ミサノサーキットは、イタリア北東部のエミリア・ロマーニャ州リミニ県ミサノ・アドリアーティコのサンタモニカ地区にあるサーキットである。
正式名称は「ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ」で、MotoGP250ccクラスチャンピオンのマルコ・シモンチェリを偲んで名付けられた。
9月初旬にサンマリノGP(MotoGP)が開催される。
2006年までの本サーキットの正式名称は「Circuito Internazionale Santamonica(シルクィート・インテルナツィオナーレ・サンタモニカ)」というイタリア名で、「サンタモニカの国際的なサーキット」という意味の名称だった。サーキットがミサノ・アドリアーティコのサンタモニカ地区にあるので、そのように呼ばれていた。
ちなみにサンタモニカ地区という名称の由来は、第二次世界大戦の米軍である。米軍がこのあたりに基地を造り、米兵たちが「カリフォルニア州ロサンゼルスのサンタモニカに似ている」という理由でこの地をサンタモニカと呼んだという。
2006年になるとサーキットの正式名称が「Misano World Circuit(ミサノ・ワールド・サーキット)」という英語名のものになった。
2011年10月23日に、本サーキットすぐそばのカットーリカで生まれたマルコ・シモンチェリが他界した。これを受けて、2011年11月3日に本サーキットの名称を「Misano World Circuit Marco Simoncelli(ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ)」に変更するとの発表があり(記事)、2012年6月9日に改名が行われた(記事)。
サーキットのロゴは、「Misano World Circuit」の頭文字をとった「MWC」を図案化したものである(画像)。サーキット公式Twitterのトップページにもそのロゴが掲載されている。
1960年代にサーキット建設の構想が練られ、1969年頃には設計が固まった。カヴァズーティ(Cavazzuti)という建設企業と、ピエロ・タルッフィというイタリア人F1ドライバーと、フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリがサーキット設計に関わっている。1970年から建設が始まり、1972年8月4日に開業した。
1972年開業当時はこのコース図で、反時計回りで周回するものであり、1周3.488kmだった。
1993年に改修が行われ、このコース図になった。相変わらず反時計回りで周回するものであり、1周4.060kmだった。
2006年に大改修が行われ、このコース図になった。それまでとは変わって時計回りとなり、1周4.180kmとなった。
2008年にも少し改修が行われ、1周が4.226kmとなった。
※この項の資料・・・記事1、記事2
1980年にMotoGPが初めて開催され、そのあとは1982年と、1984年から1987年と、1989年から1991年と、1993年に開催されている。1980年から1993年までの14年間で10回のMotoGPが開催された。開催されるMotoGPの名称はイタリアGPになったりサンマリノGPになったりしていた。
1993年9月5日に本サーキットでイタリアGPが行われたが、最大排気量クラス(500ccクラス)の決勝でウェイン・レイニーが事故を起こした(記事)。この事故の影響もあってか、1994年以降はしばらくMotoGPが開催されなくなった。
本サーキットからすぐそばのタヴーリアで育ったヴァレンティーノ・ロッシがMotoGPで大活躍するようになり、本サーキットへMotoGPを誘致する気運が高まった。2006年にコースを大幅に改修して、2007年には本サーキットでサンマリノGPを開催するに至った。
