マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United Football Club)とは、イングランド・プレミアリーグに所属するサッカークラブである。
愛称は赤い悪魔(Red Devils)。本拠地はマンチェスター。ホームスタジアムはオールド・トラッフォード。
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世界でもっとも有名なクラブチームの一つ。略称はユナイテッドもしくはマン・ユナイテッド。日本ではマンUが一般的であるが、マンUという呼び方は蔑称としても使われるためあまりおすすめできない。愛称はレッド・デビルズ(赤い悪魔)。前身は1878年に創設されたニュートン・ヒースLYR FCで、マンチェスター・ユナイテッドという名前になるのは1902年から。プレミアリーグが創設前の1部リーグで7回、1992年のプレミアリーグ創設後13回リーグで優勝、UEFAチャンピオンズリーグで3度優勝している。
世界有数の経済規模を有するクラブであり、2017年にアメリカの経済誌『フォーブス』が発表したクラブの資産価値では、同クラブの資産価値は36億9000万ドルと算定され、世界のサッカークラブの中で5年ぶりに第1位となった。また、デロイト・フットボール・マネー・リーグにおける最新シーズン(2018-19)の収入規模は、世界第3位である。
1986年から2013年までの27年間に渡って監督を務めていたアレックス・ファーガソンがクラブの象徴的な人物となっており、クラブが獲得したタイトルの大半は彼の在任中にもたらしたものである。この時期に常勝軍団となり、世界的な人気を誇るビッグクラブへと成長。デイヴィッド・ベッカム、ライアン・ギグス、ポール・スコールズら歴史に残る名プレイヤーを育てあげている。1999年にはイングランドのチームでは初となる三冠(トレブル)を達成しており、最後の年となった2013年にリヴァプールを抜いて最多となる20回目のリーグ優勝をもたらしている。
ファーガソン退任後の2013年以降は、2017年にUEFAヨーロッパリーグを優勝したものの、プレミアリーグやCLといったビッグタイトルからは遠ざかっており、CL出場権を獲得する4位以内すら入れないシーズンも何度かある。また、ファーガソン時代はファーガソンが自ら補強面の全権を握っていたが、アメリカ・NFLのタンパベイ・バッカニアーズのオーナーであるマルコム・グレーザーによって買収されてからは商業色が色濃くなっており、クラブの負債が膨れ上がっていることに懸念する古くからのサポーターはグレーザー一族に反発している。一部のサポーターはクラブから離反し、FCユナイテッド・オブ・マンチェスターという新クラブを設立した。
同じマンチェスターを本拠地とするマンチェスター・シティとは激しいライバル関係にあり、両チームの対戦は「マンチェスターダービー」と呼ばれる。かつてはマンチェスター・ユナイテッドのほうが人気、実力ともに高く、1990年代以降に数々のタイトルを獲得したことで圧倒的な差を付けていたが、近年マンチェスター・シティが世界的なメガクラブへと成長したことで立場が逆転されている。また、リヴァプールFCとも伝統的に激しいライバル関係にあり、両チームの対戦は「ノースウェストダービー」と称されている。
このクラブは伝統的に背番号7番が特別な背番号とされており、ジョージ・ベストやブライアン・ロブソン、エリック・カントナ、デイヴィッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウドなど、人気や実力においてその時代のチームを代表する選手がこの番号を付けてプレーしてきた。
日本では、香川真司(2012年-2014年)が所属していた事で知られている。2013年3月に日本人初のハットトリックを達成するなど存在感を見せたが、ファーガソン退任後は不遇な扱いを受けるようになり、およそ2年で古巣のドルトムントへ復帰することとなった。
世界屈指の人気・規模を誇るクラブであり、2012年に大手市場調査会社であるカンター社により、ファンの数が世界人口のおよそ11人に1人にあたる6億5,900万人との推定が発表された。地元出身のロックバンド ストーン・ローゼズのメンバーが熱狂的なファンとして知られ、彼らの楽曲「This Is The One」は入場曲として長らく使用されている。また、100m走&200m走の世界記録保持者ウサイン・ボルトやボクシングの元世界王者フロイド・メイウェザーもファンとして知られている。
実はジブラルタルにも同名のクラブが存在した。もちろん無断で名乗っていたわけではなく、当時の監督であったマット・バズビーの許可を得て命名されたものである。ユニフォームの色も細部は異なるがほぼ同じ。なお、現在はマンチェスター62FCに改名している。
1878年、マンチェスターの鉄道員が中心となって、ニュートン・ヒース・ランカシャー&ヨークシャー・レイルウェイズFCとして設立。1885年にプロサッカークラブへと転向し、1892年にニュートン・ヒースFCと名称を変更している。しかし、当時は観客から入場料を取らなかったことやグラウンド移転費用が嵩んだことなどの事情が影響し、1902年に破産している。
