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ベンフィカ

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SLベンフィカSport Lisboa e Benfic)とは、ポルトガルプリメイラ・リーガに所属するサッカークラブである。

本拠地はリスボンホームスタジアムはエスタディオ・ダ・ルス。
ベンフィカには様々な競技のチームが存在するが、本項ではサッカーチームについて解説する。

概要

ヨーロッパサッカーリーグ
SLベンフィカ
基本情報
創設 1904年
所属リーグ プリメイラ・リーガ
ホームタウン リスボン
ホームスタジアム ダ・ルス
(65,647人)
クラブカラー
代表者 ルイスフェリペ・ヴィエラ
プロサッカークラブテンプレート

1904年創設。FCポルトスポルティングCPと並んでトレスグランデスと呼ばれるポルトガル3強と評される強クラブであり、プリメイラ・リーガを38回、タッサ・デ・ポルトガルを29回、UEFAチャンピオンズリーグUEFAチャンピオンズカップ時代も含む)を2回優勝した経験を持つ。ポルトガル内のリーグ戦とカップ戦は歴代最多の優勝回数を誇る名門である。

後にポルトガルレジェンドとなるエウゼビオを擁した1960年代に黄金期が到来。1960-61, 1962-63シーズンにはUEFAチャンピオンズカップを連覇した。その後もマヌエル・ルイ・コスタ、パブロアイマールアンヘル・ディ・マリアなど名だたる名プレイヤーが在籍している。

チームのエンブレム下部には自転車のホイールがあり、クラブカラー赤色白色)のが重ねられている。またクラブには、脈々と引き継がれる''Vénia(お辞儀)"と呼ばれる慣習があり、これは1970年日本代表との善試合で来日した際、日本の皇族が選手達へ直々の挨拶したことが、チーム関係者に感銘を与えたことが起とされている。

ポルトガル内でもっとも人気のあるクラブであり、クラブ運営は、創設以来ずっとソシオと呼ばれるファンクラブ会員によって成り立っている。全世界に20万人のソシオがおり、世界最多のソシオ数を持つクラブとしてギネス認定されている。

歴史的に同じリスボンを本拠地とするスポルディングCPが最大のライバルであり、この2チームの対戦はリスボンダービーとして盛り上がる。また、FCポルトともライバル関係にあり、両クラブの対戦はオ・クラシコと呼ばれる。

近年はリーグ戦だけでなく欧州カップ戦での活躍が立っており、2012-13, 2013-14シーズンにはUEFAヨーロッパリーグで準優勝を果たしている。UEFAチャンピオンズリーグではグループリーグ敗退が続いていた時期もあったが、2015-16シーズンと2021-22シーズンベスト8進出を果たすなど上位にも進出している。

歴史

1904年2月28日リスボンポルトガル語でリジュボア)の南西部にあるベレン地区のフラン薬局大学卒業生らによる集会が行なわれ、スポルト・リジュボアという名称のサッカークラブが設立。1908年、ベンフィカ地区に1906年に設立していたグルポ・スポルト・ベンフィカを吸収合併してスポルト・リジュボア・イ・ベンフィカ(SLベンフィカ)となる。

1925年に1930年現在のタッサ・デ・ポルトガルであるカンペオナート・デ・ポルトガル優勝。全規模の大会ではこれがクラブの初タイトルとなる。

1934年プロリーグであるプリメイラ・リーガスタートすると、1935-36シーズンリーグ優勝を遂げ、1936-37、1937-38シーズンで3連覇を達成。1940年代後半から1950年までの間は宿敵であるスポルティングCP黄金時代となり、タイトルを奪われるシーズンが続くが、1949-50シーズンにはスポルディングの優勝を阻む8回優勝を果たし、この頃にはポルトガルトップクラスクラブとなっていた。そして、1952年にはヨーロッパ最大規模のエスタディオ・ダ・ルスが完成

1954年ブラジル人のオットーグロリア監督に就任すると、攻守全分業制のWMフォーメーションを脱却し、当時流行していた4-2-4システムを導入。ジョゼ・アグアスエースストライカーとして台頭し、グロリア就任1年リーグカップ戦のシーズンダブルを達成するなど成果を挙げていく。