2007年以降は、本サーキットにおけるサンマリノGPがMotoGPの開催日程に定着するようになった。2020年にはMotoGPもコロナ禍に見舞われ、本サーキットにおいて2週連続でMotoGPを開催するという異例の日程となった。
ちなみに、2010年9月5日に本サーキットで行われたサンマリノGPにおいて、事故が起こっている(記事)。このサーキットにとって9月5日は不吉な日付である。
スーパーバイク世界選手権は1988年から始まったが、4年目の1991年からミサノサーキットでの開催が恒例となっている。1991年から2020年までの30年間の中で、ミサノサーキットにおいてスーパーバイク世界選手権が27回開催された。開催されなかったのは1992年と2013年と2020年の3回だけである。
ミサノサーキットは、この場所にある。
イタリアは、北アペニン山脈によってイタリア北部とイタリア中部に分割されている。イタリア北部は産業が発達して経済水準が高い地域とされるのだが、本サーキットがある地域もイタリア北部の一端として扱われる。Google地形図で見ると、本サーキットが北アペニン山脈よりも北に位置していることが分かる。
本サーキットがある地域は、エミリア・ロマーニャ州のリミニ県である。このあたりはイタリア北部の人たちにとって憧れのリゾート地となっていて、夏のバカンスとなると大勢の観光客がやってくる。イタリア北部だけではなく、ドイツや北欧諸国からも観光客がやってくる。「Rimini beach」と画像検索すると、大量の観光客が砂浜にビーチパラソルを並べている様子の画像が多くヒットする。
リミニ県の周辺は観光客を収容するためのホテルが林立しており、高級リゾートホテルもあるし、お手頃価格の安物ホテルも揃っている。このため、本サーキットで行われるレースを観戦する人は、宿泊先を見つけやすい。キャンピングカーで野宿する選択肢を選ばざるを得ないムジェロサーキットとは対照的である。
リミニ県に隣接するこの場所に、世界最古の共和国として知られるサンマリノ共和国があり、多くの観光客を受け入れている。そうした観光客の多くはリミニ県のホテルに宿泊する。
ミサノサーキットから北西に88km離れたこの場所にイモラサーキットがあり、数々の大レースが開催されてきた。このため、イモラサーキットとミサノサーキットがある地域は優れたオートバイレーサーを多く生み出してきた。
また、その地域の一角にタヴーリアという町があり、そこにはヴァレンティーノ・ロッシが住んでいて、「ヴァレ・ランチ」という私設のトレーニング用コースをこの場所に作って多くの若手ライダーを招いている。このため、この地域からは今後も優れたオートバイレーサーが育っていくものと思われる。
こうした事情は、ミサノ・アドリアーティコの記事にも書かれているので参照されたい。
ミサノサーキットは、アドリア海の海岸線から2km離れたこの場所にあり、海風の影響を受けやすく、風の影響を受けるサーキットの筆頭格とされる。
風というのはオートバイの走行に強く影響を与える。詳しくは、風(MotoGP)の記事を参照のこと。
海から近い場所というのは、塩分を含んだ潮風の影響がつよく、金属が非常に錆びやすい。メッキや塗装といった表面処理が施されていない鉄を屋内の倉庫に置いておくだけで真っ赤に錆びる。「海沿い 錆」と検索すると、錆に苦しむ海沿いの人々の声が多く聞かれる。
ミサノサーキットで事故が起こった場合は、ドクターヘリで39km離れたチェゼーナのこの場所にあるマウリツィオ・ブファリーニ病院へ搬送される。
マウリツィオ・ブファリーニ病院に搬送する暇がない事態となったら、サーキットから北西に5km離れたこの場所にあるリッチョーネ・チェッカリーニ病院に負傷者が運び込まれる。
このどちらの病院も、MotoGPファンにとって印象深いものである[1]。
本サーキットは北緯43度57分のところにあり、北海道の滝川市と同じ程度の緯度にある。
ミサノサーキット近くのリミニの冬はなかなか冷え、東京とほぼ同等の寒さになる(資料1、資料2)。冬になると雪がしっかり降り、リミニの海岸も真っ白に雪化粧する(画像)。もちろんミサノサーキットにも雪が降り積もる(画像1、画像2)。
