ホセ・マニュエル・カゾー(Jose Manuel Cazeaux)
とは、MotoGPのクルーチーフである。
2023年はアプリリアワークスに所属して、マーヴェリック・ヴィニャーレスのクルーチーフを務める。
1977年10月23日生まれ。アルゼンチン人でイタリア在住。
アルゼンチンはイタリアから大量の移民を受け入れた過去があるためイタリアとの関係が非常に深く、アルゼンチン人を好意的に受け入れるイタリア人が多い。1990年代においてイタリアサッカーリーグのセリエAもアルゼンチン人選手を優先的に雇っていた。ホセもそんな感じでイタリアにやってきたのだろう。アルゼンチンの公用語のスペイン語は、イタリア語と非常によく似ている言語なので、言語面での適応も問題なかったものと思われる。
アルゼンチンで学校を卒業し、2005年にボローニャ大学
にて電子工学とコンピューター科学の博士号を取得した。2005年にボローニャのバイク企業であるドゥカティに就職し、レース部門のドゥカティコルセで電子制御の技術者としてバイクのテストに参加した。2009年と2010年の2年間はフィアットグループに在籍し、そのあとにまたドゥカティコルセに戻った(記事
)。
2012年~2013年はニッキー・ヘイデンの電子制御スタッフ、2014年はカル・クラッチローの電子制御スタッフ(記事1
、記事2
、記事3
)。
2014年シーズン末にダヴィデ・ブリヴィオによってスズキワークスに引き抜かれた。「自分はドゥカティワークスで満足していたが、ドゥカティワークスからスズキワークスに引き抜かれたメカニックが複数おり、そのメカニックに誘われて移籍した」と語っている(記事
)。2015年はマーヴェリック・ヴィニャーレスの電子制御スタッフだったが、2016年はマーヴェリック・ヴィニャーレスのクルーチーフに昇格した。
2016年4月にマーヴェリック・ヴィニャーレスがヤマハワークスから誘われたとき、クルーチーフのホセを連れていこうとした(記事
)。しかし、スズキワークスにガッチリとホセを確保されてしまい、ホセに誘いかけてもホセは「自分はスズキに残る」と言うようになってしまった。これが原因でマーヴェリックはずいぶん悩んだようで、ヤマハワークスへの回答がずいぶん遅れている。
ヤマハワークスから声が掛かったら二つ返事で「はい」と言いそうなのにずいぶん悩んだのはクルーチーフのホセと別れたくないと思ったからである。
2017年からはアレックス・リンスのクルーチーフになった。
2018年6月頃、ヤマハワークス所属のマーヴェリック・ヴィニャーレスは、ラモン・フォルカダとの関係が悪化したので、クルーチーフを代えようと思った。そのため、ホセをスズキワークスから引き抜こうとしたが、またしてもホセに断られてしまった(記事
)。
2022年をもってスズキがMotoGPから撤退し、スズキワークスが解散した。アプリリアワークスにいるマーヴェリック・ヴィニャーレスの希望が通り、2023年からはアプリリアワークスに所属してマーヴェリック・ヴィニャーレスのクルーチーフになることが決まった。
従兄弟がモトクロスをしていて速かったのでマシンに興味を持ったという。最初はF1に興味を持っていたが次第に興味はバイクへ移っていった。
少年の頃はサッカー選手に憧れていた。また、ラグビーを何年もやっていて、ラグビーのプロ選手になりたいと思ったこともある。「モータースポーツはチームで活動するが、それはラグビーと同じだ」と語っており、体育会系の気風の持ち主であることが窺える。
趣味はカート
やピットバイク
。
インタビューで喋っている(動画
)。
※この項の資料・・・2017年にスズキ公式サイトで公開されていた自己紹介文
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/07(日) 19:00
最終更新:2025/12/07(日) 19:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。