以下は2について記述。
WW2後期、レンドリースによって提供されたアメリカ戦車・M4シャーマンをベースに改修されて作られた戦車である。当時の連合軍最強クラスの対戦車砲・オードナンスQF17ポンド砲を装備した戦車として大戦に間に合い、イギリス軍の有力な対戦車戦力として活躍した。
1942年初頭にアメリカで本格的生産が開始されたM4シャーマンは、同年中にはイギリス軍にも大量に供給される体制が整い、北アフリカ戦線の天王山、エル・アラメイン戦に間に合い同戦線の連合国軍勝利の原動力のひとつとなることができた。しかし翌1943年1月、ドイツ軍は新型戦車・Ⅵ号戦車「ティーガー」を投入。この重装甲とずばぬけた火力の前に、M4シャーマンは単純な力勝負ではまったく太刀打ちできないことが判明したのである。
この事態に対して、
米「まーいいじゃん? どーせ数出てこねーんだし今のままシャーマン量産すりゃ」
英「やべぇやべぇやべぇやべぇなんかの対策とらなきゃ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」
既に3年間もドイツ軍相手に死闘を繰り広げてきたイギリス陸軍と、まあ日本軍相手の戦闘くらいしか経験してきてないアメリカ陸軍の危機感の差というかなんというか。 かくしてイギリス陸軍は早急に実戦投入できそうな対ティーガー用対戦車兵器の開発計画はないかと国内を探しまわった結果、……ありました!
1940年に計画開始され、42年初頭には生産ラインも立ち上げられる状態にこぎつけていたオードナンスQF17ポンド砲(以下17ポンド砲と略)である。砲はできてたけど砲架が未完成で、他の兵器の量産のほうが優先されたため半放置状態だったこの砲をとりあえず既存の90ミリ級口径の小型野砲・25ポンド砲の砲架にのっけて前線に送り出す一方、この17ポンド砲を搭載した戦車も開発しようという計画が当然の如く持ち上がったのである。
ところが当時の英国戦車ときたら、搭載している戦車砲は最強のものでも6ポンド砲(57ミリ口径)でしかなく、また砲塔に積める砲の最大サイズを規定するパーツである「砲塔リング」のサイズも余裕がなく、既存の戦車ベースではほとんど新規開発に近い改修の手間をかけなきゃ17ポンド砲積めそうにないという結論に至ったのである(→チャレンジャー巡航戦車、ブラックプリンス歩兵戦車)。
17ポンド砲をちょっと弱体化させて、搭載させやすくするという手法も考案された(→コメット巡航戦車)が、やっぱり手間はかかりそう(クロムウェル巡航戦車をベースとしたが、ほぼ新開発となった)。砲塔に積むより無理せずに装備できる自走砲にしてみたらどうよという提案もあった(→アーチャー対戦車自走砲)が、使えそうなベース車両であるバレンタイン歩兵戦車からの改装点が多すぎてすぐには作れそうもない。さあ困った。
しかし大英帝国の紳士を舐めてはいけない。紳士はこういうときこそ名案を生み出すものなのである。王立砲兵学校の少佐2名から、こんなこともあろうかと発案されていたのがM4シャーマンを改修して17ポンド砲を搭載しようという計画であった。彼らはアフリカ戦線帰りの戦闘ノウハウを提供するためにアメリカに派遣されたことがあり、その際にM4シャーマンの砲塔リングがかなり余裕を持って設計されていることを知っていたのである。
またアメリカ軍がM4シャーマンに対して「榴弾威力が強い75ミリ砲」→「貫徹能力優先の76.2ミリ砲」への改装計画を進めていることも知っていたため、同口径の17ポンド砲の搭載も不可能ではないはずだとの確信を抱いていたのであった。提出当初は「んなことできるかボケ」と冷たく追い払ったのは忘れよう、今やこの計画だけが英国陸軍戦車部隊の頼みの綱だ!
