フィル・クラーク(Phillip Benjamin Clark)とは、元プロ野球選手である。
OB | |
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フィル・クラーク Phil Clark |
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | テキサス州 |
生年月日 | 1968年5月6日 |
身長 体重 |
183cm 90kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1986年 |
引退 | 2002年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
1968年5月6日生まれ。アメリカ合衆国テキサス州出身。兄はヤクルトスワローズでもプレーしたジェラルド・クラーク。
クロケット高等学校卒業後、1986年MLBドラフト会議にて、デトロイト・タイガースからMLBドラフト1巡目(全体18位)で指名を受けて契約。当時は内野手ではなく、強打の捕手であった。
長らくマイナーリーグ生活を続け、1989年には膝を故障し捕手を断念し、外野手や内野手としてプレーするようになった。1992年にタイガースからメジャーデビューを果たし、23試合の出場ながら打率.407を記録。1993年にサンディエゴ・パドレスへ移籍。同年は102試合に出場して打率.313、9本塁打、33打点を記録。しかし、その後はレギュラー定着とはいかず、メジャーとマイナーを行き来するような生活が続き、1996年にボストン・レッドソックスへ移籍したが、わずか3試合の出場に終わっている。
1997年、近鉄バファローズに入団。前年退団したC・D(クリス・ドネルス)に代わる中軸打者を期待されての入団であった。
初年度の1997年、開幕直後こそ日本野球特有の変化球攻めに苦戦したが、次第に対応。4月から5月にかけて16試合連続安打を記録、8月から9月にかけて24試合連続安打を記録。イチロー相手に首位打者争いを繰り広げた。最終的には打率.331、23本塁打、93打点を記録。惜しくも首位打者の座を逃したが、ベストナインに選ばれた。
1998年、この年もいてまえ打線の中軸として活躍し、打率.320、31本塁打、114打点と前年以上の数字を残し、2年連続でベストナインに選ばれた。同年記録した48二塁打は当時の日本記録、81長打は当時のパ・リーグ新記録、OPS.971は12球団一の数値を残していた。
1999年、打率こそ.283と3割を下回ったが、29本塁打、84打点を記録。ベストナインにも3年連続で選ばれた。
2000年、春先から肩の故障に悩まされ不調が続き、夏場には右手首を骨折し、そのままシーズンを終えた。球団は残留を検討したが、手首の回復が遅く、可動域が戻らなかったことを理由に、翌年の契約を結ばなかった。
その後はアメリカ独立リーグでプレーし、2002年に現役引退。
引退後は複数のマイナーリーグのチームでコーチを務め、2018年からはタイガースの打撃コーチ補佐を努めた。2021年からは台湾プロ野球の味全ドラゴンズの打撃コーチを2シーズン務めた。
リストの柔らかさを生かし、長打を量産した強打者。
真面目な性格で、遠征先でもトレーニングを欠かさないストイックな選手であった。
日本時代は天王寺周辺のマンションで暮らし、焼きそばを気に入り、コンビニなどで購入してよく食べていたという。
通算:9年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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MLB:5年 | 264 | 588 | 543 | 62 | 150 | 17 | 65 | 4 | 2 | 7 | 27 | 9 | 76 | 9 | .276 | .317 |
NPB:4年 | 470 | 2003 | 1818 | 239 | 555 | 93 | 324 | 5 | 0 | 17 | 140 | 28 | 233 | 75 | .305 | .361 |
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最終更新:2025/04/09(水) 23:00
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