サンマリノGP(MotoGP)はサンマリノ建国記念日(9月3日)の前後に行うものと決まっている。ミサノサーキット周辺の9月は降水量75mmで、東京の2月と同じぐらいの降水量であり、ものすごく雨が多いと言うほどではない。とはいえ、この地域における9月は一年で2番目に雨が多い月である。
こちらやこちらやこちらが現地の天気予報となっている。
サーキットの11~13コーナーの隣に、A14という高速道路が通っている。片道3車線で広い(画像)。チェゼーナまで40km、ボローニャまで120km、ミラノまで320km、真っ直ぐ走れば到着できて、交通の便が非常に良い。
「夏のバカンスを楽しむために仕事をする」というイタリア人たちのために作ったような道路で、イタリア北部の大都市からバカンス用の砂浜に向けて一直線に高速道路が延びている。
MotoGPの開催時には、ヘリコプターからの空撮カメラを通じて、高速道路を行き交う自動車の様子を見ることができる(画像)。
高速道路を降りて一般道路を走りつつサーキットへ向かって行くと、日本には珍しい環状交差点(ラウンドアバウト)に出くわすことになる(航空写真)。
この場所に、サーキットの正門に至る道がある。この道には加藤大治郎通り(viale Daijiro Kato)という名前が付けられていて、この場所に看板がある。加藤はミサノサーキット近くに拠点を持つグレッシーニレーシングに所属して、圧倒的な成績で2001年のMotoGP250ccクラスチャンピオンを獲得した。
この場所にサーキットの正門があり、ピットに物資を運ぶトラックが通っていく。
サーキット隣のこの場所に、陸上競技場と兼用するタイプのサッカースタジアムがある。
「市営サンタモニカスタジアム」というのが正式名称で、収容人数は千二百人程度であり、地元のアマチュアサッカークラブであるVISミサノFCが本拠地にしている。1992年にサッカー場が建設され、1994年に陸上競技場部分が建設された(資料)。
MotoGPが開催されるときにはヘリコプターが駐機する。2019年の決勝では、6機ほどのヘリコプターが駐機している様子がテレビカメラに映っていた。
4コーナーの隣のこの場所に、ニッキー・ヘイデン公園がある。2006年にMotoGP最大排気量クラスのチャンピオンを獲得したニッキー・ヘイデンを讃えるために作られた(記事、動画)。画像欄を見ると、ニッキーのベンチなどが置かれていることを確認できる。
4コーナーから西に1.6km離れたこの場所に、聖ビアージョとエラスモの教会がある。聖ビアージョは3世紀から4世紀にかけて中央アジアのアルメニアに実在したキリスト教徒で、カトリックに聖人と認定されている。
この教会は標高100mの場所にあり、ミサノサーキットは標高25mのところにある(Googleアース)。このため、サーキットから1.6kmの遠くにあるにもかかわらず、かなり目立つ。
6コーナーから西を向いて5コーナーを見ると、黄色い教会が映り込む(画像1、画像2)。11コーナーから西を向いて10コーナーを見ると、黄色い教会が映り込む(画像)
メインストレートやバックストレートをまたぐ格好で、この場所に歩道橋を架けている。歩道橋の上で立ち止まって観戦されたら困るので、人の頭よりも高い壁になっている。壁には窓もない(画像1、画像2)。
歩道橋のそばのこの場所に地下道があり、転倒してコース内側に放り出されたライダーがここを通ってコース外側のピット施設に辿り着くようになっている。また、車も通行できる。
8コーナー近くのこの場所に、ダートトラック(フラットトラックともいう。平坦な土の路面を走る競技)のコースがある。コースの前に観客席が設置されていて、人が座って観戦できる(画像1、画像2)。
観客席から8コーナー内側の小高い丘を向いて撮影された写真が多い(画像1、画像2、画像3、画像4)。
8コーナーの内側には小高い丘がある(画像)。MotoGPが開催されるときは、ファンがこの丘に密集する(画像1、画像2)。