地元マンチェスターの醸造業主のジョン・ヘンリー・デイヴィスが500ポンドをクラブに投資してオーナーに就任し、クラブ再建に着手すると、チーム名を現在のマンチェスター・ユナイテッドFCとなる。再スタートを切ったチームは、1908年にフットボールリーグで初優勝を飾ると、翌年のFAカップも優勝。さらに、1911年に二度目のリーグ優勝を飾り、順調な船出を迎えたかに見えた。しかし、その後は1910年代から1940年代前半までの間チームは低迷期を迎える。また、この頃第二次世界大戦の空襲によって本拠地オールド・トラフォードが被災し、戦後も資金不足から修復できず、マンチェスター・シティの当時の本拠地メイン・ロードを借りて戦っていた。
1945年、マット・バスビーが監督に就任すると、チーム選考や移籍市場、トレーニングセッション等を全て自身の管理下に置くというイングランドサッカーのマネージャー像の先駆けとなり、低迷していたチームは上昇気流に乗り始めると、1947–48のFAカップでは優勝を果たし36年ぶりのタイトルを獲得すると、1951–52シーズンに41年ぶりとなる悲願のリーグ優勝を達成。バスビーの功績は下部組織選手の育成に重きを置くことにより、長期的視野での戦力強化を行ったことであり、バスビーが下部組織から見出したダンカン・エドワーズ、ボビー・チャールトンといった選手たちは「バスビー・ベイブス」と呼ばれ、1956年からは国内リーグ2連覇を達成する快進撃を繰り広げた。バスビーの時代はクラブの最初の黄金期であった。ところが、1958年2月6日、チームを乗せたチャーター機が当時ヨーロッパを襲っていた大寒波の影響で離陸に失敗。「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれたこの事故によって主将のダンカン・エドワーズを含む選手8名とスタッフ3名が死亡。黄金期を迎えていたチームは大きな被害を受けることとなった。
それでも生き残ったバスビーとボビー・チャールトンが中心となってクラブの立て直しに着手。1960年代に入ると、デニス・ロー、ジョージ・ベストといった新たな才能が台頭するようになり、彼らを主将となったボビー・チャールトンが牽引することでチームは二度目の黄金期を迎える。1963年にFAカップを優勝すると、1965年と1967年にリーグ連覇。そして、ミュンヘンの悲劇から10年後となった1968年にチャンピオンズカップ決勝でベンフィカ相手に快勝し、悲願だった欧州王者となる。この功績が称えられ、バスビーには”ナイト”の称号が与えられる。
しかし、1970年代に入るとバスビーが勇退、チャールトンも退団、さらにチームの最大のスターだったベストまでもが私生活で数々のトラブルを抱えていたこともあり退団。すると、チームはそれまでの栄光が嘘のように低迷期を迎え、1974年には2部降格の憂き目にも遭っている。その後もボブ・ペイズリーの元で黄金時代を迎えたリヴァプールを尻目にリーグ優勝からは遠ざかり、1980年代に入ってもリーグの主役からは遠ざかっていた。
1986年にスコットランド出身のアレックス・ファーガソンが監督に就任。低迷期に入っていたチームを任されたファーガソンは、規律を重んじる厳格な指導によって若手を育てあげ、ここからユナイテッドを常勝軍団へと変貌させていく。1990-91シーズンにUEFAカップウィナーズカップで優勝し、久々の国際タイトルを獲得。1992年に「王様」エリック・カントナが加入するとチームは快進撃を見せるようになり、新たに創設されたプレミアリーグで1992-93シーズン、1993-94シーズンで連覇を達成。96年と97年にもリーグを連覇し、すっかりプレミアリーグの盟主と呼べる立場になっていた。1997年にクラブに多くの栄冠をもたらしたカントナがチームを去ったが、ファーガソンがユース時代から育てあげたデイヴィッド・ベッカム、ライアン・ギグス、ポール・スコールズ、ガリー・ネビルらが主軸として成長。彼らは「ファーギーズ・フレッジリングス(ファーガソンの雛鳥たち)」と呼ばれ、チームの中心選手として活躍した。そして、1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝では、バイエルン・ミュンヘンを相手に試合終了間際の2ゴールで逆転勝ちするという「カンプノウの奇跡」を起こし、31年ぶりのビッグイヤー獲得と共にイングランドのクラブとしては史上初の三冠(トレブル)を達成。この頃から「赤い悪魔」の名は世界中に轟き、世界的な人気チームとなっていた。
2000年代に入ると、アーセン・ヴェンゲル監督率いるアーセナルが力を付けるようになり、プレミアリーグは二強時代へ突入するが、2000年、2001年にリーグ3連覇を達成。その後、ジョゼ・モウリーニョ率いるチェルシーが急速に成長し、三つ巴による覇権争いが繰り広げられるようになる。一時はアーセナル、チェルシーの勢いに押されていたが、ウェイン・ルーニー、クリスティアーノ・ロナウドといった新たなスターがチームの中心として台頭するようになる。2007年から2009年までは二度目となるプレミアリーグ三連覇を達成。特にクリスティアーノ・ロナウドが爆発的な得点力を見せつけた2007-08シーズンには9年ぶり3回目となるUEFAチャンピオンズリーグ(CL)優勝を果たす。