1959年に4-2-4システムの考案者でもあるハンガリー出身のペーラ・グットマンが監督に就任。1960年代にかけてクラブ黄金期を迎えることになる。1960-61シーズンUEFAチャンピオンズカップ決勝では、アグアスマリオ・コルナの両エースゴールによってFCバルセロナを破り、初優勝を果たす。それまで5連覇を達成していたレアル・マドリード以外で初めてビッグイヤーを獲得したチームとなった。またこのシーズンリーグとの二冠を達成。1961年にはクラブ歴史に名を残すレジェンドとなるエウゼビオが加入。1961-62シーズンチャンピオンズカップでは圧倒的な攻撃で勝ち上がると、決勝のレアル・マドリード戦ではエウゼビオの2ゴールなど5ゴールを奪って勝利し、連覇を達成。グットマンが退任した後も1960年代に3度チャンピオンズカップ決勝まで進出し、リーグ優勝8回、カップ優勝3回というかしい成績を残した。特にエウゼビオの活躍は覚ましく、1965年ポルトガルの選手として初のバロンドールを獲得。1967-68シーズンにはリーグ戦43ゴール記録している。

1970年代になると、欧州舞台では徐々に存在が薄れるが、リーグでは1971年から1973年まで三連覇を達成。特に1972-73シーズンリーグ戦ではポルトガルで初の優勝を成し遂げており、キャリアの晩年に差し掛かったエウゼビオは40ゴール記録している。クラブに数多くの栄をもたらし伝説となったエウゼビオは1975年アメリカへと新地をめ退団する。エウゼビオ在籍時のベンフィカは14年間でリーグ優勝10回、カップ優勝5回、そしてチャンピオンズカップ優勝を成し遂げている。

1982年から1984年の間、スウェーデンの名将スヴェン・ゴラン・エリクソンが監督に就任。就任1年の1982-83シーズンダブルを達成し、UEFAカップでは準優勝を果たす。1980年代のベンフィカは欧州王者への返り咲きを標とした巨額の投資をおこなっており、1986-87シーズンには9度シーズンダブルを達成、1987-88シーズンと1989-90シーズンにはチャンピオンズカップ決勝まで進出しているが、いずれもPSVアイントホーフェンACミランに敗れ、準優勝に終わっている。

1990年代に入ると、ポルトガル黄金世代であるマヌエル・ルイ・コスタ、パウロソウザ、ジョアンピントが台頭。1993-94シーズンでは、彼らを中心とした強な中盤を形成しリーグ優勝を果たす。だが、1980年代のスタジアム建設と補強による浪費のクラブの財政状況は悪化。ルイ・コスタやパウロソウザはセリエAクラブに売却を余儀なくされ、1994年から2003年までの間はタッサ・デ・ポルトガルを1度獲った以外はタイトルが獲得できない暗期を過ごすことになる。特に2000-01シーズン過去ワーストである6位に低迷した。この暗期の間は実に監督が11人も入れ替わり、1995-96シーズンのタッサ・デ・ポルトガル決勝では、ベンフィカサポーターが放ったロケット花火がスポルティングサポーターを直撃、死亡するという事故が起こる。

2004年イタリアの名将ジョヴァンニトラパットーニが監督に就任。ヌーノ・ゴメスシモンサブローサの活躍によって実に11年ぶりとなるリーグ優勝を果たす。もっともこシーズンでは、ハンガリー代表FWのフェヘール・ミクローシュが試合中に倒れ、病院死亡するという悲しい出来事もあった。久々の本戦出場となった2005-06シーズンUEFAチャンピオンズリーグでは、グループステージマンチェスター・ユナイテッドを敗退に追い込み、ラウンド16でリヴァプールFCを破り、ベスト8進出を果たす。

2008年に現役を引退したレジェンドのルイ・コスタがSDに就任。パブロアイマールホセアントニオレジェス、ハビエルサビオラ、ラミレスを補強し、2009-10シーズンは既存の戦であるオスカル・カルドソ、アンヘル・ディ・マリアダビド・ルイスと合わせてスカッドが実現。監督には経験豊富なジョルジュ・ジェズスが就任。圧倒的な強さを見せたチームは最多得点、最少失点の両方を記録し、32回プリメイラ・リーガ優勝を達成。もっともこの時代のプリメイラ・リーガ覇権ポルトに奪われており、その後はポルトの3連覇を許し、3シーズン連続2位に終わっている。

