君の使命
その冠を戴いた者が
果たすべきつとめを知れ
刻むべき歴史を知れ臆するな
万里を乗り切るたくましさを
君は持っている
メジロブライト(1994年4月19日生~2004年5月16日没)は日本の競走馬。父同様勝てそうで勝てないもどかしさが愛された名馬である。
主な勝ち鞍
1996年:ラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)
1997年:ステイヤーズステークス(GII)、共同通信杯4歳ステークス(GIII)
1998年:天皇賞(春)(GI)、アメリカジョッキークラブカップ(GII)、阪神大賞典(GII)
1999年:日経新春杯(GII)
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「メジロブライト(ウマ娘)」を参照してください。 |
※当記事では、メジロブライトの活躍した時代の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。
父メジロライアン、母レールデュタン、母父マルゼンスキーという父も母父も内国産という血統。いかにもメジロ牧場という感じがするが、実は母はメジロ牧場生産馬ではない。オーナーブリーダーであるメジロ牧場はどうしても同牧場出身同士での配合が多くなり近親配合の危険性が常に付きまとう。メジロ牧場ではそれを回避するため外部の血統を導入することがあった。母レールデユタンはそんな中の一頭である。
父メジロライアンは結局GIを一つしか取る事が出来ず、種牡馬としては当初あまり期待されていなかった。しかしメジロ牧場としては思い入れの深い一頭で、関係者は彼の種牡馬としての成功を強く願っていた。だがメジロ古来の血統を持つメジロライアンはメジロ牧場の牝馬には種付けし難い。そこで白羽の矢が立ったのがレールデユタンである。
しかしそこから生まれたメジロブライトは3歳時はひょろんとした馬体で、見栄えがしなかった。動きも悪く、「劣等生」扱いだった。実際、1996年8月末、函館競馬場で迎えたデビュー戦は6頭立ての6番人気。単勝は58.9倍。ちなみに5番人気の馬は13.5倍なのでぶっちぎりの最下位人気であった。実はメジロ牧場はマックイーンやライアンが引退して以来この年まで絶不調で、ファンの間では「メジロ牧場はもう駄目だ」とまで言われていたのだった。ブライトの不人気はそのせいでもあったかもしれない。
メジロブライトはこの人気薄を覆して勝利したが、これでメジロブライトの評価が上がったかといえばそうでもなかった。このレース、芝1800mの良馬場であったのだが、勝ちタイムが2分01秒6も掛かっていたのである。遅い! 遅過ぎる! これがどれくらい遅いかというと、2021年終了時点での芝1800mの日本レコードは1分43秒8、同じ日に同条件で行われた仁山特別(4歳以上500万下条件戦)の勝ちタイムは1分49秒2である。3つを比較すればぶっちぎりの遅さである事が良く分かる。
あまりの遅さに「歩いてんのか!」という野次が飛ぶありさまで、浅見国一調教師が伊藤修司調教師に冗談でブライトの譲渡を持ちかけたところ「1800mに2分も掛かる馬はいらん」と一蹴されたという話まである。
ただし、実はこのレース、後から考えると非常に強い勝ち方である。このレースではメジロブライトは出負けして後方からの競馬になったのだが、超ウルトラスローペースのレースで最後方から函館競馬場の短い直線だけで5頭をまとめてごぼう抜きにしているのである。しかもこの5頭の中には後にオープンまで出世する馬が2頭も混じっていた。加えて言うと、この頃はまだ3歳夏の1800m戦というのが始まったばかりだった。前年の1995年に函館競馬場で初めて行われた芝1800mの新馬戦の勝ち時計も1分55秒3と、メジロブライトほどではないがやはり遅い。勝ち馬は翌1996年の皐月賞馬イシノサンデーで、そんな強い馬でもこの時計である。1800mの新馬戦というのはこの当時は10月の東京開催からようやく始まるもので、騎手たちにもこの時期の1800mの新馬戦をどのように乗るかというノウハウがまったくなく、恐る恐るのレースをしていたのである。
なので、2着を2度挟んでから挑んだラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)を勝ち、4歳になってから共同通信杯4歳S(GIII)に勝って一躍クラシックの最有力候補に躍り出たのも当然のことだったのかもしれない。牝馬クラシック路線の筆頭も同じくメジロライアン産駒のメジロドーベルであり、*サンデーサイレンス産駒の暴風が吹き荒れるようになっていた時期、父内国産馬、それも新種牡馬の産駒が両クラシック路線を引っ張るということに胸を熱くするファンも多かった。
しかしながらスプリングS(GII)で2着に敗れると、1番人気で迎えた皐月賞は後方で有力馬とけん制しあってサニーブライアンに届かず4着、またも1番人気に推されたダービーでは出負けからやはり後方からの競馬になり再びサニーブライアンに敗れ3着に終わった。メジロブライトは長い脚は使えても一瞬の切れ味には欠けており、しかもスタートでもたつく癖があるために前でレースを進めることもできず、強い逃げ馬にレースの主導権を握られるとどうしようもなかったのだ。
秋になって京都新聞杯(GII)を3着。2番人気で迎えた菊花賞を3着。この辺で「ああ、なんというか親父そっくりだ……」と詰めの甘さに定評があった父メジロライアンを思い起こす者もあった。しかしながら秋になって彼の馬体は見違えるように成長していた。
ここまでクラシック路線をともに歩んできた松永幹夫を河内洋に交代させ、復活を期して出走したステイヤーズステークス(GII)。ここを1.8秒差(だいたい12馬身ぐらい)という大差で勝つと、翌年アメリカJCC(GII)を勝ち、阪神大賞典(GII)もシルクジャスティスをねじ伏せて勝利。それまでの歯がゆいレースが嘘のような圧勝続きであった。特に印象深かったのがAJCCで、4コーナー手前で上がっていった時、中山競馬場がまるでGIの時のように沸いた事である。誰もがクラシックを惜しくも逃し続けていたブライトの才能開花に拍手を送った。
