ムーチョマッチョマン 単語

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ムーチョマッチョマン

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ムーチョマッチョマン(Mucho Macho Man)とは2008年生まれのアメリカ競走馬

インパクトある名前と波乱の人生立つ、アメリカアイドルホース
名前名前米国ポップスグループ「Village People」の楽曲「Macho Man」に由来。
直訳すれば、すごく逞しい男、スーパーマッチョマン
発音的には「ムゥチョォ マッチョメェン」といった感じ。実況レース見れば判るよ。

概要

マッチョマン、誕生

Macho UnoPonche de LeonaPoncheという血統。

マッチョウノ米国殿Holy Bull産駒であり、に初のブリーダーズカップ勝利げた。種牡馬としても成功し、ミスプロノーザンダンサーエーピーインディが大部分を占めるアメリカ競馬において希少な異系血統として存在感を放っている。現代では数少ないヒムヤー系種牡馬である。
は8勝を挙げているが、近に活躍は特におらず、系は非常に地味である。

ロリダ州の小さな牧場にて、予定日より3週間以上遅れた6月15日に生まれてきた彼だが、生誕直後は一切身動きをせず、心臓が停止していた牧場スタッフ必死心臓マッサージを施すことで数分後にを開けて立ち上がり、何もかったかのように動いた。このエピソードから牧場ではキリスト復活された人物にちなみ「ラザロ」と呼ばれていたらしい。

遅生まれだったが体は体高17ハンド(約173cm)という非常に大柄なとなった。名前マッチョマン部分は本の大柄な体からとられたものだろう。米国ウィリアム・P・ホワイト厩舎に預けられ準備が進められた。

波乱多き若かりしマッチョマン

2010年7月、フロリダのコールダー競馬場デビューするがここを2着に敗戦。同時に権利の50%リーヴス夫妻が購入し、ティシーリトヴォ厩舎に転厩することになった。

9月に3戦未勝利戦勝利した後、管理調教師リトヴォ師の妻であるキャサリンに移った。キャサリン心臓病で失い、自身も重い心臓病を持ち毎日する必要があった。出生当時心臓が止まっていたムーチョマッチョマンを自身と重ね合わせ、強い思い入れを持っていた。

2歳シーズンはこの後GIIを2戦してともに2着に敗北。特に2戦レムセンSでは前戦で敗北したTo Honor and Serveに食らいついたものの、落鉄という不運に見舞われて再び同に敗れた。2010年は5戦1勝で終えた。

2011年ホーリーブルSから……え? お祖父さん!? アメリカでは優れた成績を残したい時期からレース名に付けられる傾向にある。そのおかげか某競馬ゲームではゼニヤッタステークスに出るゼニヤッタ普通に見られる。日本で言うならシンザン記念に出るマイシンザンといったところか。古い?そのうち弥生賞ディープインパクト記念で嫌というほど例が増えるよ。
閑話休題、そのホーリーブルSにはデビュー戦で1着だったGourmet Dinnerもいたが、更に差を離され4着に敗れ、翌GIIリズンスターSで重賞初制覇を挙げるも、3月ルイジアナダービーではまたも落鉄Pants On Fireの3着に敗れる。

スポーツの中で最も偉大な2分間」ことアメリカ競馬の大一番、ケンタッキーダービーでは4番人気に推され、中中団から4番手で直線に入りじわりと詰め寄るも、先に抜け出していたAnimal KingdomとNehroに追いつけず3着に敗れる。続く米国二冠プリークネスステークスではまたも落鉄レースは見せ場く6着に敗れる。

三冠ベルモントステークスでは騎手を変えて挑むが、今度は隣の外にいたIsn't He Perfectスタート直後に斜行。すると弾みで内側の隣にいたAnimal Kingdom不良馬場にも祟られ終始精を欠き、1着のRuler On Iceから24身離れた7着に大惨敗した。因みに斜行してきたIsn't He Perfect上は前戦までムーチョマッチョマンに騎乗していたマラージ騎手[1]である。ここではこれ以上言わない。

ベルモントステークスの後、呼吸器の手術の為休養に入り、11月ブリーダーズカップが終わった後に復帰。オプショナルクレーミング競走[2]を快勝して3歳シーズンを終えた。7戦2勝。