2013-14シーズンは、衰えの見えてきたカルドソに代わってリマが攻撃の中心となり、ニコラス・ガイタンやロドリゴと共に強な攻撃を形成。ポルトの4連覇を阻止してリーグ優勝を果たす。また、タッサ・デ・ポルトガルとタッサ・ダ・リーガ優勝しており、クラブ史上初の三冠を達成。さらにUEFAヨーロッパリーグでは準決勝で強ユヴェントスを破って決勝へ進出。しかし、決勝ではセビージャFC相手にPK戦で敗れ、52年ぶりの欧州タイトルを逃す。2014-15シーズンからはジョナスが加入し、攻撃が大幅にアップ2016-17シーズンまでの間、プリメイラ・リーガ4連覇を成し遂げる。2018-19シーズンはエウゼビオの時代に記録したリーグ戦での得点103クラブ記録に並ぶ破壊を見せ、2シーズンぶりにリーグ優勝

CLでは結果を残せない時代が続いていたが、2021-22シーズングループステージFCバルセロナを3-0で下し、結果的にバルサを出し抜いて決勝ラウンドへ進出。ラウンド16ではダルウィン・ヌニェスの決勝ゴールアヤックス・アムステルダムを破り、準々決勝まで勝ち進んでいる。2022-23シーズンでもグループステージパリ・サンジェルマンユヴェントスという強と同組になりながら首位でグループステージを突破。ラウンド16ではクラブブルージュを合計7-1で破る圧勝で2シーズン連続ベスト8進出。準々決勝ではインテルに敗れている。また、内ではFCポルトとのデッドヒートを制し、4シーズンぶりとなるリーグ優勝を成し遂げている。

タイトル

国内タイトル

国内タイトル

現在所属している選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属
- 監督 ロジャーシュミット 1967.3.13 2022 PSVアイントホーフェン
1 GK アナトリー・トルビン 2001.8.1 2023 シャフタール・ドネツク
3 DF アルバロ・フェルナンデス 2003.3.23 2024 グラナダ
4 DF アントニオ・シウバ  2003.10.30 2022 ベンフィカB
5 DF モラー 2001.6.30 2019 ベンフィカB
6 DF アレクサンダーバー 1997.12.9 2022 ラビア・プラハ
7 MF ダヴィド・ネレス 1997.3.3 2022 シャフタール・ドネツク
8 MF フレデリク・アウルネス 1995.12.10 2022 フェイエノールト
9 FW アルトゥール・ガブラ 1998.4.25 2023 フィオレンティーナ
10 MF オルクン・コクチュ 2000.12.29 2023 フェイエノールト
11 FW アンヘル・ディ・マリア 1988.2.14 2023 ユヴェントス
14 DF フアン・ベルナト 1993.3.1 2023 パリ・サンジェルマン
19 FW カスパー・テングシュテット 1997.6.1 2023 ベンフィカB
20 MF ジョアンマリオ 1993.1.19 2021 スポルティングCP
24 GK サムエル・ソアレス 2002.6.15 2021 ベンフィカB
25 FW ジャンルカ・プレスティアーニ 2006.1.31 2024 ベレスサルスフィエル
27 MF ラファシウバ 1993.5.17 2016 ブラ
30 DF ニコラス・オタメンディ(C) 1988.2.12 2020 マンチェスター・C
32 FW ベンジャミンローハイザー 2000.3.24 2024 エストゥディアンテ
36 FW マルコス・レオナルド 2003.3.2 2024 サントス
44 DF トマス・アラウージョ 2002.5.16 2021 ジル・ヴィセンテ
45 GK 小久保ブライアン 2001.1.23 2022 ベンフィカB
47 FW アゴ・グヴェイ 2001.6.18 2021 エストリル
61 MF フロレンティーノ・ルイス 1999.8.19 2022 タフ
75 GK アンドレゴメス 2004.10.20 2023 ベンフィカB
87 MF ジョアン・ネヴィス 2004.9.27 2022 ベンフィカユー

過去所属した主な選手

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