プリティーポリー 単語

プリティーポリー

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プリティーポリー(Pretty Polly)とは、1901年生まれのイギリス競走馬。「Peerless Polly (無双のポリー)」と呼ばれた名である。

史上最強補の有な一頭。

概要

Gallinule、Admiration、Sarabandという血統。古すぎて良く分からないが、リーディングサイアー。当時猛威を振るっていたセントサイモン系に対抗していた重な血脈であった。

栗毛で、今に残る写真を見る限りでも非常に美しいであった。その美しさに魅せられた馬主彼女に「麗しのポリー」という優名前を与えたのである。競走馬としても期待していたらしく、入厩の前からセントレジャーに登録していたのだとか。

が、ペーター・ギルピン調教師の方は彼女に過度な期待は抱いていなかったらしい。体がらしからぬほど立過ぎた事と、調教でしばらく動かなかったからである。しかし2歳6月調教中に同厩のを10kg以上重い斤量煽り、これを見たギルピン師は仰して認識をめたという。

そして単勝7倍ついたというデビュー戦。プリティーポリーは「フライングか?」と思わせるほどの反射神経でずば抜けたスタートを切ると、後続をか後方にちぎり捨てた。その着差は公式で10身、実際は20身にも100mにも達したのではないかと言われている。5ハロン(≒1000m)のレースなのに。その恐るべき強さにファンは仰した。ちなみに3着は翌年の2000ギニーダービーの2着である。

これで驚いてはいけない。彼女はこの2歳シーズンを勝ち続けるのだが、全てなり。それで9戦9勝。どういうことなの

特に重要なのが7戦のミドルパークプレートというレースで、彼女は1頭のと対戦する。既に2歳で最高の評価を得ていたセントアマントである。しかしポリーは彼を3身も置き去りにする。ポリーはこれによってを含めた2歳最強の座を確定するのである。その強さたるや、営がダービーに登録しなかったのを後悔するほどだった。

翌年、プリティーポリーは牝馬二冠して1000ギニーに登場。実はポリーはこれまで6ハロン以下のレースでしか走ったことがく、そのあまりの快速も相まって1マイル距離を不安視する向きもあったのだが、レースレコードで3身差つけ楽勝。まあそうだろうな。続くオークスは4頭立て。他の逃げちゃったのである。
え? 結果? 楽勝です。1.08倍という一本被りも当然の強さで、あっさり牝馬二冠を達成したのであった。6月コロネーションS・ナッソーSも全く問題なく(後者は古相手に)楽勝した。

英国クラシックには1000ギニーオークスの二冠しかない。三冠との混合戦であるセントレジャーなのである。ポリーは堂々このレースに出走した。そこにはあのセントアマントも出走してきていた。しかもこのセントアマント、2000ギニーダービーに勝ち、二冠馬として、つまり三冠馬称号を賭けて乗り込んできていたのである。

「2歳の時は遅れを取った。しかし、の3歳になってからの成長よりも大きいのだ。二冠馬の威厳を見せつけてやるぜ!」とセントアマントが思っていたかどうかは知らないが、単勝1.4倍の1番人気はプリティーポリー。そして、レースではポリーが当然のようにレコードで圧勝した。セントアマントは最下位に敗れ去った。

牝馬二冠馬二冠馬が対戦する事自体そうそうあることではないが、こうまで完璧牝馬二冠馬に負けてしまった二冠馬は例がいだろう。セントアマントはダービーなりで圧勝していたのでポリーがいなければ三冠馬になっていたかもしれない。あまりにも生まれた年が悪かった。

ポリーはこの後、2日後に行われた相手のパークヒルSをなりで3身ちぎって圧勝。次走を初の海外遠征、フランスのコンセイユ・ミュニシパル賞に定めた。

ところが、出発前に戦のウィリアム・レーン騎手レース中の落事故騎手生命を絶たれるほどの大怪を負って乗り替わりになってしまう。しかもプリティーポリーはフランスへの輸送中にに遭遇し、手間取りまくって競馬場に到着したのが僅か2日前。とどめにレース前日の馬場水浸し。いろんな意味で不利なレースとなり、単勝67倍の人気薄で逃げ切ったプレストというを捕まえ損ねて2着に敗れた。16連勝ならず。競馬場は地元の観衆すら沈黙に包まれ、イギリス競馬スターのまさかの敗北ファンは大きく嘆き悲しみ、関係者は大きな非難を浴びたという。