2010年代になると、マンチェスター・シティが巨額の資金を得てビッグクラブへと変貌し、スペインではFCバルセロナが革新的なポゼッションサッカーを展開。実際、ユナイテッドは2011年のCL決勝でペップ・バルサに完膚なきままに叩きのめされている。それでも、2011年にリーグ優勝を果たして前身のフットボールリーグ時代から通算19回目の優勝を果たし、リヴァプールを抜いて単独での最多優勝チームとなる。2012-13シーズンは不安定なチームながらもライバル・アーセナルから引き抜いたロビン・ファン・ペルシの活躍によってプレミアリーグ優勝。そして、このシーズンを最後に27年間で13度のリーグ優勝、2度のCL優勝をもたらした名称ファーガソンが勇退。また、長年常勝チームを支えたスコールズ、ギグスも現役を引退し、一つの時代が終焉を迎える。
ファーガソンの後任として2013-14シーズンから指揮を執ったのは同じスコットランド出身のデイヴィッド・モイーズだったが、前時代的と批判を集め、チームの出来も低調なまま1年もたずに解任となる。その後ギグスが暫定的に監督を務めたが、7位に終わり25年ぶりに欧州のカップ戦出場を逃すこととなった。モイーズの失敗を受けたクラブは大金を投じて大型補強をおこない、監督にもルイス・ファン・ハール、ジョゼ・モウリーニョといったビッグネームを招へいするが、一貫性のないチーム戦略によって混乱が生じ、両監督とも選手との軋轢と成績不振によって退任することに。モウリーニョ時代の2016年にUEFAヨーロッパリーグで初優勝を果たすが、ビッグタイトルどころかトップ4入りを逃すようになるなどファーガソン後のチームは迷走期に入っていた。加えて、オーナーであるクレーザー一族やCEOのエド・ウッドワードに対するファンの反発も強まっていた。
2018年12月、ファーガソン時代への回帰へとチームは舵を切り、ファーガソンの教え子でありクラブOBでもあるオーレ・グンナー・スールシャールが監督に就任。ブルーノ・フェルナンデスの活躍もあって一時的に好調だったシーズンもあったが、ジョゼップ・グアルディオラのマンチェスター・シティやユルゲン・クロップのリヴァプールと比べるとスールシャールは戦術的な引き出しが少ないことは否めず、OBからのチーム批判が飛び交うことが多くなっていた。スーパースターのクリスティアーノ・ロナウドが11年ぶりに復帰した2021年だったが、マンチェスター・シティやリヴァプールとの差は顕著となり、スールシャールは解任となる。だが、後任のラルフ・ラングニックもチームを掌握できず、2021-22シーズンはクラブの勝ち点、失点共にプレミアリーグ創設以来の最低記録を更新することになり、CLの出場権も逃してしまう。
2022-23シーズンより、前アヤックス監督のエリック・テン・ハーグが監督に就任。ハイプレッシングを基本戦術とするテン・ハーグのスタイルに合わないクリスティアーノ・ロナウドがチームに造反したうえに契約解除となったものの、就任1年目で3位に入り、7年ぶりのタイトルとなるカラバオカップ優勝をもたらす。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ![]() |
エリック・テン・ハーグ | 1970.2.2 | 2022 | アヤックス |
1 | GK | ![]() |
アルタイ・バインディル | 1998.4.14 | 2021 | フェネルバフチェ |
2 | DF | ![]() |
ヴィクトル・リンデロフ | 1994.7.17 | 2017 | ベンフィカ |
4 | MF | ![]() |
ソフィアン・アムラバト | 1996.8.21 | 2023 | フィオレンティーナ |
5 | DF | ![]() |
ハリー・マグワイア | 1993.3.5 | 2019 | レスター・シティ |
6 | DF | ![]() |
リサンドロ・マルティネス | 1998.1.18 | 2022 | アヤックス |
7 | MF | ![]() |
メイソン・マウント | 1999.1.10 | 2023 | チェルシー |
8 | MF | ![]() |
ブルーノ・フェルナンデス(C) | 1994.9.8 | 2020 | スポルディングCP |
9 | FW | ![]() |
アントニー・マルシャル | 1995.12.5 | 2015 | セビージャ |
10 | FW | ![]() |
マーカス・ラッシュフォード | 1997.10.31 | 2015 | マンチェスター・Uユース |
11 | FW | ![]() |
ラスムス・ホイルンド | 2003.2.4 | 2023 | アタランタ |
12 | DF | ![]() |
タイレル・マラシア | 1999.8.17 | 2022 | フェイエノールト |
