マツダ・カペラとは、マツダが1970年~2002年まで7代に渡り生産された乗用車である。30年以上に渡りマツダ乗用車の基幹車種として広く知られていた。海外では「MAZDA 626」として販売され、「カペラ」の名称は基本的に国内専用であった。
車名の由来はぎょしゃ座(馭者座)の首星から。もうひとつの意味では、1970年代のスターになるのスターになるように思って付けられた。
1970年5月にデビュー。愛称は風のカペラ。当初はファミリアの上位機種として、12A型ロータリーエンジン搭載車とレシプロエンジンの4気筒の1600ccエンジン搭載車のみであった。12Aロータリーエンジンはカペラロータリーのために開発されたもので、基本的には10A型と同じだったが、ローターハウジング一つあたりを軸方向に10mm延長し、単室容積で573ccの排気量を得た。また、排気孔をハニカムポートとして燃焼効率を上げ、トルク特性を改善した。最高出カ120ps/6500rpm(グロス)、最大トルク16.0kgm/3500fpm(グロス)、さらに最高速度は190km(MT車)で、当時の日本車としては、並はずれたパワーを誇った。同年10月にはレシプロエンジンの1500ccを追加する。
1971年10月にマイナーチェンジ。ロータリーエンジン初のAT車を追加。
1974年2月に「ビッグチェンジ」としてフェイスリフトを受け、2代目カペラロータリーAPとなった。初代と基本的なボディ形状は変わらなかったが、フロントマスクが変更され、フロントノーズも110mm延長された。またインパネも4連丸形メーターの新デザインに変更された。レシプロエンジン1800cc、そして1975年排ガス規制に適応したロータリーAP、レシプロエンジン1800APが追加された。1975年10月に1600cc、1800cc、ロータリー共に1976年の排ガス規制に適応した。低公害車であったが、サーマルリアクター方式を採用し、当時の他の車両と比べて性能低下は少なく、また有鉛・無鉛ガソリンの両方を使用することができた。
なお、マツダの公式見解としては、このCB125系を2代目モデルとしているが、雑誌やWEB上では、このCB125系をビックマイナーチェンジとして初代モデルとしてカウントをしていることがあるので注意の程を。ここでは、マツダ公式に沿って編集しております。
1978年10月に初のモデルチェンジをする。実に初代登場から8年5ヶ月ぶりであった。3代目よりロータリー車は設定されずにレシプロ専用車種として登場、ファミリーカーに生まれ変わった。 エンジンは、4気筒の1600cc、1800ccの2種類を用意していた。ボディタイプは従来からの4ドアセダンと共に、2ドアを先代までのクーペスタイルではなく、フロントドアサッシュレス&Bピラーレスハードトップへと変更する。空気抵抗は当時の車種としては良く、ハードトップはCd値=0.38だった。また、同クラスの車種と比べて車内の居住空間及びトランクスペースは大きい方だった。1979年3月には2000ccエンジン搭載車を追加する。
1980年9月にマイナーチェンジ。1982年に後述の4代目(GC系)が登場してからも、4ドアセダンの1800LPGタクシー仕様(DXのみ)は、FR駆動で整備性が良く価格も安いことから地方の事業者での支持が多く、1984年末まで生産・販売が継続されていた。
CMはイメージキャラクターはいなかったが、ヨーロッパの街並みや西ドイツ(当時)のアウト・バーンを疾走している姿が特徴的であった。
1982年9月に登場。このモデルの特徴としては、FF駆動方式に変更するというのが特徴的である。エンジンは新開発の1600cc、1800cc、2000ccのEGIで「マグナム」の名称が与えられた。ボディは4ドアセダンと初代以来となる2ドアクーペ、後のマイナーチェンジで追加される5ドアハッチバックの3タイプ。この代からフォードブランドのテルスターを展開するようになる。1983年9月、セダンに2000ccのディーゼル車が追加される。 同年10月には2000ccのグロス145psの2000EGIターボモデルを追加。
1985年5月にマイナーチェンジ。テルスターに展開していた5ドアハッチバックをカペラにも展開する。
この四代目は、登場した1982年の第3回日本カーオブザイヤーを受賞。この型のイメージキャラクターは、フランスの俳優・アラン・ドロンをモデル末期まで起用していた。なので通称・アラン・ドロン カペラと言われる。実際に特別仕様車として”アラン・ドロン バージョン”が存在していたほど。
この型のカペラの逸話として、1983年頃に歌手・松田聖子がテレビ番組のインタビューで「今教習所に通っていて、免許を取ったらカペラが欲しい」と言ったら、当時のマツダの社長が感激して免許取得時にマツダ・カペラをプレゼントしたという噂がある。なお、松田聖子が当時通っていた教習所の教習車がこの型のカペラだったというオチもあるw。
1987年5月に登場。タクシー仕様は5代目が最終となった。ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバックのカペラCG(City Gearの意)、2ドアクーペのカペラC2(Composite Coupeの意)。遅れてステーションワゴンとライトバンのカペラカーゴが追加された。世界初の電子制御車速感応型4WSや量産エンジン初プレッシャーウェーブスーパーチャージャーディーゼルエンジンを搭載するなど、カペラの生産史上、最も華やかなモデルとなった。 同年7月には4WD仕様を追加する。