ミサノサーキットのコース脇には色鮮やかな塗装が施されている。2016年まではあまり工夫のない塗装だったが(画像)、2017年からアルド・ドゥルディという著名デザイナーがデザインして特徴的な塗装を施すようになった(画像)。
アルド・ドゥルディはヴァレンティーノ・ロッシのヘルメットをデザインしていることで有名である。詳しくはヴァレンティーノ・ロッシの記事の『友人』の項目を参照のこと。
色彩が非常に鮮やかで、見ていて飽きない(3コーナー、3コーナー、3コーナー~6コーナー、10コーナー、11コーナー、13コーナー)。
1コーナーには「RIVIERA di RIMINI」と塗装された(画像)。「リミニの海岸」という意味である。
8コーナーにはMisano Circuit Sic58と紅白に塗装している(画像)。Sic58は「シッチ・フィフティーエイト」と読むが、紅白に染めたゼッケン58番を愛用していたマルコ・シモンチェリのことである。
2020年9月に行われたMotoGPでは15コーナーに「RIDE ON COLORS」という塗装が行われた(画像)。「様々な色に塗られたマシンに乗る」といった意味だが、ちょうどこのときアメリカ合衆国でBLMという人種差別反対運動が盛り上がっていたので、それに合わせて作られた。
ちなみにアルド・ドゥルディは路面の塗装だけでなく、大会を宣伝するポスターも製作している(画像)。
アルド・ドゥルディの製作風景を紹介する動画も作られた(動画)。
メインストレートの壁には、鏡のように反射する材料を使っている。本サーキットに詰めかけるカメラマンは、それを利用した画像を撮影することがある(画像1、画像2)。
本サーキットでMotoGPが開催される期間には、日本人関係者が11コーナーあたりのガードレールに向かってお祈りを捧げることが通例となっている(画像1、画像2)。
緑色のペンキで塗ったタイヤを積み重ねたタイヤバリアが所々にある。2コーナー、8コーナー、14コーナー、最終16コーナーなど。
14コーナーから最終16コーナーまでコース左側に大きなスタンドが並んでいて、ライダーは歓声に迎えられる。これらのスタンドの屋根は緑色に塗られており、上には太陽光発電パネルが付いている(画像)。
FIAヨーロッパトラックレーシングという四輪レースがある。
重量5500キロのトラックで駆け回り、ドリフトするわぶつかり合うわの爆走レースを展開する(画像1、画像2)。
Youtubeで検索するといっぱい動画がヒットする。
ミサノサーキットでは、このレースを2006年から2019年まで毎年開催している。2020年はコロナ禍の影響で中止となった。
コース全長は4226mで、2018年~2019年にMotoGPが開催された19ヶ所のサーキットの中で上から16番目である。コーナー数は16ヶ所で、2018年~2019年にMotoGPが開催された19ヶ所のサーキットの中で上から5番目である。これらのデータから「コーナーが多い小型サーキット」と表現することができる。
コーナーが多く、直線が短い。ライダーはコーナーで肉体を酷使して直線で体を休めるものなので、疲れやすい。
超高速コーナーである11コーナーに目を奪われて「ミサノサーキットは高速サーキット」という印象を持ちやすいが、実際は超低速コーナーが多い。ブレーキング能力と低速ギアでの旋回性能を問われるサーキットである。
平均速度は2018年~2019年にMotoGPが開催された19ヶ所のサーキットの中での中で上から15番目に位置する。つまり、低速サーキットと言える。
こちらがMotoGP公式サイトの使用ギア明示動画である。1速に落とすのは4コーナー、10コーナー、14コーナーの3ヶ所で、1速ギアの低速コーナーが多い。1速ギアの走行はエンジンへの負担が大きく、こんな具合にエンジントラブルが起こることもある。
アップダウンが少ない。Googleアースで路面にカーソルを合わせて標高を確認してもそのことが確認できる。8コーナー付近で進入に下り勾配、脱出に上り勾配が僅かにある程度である。
