ベトナム戦争 単語

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ベトナム戦争とは、ベトナム共和(南ベトナム・西側)とベトナム民主共和(北ベトナム・東側)の間の戦争である。開始については諸説あり、1975年南ベトナム首都サイゴンが陥落し終結。

概要

第一次インドシナ戦争1954年のジュネーブ協定によって休戦したが、この時点でベトナムは北緯17度線で南北に分割されていた。

ベトナム1959年に全土の武解放という方針を決定、1960年には南ベトナムのディエム政権の打倒とベトナムの統一をしたNLF(民族解放戦線)が結成された。

これに対しアメリカ合衆国は、ドミノ理論を理由に共産主義政府の存在を危惧し、ベトナム(南ベトナム・後にベトナム共和)政府支援軍事顧問を送るなどした。こうして南北二つの政府の対立が始まった。

1964年駆逐艦が北の魚雷艇から攻撃を受けた事件(トンキン湾事件)をきっかけに、アメリカは本格的に介入。(ただし二度魚雷攻撃は誤報告である。(あえて米国の陰謀だと言うことは避ける))

1968年、北ベトナムテト攻勢をはねのけるも、この際の米国大使館占拠映像や北ベトナム将校射殺映像世界衝撃を与え、アメリカ内世論が反戦へと傾く。結果、1973年米軍は撤退。
1975年南ベトナム首都サイゴン(現ホーチミン)が陥落し、北ベトナムが南北を統一した。

この戦争

などの特徴がある。大規模な枯葉剤散布による環境汚染戦後出産異常、ソンミ虐殺事件を始めとした戦争犯罪など米軍による非人的な行為も世間を大きく騒がせた。

アメリカ社会文学音楽映像作品に大きなを与えた(アメリカン・ニューシネマ)。『ディア・ハンター』、『プラトーン』、『ハンバーガーヒル』、『地獄の黙示録』、『フルメタルジャケット』『カジュアリティーズ』『ランボー』など、ベトナム戦争映画威発揚的なそれまでの戦争映画とは異なり、戦争の悲惨さや兵士狂気を描く陰なものが多い。

アメリカの敗因[1]

ベトナムは隣と地続きのを有する接壌国家であり、北ベトナムラオスチャイナを「聖域」として利用することができた。

また、アメリカは「が北ベトナム権者なのか」を見極めることに失敗していた(ここで言う権者とは、その軍事外交政策に多少なりともを持つ民をす)。北ベトナム権者はごく少数の共産党導者であり、農民や兵士はこの意味においての権者ではなかった。したがって、戦闘でいくら北ベトナムの非権者が死亡しても、北ベトナム軍事外交政策になんのも与えなかった。

これに対し、インドシナ派遣された米軍兵士は、全員が「アメリカ権者」であった。彼らの負傷や戦死、厭戦気運はアメリカ軍事外交政策を直接動揺させた。それがあるレベル(戦死58000人、戦傷3575万人)に達し、さらに増えると見積もられた時点で、アメリカ国家意思を変更し、撤退した。

もしアメリカ軍が、北ベトナムの農民や兵士ではなく、ハノイにいる導者のみをピンポイントで攻撃していたら、ベトナム戦争の帰趨は変わっていただろう。

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関連項目

脚注

  1. *日本海軍兵備再考」兵頭二十八/宗像和広 銀河出版 1995
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