フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(独:Friedrich August von Hayek、1899〜1992)、通称、F・A・ハイエクとは、オーストリアの経済学者、哲学者である。1974年ノーベル経済学賞を受賞
1929年10月の大暴落の結果、市場経済は人々の信頼を失った。国民は政治の経済への介入を望み、ケインズを擁立するに至る。それに対しハイエクは一貫して政府が経済に積極的に関わる事に反対し、ケインズの「借金をしてでも政府が財政支出をすべき」とする一般理論とは真っ向から対立した。
これに関しては秀逸な動画があるのでこちらを見て欲しい。
ここに出てくるトップダウンとは上意下達、つまり国が経済を動かすことを意味する。反対にボトムアップとは下から上へ、この場合は市場経済を重視することを示す。
論争はお互いに一歩も譲らなかったが、学者として小難しい理屈を並び立てるハイエクと、実業家でもあるケインズの一般人にも分かりやすい政治パンフレットでは国民の人気に差がでるのは当然であった。そしてなによりケインズは「こうすれば不況は直る」と言い、ハイエクは批判するだけで代替案を出せなかった(ハイエクにとっては何もしないことが一番の対策だったのだが)点が決定的になる。結果的にアメリカ政府はケインズの意見を取り入れニューディール政策をとった。
ハイエクは恐慌時の議論では結果的にケインズに敗北したが、70年代には捲土重来しノーベル経済学賞を受賞、80年代からの新自由主義に大きな影響を与えた。例えば、新自由主義の第一人者、ミルトン・フリードマンもハイエクの思想の一部を受け継いでいる。
ケインズの死後、ハイエクは今度は社会主義との議論に熱意を向けた。今でこそ社会主義は廃れた思想ではあるが50年代の世界の知識層は、人間は理性的に管理できるという社会主義を好み、自由至上を主張するハイエクには厳しい目が向けられ、卵をよくぶつけられたという。
ハイエクは社会主義を致命的な思い上がりだとして厳しく批判した。
社会主義の問題点の一つに、目的の合体ができないということがある。
例えば、ある個人が人生の目標を定める時、その人は自分の価値観に従って自由に決めれば良い。しかし、社会主義政府はその個人全員の目標を全て足し合わせなければいけない。そしてその個人間の目標はほぼ確実に相互に矛盾する。会社員が望むものは公務員が望まないし、資本家がしてほしいことは下級農民はして欲しくないものなのだ。結果として国民の一部には恣意的な犠牲を強いることになる。(ハイエクは恣意的な強制を最も嫌った)
そしてもう一つに、社会主義は値段も生産量も国が決めてしまうので、労働者が努力をしなくなるという問題もある。努力しなくても政府が商品を買い取ってくれるのでは、誰も技術革新の為に頑張ろうとはしないだろう。
社会主義を押し進める新古典派(当時の主流学派)は、その理論に「政府は適切である」という前提を置いていた。適切な政府が適切に政治を行えば適切な社会が出来るという理屈だ。しかし、ご存知のように適切な政府なんてものはありえない。政治家だって人間なんだからお金が欲しいし、誰かをひいきしたくなるときもある。
仮に全ての欲を捨て国の為だけを思う聖人が政治家になったとしても、その人物が全知全能の神でない限り適切な政府は成り立たない。全ての国の情報を知ることが不可能であるし、災害などの不確定の未来を予知することはできない。
現実的には、政府は不十分な情報のもと、不十分な未来予想に基づいて、利己的な政治家によって運営される。これによりハイエクは新古典派の「適切な政府」の前提を批判したのだった。
ハイエクはこのような社会主義への反対論をまとめて1944年に「隷従への道」として出版した。
そのエッセンスは「一部の社会主義を認めれば、それがどんどんと拡大していき結局は全体主義(ファシズム)に行き着く。故に政府は市場システムを保護する以外の一切の経済介入をすべきでない」ということになる。
ハイエクといえば新自由主義の始祖のように言われることもあるが、今日において皆が思いだす新自由主義とは根本的に違う考え方の持ち主である。
上述の「隷属への道」でも繰り返し述べられているが、ハイエクが重視したのは古典的自由主義以降の様々な積み重ねによって個人がその人間性を尊重され、自由を持つということである。ハイエクは誰かが誰かに隷従を強いられたり、恣意に基づいて虐げられたり、人権が脅かされたり、貧困を強いられたり、といったことを嫌った。また国家や企業による独占や、それらによって人々が搾取されることも嫌っている。
経済活動が複雑化し、様々な経済活動によって社会全体が営まれるようになると、ある少数が経済システム全体を握ってしまった場合、多くの人々はその少数に生殺与奪を握られたのも同然である。つまり人々は自由が無くなる、民主主義も全く無くなるか形骸化する、ということを恐れたのである。
