ムッソリーニ(ベニート・ムッソリーニ、正式名ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニ 伊:Benito Amilcare Andrea Mussolini 1883年7月29日-1945年4月28日)とは、イタリア王国の政治家である。
青年時代は小学校の教師を務めていた時代もあったが、レーニンとの親交を結ぶうちに政治活動にのめり込み、一方でイタリア軍への入隊や高校教師の資格を得たりしつつイタリア社会党に入党。その後、党機関紙「アヴァンティ!」(「前進」の意)の編集長となり発行部数を2万部から10万部へと伸ばし、この頃から若手の有望格として後々まで呼ばれるようになる“ドゥーチェ”(この頃は指導者の意、時代が経つにつれ総領、総統、首領、総帥などの意と変化する)という呼称が用いられ始める。ちなみに、当初"ドゥーチェ"の呼称は右派系新聞に批判的に付けられたものだったが、後に好意的に使われるようになった。
第一次大戦では主戦論を主張しイタリア社会党を除名させられ(この時、レーニンはイタリア社会党の行為に嘆いたという)、ムッソリーニは右翼的・左翼的思想の両方の影響を受けたファシズム思想を提唱して「イタリア戦闘者ファッシ」を組織し1921年11月に国家(全国)ファシスタ党へ改組、1922年10月にクーデター(ローマ進軍)を実行、当時の内閣は国王に戒厳令布告の署名を求めたが拒否され、逆にムッソリーニへ内閣の組閣を命じ1943年まで約20年に亘り続くファシスト政権が誕生する。(このファシズムは世界各地に波及し、英米仏など後の連合国側にもファシスト政党は誕生し、スペインのフランコ政権、ポルトガルのサラザール政権などが誕生し、“本家”イタリアが大戦の敗北でファシスト政権が幕引きとなった一方で戦後70年代後半まで存続する事となる。)
1939年にドイツがポーランドに侵攻し第二次大戦の戦端が開かれた後も序盤は中立的な態度を取り続けイタリアは戦争に参加しなかったのだが、1940年になりドイツの西方電撃戦により開戦から1月足らずやでフランスの敗北が決定的になった状況を見て腰を上げ、日独伊三国同盟を結び1940年6月に英仏、1941年12月にアメリカに宣戦布告する。しかし戦争実行の為の物資備蓄など準備不足の中大戦への参加を決断した為、継戦能力に乏しく劣勢を余儀なくされ(降伏直前のフランス軍にも反撃され、フランスの降伏が遅ければ逆にイタリアに侵攻されていたとも)1943年には燃料不足で大型艦船の行動が不可能になるなど、贔屓目に見てもナチスドイツの足を引っ張ってるようにしか見えず(同じファシスト政権でも内戦終結後で国力に乏しいと自覚し、ドイツからの参戦依頼も蹴って(枢軸国寄りだが)中立を保ち続けたスペインと対照的でもある)、1943年の連合国によるシチリア上陸作戦後、ついにムッソリーニは失脚・逮捕されるが、ナチス(武装親衛隊のオットー・スコルツェニー)によって救出(グラン・サッソ襲撃)され、事実上ドイツの傀儡政権であるイタリア社会共和国の首班となる。だが1945年4月レジスタンスのパルチザンに捕縛、略式裁判の後28日に銃殺され、遺体は愛人のクラレッタ・ペタッチの死体とともにミラノのロレート広場に逆さ釣りにして晒された。(満61歳没)
現代イタリアにおいてもマフィアを押さえつけていた事、雇用政策などを推進し、それなりにイタリアを発展させたこと、熱心なサッカーファンで祖国イタリアを強豪国に育て上げるなど、ソビエト建国の父レーニン、第二次大戦では敵同士であった英国のチャーチル首相からも一定の評価を受けている事は注目すべきである。またイタリアには反ユダヤ思想こそ根付いていたが、多くのユダヤ人が熱狂的なファシスト支持者になって政権を支えてくれたため、排除したくても出来ない環境と化した。加えてムッソリーニ自身もユダヤ人の親友がいた事から排斥には消極的であり、むしろ庇う様子さえ見せていた。ドイツからのユダヤ人引き渡し要請を「イタリア語を話すユダヤ人はイタリア人」として蹴り、連行を防ぐため沿岸部から内陸部に移住させたのは有名な話である。
そのせいか、ドイツにおける伍長閣下ほど忌み嫌われておらず、今でも故郷のブレダッピオの街にある彼の記念碑に花を手向ける人は多い。子孫親族も苗字を変えるなどして迫害を逃れるなどの必要もなく、それどころか、孫娘のアレッサンドラに至っては国会議員や欧州議会議員にまでなっている。
また、世界最小の国家、「バチカン市国」はムッソリーニ政権下のイタリア王国と教皇庁が締結したラテラノ条約にて国家として認められる事となった条約である。外政、特に軍事面はてんでダメだったが、内政面では目を見張る活躍をしていた訳である。
詳しい事はWikipediaのムッソリーニの項目を読まれる事をお勧めします。
iM@S架空戦記シリーズ及びニコニコ歴史戦略ゲーにおいてのキャラクターの原点となったのは間違い無くりっちゃんP作品「ドゥーチェの野望」が原点と思われる。
この作品の影響力は大きく、パスタ好き、女好き、そしてりっちゃん好きといったイメージを視聴者及び架空戦記動画製作者に植え付け、欧州を舞台とした架空戦記においては時系列関係無くイタリア半島の国家担当キャラとしてお目付け役の情報大臣アメーと共に多くの作品に登場するようになる。呼び名もムッソリーニ(さん)と実名で呼ばれるよりドゥーチェ(さん)と呼ばれる事が多くなったと思われる。
ネタ系MAD
iM@S架空戦記シリーズ(ドゥーチェがほぼレギュラーキャラ化してる作品を紹介)
歴戦系作品
掲示板
328 ななしのよっしん
2022/09/28(水) 00:45:24 ID: 44i7z8Pchd
メローニはムッソリーニのことを「過去50年間で最高の優れたイタリア政治家」とか言ってたな。冗談にも程がある。ムッソリーニなんかより優秀で名の知れた現代イタリア政治家っていっぱいいたんだろうが。例えば、
329 ななしのよっしん
2022/10/13(木) 18:25:12 ID: YbffewnxIa
>>328 たぶんドゥーチェ以外いないでしょ。いまの欧州にいるのは、ベルルスコーニとかグダグダな政治家とEUのポチばかりだと思うで。
伊のメローニもムッソリーニの意外とクリーンな部分を強調して、「われわれはロシア支持だから、ウクライナのネオナチのアゾフとは違う!、ナチズムではない左右混合の新しいファシズムを作っていこう!」くらいに言えば良かったのに変にファシズム否定しているから何をやりたいのか分からない。
外山恒一をイタリアに派遣して逆輸入したファシズムをエリート層に突きつけるべきやで。
330 ななしのよっしん
2022/11/16(水) 23:17:57 ID: ugZgzkBpDn
今まで書かれてない事だと「ASローマ」の誕生にも関わってるんだよな、北のビッグクラブに対抗するため
ファシスト党主導でローマ市内のほぼ全クラブ(「SSラツィオ」のみ統合出来ずに終わったが)を統合して「ASローマ」が誕生してるんだけど
之が無かったらセリエの歴史は全く違うものになっていたよね。
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最終更新:2024/04/19(金) 15:00
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