ペイザバトラー 単語


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ペイザバトラー

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ペイザバトラー(Pay the Butler)は、1984年生まれの競走馬。

初めフランス、のちアメリカ調教の米国産馬で、引退後に日本で種牡馬入りした。1988年の第8回ジャパンカップで8連勝中のタマモクロスを止めたことで日本でも有名。
馬名は「執事に給料を払え」というような意味だが、そんな馬名になった由来は不明である[1]。

主な勝ち鞍
1988年:ジャパンカップ(GI)、レッドスミスハンデキャップ(GII)

概要

出自・フランス時代(2歳~4歳春)

父Val de l'Orne(ヴァルドロルヌ)、母Princess Morvi(プリンセスモルヴィ)、母父Graustark(グロースターク)という血統のアメリカ産馬。父系は凱旋門賞馬Brantomeのラインで、母もフランスで勝ち鞍を挙げ、祖母・曾祖母の父はいずれもフランス産馬という血統のためか、フランスでデビューを迎えた。

しかし2歳時は5戦未勝利に終わり、3歳時も3連敗を喫して、フランスの中でも割とマイナーな部類に入るストラスブール競馬場でのデビュー9戦目でようやく勝ち上がった。その後も入着すら出来ない状況が続き、4歳4月にデビュー16戦目でようやく2勝目を挙げた。しかし続けて出走したエドゥヴィユ賞(GIII)で5着に敗れ、これを最後にアメリカの馬主にトレードされた。

4歳後半

アメリカに移籍し、ロバート・フランケル厩舎に転厩したペイザバトラーの移籍初戦はレッドスミスハンデキャップ(GII)となった。ここでは後にGI馬となるEqualizeとYankee Affairといった重賞馬も出走していたのだが、なんとペイザバトラーはこの2頭を抑えて移籍初戦を重賞初制覇で飾った。その勢いを駆って出走したボーリンググリーンハンデキャップ(GI)でもCoeur de Lionの2着に入った。

続けて出走したデルマーハンデキャップ(GII)ではフランスから移籍してきてGI3勝を挙げていた*リヴリアを筆頭にGI馬が複数出走する層の厚いメンバーに跳ね返され6着に終わったが、同様に豪華なメンバー構成となったマンノウォーS(GI)ではバーナード・バルークハンデキャップの勝ち馬My Big Boy、ソードダンサーハンデキャップの勝ち馬Anka Germaniaらに先着し、1番人気に応えて勝利した*サンシャインフォーエヴァーの半馬身差2着に飛び込んだ。

しかし次戦のターフクラシックS(GI)では*サンシャインフォーエヴァーの5着に敗れ、カナダに遠征して出走したロスマンズ国際S(GI)でも9着に敗れてしまった。この後、陣営はブリーダーズカップ・ターフを蹴ってジャパンカップに遠征することを決めた。

この頃の日本競馬ではタマモクロスとオグリキャップという芦毛の2頭が大暴れしており、前者は天皇賞(秋)を含む8連勝、オグリキャップも天皇賞でタマモクロスに敗れるまで重賞6戦を含む14連勝を飾っていた。凱旋門賞馬として初めてジャパンカップ、ひいては日本の競馬に出走してきた*トニービン(伊)も相当に強いと思われていたが、ファンの方も「日本が誇る芦毛の2頭なら」という期待があり、単勝オッズはタマモクロスが3.2倍で1番人気、トニービンが3.9倍で2番人気、オグリキャップが6.9倍で3番人気となった。ペイザバトラーは9番人気だったが、4番人気から10番人気までは海外勢が9.9~17.9倍の間にひしめいており、単勝14.9倍のペイザバトラーはそこまで極端に買われていなかったわけではなかった。闘争心の塊のような馬であるタマモクロスに対抗するため、これがテン乗りとなるクリス・マッキャロン騎手はある秘策を携えてレースに臨んだ。

レースは目立つ逃げ馬がいなかったこともあり、スッと先頭に立っていったメジロデュレンのペースは1000m61.4秒というスロー気味のものだった。ペイザバトラーはこれを中団後方から追走していたが、3コーナー手前で進出を開始して、後ろから追ってきたタマモクロスと並んだ4番手で直線を向いた。そしてほぼ同時に抜け出したのだが、完全に先頭に立って後続馬がいなくなったタイミングでマッキャロン騎手は右ムチを一発入れた。するとペイザバトラーはこれにスッと反応して左に切れ込んでいった。

これこそ、タマモクロスの勝負根性を引き出させないための秘策だった。並んで叩き合っては勝ち目が無いと見たマッキャロン騎手のこの作戦はまんまとハマり、内外離れた追い比べでペイザバトラーは最後まで後続に追い抜かせず、並んだ後の粘りという長所を思うように引き出せなかったタマモクロスに半馬身差を付けて優勝。GI未勝利の本馬が芦毛の二強や凱旋門賞馬にまとめて土を付けたことは、ファンに大きな衝撃を与えた。

アメリカに帰国したペイザバトラーは12月末のハリウッドターフカップハンデキャップ(GI)に出走したが、ブリーダーズカップ・ターフを勝ってきたGreat Communicatorの6着に敗れて、4歳シーズンを終えた。

5歳時

5歳時は3月のパンアメリカンハンデキャップ(GI)から始動したもののとんでもない不良馬場に見舞われ、勝ったMi Selectoから11馬身も離れた2着に敗戦。サンルイレイS(GI)でも勝ち馬Frankly Perfectから26馬身半という大差をつけられて4着に敗れてしまった。その後は大敗こそ無かったもののジョンヘンリーハンデキャップ(GI)3着、ハリウッドターフハンデキャップ(GI)5着、ボーリンググリーンハンデキャップ3着と勝ちきれない競馬が続いた。

しかしこんな内容では次第に馬券を買う側から見放されるのも致し方ないところであり、秋始動戦のアーリントンミリオン(GI)では13頭立ての最低人気タイとなってしまった。そしてレースでも全く見せ場が無いまま勝ったSteinlenから27馬身半も離れたブービー12着に大敗した。久しぶりにGI以外に出走したルイジアナダウンズハンデキャップ(GIII)でも3馬身半差2着、オークツリー招待ハンデキャップ(GI)でも12ハロンの世界レコード2分22秒8を叩き出して逃げ切った*ホークスターの4馬身差2着に終わり、結局前年のジャパンカップから丸1年を未勝利で過ごすこととなってしまった。

前年の勝利でペイザバトラーは日本の馬場に向いていると見ていた早田牧場の早田光一郎社長は、本馬をジャパンカップに先立って購入していた。同じように早田が購入し、JCに出走するプランもあった*ブライアンズタイムが予想外に芝で振るわなかったこともあり、ペイザバトラーはこの年もジャパンカップに出走することとなった。

そのジャパンカップでは「平成三強」と呼ばれたオグリキャップ・イナリワン・スーパークリークの3頭と*ホークスター、4連勝中のオイロパ賞(独GI)勝ち馬*イブンベイ、伊ジョッキークラブ大賞を勝った*アサティスらが対戦相手となったが、丸1年未勝利のペイザバトラーは6番人気にとどまった。

レースでは*イブンベイが物凄い勢いで逃げ、1800m・2200mは当時の日本レコードを上回るタイムで通過するほどの超ハイペース戦となった。これで全馬がなし崩しに脚を使わされたため後方勢はほぼ全滅する形となり、ペイザバトラーは4角9番手から直線でよく追ったものの、前々から抜け出して2分22秒2という伝説の世界レコードを叩き出したオセアニアのホーリックスとそれにクビ差で続いたオグリキャップから3馬身も離れた3着に入るのがやっとだった。
本馬以外に掲示板に乗った馬はいずれも4角5番手以内で競馬をした馬だったので、後方から追い込んだ本馬は位置取りを考えれば健闘したとも言えるのだが、結局これで前年のジャパンカップから数えて10連敗を喫してしまった。

ちなみに1988年はタマモクロスとオグリキャップの対決、1989年は平成三強の活躍と、本馬が来日した時代は第2次競馬ブームを巻き起こして世間を沸かせたアイドルホースたちの全盛期と多分に重なる時代なのだが、実はタマモクロス・オグリキャップ・イナリワン・スーパークリークの4頭全てに先着経験があるのは日本馬を含めてもペイザバトラーだけだったりする。2020年になるまで記事が立ってなかったのがある意味不思議である。

6歳時・種牡馬入り後

6歳時は5月の一般競走で勝利し、ようやく連敗にピリオドを打った。しかしハリウッドターフハンデキャップでは6頭立てのシンガリ負け、ゴールデンゲートハンデキャップ(GII)でも11頭立てのブービー10着と不振が続き、秋のオークツリー招待ハンデキャップで8着に終わった後、ハンデの非重賞戦と一般競走を1戦ずつして5着・4着と敗れたのを最後に競走馬を引退した。

引退後は日本に輸入され、1991年から早田牧場傘下のCBスタッドで種牡馬入りした。初年度は58頭の繁殖牝馬を集めたのだが、その矢先の7月1日、左後脚の靭帯を切断するという不慮の事故に見舞われ夭折。僅か1世代・43頭の産駒だけを残し、種牡馬として完全なる未知数のままこの世を去ってしまった。

この43頭の中に、大井の東京3歳優駿牝馬(現:東京2歳優駿牝馬)を勝ったパルブライトがいた。パルブライトは4歳時に大井記念を勝つとその年の秋に中央に移籍し、新潟記念・函館記念と重賞2勝を挙げた。後継種牡馬こそ出せなかったものの、パルブライトなどが繁殖入りすることによって細々とながらもペイザバトラーの血は継がれることとなった。

パルブライト以外に繁殖入りした5頭の牝馬は牝系を繋ぐことが出来ず、パルブライトも繁殖入りした3頭の産駒のうち2020年現在現役なのはサンアイブライトのみと、本馬の血統は非常に不透明な状況にあるが、それでもタマモクロスや平成三強と覇を競った優駿として、ペイザバトラーは人々の間で語り継がれていくことだろう。

血統表

Val de l'Orne
1972 鹿毛
Val de Loir
1959 鹿毛
Vieux Manoir Brantome
Vieille Maison
Vali Sunny Boy
Her Slipper
Aglae
1965 鹿毛
Armistice Worden
Commemoration
Aglae Grace Mousson
Agathe
Princess Morvi
1975 栗毛
FNo.9-e
Graustark
1963 栗毛
Ribot Tenerani
Romanella
Flower Bowl Alibhai
Flower Bed
Silana
1965 鹿毛
Silnet Fastnet
Silver Jill
Anabara Arbar
Flying Carpet
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

主な産駒

関連動画

関連項目

脚注

  1. *英語の慣用句pay the piper(資金を出したのだから方針に口を出す権利がある/方針に口を出したいのなら責任も負うべきである)のもじりという説がある
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