マシンガン打線 単語

131件

マシンガンダセン

3.2千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

マシンガン打線とは、20世紀末横浜ベイスターズファンが見たである。

概要

1997年から2000年にかけて組まれた横浜ベイスターズ打線称。ホームランこそ少ないものの、勝負強い巧打者が左右ジグザグに並んだ打線の破壊は抜群で、単打や二塁打の集中火で大量点を奪っていく様子がマシンガンの連射を思わせたことから、この称が付けられた。

また1998年ゴールデングラブ賞内野手部門を独占したことからもわかるように、レギュラー選手の守備は総じて高く、攻守に渡って隙のないオーダーを組むことが可だった。

マシンガン打線が組まれた4年間のチーム成績は2位1位日本一)→3位→3位と全てAクラスに入っており、Bクラスに甘んじることが多い(61シーズン中46シーズンがBクラス大洋横浜球団の歴史における黄金時代だったと言っても過言ではない。そしてマシンガン打線は黄金時代徴として、暗黒時代生きるベイスターズファンたちの間で今もなおり継がれている。

歴史

1997年

72勝63敗0分セ・リーグ2位) チーム打率.273(同2位) チーム得点572(同3位)

打順 守備 選手名 打席 試合 打率 本塁打 打点 盗塁 タイトル 備考
1 石井琢朗 132 .319 10 44 23 B9
2 波留敏夫 127 .295 8 41 16
3 鈴木尚典 125 .335 21 83 11 首位打者 B9
4 ロバート・ローズ 130 .328 18 99 3 最高出塁率 B9
5 駒田徳広 135 .308 12 86 2 GG
6 佐伯貴弘 106 .260 4 25 6
ビルセルビー 90 .228 5 17 3 4月5月レギュラー
川端 69 .303 1 15 1 対左投手
7 進藤達哉 117 .236 10 43 9 GG
8 谷繁元信 128 .232 13 46 2
9

終盤スワローズに競り負けたものの、数十年ぶりに優勝争いを演じたシーズンである。その原動となったのがこの強打線で、特に後半戦は集中打で大量得点を挙げて勝つ試合が立った。この頃から「マシンガン打線」の称が使われ始めるようになる。

右翼手以外は既にレギュラーが固定されており、打順も1番から5番はほぼ固定だった(石井波留が入れ替わることもあった)。右翼手オープン戦首位打者の新外国人セルビーが抜されたが々と失速、6月以降は佐伯メインに据えつつ、川端宮里太畠山準らが交代で起用された。

1998年

79勝56敗1分セ・リーグ優勝日本一) チーム打率.277(同1位) チーム得点642(同1位

打順 守備 選手名 打席 試合 打率 本塁打 打点 盗塁 タイトル 備考
1 石井琢朗 135 .314 7 48 39 最多安打 盗塁王 B9 GG
2 波留敏夫 106 .273 2 39 12
3 鈴木尚典 131 .337 16 87 3 首位打者 B9
4 ロバート・ローズ 124 .325 19 96 2 B9 GG
5 駒田徳広 136 .281 9 81 0 B9 GG
6 佐伯貴弘 108 .289 9 55 1
中根仁 70 .301 4 31 2 対左投手
7 進藤達哉 124 .241 14 54 0 GG
8 谷繁元信 134 .254 14 55 1 B9 GG
9

コーチ人事を巡り退団した大矢明彦の後任として権藤博監督に就任。野村弘樹三浦大輔川村丈夫斎藤隆先発四本柱に島田直也五十嵐英樹佐々木主浩鉄壁リリーフ、そして前年以上に精度を増したマシンガン打線が見事にかみ合ったこの年、横浜は実に38年ぶりとなるリーグ優勝日本一を果たしている。

脱税事件で起訴された波留5月中旬まで出場を禁止されたため、序盤は佐伯中根井上純が交代で中堅手を受け持った。この時期は打順が一定せず勝率5割と伸び悩んだが、波留の復帰後は上記のベストオーダーで戦えるようになり、連勝街道を驀進していくことになる。なお進藤繁の打順調子に応じて入れ替えていた。

