オーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝。(生年1830年8月18日、没年1916年11月21日)。ドイツ語によるフルネームはフランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。(Franz Josef Karl von Habsburg-Lothringen)。各国での称号・呼称は複雑なのでWikipedia等を参照。
オーストリア皇帝フランツ1世の孫(マリア・テレジアの玄孫)。2月革命で伯父フェルディナンド1世が病弱だったので退位するとフェルディナンドの弟であるフランツ・カール(フランツ・ヨーゼフの父)は皇位継承者だったが辞退し、後を継ぐこととなった。
以後68年間戦争に負けたり家族を失ったりと散々な目に遭い続けながらも皇帝として仕事し続ける。
第一次世界大戦のさなか、高齢をおして執務を続けるも肺炎にかかり死去。86歳であった。
後は弟の孫・カールが継ぐが敗戦と革命によりわずか2年で退位。フランツ・ヨーゼフの死を持ってハプスブルク帝国の終焉と見る人も多い。
なお在位68年は19世紀、20世紀の独立国君主では最長である。
非常に生真面目であり、愛妻家であるが、当時の君主の習慣として愛人もおり、また庶子と言われる子もいる。
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掲示板
2 ななしのよっしん
2016/07/05(火) 21:18:15 ID: ofpJgX+09c
別に無能というわけではなかったが、国家の危機に対して
有効な対策が打てなかった、という点ではカール5世に似てる気がする。
3
2022/05/08(日) 21:09:01 ID: hr/83OgXx6
ナポレオンがヨーロッパを荒らし、死んで列強に復帰したと思ったらクリミア戦争のとばっちりを受け、諸国民の放棄に耐えられず妥協
いざ戦争、外交、経済と見てもイギリスのヴィクトリア女王、プロイセンのビスマルクにモルトケ、フランスは帰って来たナポレオン三世、おまけに弟はメキシコで殺され、嫁さんもアナキストに殺される
碌な人生じゃないな
4 ななしのよっしん
2024/04/19(金) 20:41:15 ID: ttYb3rhHbi
江村洋の伝記読んだけどあまりにも気苦労が多すぎて同情する。
そりゃあハゲるよなって
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最終更新:2024/04/20(土) 08:00
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