"非運の世代"の戦犯一頭として知られている。
主な勝ち鞍
1977年:菊花賞(八大競走)、NHK杯、セントライト記念、京都新聞杯
1978年:毎日王冠
※活躍当時の表記に合わせて記事中の馬齢は旧表記(現行表記+1歳)です
母であるサンピユローはノボルトウコウ(スプリンターズステークス優勝馬)を輩出し、プレストウコウ誕生以前に繁殖牝馬としての評価を確立していた。
一方、父のグスタフは現役時代にイギリスの3歳短距離王者を決めるミドルパークステークスを制した以外はパッとせず、プレストウコウ以外の活躍産駒は新潟記念を制したタケデンジャガーだけという、外国産種牡馬こそ正義だった当時にしてもダメな種牡馬扱いをされるような馬だった。
優秀な繁殖牝馬には優秀な種牡馬をつけるのが競馬世界の鉄則である(実際、ノボルトウコウの父は名種牡馬パーソロンだった)
なぜこんな微妙な配合が行われたのかというと、プレストウコウを身ごもる直前にサンピユローの抱えていた問題に原因があった。
それが、生理不順による不受胎率の高さである。
いくら優秀な繁殖牝馬と言っても子どもを受胎しなければ意味はなく、そのことに困った所有者は「環境が変わると受胎しやすくなる」という説を聞き、繁用先の牧場を変えることになった。
その時にたまたま近所にいた種牡馬がグスタフで、サンピユローに種付けをすることになった理由は「近所にいるし、安いから受胎するまで何度でも試せる。むしろ何度でも試す」という、ほとんど実験台みたいな扱いだった。
しかし、そんな意気込みと裏腹に、サンピユローはグスタフの子を一発で受胎。なんという肩透かし。
ともあれ、こうして生まれたのがプレストウコウだった。
走るかどうか以前に誕生するかどうかというところから期待されていたとは言い難かったプレストウコウだが、デビュー3戦目で初勝利を挙げると続く4、5戦目の条件戦も勝って3連勝。特に5戦目となるひいらぎ賞は後のダービー馬・ラッキールーラを破っての勝利だった。
こうしてクラシック戦線に名乗りを上げる頃には「こいつはノボルトウコウより走る」という評価を得るようになっていた。
しかし好事魔多し。この頃、コズミ(筋肉の硬化)に悩まされて体調の良くなかったプレストウコウは、重賞を3連続3着と敗れ、クラシック本番となる皐月賞は良血馬ハードバージの前に13着と惨敗。
「コズミが酷いし自信がない」と岡部騎手が弱気だったNHK杯を勝って重賞初制覇を成し遂げたあたり世代の中でもトップクラスの実力を持っていたと言えるが、さすがにダービーでは通用せずにラッキールーラの7着と敗れてしまう。
この直後、プレストウコウ陣営は、この馬の、そしてこの世代の悲劇を決定づけてしまった選択をとることになる。
休養に入る前に、当時"残念ダービー"と言われていた日本短波賞に向かうことを決めたのだ。
例年、ダービーで敗れた馬、ダービーに出られなかった馬たちが秋の菊花賞戦線に名乗りを上げるために集うのがこの頃の日本短波賞だったが、この年は"菊花賞を目指せない"馬が注目を集めていた。
持ち込み馬ゆえにクラシック出走権を持たない、無敗のスーパーカー・マルゼンスキーである。
その圧倒的な走りで「クラシックに出ていたら今頃無敗の二冠馬だった」と言われていたマルゼンスキーは、もちろんこのレースでも一番人気。
だが、マルゼンスキーにも不安要素がないわけではない。
ここまでのレースは全て1600m以下で、1800mと距離の伸びる日本短波賞はもしかしたら不向きかもしれない。NHK杯を勝っているとはいえ血統的にはプレストウコウの方が不安だったけど。
そしてもう一つ、マルゼンスキーは世代の頂点であるクラシックホースの皐月賞馬ハードバージ、ダービー馬ラッキールーラの両馬と未対戦であり、ラッキールーラを破ったことのあるプレストウコウならば付け入る隙があるかもしれないという希望もあった。
とまあ、希望のありそうなことは書いたけど。
レース結果はご存知の通り
である。