これらの改修は他の諸計画に比べればかなり簡易なもので、他計画が英国の意地で継続されながらも予想通りに1944年秋以降まで実戦投入可能な型の生産が遅れたのに対し、この「シャーマンに17ポンド砲載せよう計画」は1944年初頭に試作車が完成して軍に納入を完了、1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦に無事に戦力化を間に合わせることに成功したのである。
ちなみに「蛍」っていうと初夏の夜にわずかに残された清流の近くで輝きながら飛ぶはかなげな昆虫ってイメージだけど、「firefly」っつーと獰猛な肉食昆虫のイメージなんだってさ。ホントかどうかはわかんない。
なお、これは17ポンド砲の記述となるが、この強力な戦車砲はファイアフライだけではなく。M4と同じく米国から大量供与されたM10駆逐戦車にも、やはり車体余裕を活用。片端から搭載されている。往々にして英国面と揶揄されることもあるが、ファイアフライを含むこの迅速・的確な対応は評価すべきだろう。
造兵廠での最優先事業としてファイアフライへの改修作業が進められた結果、1945年5月までに2000両を越えるファイアフライが完成している。アメリカ軍も中戦車の火力増強を結局やらざるを得ない状況に追い込まれたため、かなりの数のファイアフライを発注しており、大戦が長引いていれば生産数はまだまだ増加していたであろう。生産のボトルネックとなったのは実のところ17ポンド砲の生産が間に合わないのが大きな理由だったとかなんとか。
そういうわけで火力こそV号戦車・Ⅵ号戦車と対等になったが防御力はちっとも変わってないため、実運用としては通常タイプのシャーマン戦車に前に立ってもらい、それに反応して敵戦車が動き出したところでファイアフライが前に出て攻撃するという戦法を取ることが多かった。
これにはもうひとつ理由があり、17ポンド砲における対戦車戦闘の切り札であるAPDS(世界初の採用!)はこの時期はまだ技術が未熟で遠距離での照準が安定せず、どうしても500メートル程度の至近距離まで接近することが必要であったためである。そのぶんドイツ軍にもその能力は極めて危険と判断されており、長い砲身と盛大な発射炎で簡単に判別がつくファイアフライは常に最優先攻撃目標として警戒されていた。え? APDS使わなきゃいいのにって?
ごもっとも。そういうわけで通常徹甲弾使うことも多かったんだけど、その場合の貫徹力はまあ口径と初速なりの威力なので、やっぱりドイツ重戦車相手にはけっこう接近する必要がありました。但し58口径と長砲身で、薬室も大きかったため、通常の3インチ砲より高威力。後はAPDSの数が不足気味なので、こっちも重宝したそうです。
投入された戦線は当初はフランス等だったが、後にイタリア戦線にも投入されている。戦史の中でもっとも名高いのが、1944年8月、高名なSS士官であり先々月には「ヴィレル・ボカージュの戦い」でイギリス軍相手に無双やったばかりのミハエル・ヴィットマン搭乗のティーガーを撃破し彼を討ち取ったことであろうか。ティーガーを討つために生み出された戦車は、見事にその任を果たしたのである。
大戦終結後、装甲・火力・機動力ともに秀でた期待の中戦車・センチュリオンの配備に伴いファイアフライは退役していき、戦後欧州諸国の軍備再建の礎として中古市場に流れていくこととなった。一部アラブ諸国にも売られていったファイアフライが後のレバノン内戦でも使われたという話もあるが、事実かどうかは不明である。
ファイアフライに関するニコニコ市場の商品を紹介してください。
掲示板
39 ななしのよっしん
2022/01/10(月) 01:39:52 ID: kmz4ESGAa/
こいつの名前の由来
17ポンド砲は発砲すると派手なマズルフラッシュが起きて敵から丸見え、ということでファイアフライ、という事らしい…(だから自走砲のアキリーズもファイアフライって呼ばれてたんだとか)
なんというか英国らしいネーミングセンスよ…
40 ななしのよっしん
2022/04/29(金) 09:24:09 ID: TjgSK+eDvA
>>39
フェアリー・ファイアフライ「自分、輝いてましたか・・・?」
41 ななしのよっしん
2023/10/14(土) 18:36:29 ID: TjgSK+eDvA
>>39
HMS Firefly「歴代通して輝きとはほど遠い、海軍本部はなぜこんな名前を徴発した民間トロール船に付けたのか」
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最終更新:2024/04/25(木) 08:00
最終更新:2024/04/25(木) 08:00
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