斜行はともかく落鉄多くない? 原因はムーチョマッチョマンがでかすぎで前脚と後脚が衝突しやすく、その弾みで蹄が外れてしまうことが多いことに由来する。プリークネスステークスで外れにくい特製の蹄付けてたんだけどね……。

古馬になったマッチョマン

4歳になったムーチョマッチョマンはフロリダ産限定競走に出走して勝利すると、続くガルストリームパークH(GII)を直線で先頭を交わして優勝重賞2勝を飾る。しかし続くアリシーバS(GII)では3着に敗れる。

その後、を経て彼は充実期を迎える。上を名ジョッキーマイクスミスに替え、アメリカ東海の名物競走・サバーバンHでは直線入口先頭から強く伸び続け、2身以上つけて快勝。伝統ある古競走ウッドワードステークスでは腐れ縁であるTo Honor and Serveとの再戦となる。レースでは直線を先に抜け出したTo Honor and Serveに競りかける形となったが、相手がりクビ差で敗戦を喫する。

そして本番、ブリーダーズカップクラシック。ここで3番人気に推され、他にハリウッド金杯などGI4勝の実績Game On Dudeが1番人気に推された。レーススタート後4番人気のFort Larnedが逃げを打つ。本は2番手で進み、最後の直線で叩き合いに持ち込もうとしたものの、快調に逃げたFort Larnedに半身差をつけられ2着に敗れる。しかし3着Flat Outとは6身以上離していた事から、彼の実が高いことは十分に立された。4歳シーズンは6戦3勝でBCクラシック2着と、正に充実期と言って良いだろう。

5歳になったマッチョマン

2013年5歳となった彼は去年と同じフロリダ産限定競走に出走するが、ここを競走中止
え? ケガ!? いや、不良馬場が堪えてまともに走れずスミス騎手の判断でレースを止めたのだ。

不良馬場苦手だししゃーないな……と思っていたらなんとウイルス性疾患にっていることが判明、更に裂蹄も発症。6月まで休養することとなった。

復帰戦のクリミナルタイプSで騎手エドガー・プラード(Barbaro戦だった人)に替えて挑むが、病み上がりにはきついか直線で差され3着に敗れる。

次走にホイットニーH(GI)を選ぶが、ここは前年のBCクラシック優勝Fort Larnedや古Ron the Greekなどレベルの高いメンバーった。レースは上がりCross Traffic逃げ、ムーチョマッチョマンは3番手から進めたが、前にいたFort Larnedは交わすもののCross Trafficは捉えられず、外から来たSuccessful Danにも差され3着に敗れる。

の最大標をブリーダーズカップ・クラシックに定めた営は、同じサンタアニタ競馬場で開催されるオーサムアゲインステークス(GI)に挑戦する。
ん? マッチョウノオーサムアゲイン と思った方はアメリカ競馬や血統がお好きですな。
レース元ネタAwesome Againはムーチョマッチョマンのマッチョウノの半である。
つまり自分の伯父さん[3]名前がついたレースを走るわけで。
日本で言うならドリームジャーニー記念を走るオルフェーヴル産駒か。え? 逆?ちなみにセントライト記念トサミドリ産駒キタノオー・キタノオーザ兄弟が勝ちを上げた実例があるが、上のマイシンザンどころじゃなく古い例だし…。

話をレースに戻すと、ここで上に老練の名手ゲイリースティーヴンス[4]を据え、レース中5番手から進め3コーナーから4コーナーにてめに一気に仕掛けると、直線は本馬単騎の独壇場。2着Paynterに4身以上つけ、キャリア22戦でようやくGIを制覇した

2013年ブリーダーズカップクラシック

戦を勝利したムーチョマッチョマンは意気揚々とBCクラシックに向い、2番人気に推される。
1番人気は前年の念をらしたいGame On Dude。他に連覇を狙うFort Larned、この年のベルモントステークス優勝*パレスマリス欧州からオブライエンの秘蔵っ子*デクレーションオブウォーが参戦。

スタートするとGame On Dudeがハナを切り、Fort Larnedが先行、本は4,5番手の好位につける。
向こう正面でFort Larnedが加速しハナを奪うが、本は置いて行かれないように好位をキープ

戦をわざわざ同じサンタアニタで戦った教訓を生かし、外からめに仕掛けて4コーナーで先頭集団に一気に並びかけると、直線先頭でり込みを図る。Will Take Chargeや*デクレーションオブウォーが直線で食らいつき、今にも抜こうと鋭い脚を繰り出す。

しかし、ムーチョマッチョマンはる、る、る! Will Take Chargeが差しきらんとするその時!