ポリーは古になってからも現役を続行。4歳時はコロネーションカップレコード勝ちし、その後負傷したが休養明けの2戦を快勝。名ステイヤーと誉れ高く、かつてポリーに騎乗したこともあるダニエル・マハー騎手が手綱を執るバチェラーズボタンとの対戦となったジョッキークラブカップ(18ハロン)でも勝利を挙げた。

5歳時もなりで連勝し、20ハロンアスコットゴールドカップに挑戦したが、ここでは暑さで入れ込んだこともあり、バチェラーズボタンに最後に交わされ2着敗退。その後脚部不安により引退した。通算戦績は24戦22勝。

体を見るにつけ、胴の詰まったマイラーっぽく見える。もちろん、セントレジャーなど長距離レースも勝っているのだが、本質的には短距離であったのだろう。最後のアスコットゴールドカップの20ハロンまでいくと流石距離が向かなかったところもあった。

強いというのは人気が出やすいのだが、プリティーポリーは当時のイギリス競馬でとてつもない人気を得たであったという。デビュー戦以外のレースでは単勝が2倍以上をつけた事がいという事でもその人気の一端がい知れる。ドンカスター競馬場でポリーの絵葉書を売り出したら1万5千枚が即日売したというのだから人間アイドル以上だったかもしれない。

角砂糖が好きでよく食べていたとか、仲良しがいていつも一緒であったとかかわいらしいエピソードがある。よく柵を飛び越えて逃げ出したとかいう話もあるのでおてんばであったのかもしれない。その割に気性の荒さを伝える話がいので、性格は穏やかだったのだろう。

1931年死亡産駒にめぼしいはおらず、の代表産駒といえる*クラクマナンも欧産からはも向けられずなんと日本種牡馬入り。戦前最強ミラクルユートピアトウメイクモハナトキツカゼ・ミナガワマンナ・ヤマカツスズランらの牝系の祖であるロビンオー(繁殖名マンナ)などを輩出し首位種牡馬いた。ちなみにあのシンザンが*クラクマナンということで、五代血統表にPretty Pollyの名が入っている。

牝系を向けると、実は孫世代以降で非常に繁栄しており、あのブリガディアジェラードとか*ガーサントとか*キャロルハウスとかが牝系子孫である。他にも挙げたらキリがないほどの活躍がいる。中央のGIだけでもカツラギエースアドラーブルマサラッキマイネルラヴがこの牝系の出身である。

中でも特に日本の血統に関わりが深いのは*ノーザンテーストであろう。ノーザンダンサーニアークティックレディアンジェラ牝系子孫であり、*ノーザンテーストにはレディアンジェラの強いクロスがあるので特にプリティーポリーの血が濃いのである。*ノーザンテーストブルーメアサイアーとしての優秀さは言うまでもい。日本競馬が続く限りその牝系日本で繁栄を続ける事だろう。

遠いイギリスの名の血統が極東である日本開く。これぞサラブレッド血統ロマンの精だと言えよう。

血統表

Gallinule
1884 栗毛
Isonomy
1875 鹿毛
Sterling Oxford
Whisper
Isola Bella Stockwell
Isoline
Moorhen
1873 青毛
Hermit Newminster
Seclusion
Skirmisher Mare Skirmisher
Vertumna
Admiration
1892 栗毛
FNo.14-b
Saraband
1883 栗毛
Muncaster Doncaster
Windermere
Highland Fling Scottish Chief
Masquerade
Gaze
1886 鹿毛
Thuringian Prince Thormanby
Eastern Princess
Eye-Pleaser Brown Bread
Wall Flower

クロス:Stockwell 4×5×5(12.5%)

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プリティーポリーの名を冠したレースアイルランドイギリスで行われている。この動画アイルランドGI

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