ミートホープとは、かつて北海道苫小牧市に本社があった食品加工卸売会社である。大規模な食品偽装を行ったことで知られる。
1976年(昭和51年)に田中稔が創業した食品加工卸売会社。
2006年1月時点では本社の従業員数は約100名、グループ全体では500名程度の中規模の企業に成長しており、食肉の加工と販売が事業のメインに、各スーパーマーケットのお惣菜から学校の給食まで数多くの現場に肉を卸し、北海道の食品加工卸業界で売上第1位の記録を誇っていた。
田中は中学卒業後、他の食肉業者で働きながら食肉に関する技術を身につけた叩き上げの経営者で、以前は顧客に対して丁寧に接し、自ら契約を取りに販売店に出向き、社員の残業を手伝うなどしていたため、社内の評判は上々だった。しかし、バブルが崩れると「価格破壊」時代に突入し、ミートホープの顧客だった町の精肉店が次々と潰れ売り上げは激減。生き残るため、創業前に培った肉に関する技術を悪い方向にフル回転させて食品偽装や産地偽装などに手を染めてゆく。
2006年、消費者への裏切り、特に小さな小学生が己の務める会社の肉を食べていることが居たたまれなくなった、外部から招聘され取締役に就いていた赤羽喜六が元社員数人と告発を開始。
農林水産省に偽装肉のサンプルを持参するも相手にされず、北海道新聞社やNHK、保健所、給食センターなどには黙殺されたが、2007年、告発を受けた朝日新聞社が調査を開始し、冷凍牛肉コロッケのDNA検査で豚肉や鶏肉、その他の肉が検出されたことで食品偽装が立証。牛肉のミンチとして売り出していたものに廃棄肉や豚の内臓、血などの添加物などを混ぜて無理やり増量していたのがバレたのを皮切りに次々と違法行為が発覚。中には段ボールが混ぜられていたものもあったという。
田中稔は、一連の報道を受けたあとの会見で工場長と責任の押し付け合いをするなどしてしらを切りとおそうとするも、赤羽がいなくなったあと取締役に就任していた実の息子から「社長、本当のことを言ってください」という言葉を受けようやく違法行為の指示を認めた。
事件が世間に知れ渡ったことで取引先各社はミートホープの肉を使用した商品の自主回収で大きな損害を被ったが、ミートホープが破産したため被害額を回収することは当然できなかった。
地元の大企業として知られていたミートホープが大規模な食品偽装事件を起こしたインパクトは大きく、類似の事件が報道された際は今でもコメント欄などで「ミートホープww」のようにその名前が出ることも。
このことがきっかけとなっていくつもの会社で内部告発が相次ぎ、2009年に予定を前倒しして消費者庁が設置される契機ともなるなど赤羽が果たした社会的意義は計り知れない。しかし、勇気ある告発者も見ようによっては裏切り者。かつての取引先からは「偽装を知っていて売りつけたのか」と強い批判を受け、嫁には告発する事自体を「世間の恥だからやめてくれ」と猛反対され、その親族からも「親族の恥」などと非難され、別居の末に離婚。本件で仕事を失った者からの誹謗中傷や嫌がらせ、記者からの粘着質な取材で疲弊しきった赤羽は北海道を離れて長野の実家に戻り、当時に戻れるなら告発などしないと悔やみながら2023年4月14日に虚血性心不全で死去した。本人曰く「告発したことで躁うつ病になり、親族や知人が離れていった。名前がマスコミに出たことで兄弟にも迷惑をかけた」「世のため人のためと言えど、自分の身を守れなかったら意味がない」「返り血が多すぎた」とのこと。
掲示板
51 ななしのよっしん
2024/05/27(月) 17:18:04 ID: Msyoqv7XDQ
大塚食品の工場で異物混入など『内部通報』後に部署異動で“孤立”うつ病発症 賠償を求め提訴 https://
「そもそも不正はあるべきもので不正を告発するほうが悪い」と思っていて
「不幸になったり自殺したり今まで築いた人脈全部に捨てられて孤独死すればどこかの記録に小さく残る」と追い詰める社会なんかに殺されないために告発をしてはいけない
不正を正すことや不正を必要としている世間社会なんかより個人の命と家族の幸せのほうがだいじ
52 ななしのよっしん
2024/06/02(日) 11:43:54 ID: fpaedliQkW
53 ななしのよっしん
2024/09/03(火) 19:53:39 ID: l1jQzg6v+V
告発しなかったらしなかったで、集団食中毒とか起きた時に犯罪に加担した共犯者としてバッシングされそうである
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最終更新:2024/12/11(水) 12:00
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