ミロス・ラオニッチ(Milos Raonic)は、カナダのテニス選手である。
「ラオニック」の表記揺れも見られるが、生まれは分裂前の旧ユーゴ(現在のモンテネグロ)のため「ラオニッチ」が正しい模様。ファーストネームも出身地の発音に合わせて「ミロシュ」と表記されることがよくある。
Milos Raonic | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | カナダ |
出身地 | モンテネグロ: ポドゴリツァ |
生年月日 | 1990年12月27日 |
身長 体重 |
196 cm 99 kg |
選手情報 | |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
デビュー年 | 2008年 |
テニス選手テンプレート |
1990年生まれのビッグサーバー。MAX240km/hのサーブとフォアハンドの強打を武器とする。ストロークは一発で決めに行くスタイルのため安定感は無い。そのため長いラリーになると先にミスが出てしまうことが多い。プレイスタイルはピート・サンプラスを参考にしているという。
2011年の初めは3桁台のランキングだったが、2月のサンノゼ大会で初優勝、翌週のメンフィス大会でも準優勝を挙げ、一気にランキングを上げてきた。この年は最高で25位、年末ランキングでは31位と四大大会シード圏内に乗せている。サンノゼではその後3連覇を達成したほか、2013年には地元カナダでATP1000大会初の決勝に進出(ラファエル・ナダルに敗れ準優勝)したことで初めてTOP10入り。四大大会ではなかなか四回戦の壁を越えられなかったが、2014年の全仏で初のベスト8に入るとウィンブルドンではベスト4に残ってランキングも6位まで上げてきた。同年、自身初のツアーファイナルズ出場を果たしたが、ラウンドロビンで二敗したところで3試合目は故障欠場となった。2015年は5月に自身最高ランキングとして4位をマークしたが、その後は故障に悩まされる。全仏オープンを欠場したほか、以降の大会も低調で結局優勝は1回だけ、年末ランキングも14位まで落とした。
2016年は昨今のレジェンドコーチの流れに乗ったのか、カルロス・モヤをコーチにつけて戦った。ビッグサーブに頼らずとも勝てるスタイルを模索し、故障との戦いになった面もあったが成績は良好。芝シーズンにはさらにジョン・マッケンローも陣営に加え、ウィンブルドンでは見事決勝進出。アンディ・マレーに敗れて準優勝となったが大きな進歩を見せた。マレーとはツアーファイナルズでも熱戦を繰り広げ、自己最高の3位でシーズンを終えている。ただモヤとのコンビはこの年限りで解消となった。2017年は相次ぐ故障で成績を落としている。
ジャパンオープンには2010年から2014年までと2017年に出場している。予選上がりだった2010年は2回戦でナダルと対戦しており、一部では注目を集めていた。2012年は準決勝でマレーをフルセットで下したが、錦織に敗れて準優勝。2013年もファン・マルティン・デルポトロに敗れて準優勝。2014年も再び錦織に敗れて準優勝と、3年連続で決勝進出しながら優勝できていない。久々に来日した2017年は日本の杉田祐一と対戦したが、序盤でリタイア負けとなった。
ATP MATCHFACTSのサービス部門ではブレークポイントのセーブ率、1stサーブでのポイント取得率、サービスゲームキープ率で1位になったことがあるほか、エース数でもジョン・イズナー、イボ・カルロビッチらと争うなど既にATPを代表するビッグサーバーと言える。かつてATPの若手選手キャンペーンMagnificent Sevenにも錦織らとともに選ばれたほか、90年代生まれで最も早くツアータイトルを獲得した選手でもある。男子では90年代生まれとして初の四大大会決勝も経験したが、ビッグタイトルに向けてあと一歩が望まれる。
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最終更新:2024/04/25(木) 19:00
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