ホンダビート
発売は1991年5月。当時の軽自動車規格の中で設計されたオープン2シーター「スポーツカー」である。製造は本田技研工業(ホンダ)。
運輸省(当時。現:国土交通省)による型式認定(かたしきにんてい)は「E-PP1」。
エンジンをシート後部、車体中央に横置き搭載(ミッドシップ形式)し後輪を駆動させる。変速機構は5速マニュアルトランスミッションのみとし、AT(オートマ)の採用は無い。
コンセプトとしては「理屈抜きに楽しく、街のコミューターとなるようなクルマ」を目指した。本田技研の創始者、本田宗一郎氏も開発陣に対し、「あんた、いい仕事したね。」と褒めたという。
登場時は日本は空前の好景気であり、133万円という軽自動車としては高額な(現在でこそ標準的な価格帯にはなっているが、当時の感覚としては、やはり高額であった。)価格でも大ヒットの商品となった。
当時軽自動車トップシェアのスズキ自動車、オートザム店を擁し軽自動車を自主開発していた当時のマツダをも刺激し、それぞれカプチーノやAZ-1といった軽自動車スポーツカーを開発・生産。軽自動車スポーツの黄金時代を作った。この3車種はそれぞれの頭文字をとり、俗に「平成ABCトリオ」と呼ばれる。
しかしその後日本の景気が後退するにつれビートの新車売り上げは落ち込み、1996年には整理車種の対象となり、惜しまれつつ生産終了となる。
他の国産オープンカーのユーノスロードスター(現:マツダ・ロードスター)や、同じ軽スポーツのスズキカプチーノと比較して比較的短命であったのは、変速機構が5速マニュアルのみであったためではないか、と結論付ける者もいる。丁度ATの精度が上がり、燃費もMT車とさほど変わらなくなってきた時代であり、なにより運転が楽と言うことでMTが敬遠されだした頃でもある。クルマの運転そのものを楽しむ時代ではなくなり、やがて他のレジャーに使える車としてツーリングワゴンやミニバン全盛の時代へと移り変わってゆく。
ビートの生産中止と歩調をあわせるかのように、他のメーカーのラインナップからもスポーツカーやクーペ、スペシャルティーカーが徐々に消えてゆくのであった。
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最終更新:2021/01/25(月) 10:00
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