普通に圧勝するだけでなく、一度止まりかけてもう一度加速、そして圧勝というプレストウコウ側から見れば舐めプもいいところなレースっぷりで、「マルゼンスキーは強い、他はマルゼンスキー不在のレースで敗者復活戦をしているだけ」という評価がさらに定着することとなり、30年経った今でさえもマルゼンスキーの強さを語る際にプレストウコウの負けっぷりも同時に語られてしまうこととなる。
前述した通りプレストウコウはコズミのせいで決して順調ではなかったのだが、 マルゼンスキーも脚部不安を終始抱えた馬だったためにそれが言い訳にすらならなかったのもプレストウコウにとっての不幸だったと言えるだろう。
日本短波賞のすぐ後に休養に入ったプレストウコウは、秋になると世代の頂点(マルゼンスキーを除く)へ向け、そして来るべき有馬記念でのマルゼンスキーへのリベンジへ向けて菊花賞に向かうべく京王杯オータムハンデから始動。
ここを2着すると、セントライト記念、京都新聞杯と菊花賞トライアルを連勝。京都新聞杯はレコード勝ちし、菊花賞では単枠指定を受けることとなる。
一番人気でもおかしくなかったが、芦毛馬はクラシックに勝てない(当時は芦毛馬はクラシック未勝利)というジンクス、父母ともにバリバリの短距離血統という不安要素もあって、同じく単枠指定のラッキールーラどころか、単枠指定を受けていないマーベルペンタスにすら負ける3番人気。
だが、ジンクスも血統も、成長しコズミの問題もなくなったプレストウコウには関係はなかった。
伸びを欠くラッキールーラを尻目に直線で加速したプレストウコウは、ゴール前で先頭の馬をかわし、前走に続きレコードタイムで勝利。世代の頂点(マルゼンスキーを除く)に立ったのである。
(マルゼンスキーを除く)とはいえ、仮にもクラシックホース。しかも芦毛馬として初のクラシック制覇だ。当然、祝福の声は大きい……と思いきや、プレストウコウに突きつけられたのは「空気読めよ」という言葉だった。
理由の一つはプレストウコウの菊花賞制覇により本格的に「マルゼンスキー>>>超えられない壁>>>クラシックホース()」という評価が定着してしまったということだったのだが、この時にプレストウコウが2着に破った馬も悪かった。
それが名牝にして関西のアイドルであったトウメイの息子・テンメイである。
「小柄な牝馬でありながら関東の強豪(当時は関東馬が圧倒的に優勢)を破り年度代表馬となった関西の誇り・トウメイ」の関西人気は非常に高く、その子であるテンメイが大レース初制覇を目指して菊花賞の直線で先頭に立った瞬間の歓声はものすごいものだった。
テンメイを応援していたファンからすると、プレストウコウはそんなアイドルの夢を打ち砕いた悪役でしかなかったのだ。
プレストウコウの菊花賞制覇は悲鳴に包まれ、翌日の関西地方のスポーツ紙の一面は
「泣くな、テンメイ!ファンの夢を砕いて、銀髪鬼プレストウコウ菊制覇!」
というあんまりなものだった。プレストウコウは称えられるどころか、当時のプロレスの名悪役フレッド・ブラッシーになぞらえて完全なヒール扱いになってしまったのである。
悪いことは続くもので、"世代王者"のマルゼンスキーが有馬記念を前に脚部不安で引退。
リベンジの機会を永久に失ってしまうこととなる。
マルゼンスキーに勝っての汚名返上ができなくなった今、競走馬としての名誉を回復するには未だ語り継がれる三強・TTGを擁する一世代上の馬たちに勝つしかない。
だが、有馬記念はスタートからデッドヒートを繰り広げるトウショウボーイ、テンポイント、最後に追い込んだグリーングラスに大きく離された6馬身差の4着。
「TTGの三番手であるグリーングラスにすら完敗したこの世代はやっぱり弱い(マルゼンスキーを除く)」と確認されるだけだった。
ちなみにこのレース、勝ったテンポイントとの差が日本短波賞におけるマルゼンスキーとの差とほぼ同じだったため、「ああ、こんなのじゃなくてマルゼンスキーが出てたらな」と言われる要因となっている。
年が明け、トウショウボーイが引退、テンポイントが日経新春杯の大事故で休養に入ると、プレストウコウはTTGの残った一頭・グリーングラスへのリベンジを果たすために天皇賞(春)を目指すこととなった。
