マツダ・ファミリアとは、マツダが1963年から2003年まで生産をしていた小型乗用車である。現在は
日産自動車が生産をしている小型商用車・ADバンのマツダバージョンの名称として残っている。
車名の由来はスペイン語で家庭という意味から。ヨーロッパ仕様ではマツダ323の名称で販売をされていた。
後継車種がアクセラとなる。1994年からは商用車仕様のみ日産自動車からのOEM供給となる。
1963年に登場。当初はライトバン仕様のみが登場。当初は排気量782ccの4気筒エンジンのみであった。バリエーションにはピックアップトラック仕様も存在をしていた。
1964年には4ドアセダンバージョンと5ドアのステーションワゴン仕様が登場。排気量も800ccと排気量もアップが
されたモデルが追加。
1965年には排気量を1000ccにまでアップをさせたモデルも登場をする。
1967年に初のフルモデルチェンジ。4ドアセダンとピックアップトラックが同時にモデルチェンジをする。
エンジンも1000ccのみとなる。初代よりも丸みを帯びたデザインとなる。
1968年にライトバン仕様がモデルチェンジ。同年には、マツダとしては二台目となるロータリーエンジン搭載車が
2ドアクーペに用意され、2ドアクーペに1200ccエンジン搭載車も登場する。
1969年には4ドアセダンにロータリーエンジン搭載車も追加。
1970年にマイナーチェンジ。エンジンも1000ccと1300ccを搭載し、名称も「ファミリア・プレスト」となる。
1971年にファミリアの上級版「グランドファミリア」が登場。カペラとファミリアの間を埋める車種(1978年に生産終了)と
なった。
1973年にセダンとクーペがモデルチェンジをした後に、バンとトラックがマイナーチェンジをし1978年まで継続生産がされる。この代でトラックは廃止となる。
ロータリークーペが登場時のCMソングを歌唱したのは、歌手・布施明であった。
1973年にモデルチェンジ。この代でロータリーエンジンが廃止。エンジンも1000ccと1300ccに統一される。
名称も「ファミリア・プレスト」の名称を継承する。
1976年にマイナーチェンジ。当時の排ガス規制をクリアするため1000ccを廃止し、1300ccに一本化がされる。
名称もファミリア・プレスト1300APなる。APとはAnti-pollution(アンチポリューション:公害対策)の頭文字。
1977年にモデルチェンジ。この代の特徴は、4ドアセダンは無く3ドアと5ドアのハッチバックが中心となる。 これは、マツダが当時の欧州小型車を目標にして開発された。この代で駆動方式がFR駆動では最後となる。当初は1300ccのみであったが、翌年に1400ccも追加される。デザインも空力ボディを意識したデザインとなった。
そのおかげで、メーカー自身も驚くヒットモデルとなった。
1978年にライトバンをモデルチェンジ。同年には1400cc車に3速AT車も登場する。1979年にはマイナーチェンジ。
当初は丸目だったヘッドライトを角型ヘッドライトに変更をし、その他50項目の改良が施される。
ライトバン仕様は1985年まで継続生産となる。
イメージキャラクターには夫婦デュオで知られる歌手・チェリッシュを起用した。
1980年にモデルチェンジ。この代で駆動方式をFF駆動に変更となる。当初は3ドアと5ドアのハッチバックのみであったが、すぐに一度廃止となった4ドアセダンもこの代で復活をする。4ドアセダンのみフロントデザインが若干違う。
本来ならば四代目で起用するはずであったFF駆動を前面的にアピールをし、エンジン、サスペンションをすべて一新をし、そのおかげで、当時ネガティブなイメージがあったFF駆動を「違和感がなく運転が出来る」が口コミで広がり、また当時ではスタイリッシュなデザインと相まって、歴代ファミリアの中では大ヒットモデルとなった。
エンジンは新設計の1500ccと1300ccの二種類が用意された。
1982年には、日本フォードの姉妹車・レーザーが販売される。
1983年にマイナーチェンジ。4ドアセダンのフロントもハッチバックと同形状となる。すぐに1500ccエンジンにはガソリンターボエンジン搭載車も登場する。また、当時解禁となったドアミラーも前面に押し出すようになる。
イメージキャラクターには俳優・北大路欣也を起用。モデル末期までイメージキャラクターを勤めた。
1985年にモデルチェンジ。大ヒットをした五代目モデルを意識したスタイリングとなったが、デザインよりもよりもメカに
力を入れたモデルチェンジとなった。遅れてステーションワゴン仕様とライトバン仕様もモデルチェンジをしてFF駆動化をする。ステーションワゴン仕様は初代モデル以来となった。
歴代初の4WD仕様が登場し、これは日本初のフルタイム4WDとなった。また1700ccのディーゼルエンジン搭載車も登場する。なお、4WD仕様には1600ccのターボモデルがあり、ラリーにも参戦。雪道では無敵の走破力があった。
1986年には3ドアをベースとしたオープンモデル・カブリオレも登場。1500ccのターボエンジンと5速MTの組み合わせのみであった。