ケインズとdisりあったのもこういった考えに基づく。景気対策や失業者対策は絶対に国がやらなければいけないものの、公共事業で対策を行いそれに依存する経済体制ができてしまった場合、国は公共事業を通じて人々の所得や生活を一方的に制御できてしまう。これでは国家が個人を支配し隷属させているのと変わらない。景気対策としての公共事業を全否定はしないものの、こういった支配構造ができないよう、一つ一つ慎重に検討すべきとしている。「コンクリートから人へ」など、浅薄な発想で公共事業批判をしているわけではない。
さて、自由を守る為の方法としてハイエクが述べているのは、既出のものも含むが幾つかあげると。
というわけで。ハイエクは竹中某に代表される規制緩和厨、何とか平蔵に代表される民間に解放厨、WBSに出演している慶應義塾大学の総合政策学部教授に代表される構造改革厨、などとは全く異なる考えを持っているわけだ。赤い人たちと異なるのも言うまでも無い。
繰り返すが、ハイエクが憎んだのは個人の尊厳を圧殺し、自由を奪って国や少数の者に隷属させたり搾取する社会である。根底にあるのは個人の尊厳、自由の尊重である。
だから自由によって、例えば失業など個人には耐え難い痛みが生じることも理解しているし、それを和らげたり解決する政策の必要性も訴えているわけだ。当然だが貧富の格差が拡大した挙句、それが固定化して事実上の階級を作ってしまうことを強く批判している。彼はそれが集産主義によって生じてしまうと指摘していたわけだが・・・。
人々はなぜ個人の尊厳を重視しない全体主義を選んでしまうのか。全体主義者が巧言令色で惑わすというのはもちろんあるが、どうもそれだけではないらしい。これに関してハイエクの考察を見てみよう、ちょっと長いけど。
言って見れば、自由主義の成功こそが、逆に自由主義の衰退の原因となったのだ。というのも、自由主義のお陰で経済的繁栄を手に入れた人々は、逆にそのため、まだ存在している不運や災害と言った物にますます耐えられなくなり、それらは早急に解決可能だし、解決し無ければならないと思うようになったからである。
自由主義のこれらの問題解決に対する遅々とした政策に対して、人々の苛立ちは日に日に増大していった。また、自由主義的な言辞を巧みに流用し、これを隠れ蓑に反社会的な特権を擁護しようとする人々が出てきたため、これらの人々に対する人々の当然の反感が、自由主義に対する反感を産み出してしまったと言うこともあった。さらに、上述したように、物質的改善が人々にもたらした、よりいっそう性急でとどまるところを知らない野心も、自由主義への反感となって表れた。こうして、十九世紀末にかけて、自由主義の基本的な教義に対する人々の信頼は、どんどんと棄て去られていくという事態になった。
自由によって達成されたものは、確実で消え去る事のない所有物のように見なされ、いったん獲得してしまえばもう放っておいてもいいものだと思われるようになった。人々の目は新しい要求ばかりに向けられ、自由主義と言う古臭い原理に固執することは、それらの新しい要求を速やかに達成する上で障害になるとしかおもえなくなった。
自由社会の一般的な枠組みは、かつては進歩を可能にしたとはいえ、そのレールに従って進んでももはや一層の発展は望むことができず、さらなる発展は社会を完全に作り変える事によってだけ可能である、という考えは日に日に勢いをましていった。問題は、すでに存在する「機械」に何かを付けたり加えたりそれを改良していくということではなく、それをスクラップにし、新しい物と取り替えることだ、と人々が思い込む状況になっていった。
新しい世代の希望は、何かまったく新しいものを求めるばかりになってしまい、これまでの偉大な繁栄をもたらした社会がどのような仕組みから成り立っていたのかに関しての興味も理解も、急速に失われてしまった。人々は、自由の体制がどんなふうに機能しているかについての理解を失っていき、同時に、その体制が基礎となって何が生み出されてきたかについても、ほとんど考えようとしなくなっていった。
なんかどこかで聞いたことのある話だが、これはおよそ100年前の情勢に関する記述であり、「古い体制をぶっ壊す」「僕はね、ぶっ潰すと言ってるんですよ」「グレートリセットするんですわ」とか言ってたのは社会主義者であった。
どうやらこういったことは周期的に繰り返されるらしい。
掲示板
48 ななしのよっしん
2024/02/01(木) 20:40:54 ID: +9eICfZ3si
>>47
MEGA版だとマルクスも結構ハイエクに近い感じはあるな。マルクスの言うアソシエーションってのも、結局は超巨大企業や国家などの専制への対抗という側面が強いし
アダムスミスにしても、教育やインフラに関しては極端な格差が生ぜぬよう政府が責任を取って行えとしているからな
49 ななしのよっしん
2024/02/01(木) 23:57:04 ID: vr0vnTgORm
主流派経済学の合理的経済人という仮定に批判的なのはマルクスと被るかもな
50 ななしのよっしん
2024/02/02(金) 07:54:54 ID: p26l7S3Xv1
>>48
集りに過ぎないsyamuと同レベルのマルクスとハイエクを一緒にすんな
急上昇ワード改
最終更新:2024/03/29(金) 10:00
最終更新:2024/03/29(金) 10:00
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