前哨戦となるオープン戦を快勝し、グリーングラスの一騎打ちと目されたこのレースだが、ここでプレストウコウを不幸が襲う。
向こう正面で鞍擦れを起こし、競走中止に追い込まれてしまったのだ。
今度こそはと仕切りなおした秋。毎日王冠を勝利して出走した天皇賞(秋)。
天皇賞(春)を制したために出てこれなかったグリーングラス(当時の天皇賞は勝ち抜き制)はいなかったものの、ここにはあの菊花賞のリベンジ、八大競走初制覇、そして天皇賞母子制覇に燃えるテンメイの姿があった。
スタートから好ダッシュを決めて逃げにかかったが、春に続いてアクシデントが発生。今度はこのレースに出走していたパワーシンボリがゲートに噛み付いて同馬のゲートが開かず、カンパイ(スタートのやり直し)になってしまったのだ。
再び好ダッシュを決め、今度こそ逃げ切りをはかるも、直線で襲いかかる影があった。テンメイだ。
逃げ切ろうとする側、差し切ろうとする側を入れ替え、あの菊花賞と同じような展開になったが、今度はゴール直前でテンメイの執念が勝ち、一年前とは逆に差し切られてしまう。
なお、二度目のスタートの時は興奮かかっていたため、カンパイが発生しなければ結果は違っていたかもしれないと言われているが、 テンメイ陣営の勝利に賭ける執念も凄まじく、こればかりはやってみないとわからないだろう。
この好走が評価され、年末の有馬記念ではグリーングラスを差し置いて一番人気に推されるが、ここで本格化を迎えていた同期のカネミノブの前に12着と惨敗。
この後球節炎を発症して長期休養に入ることとなり、「マルゼンスキーの噛ませ」としての評価を返上すべく復帰を模索したが、故障は完治せず、毎日王冠4着を最後に引退した。
5歳以降も安定した成績を残したプレストウコウは本来ならばもっと評価されてもおかしくなかったのだが、アクシデント続きで勝ちきれなかったこと、日本短波賞の完敗、菊花賞、天皇賞(秋)、5歳時の有馬記念とことごとく同期馬の噛ませ馬となってしまったのが彼の最大の不幸だった。
古馬になってからも善戦したプレストウコウだが、この世代の例に漏れず、というか直接対決で完敗したぶん他の同期馬よりも「マルゼンスキーの噛ませ馬」の印象が拭えず、種牡馬としての人気は出なかった。
東京ダービーを制したウインドミルを輩出し意地は見せたものの、1990年にラッキールーラやカツトップエースらと共に韓国への輸出が決定。
その後も種牡馬として過ごしたが、1994年に繁殖能力喪失及び失明により安楽死処分が決定し、同地で生涯を終えた。
| *グスタフ Gustav 1959 芦毛 |
Grey Sovereign 1948 芦毛 |
Nasrullah | Nearco |
| Mumtaz Begum | |||
| Kong | Baytown | ||
| Clang | |||
| Gamesmistress 1945 栗毛 |
Big Game | Bahram | |
| Myrobella | |||
| Taslon | Hurry On | ||
| Taslett | |||
| サンピユロー 1964 黒鹿毛 FNo.22 |
*シーフュリュー 1957 青毛 |
Sicambre | Prince Bio |
| Sif | |||
| Hell's Fury | Dante | ||
| Sister Sarah | |||
| 健朝 1958 鹿毛 |
*ヴイーノーピユロー | Polemarch | |
| Vainilla | |||
| アサハギ | ミナミホマレ | ||
| 家萩 | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
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最終更新:2025/12/10(水) 01:00
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