1987年にマイナーチェンジ。ハッチバック、セダンとターゲットをより細かく見越したデザインとなった。4WDモデルもセダンにも拡大をし、4速ATと組み合わせたモデルも登場。またバリエーションも拡大化をする。ワゴンとバンはこのマイナーチェンジ以後はこのまま生産をし続け、1994年に日産自動車からのOEMモデルになるまで継続生産をされる。
キャッチコピーは夢大陸。イメージキャラクターには、前期型のみ俳優・中井貴一を起用した。
1989年にモデルチェンジ。バリエーションは4ドアセダン、5ドアハッチバック、3ドアハッチバックの3種類であるが、
各モデルともに独自デザインを採用した。
4ドアセダンは直線的なデザイン、5ドアハッチバックは「アスティナ」の名称が付けられイタリア車のようなデザインとなる。3ドアハッチバックはフランス車みたいな小型ハッチバックをイメージできるデザインとなる。
1991年にマイナーチェンジをし、デザインのてこ入れと全車のドアにサイドドアビームの安全装備の充実化がされる。
五代目から続く、日本フォードブランドのレーザーもモデルチェンジをしたが、ファミリアとは別デザインとなる。
1989年に開始をした販売会社・ユーノス店向けにアスティナの姉妹車としてユーノス100が登場する。
ヨーロッパ市場では大人気モデルとなり、後にこれがランティスと名称を変更をする。
前期型のイメージキャラクターは存在はしないが、ナレーションにはタレント・渡辺正行が担当。後期型にはタレント・所ジョージを起用していた。
1994年にモデルチェンジ。バリーションは4ドアセダンと3ドアハッチバックには「NEO」と名づけられたモデルとなった。
従来の3ドアハッチバックは、1300ccエンジン車のみ継続生産をされる。エンジンも1500cc、1600cc(4WDのみ)、1800ccのガソリンエンジンとセダンのみ、いすゞ自動車から供給された1700ccのディーゼルターボエンジンも存在をし、ボンネットに吸気ダクトを備えたモデルとなった。
当時のコストダウンの流れを受けて、1500ccセダンの最廉価グレードが100万円を切ることが目玉となったが、ハッチバックの売り上げがかなり落ち込むという事態となった。またこの代よりセダンに教習車仕様も登場する。通常では全長が基準を達していないためにアメリカ仕様の前後バンパーを取り付けて基準を満たしたモデルとなった。
エンジンも1500ccのガソリン、1700ccのディーゼルターボ、1500ccのLPGが用意された。
1996年にマイナーチェンジをし、内外装が大幅に変更となるがコストダウンを目的としたものとなったので、安っぽさが漂った感じとなった。またNEOの日本国内生産は終了をし、変わってオーソドックスなデザインの3ドアハッチバックが登場する。セダンとハッチバックには1300ccエンジン搭載車も登場する。
イメージキャラクターには当初、俳優・草刈正雄、女優・鈴木杏樹、ミュージシャン・大槻ケンヂが起用された。途中でとんねるずに変更となり、マイナーチェンジ以後はプロテニスプレーヤー・アンドレ・アガシが起用された。
1998年にモデルチェンジ。基本シャーシをカペラと共通化となる。バリエーションも4ドアセダンと5ドアハッチバックであるが、ショートデザインのステーションワゴン形式であったために「S-ワゴン」の名称で登場をする。エンジンはガソリンの1500cc、1800cc、セダンのみに2000ccのディーゼルエンジンを搭載。
1999年にはS-ワゴンにホットバージョンの「スポルト20」が登場。エンジンは2000ccのガソリンとなる。駆動方式はFFと4WDであるが、4WD仕様のみには5速MTが用意をされる。ATは4速であるが、マニュアルモード搭載となる。
2000年にマイナーチェンジ。現在のマツダ車に共通をする5角形グリルが起用される。
2001年にはセダンにのみ限定100台の「マツダスピードファミリア」がセダンに用意をされ、スポルト20用のエンジンがセダンに搭載をされる。
2003年にアクセラが後継となりモデル廃止となる。なおライトバンは日産自動車からのOEM供給をされてネーミングは継続をしている。
掲示板
2 じょい@ ◆cRz/hcUZ5s
2015/08/22(土) 21:10:34 ID: 3DnOVHzmDq
>>1
『超人機メタルダー』ですね分かります。
実際にマツダが車両提供をしていたので、当時六代目ファミリアの3ドアモデルが提供をされていた訳です。
刑事ドラマの日産、特撮物のマツダというのが昔の鉄則でしたがw
3 ななしのよっしん
2020/01/07(火) 17:13:02 ID: Nq55IoLRlq
OEMとはいえ、後継車のアクセラより長く名を残す事になるとは何たる皮肉
4 ななしのよっしん
2020/01/07(火) 17:22:54 ID: pI9rnQCUJo
たしかに
自社製から日産製そして現在はトヨタ製
マツダという会社の日本自動車メーカーにおける立ち位置の変化を如実に表した名車
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/20(土) 10:00
最終更新:2024/04/20(土) 10:00
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