右コーナーの数が10、左コーナーの数が6。左コーナーの数が少なく、タイヤ左側が冷えやすい。雨が降ると左コーナーの転倒が増加する。豪雨となった2017年は6コーナー、15コーナー、最終16コーナーで転倒やスリップが多発した。
主なパッシングポイントはメインストレートエンドの1コーナー、2コーナー、8コーナー、10コーナー、11コーナー、12コーナー、14コーナーとなっている。
ミサノサーキットの特徴としては、回り込んだコーナーが多い、というのが挙げられる。回り込んだコーナーというのはUの字になっているコーナーのことで、方向を180度近く転換するコーナーである。
回り込んだコーナーでも半径が大きいと進入速度を速くしてコーナリングスピードを上げられる。ブルノサーキットの1コーナー、ムジェロサーキットの最終コーナーが代表例。
しかしミサノサーキットの回り込んだコーナーはいずれも半径が小さく、進入速度を超低速にまで落とさざるを得ず、コーナリングスピードが低くなる。ミサノサーキットにはこうした『半径が小さい回り込んだ超低速コーナー』が4ヶ所もある。4コーナー、8コーナー、10コーナー、14コーナーがいずれも超低速コーナーである。
2012年シーズンのロッシはドゥカティワークスに在籍していて、絶不調に陥っていた。コーナリングスピードが上がらない、コーナーを上手く曲がれないマシンで苦しんでいた。ロッシはレースが終わるたびに「コーナーの進入速度を上げられない」とボヤいていたものである。しかしながらそのロッシ&ドゥカティは、ミサノサーキットで見事に2位に入った。
海岸線から2kmなので、海からの風が急に吹き込むことがある。このサーキットは、11~13コーナーがもっとも海に近いところであり(地図)、海からの海風が吹いた場合、メインストレートは追い風、6コーナーから8コーナーまでの直線は向かい風になる。
風がオートバイの走行に与える影響はとても大きい。詳しくは風(MotoGP)の記事を参照のこと。
路面の状態が悪いサーキットである。
2015年3月に路面の全面改修が施され、グリップが良くなった(記事)。しかしながら2017年にはもう路面が悪くなっており、11コーナーや12コーナーでマシンを震わせて走るライダーが続出している。
2020年3月に路面の全面改修が行われた(記事)。グリップがよくなったが、とにかく路面の凹凸がひどく、2020年9月に走行したMotoGPライダーの中には「モトクロス(凹凸のある土の路面をジャンプしながら走る競技)のコースのようだ」と評価するものもいた(記事1、記事2)。
どうして路面の凹凸がひどいのだろうか。サーキットの路面は、アスファルトなどの舗装部分と、その下の下部構造で成り立っている。下部構造の出来映えがひどいので再舗装しても凹凸だらけになっている、と推測することができる。
ステファン・ブラドルは「路面の凹凸がひどい。アスファルト部分だけ更新して、下部構造には手を付けていないようだ」という発言をしている(記事)。「下部構造に問題があるのではないか」というステファンの疑念がにじみ出たコメントと言える。
メインストレートで車速を伸ばして1コーナーのブレーキでイン(コース右側)に飛び込むことがある(
動画1、動画2、動画3)
1コーナーで抜きにかからず背後に付けてスリップストリームを効かせて加速し、切り返しの2コーナーでイン(コース左側)に入ってパッシングすることもある(動画1、動画2、動画3、動画4)
1コーナーで抜きにかからず背後に付けてスリップストリームを効かせて加速し、切り返しの2コーナーでアウト(コース右側)から勢い良くかぶせていくこともある(動画)。
3コーナーから6コーナーまではマシン速度が遅くなり、コース幅もぐっと狭くなり、非常に抜きづらい。正確に、神経質に、走行ラインをトレースすることが要求される。
