プジョー(Peugeot)とはフランスの自動車会社である。シトロエンと共に、持株会社であるプジョー株式会社(PSA)の傘下に置かれている。シンボルマークはライオン。サイコロは振らない。
比較的変態ではない方のフランス。19世紀末から自動車産業に参入し、今日までフランスを代表するブランドとなっている。後述する理由から、「世界初の自動車メーカー」の称号を巡り、ドイツのメルセデス・ベンツとの戦いがジークフリート線で続いている。
1929年以降、モデル名は伝統的に三桁の数字で表すことが多い。一の位が世代、十の位はゼロ、百の位がモデルの分類である。これについてプジョーは101から909までの数字を全て商標登録している。どこぞのG-SHOCKではないが。ポルシェが後に901なる車を出そうとした時にクレームをつけて911に名前を変えさせたことはあまりに有名。
シトロエンとグループを形成して以後、今日までコンポーネンツを共有して効率的な開発及び生産を行いつつ、ブランドの独自性を打ち出している。『限りなく普通に近いプジョー』『限りなく超変態に近い変態のシトロエン』と覚えよう。
プジョー一族は15世紀頃には、その存在が確認されている。当時は水車屋などを営んでいたようだ。19世紀初頭に冷間圧延鋼の製造に成功し、以後は製鋼及び金属製品の販売を営む。後に名品として知られるプジョーの胡椒挽きは、この頃に作られ始めた。また優れた鋼で作られた刃物をイメージしやすいようにと、ライオンがシンボルとして使われ始めたのもこの頃である。
19世紀末、アルマン・プジョーがフォースの英国面に堕ちたことで、プジョーに大きな転機が訪れる。アルマンはイギリス留学時に自転車を見たことで、自分もそれに手を出したいと思い始めた。一族を説得し、ついに自転車の製造と販売にこぎつける。後に名品として知られる、プジョーの自転車である。
アルマンは間髪いれずに自動車にも興味を持つ。最初に製造したのは、蒸気機関を搭載した三輪自動車のトリシクルであった。 これをパリ博覧会に出品したところ、彼の運命を決定付けるものに巡りあった。ダイムラーのライセンスに基づいて作られた、パナール・ルバッソールのガソリンエンジンである。
というわけで、ガソリンエンジンを搭載した四輪自動車のクアドリシクルを製造。デキが良かったことに歓喜したアルマンは、同一仕様で計五台のクアドリシクルを製造した。
このいきさつが「世界初の自動車メーカー」と言われる所以である。同時期の自動車と言えば、まだ一品製作のオートクチュールの域にあった。そんな時代にあって、プジョーは量産の端緒を開いたからだ。
とでも覚えておけば間違いないはず。これ以後のプジョーは自動車の普及に尽力していく。1929年に大衆車の201を発売。これが現在に続く三桁名称の始まりとなる。1937年までの製造台数は14万台強を数える。上位車種である301、401、601も発売され、総合自動車メーカーとして歩んでいく。
1940年、「世界初の自動車メーカー」を誇示するプジョーに切れたダイムラー・ベンツが、ベルギーとかいう人気のないワッフルを踏み潰してフランスへと進攻した。
ちくしょうめえぇぇぇぇぇぇ!
盟友のパナールやルノーがダイムラー相手に戦ったものの、マジノ要塞という大きな聳え立つクソに頼りきり、機動部隊(ですらないが)の運用もクソだったので敗北。以後、ビシー政権下で臥薪嘗胆の時期に入る。
いつの間にかフランスが戦勝国になるという超展開でWW2が終わり、本格的なモータリゼーションの時代を迎える。プジョー各モデルは03世代、04世代へと発展しながら、フランスを代表するメーカーとして歩んでいく。
そんな1974年、ついにあいつが仲魔になる日がきた。
↓政府の偉い人
( ´八`) (うーん、シトロエンがヤバいな。ミシュランも匙を投げたし。どうしよう)Σ( ´八`) (そうだ!)
(ヘ∀ヘ) 「オレハ インジュウ シトロエン。ナカマニ シテクレ」
コマンド ?
はい
いいえ ←きょひ できない !
コマンド ?
はい
いいえ←きょひ できない !
こうして持株会社であるプジョー株式会社を作り、自動車メーカーとしてのプジョーとシトロエンはその傘下に置かれる事になる。プラットフォーム、駆動系、エンジンなどは共有しつつ、デザインは各々独自のものを施すことで、効率化と独自性の両立を計った。
プジョーの特徴として知られているのは、猫足と呼ばれる、乗り心地と操縦性を両立したサスペンションである。豊かなサスペンションストロークを活かし、ロール時に伸び側でも路面をしっかりと捉え、優れた安定性を誇る。昨今はドイツ的な固めた脚になる傾向もあったが、通常のモデルでは猫足が復活しつつある。但しホイールは16インチぐらいまでにしておくのがオススメ。
19世紀から車を作っているのだから、当然モータースポーツとも縁が深い。
1894年に行われた「パリ~ルーアン」という世界初の自動車レースで初優勝を飾る。実は最初にチェッカーを受けたのは蒸気自動車だったのだが、これは助手が必要と言うことで優勝が取り消しになり、2位のプジョーとパナールを同点優勝となった。えぇ~最初に言ってよ。
WW2後から今日までは、ラリーレイドやWRC、ル・マン、ラリークロスなどで活躍している。
WRCでは、特にグループB時代に大暴れした。近年も307WRCで参戦していたが、プジョーは2008年を最後に撤退。変態シトロエンに後を託す。
世界ラリークロスにも初年度から参戦、2015年にチームタイトルを獲得している。
ダカールラリーでは4連覇を果たしたことがあり、「砂漠のライオン」の異名を奉られた。2015年には2WDのほうが規約的に有利なのを逆手にとってMRマシンを開発するという大胆な戦略を披露、これが図にあたって2016年と2017年に総合優勝を果たしている。
ル・マンではグループCカーの905で1992年と93年の総合優勝に輝いた他、2007年からディーゼルカーである908を投入し、2009年のレースでは1-2フィニッシュで総合優勝を果たした。同じくディーゼルで参戦しているアウディと熾烈な戦いを繰り広げていたが、経営不振から2012年のWEC開幕直前に撤退を表明してしまった。2017年現在復帰の意向はあるが、ハイブリッド規定のコストと技術的なハードルの高さから難色を示している。
個性的な主人公と個性的な車の組み合わせは、時に作品を彩る重要な要素となる。数が多いわけではないが、プジョーも名脇役として作品に花を添えた。
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最終更新:2023/03/21(火) 12:00
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