ボフスラフ・マルティヌー / ボフスラフ・マルチヌー(1890~1959)とは、20世紀前半に活躍したチェコの作曲家である。
チェコ語本来の発音はマルチヌーが近いのだが、その国際的な活動からマルティヌーと呼ばれることが多い。
ボヘミアとモラヴィアの境界にあるヴィソチナ地方の、ポリチカ村の教会の鐘楼守を父として生まれた。しかしこの父親は村の人々にしたわれ、また父母双方音楽好きであったことから、マルティヌーの周りには音楽が絶えない幼少期を過ごしたようだ。そのような環境のため、8歳の時にはもう弦楽四重奏曲を作っている。
1906年になるとプラハ音楽院に入学。当初はヴァイオリン科だったが、やがてオルガンと作曲のコースに転科し、1910年に結局見込みのない怠け者として退学させられている。1916年に故郷の小学校のヴァイオリンの先生となった。その一方で作曲活動も続け、彼の愛国的なカンタータ『チェコ狂詩曲』が取り上げられて出世作となった。
さらに彼はチェコ・フィルの第2ヴァイオリンに加わり、演奏旅行へ出かける。そして1923年にようやく文部省の奨学金を得て、パリに向かい、アルベール・ルーセルに教わった一方、作曲家としては近代的な感覚や印象主義への傾倒などでめきめきと頭角を現していったようだ。しかし1941年に大二次世界大戦からアメリカに亡命。作風は重厚で民族意識に目覚めたものに変わっていった。戦後もヨーロッパとアメリカを往復し、最期はスイスのリースタールのサナトリウムで亡くなった。
速筆多作だったため作品数は多く、20世紀のチェコの作曲家の中では割合知られた人物である。
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最終更新:2024/04/25(木) 23:00
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