2コーナーから3コーナー立ち上がり地点に向かってショートカットが伸びている(航空写真)。2015年の路面再舗装の時も、ショートカットは再舗装されずそのままであった。ゆえにコース路面は真っ黒、ショートカットは真っ白になっていた(画像)。
4コーナーはぐるっと回り込む超低速コーナーで、コース幅が狭い。ここはわずかに下っていて、激しくブレーキして大きくバイクを傾かせるところである。フロントタイヤに負担がかかり、転倒することが多い(動画1、動画2)。
4~5コーナーのあたりの壁は、2016年までは緑色に塗られていた(動画)。2017年には水色に塗り直されている(動画)。
6コーナーの立ち上がりは久々にアクセルを全開にできる場所で、アウト側の縁石に乗り上げて大きいラインを通り、次に続く実質的に直線になっている区間での加速を伸ばしたい。しかしながら勢い余ってアウト側の縁石の外にまではみ出してしまうとペナルティをもらってしまう。2015年Moto3クラスでダニー・ケント(ゼッケン52)が縁石の外にはみ出してしまい(画像)、『ポジションを一つ落とせ(Change Pos +01)』というペナルティを受けた。
6コーナーを立ち上がったあとは実質的に直線となっている。ここを加速して前の車の背後に付け、8コーナーでハードブレーキングしてインに飛び込んで抜くのが多く見られるパッシングシーンである。
7コーナーは極めて緩いコーナーであり(航空写真)、アクセル全開で駆け抜けていく。マシンを傾かせて突っ走り、ブレーキングの直前までマシンが傾いている(動画)。こういう極めて緩いカーブは意外にもマシン操作が難しく、難易度が高い。
8コーナーはこのサーキット最大のハードブレーキングポイントで、わずかに下っている。
8コーナー立ち上がりはマシンが傾いた状態でアクセルを開けていく場所で、ハイサイド転倒が多発する。こういう場所ではアクセルを慎重に開けなければならない。焦ってアクセルを強く開けるとリアが滑って制御不能になり、ハイサイド転倒になってしまう(動画)。
8コーナー立ち上がりはわずかながら上り勾配になっている(動画)。
9コーナー~10コーナーは複合コーナーで、最初は「へ」の字の緩いカーブ、次は「つ」の字のキツいカーブである。進入のコーナリング速度が速いが、奥に行くに従いブレーキを掛けてコーナリング速度を落とすという、難しいマシン操作を行うことになる。
ここのライン取りはライダーたちにとって考えどころとなっている。
インを回るラインなら距離を稼げるが、立ち上がりの加速が弱くバックストレートで遅れてしまう。
そのため、大きく回ってアウト・イン・アウトのラインを通り、立ち上がりの加速を伸ばしたい。しかしながら、あまりアウトに振りすぎてしまうと、誰も走っていないような塵埃まみれの路面を踏んでしまい、ツルッと滑ってしまう。
アクセルを開け始めるポイントを決めるのも難しく、ライダーの腕を問われる場所である。
ロングストレートの前のコーナーではパッシングを仕掛けずに綺麗なラインを通りストレートでの加速に備える、というのが格言だが、10コーナーは低速コーナーなので、格言を無視してパッシングを仕掛けるライダーもいる。
10コーナーの外には、いかにも海岸沿いの防風林といった感じの木々が並んでいる(画像)。
10コーナー立ち上がりで、姿勢をそのままにしてちょっとだけ右に首を傾けて右に視線を飛ばすライダーがいる。こうすることにより、後続のライダーとの距離を確認することができる。ライダーは「姿勢が崩れて車速が鈍るので後ろを振り返るな」と教育されているので、こういう方法を使う。
雨のレースになるとライダー同士の距離が広がりやすくなり、後方ライダーとの間隔を気にするライダーが増え、10コーナーで首を右に傾ける光景が目立つ。
2017年は雨の中での開催になったが、Moto3クラスでロマーノ・フェナティとジョアン・ミル、Moto2クラスでトーマス・ルティが10コーナー立ち上がりで首傾けを実行していた。ちょっと首だけ右に傾けて後続確認して、その次の瞬間に元に戻ってカウルに伏せる(画像)。