このシーズン快な馬鹿試合が多く、特に「シングルヒット7連打で5得点」「ライトフライボークで打ち直し→同点2ラン」といった様々な伝説を生んだ7月15日の対ジャイアンツ戦(下記スコア動画参照)は今でもとなっている。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
巨人 4 0 3 0 0 0 2 3 0 12 20 0
横浜 0 0 1 5 0 0 3 3 1X 13 20 1

1999年

71勝64敗0分セ・リーグ3位) チーム打率.294(同1位) チーム得点711(同1位

打順 守備 選手名 打席 試合 打率 本塁打 打点 盗塁 タイトル 備考
1 石井琢朗 131 .292 8 58 39 盗塁王 B9
2 波留敏夫 130 .298 15 70 14
3 鈴木尚典 134 .328 17 92 7
4 ロバート・ローズ 134 .369 37 153 3 首位打者 打点王
最多安打 B9
5 駒田徳広 129 .291 9 71 0 GG
6 佐伯貴弘 112 .309 10 53 1
中根仁 71 .272 5 25 0 対左投手
7 進藤達哉 109 .286 14 43 1 GG
アルキメデス・ポゾ 91 .297 9 30 0 5月6月レギュラー
8 谷繁元信 122 .295 11 51 0
9

チームとしての完成形は98年だが、打線としての完成形はこの99年である。投手の崩壊により連覇こそ逃したものの、1番から8番まで全く切れのない打線プロ野球記録(当時)となるチーム打率.294記録2011年時点でこれをえるのは2003年ホークス記録したチーム打率.297しかなく、指名打者制のないセ・リーグ記録としては現在も史上最高打率である。

2000年

69勝66敗1分セ・リーグ3位) チーム打率.277(同1位) チーム得点576(同4位)

打順 守備 選手名 打席 試合 打率 本塁打 打点 盗塁 タイトル 備考
1 石井琢朗 134 .302 10 50 35 盗塁王 B9
2 金城龍彦 110 .346 3 36 8 首位打者 新人王 進藤に代わりスタメン
波留敏夫 60 .301 8 17 3 6月中旬に故障
3 鈴木尚典 134 .297 20 89 6
4 ロバート・ローズ 135 .332 21 97 1 最多安打 B9
5 中根仁 103 .325 11 61 1
駒田徳広 85 .258 4 34 2 不振でスタメン落ち
6
佐伯貴弘 122 .259 6 52 2 駒田に代わり
一塁手に転向
7 多村仁 84 .257 7 29 2 波留に代わりスタメン
進藤達哉 59 .224 2 15 0 5月中旬に故障
8 谷繁元信 122 .251 9 44 0
9

チーム打率こそ優勝した98年と同じ準でリーグトップを保ったものの、故障者・不振者の続発でレギュラーを固定できなかったこともあり打線の繋がりが悪く、得点は大幅にダウンしてしまった。特に下位打線の迫不足が立った。

その後

2000年シーズン終了後から2001年シーズン初頭にかけて、ローズ駒田進藤波留マシンガン戦士の半数がチームを去ったことにより、マシンガン打線は事実終焉を迎えた。

その後ベイスターズは、2001年こそ辛うじてAクラスを維持するものの、2002年にはチーム打率.240とマシンガン打線の面すらない状態でダントツの最下位に沈み(ただし2002年打線以外の要因も大きい)、以後2005年を除きBクラスという先の見えない暗黒時代2016年まで続いた。

なお2001年波留敏夫がトレードで中日オフ谷繁元信FA中日に移籍。2008年石井琢朗鈴木尚典が、2010年佐伯貴弘が、いずれも戦力外通告を突きつけられるという形でチームを去った(鈴木はそのまま引退佐伯中日ドラゴンズ石井広島東洋カープへ移籍する。後に両者とも引退)ことにより、1998年日本一をもたらしたマシンガン打線の選手はベイスターズから全に姿を消すこととなった。

関連動画

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
小春六花[単語]

提供: NoirAuslese

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/19(金) 07:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/19(金) 07:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP