手たちに圧倒されていたことで「終わった選手」のように扱われていた2002年、全オープンで最後のきを見せる。この大会、四回戦で有力若手選手の一人だったトミー・ハースを下しているほか、準々決勝ではロディックストレートで一蹴。決勝ではライバルアガシを下して四大大会14回優勝を達成した。これで満足したのか、その後は1年間大会に出場せず、翌2003年の全オープンで正式に引退を発表した。

90年代最強のオールラウンダー

基本的にサーブボレー寄りのプレイスタイルだったが、現役当時は「史上最強オールラウンダー」と呼ばれていた。ネットダッシュが多かったが、一発で決めるショットは後ろからでも強力なものを持っていた。相手がネットに詰めてくるときは強なパッシングを浴びせることができたし、ときとしてストローク勝負でアガシに打ち勝つこともあった。当時トップクラスビッグサーバーでもあり、通算サービスエース数は引退時点でゴラン・イバニセビッチに次いで歴代2位2015年8月現在でも歴代5位として残っている。浮いたボールに対する快なジャンピングスマッシュが得意技で、これはダンクスマッシュとして知られる。

一方で長いラリーが苦手だったのは体質のせいかもしれない(彼は遺伝性の貧血持ちだった)。芝やカーペットハードコートでは強さを見せたが、ラリーが続きやすいクレーではあまり勝てなかった。考えようによっては自身の体質を考慮したうえで最適なスタイルを構築した選手と言えるかもしれない。しかしながら彼の試合はサーブ一発ボレ一発でのポイントが多いため淡な試合に映ったらしく、日本では彼の時代に男子テニス観戦から離れた人も多かったようである。最近の試合を観ずに「男子テニスサーブ一発で決まって面くない」という人は未だに少なくない。

主な実績

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流石に時代の最強選手だけあって動画も多い。その強さに「チート・サンプラス」のタグが付くことも。

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最終更新:2025/03/31(月) 07:00

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