ゥチ゛ョォ!!!!!!マッ チ゛ョォ メェン!!!!!!

僅かに、ハナ差。ムーチョマッチョマンが米国ダート王者に君臨した。
この勝利女性調教師による初のBCクラシック優勝となり、これまで数多くのタイトルを獲得してきたゲイリースティーヴンスにとっても初めてのBCクラシック勝利となった。

エクリプス賞(日本で言うところのJRA賞)は授与されず次点に留まったが、自身の、そして周囲の人達の数々の積み重ねられた逸話と栄から、その年の競馬界に起きたイベントを表する"Moment of the Year"に本BCクラシックが選出され、また競馬ファンを最も沸かせたが表される"Secretariat Vox Populi Award"に本が選出された。文字通り、ムーチョマッチョマンはアメリカ競馬ファン愛しアイドルホースとなったのだ。

それからのマッチョマン

6歳になってからも現役を続行。やはりフロリダ産限定競走に出走し、2着に14身をつけて圧勝。
ドバイ参戦の噂も立ったものの、再びサンタアニタへ飛びサンタアニタHに参戦するが、ここではGame On Dudeが同競走3勝を挙げたのをに4着、10身半差に敗北

その後、復調を期待したが調子は戻らず、知らない間に打撲も出来ているし理させる必要もいということで7月15日引退

通算成績25戦9勝、着度数は[9-5-6-5]。
勝ちブリーダーズカップ・クラシックがある故、彼の名前競馬が続く限り記録される。
ムーチョマッチョマンステークスも誕生した。

脚質的には先行~好位につけてめに抜け出し、そのまま根性でり込むという泥臭い戦い方ではあるが、それが大好き。とかくエピソードには事欠かず、彼が事に種牡馬入り出来たのも、彼をサポートした営の努の賜物である。

引退種牡馬入り。両の所有者である産団体、アデナスプリングスに購入された。現役時代のライバルFort Larnedも一足先に購入され、こちらはフロリダで種牡馬入りしている。

産駒2018年デビューし、初年度産駒であるMucho Gusto(ムーチョグスト)が重賞を勝ち、2020年ペガサスWC勝利産駒GIとなった。

いつか、ムーチョマッチョマン同様に、全されるようなの登場を願ってやまない。

血統表

Macho Uno
1998 芦毛
Holy Bull
1991 芦毛
Great Above Minnesota Mac
Ta Wee
Sharon Brown Al Hattab
Agathea's Dawn
Primal Force
1987 鹿毛
Blushing Groom Red God
Runaway Bride
Prime Prospect Mr. Prospector
Square Generation
Ponche de Leona
1999 芦毛
FNo.4-r
Ponche
1989 芦毛
Two Punch Mr. Prospector
Heavenly Cause
Street Ballet Nijinsky II
Street Dancer
Perfect and Proud
1986 鹿毛
Nonparrell Hoist the Flag
Floral Victory
Proud Sal Proudest Roman
Gal Sal
競走馬の4代血統表

クロスMr. Prospector 4×4(12.5%)、Grey Dawn 5×5(6.25%)

主な産駒

関連動画

関連項目

注釈

1.この時の斜行が原因で騎乗停止を食らっている。そりゃ当然だが。
2.クレーミング競走とはレースを走るを競売する的で開催されている競走のことだが、オプショナルクレーミング競走では売買対外のも出走可である。
3.競走馬のきょうだい関係はを基準にするので、ムーチョマッチョマンとオーサムアゲインは甥と伯父ではなくただPrimal Forceに持つのみの関係である。
4.この人、膝関節痛や減量苦を理由に2回現役引退と復帰をしている。2013年1月に2度の復帰をしており、その年のプリークネスステークス優勝している。2018年に落事故脊髄を傷め、恒久的な引退を表明した。

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