1988年2月にこれまでカペラCGのみの採用であった4WSがセダン、C2にも設定拡大。 同年3月にはステーションワゴンとライトバンのカペラカーゴを追加する。カペラカーゴワゴンは最後部に跳ね上げ式後ろ向きのシートを備え7人乗車が可能でもあった。
1989年6月マイナーチェンジ。これまでCGのみであった4WDをセダンにも設定。2000ccDOHCエンジンはハイオク化され、MT車は150ps、AT車は145psに向上した。1800ccにDOHCエンジンを追加(1800ccEGI-SOHCはカーゴで、1800ccキャブレターSOHCはセダンで継続)。
1990年にカーゴに4WD仕様を追加。人数は5人乗りとなる。
1991年10月クロノスの登場に伴いセダン、CG、C2は生産終了となった。カーゴは継続生産となる。1992年8月、カーゴがマイナーチェンジ。DOHC車と4WDを追加。
1994年10月マイナーチェンジ。セダン復活に伴い、ステーションワゴンの名称をカペラカーゴワゴンからカペラワゴンに改名し、フロント、リア、ルーフの造形が大幅に変更され、インパネもテルスターと入れ替えられて内装も大幅に変更される。上位グレードをスポーツアクティビティー系4WD車のみでグリルガード付きののFX(FIELD CRUISERの意)と、タウンユース系で後ろ向きサードシートを備えるFF車のSX、下位グレードをSV(4WD / FF)に変更。フロントグリルが大型化され、4WD車はボディー同色、FF車はメッキ仕上げとなる。4WD車は、いわゆる「RVブーム」の影響から、いずれも最低地上高が上げられており、悪路走破性が増している。
1997年11月GV系カペラワゴンをフルモデルチェンジ。カーゴバンは廃止。
この型のカペラには、イメージキャラクターは当初はいなかったが、モデル末期の1990年頃に西ドイツ(当時)で日本車の中で「MAZDA 626」がNo.1の売り上げを記録した”ダンケシェーンキャンペーン”を展開。その時に起用されたのが、フリーアナウンサーでタレント・逸見政孝(故人)を起用。歌も逸見本人のものであったが、歌声はかなりヘロヘロであったw。
1994年8月に登場。クロノスの登場でセダンの生産は一旦中止されていたが、5チャンネルの無理な姉妹車展開と税制改正に乗じた3ナンバー化という市場を無視した販売戦略が原因で、クロノス系姉妹車は販売不振に陥り、早急な車種統合と後継車種の投入に迫られた。のセダンが復活した。センティアをシャープにしたようなフロントノーズは、これまでのスラントノーズが持ち味のカペラと比べ、かつてのカペラのクオリティとは比較にならないほどチープと酷評されたが、5ナンバーサイズに戻されたこと、車両本体価格が抑えられたことなどから買い得感は高く、商品的にはそれなりの成功を収めた。
六代目は日本国内仕様となったが、香港など、設計変更が伴わない地域に限り、輸出もされた。
イメージキャラクターは俳優・萩原健一を起用。ワゴンの方にも萩原健一と共に女優・前田愛も起用され、父娘という設定になっていた。モデル末期には、俳優・唐沢寿明を起用した。
1997年8月にモデルチェンジをする。先代で酷評された質感はアップされ、クロノス譲りのプラットフォームも改められた。ボディは4ドアセダンと5ドアワゴンの二種。海外向けには5ドアハッチバックセダンも存在する。ワゴンはCM時に「37の室内を持つ」として多彩なシートアレンジを表に出していた。2000ccはダイリューテッドバーンと呼ばれる170馬力版と140馬力版の2本、1800ccは125馬力の1本、そして、ワゴンの4WD仕様のみ、クロノス譲りのK型2500DOHC、200馬力の計4本のラインナップからスタート。1998年7月に2000ccクラス初となる直4SOHC16バルブ直噴ディーゼル仕様が追加される。
1999年11月にマイナーチェンジ。ディーゼルエンジンはラインアップから落とされる。セダン、ワゴンとも同じフロントマスクとなる。後のアテンザに通ずるデザインとなった。 また、2000ccFF車にアクティブマチックが追加。
2002年に廃止。後継はアテンザに移行するようになる。この型で三代目カペラから続いた教習車仕様もアクセラに移行する。
掲示板
5 川越の奥のS市民
2011/09/01(木) 11:29:11 ID: MY7moUVQg8
今教習所通っているのだが、教習車が
最終型カペラだな。
幅が狭くていいぞ。
6 ななしのよっしん
2011/11/06(日) 16:31:04 ID: Wwccmjtrnc
GD乗ってるけど、オイル上がりしてるっぽい。OHするしかないか・・・
7 ななしのよっしん
2016/07/13(水) 00:51:07 ID: igxBoXA295
俺の記憶にある一番古い親父のクルマがカペラ。
嫁ももって、俺をつくって、自家用車持ってた若かりし頃の親父。
親父も定年目前になって、俺もようやく自分でクルマ買えるようになった。
嫁のなりては見つからなかった。子供なんて居るわけもない。せめてクルマだけでも親父に並びたかったけれど、後継車は俺の手の届く額じゃなかった。
天空を駆ける御者はどこまでも、遠く、遠く。
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最終更新:2024/11/05(火) 22:00
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