ぐるっと回り込んだヘアピンコーナーならどこでもこの後続確認方法が使えるはずだが、このサーキットのヘアピンのなかで後続を見る余裕があるのはこの10コーナーだけなのである。他のヘアピンは4コーナー、8コーナー、14コーナーで、いずれも直後にライン取りの難しいコーナーがあり、のんびりと後続を見ていられない。
10コーナーを立ち上がるとバックストレートに入り、11、12、13コーナーと超高速コーナーが3つ続く。
バックストレートから13コーナーまではスリップストリームがよく効き、パッシングも起こりやすい。
11~13コーナーで後続のライダーはインに入ろうとするし、先行するライダーはインを閉めようとする。この攻防はヘリコプターからの空撮で映し出される。
11コーナーと12コーナーと13コーナーはよく似ているのだが、13コーナーの進入の直前には進行方向右側にショートカットがあり(航空写真)、そこに巨大なスクリーンが置いてある(動画1、動画2)。
14コーナーは緑色の壁に囲まれている(画像)。また、イン側にクレーンで吊られて旋回するカメラがある。クレーンカメラがぐるっと回り、緑色の壁を背景にしてライダー2人が14コーナーで攻防する姿を映す、これがミサノサーキットの恒例である(動画1、動画2、動画3)
14コーナーの立ち上がりには進行方向右側にショートカットのアスファルトが伸びてきている(航空写真)。
超低速の14コーナーが最後の勝負所になっていて、ここでインに飛び込んで前に出ておかないと残りのコーナーでは苦しい。14コーナーでインに飛び込んで並びかけるだけでは上手くいかない。次の切り返しの15コーナーでアウト側を回らされることになり、置き去りにされてしまう。
14コーナーは超低速コーナーなので、飛び込んでキチッと止めてクルッと回るのは難しい。飛び込んでも止まりきれず、クロスラインで抜き返されることもある(動画1、動画2)。
超低速の14コーナーで車速をどん底にまで落とすので、15コーナー~最終16コーナーにおいて車速を伸ばして先行ライダーのインに飛び込んでパッシングするのが難しくなっている。
最終16コーナーを立ち上がってすこし距離を走るとチェッカーラインがある。チェッカーラインまでに車速を伸ばして先行ライダーを抜き去るのは難しい。
各ライダーは、最終16コーナーの脱出で目一杯に外を攻めて、メインストレートの加速を伸ばそうとする。
最終16コーナーの縁石を乗り上げて、土煙(つちけむり)を上げることがある(動画1、動画2、動画3、動画4、動画5)。
こんな風に土煙を上げると、路面に土をまき散らすことになり、後続のマシンに悪影響を及ぼしてしまう。土に乗り上げたマシンが滑ったら危険である。
そのため、「縁石の外に土が存在する」という形状を改めて、「縁石の外にアスファルトが存在し、アスファルトの外に土が存在する」という形状に改めた。そして、「縁石の外のアスファルトに緑色の塗装をほどこして、緑色の塗装に乗り上げたらペナルティ」という制度を導入した。
2020年はその制度に引っかかったライダーが出ている(画像1、画像2)。
2011年の125ccクラス決勝の最終ラップで、最後の勝負所である14コーナーで並びかけられたがギリギリ抜かれず、15コーナーでニコラス・テロルを見事に抑えきったヨハン・ザルコ。
最終16コーナーもしっかり立ち上がったが、このとき何を思ったか後ろを振り返ってニコラス・テロルのマシンに手を伸ばした。余計な動作をしたことでスロットルが戻り、車速が落ち、チェッカーライン寸前で抜き返されてしまう。
全世界のMotoGP観戦者の頭の中に「?」の文字が浮かんだレースとなった。
ニコニコ動画でも話題となり、なんというザルコのミスというニコ百記事まで作られてしまった。
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最終更新:2024/04/19(金) 16:00
最終更新:2024/04/19(金) 16:00
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