14 | MF | ![]() |
クリスティアン・エリクセン | 1992.2.14 | 2022 | ブライトン |
15 | DF | ![]() |
セルヒオ・レギロン | 1996.12.16 | 2023 | トッテナム |
16 | MF | ![]() |
アマド・ディアロ | 2002.7.11 | 2021 | サンダーランド |
17 | FW | ![]() |
アレハンドロ・ガルナチョ | 2004.7.1 | 2022 | アトレティコ・マドリードB |
18 | MF | ![]() |
カゼミーロ | 1992.2.23 | 2022 | レアル・マドリード |
19 | DF | ![]() |
ラファエル・ヴァラン | 1993.4.25 | 2021 | レアル・マドリード |
20 | DF | ![]() |
ジオゴ・ダロト | 1999.3.18 | 2018 | ポルト |
21 | FW | ![]() |
アントニー | 2000.2.24 | 2022 | アヤックス |
22 | GK | ![]() |
トム・ヒートン | 1986.4.15 | 2021 | アストン・ヴィラ |
23 | DF | ![]() |
ルーク・ショー | 1995.7.12 | 2014 | サウサンプトン |
24 | GK | ![]() |
アンドレ・オナナ | 1996.4.2 | 2023 | インテル |
25 | FW | ![]() |
ジェイドン・サンチョ | 2000.3.25 | 2021 | ドルトムント |
28 | MF | ![]() |
ファクンド・ペリストリ | 2001.12.20 | 2022 | アラベス |
29 | DF | ![]() |
アーロン・ワン=ビサカ | 1997.11.26 | 2019 | クリスタル・パレス |
34 | MF | ![]() |
ドニー・ファン・デ・ベーク | 1997.4.18 | 2020 | エヴァートン |
35 | DF | ![]() |
ジョニー・エヴァンズ | 1988.1.3 | 2023 | レスター・シティ |
37 | MF | ![]() |
コビー・マイノウ | 2005.4.19 | 2023 | マンチェスター・Uユース |
39 | MF | ![]() |
スコット・マクトミネイ | 1996.12.6 | 2017 | マンチェスター・Uユース |
46 | MF | ![]() |
ハンニバル・メイブリ | 2003.1.21 | 2021 | バーミンガム |
47 | FW | ![]() |
ショラ・ショレティレ | 2005.4.19 | 2021 | ボルトン |
52 | MF | ![]() |
ジョー・ヒューギル ※ | 2003.10.19 | 2023 | アルトリンチャム |
53 | DF | ![]() |
ウィリー・カンブワラ ※ | 2004.8.25 | 2023 | マンチェスター・Uユース |
59 | MF | ![]() |
イサク・ハンセン=アーロン ※ | 2004.8.22 | 2023 | トロムソ |
61 | FW | ![]() |
マテオ・メヒア ※ | 2003.3.21 | 2023 | マンチェスター・Uユース |
62 | MF | ![]() |
オマリ・フォーソン ※ | 2004.7.20 | 2023 | マンチェスター・Uユース |
65 | MF | ![]() |
トビー・コリヤー ※ | 2004.1.3 | 2023 | マンチェスター・Uユース |
68 | DF | ![]() |
マクシ・オイデール ※ | 2004.11.7 | 2023 | アルトリンチャム |
※はU-21登録選手。
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掲示板
41 ななしのよっしん
2022/11/24(木) 21:23:26 ID: qYvzUShdIq
マンチェスター・ユナイテッドのオーナー一族、売却含む選択肢を検討
https://
42 ベル
2022/12/29(木) 14:36:07 ID: 1j1QsdNXFz
マンUが別称は日本の2chで流された有名なデマですよ
海外紙でも普通にMan Uという表記は使われています
というか差別用語なら日本のテレビ局がマンユーと呼ぶわけがありません
個人ブログ意外でマンユーが差別用語だという客観的なソースはありますか?
43 ななしのよっしん
2023/10/22(日) 01:37:30 ID: jCg5+e0wGg
サー・ボビー・チャールトンの訃報が・・・。
この人がミュンヘンの悲劇で奇跡的に生還しなかったら今日のマンチェスター・ユナイテッドは無かったかもしれない
急上昇ワード改
最終更新:2023/12/09(土) 03:00
最終更新:2023/12/09(土) 03:00
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