そして迎えた天皇賞(春)。大外を通って堂々伸びたメジロブライトは、シルバーコレクターの仲間のステイゴールドを従えて2馬身差の圧勝。遂にGIに勝利したのだった。ちなみにこれが、天皇賞を愛して止まなかったメジロ牧場にとってマックイーン以来久しぶりの天皇賞勝利であり、そして結果的に最後の天皇賞勝利ともなった。
これで遂にメジロブライトの時代が来たと思われたが、続く宝塚記念はゲートの中で立ち上がって外枠発走となった上に4角で不利を受け大敗。天皇賞(秋)ではあのサイレンススズカの故障を交わそうとして外に吹っ飛ばされ……と不運な負けが続く。そして今度こそと出走した有馬記念。駄目だと言われるほど激走するグラスワンダーに届かず2着に敗れてしまう。
メジロブライトの悲劇は、一つ下にクラシックディスタンスで活躍する強力な馬が揃っていた事である。スタートが下手糞で、一瞬の切れが無いために、最後方からのロングスパートに頼らざるを得ないメジロブライトにとって、逃げ馬のセイウンスカイや先行して切れる脚が繰り出せるグラスワンダーとスペシャルウィークとは非常に相性が悪かったのだ。
結局、天皇賞以降は日経新春杯に勝っただけで引退。25戦8勝2着8回。メジロ牧場活躍馬の常として長く現役を続けた彼が最後に出走したレースは、テイエムオペラオーが勝った京都大賞典であった(8着)。
引退後は種牡馬になったのだが、受胎率が低かったのが災いしたのか活躍馬はほとんどいない。しかし唯一、マキハタサイボーグがステイヤーズステークスを親子制覇してステイヤー血統の意地を見せた。
2004年。心臓発作で急死。マキハタサイボーグは去勢されており、アンバーシャダイからメジロライアン、メジロブライトと繋がってきた血統は途切れることになってしまった。まことに残念である。
レース振りが不器用で勝ち味に遅く、歯がゆいレースが多かったが、そこがまた愛らしい馬だった。スマートで垢抜けた馬体をしており、パドックで非常に見栄えがした。特に首差しの美しさは未だに忘れ難い。条件の合ったレースでは必ず好走する馬であり、馬券の軸としては意外と硬い馬でもあった。
2011年、メジロブライトの勝った天皇賞で2着になったステイゴールドの産駒オルフェーヴルが三冠を達成。メジロブライトの産駒もここにいて欲しかったなぁとしんみりしたのは私だけで良い。
メジロライアン 1987 鹿毛 |
アンバーシャダイ 1977 鹿毛 |
*ノーザンテースト | Northern Dancer |
Lady Victoria | |||
*クリアアンバー | Ambiopoise | ||
One Clear Call | |||
メジロチェイサー 1977 鹿毛 |
メジロサンマン | Charlottesville | |
*パラデイシア | |||
*シエリル | *スノッブ | ||
Chanel | |||
レールデュタン 1982 鹿毛 FNo.4-r |
マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
*シル | Buckpasser | ||
Quill | |||
ケイツナミ 1974 鹿毛 |
*ラディガ | Graustark | |
Celia | |||
ハイビスカス | *アドミラルバード | ||
キクジユヒメ | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Northern Dancer 4×4(12.50%)
JRA賞最優秀父内国産馬 | ||
優駿賞時代 | 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー | 1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン |
|
JRA賞時代 | 1980年代 | 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン |
---|---|---|
1990年代 | 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー | 1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン | 1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード |
|
2000年代 | 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当馬無し※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル | 2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス | 2007 ダイワスカーレット |
|
※1.該当馬無しを除く最多得票馬はナリタトップロード。 | ||
競馬テンプレート |
掲示板
61 ななしのよっしん
2023/04/22(土) 19:07:00 ID: 4xx65t+XjY
25戦して上がり3F1位が16回、他のレースも大敗した時を除けばほぼ2~3番目の上がりを記録している。
ズブかった・・のかなぁ?普通に鋭く反応して追込んでる印象なんだけど。
ヒシミラクルやディープボンドと一緒にズブさの例として挙げられたりすると、ちょっと違うんじゃないかなと個人的には思った。少なくとも向こう正面から押っつけ通しになるような上記2頭みたいな状況をブライトで見た記憶があんまないんだよな。
62 ななしのよっしん
2023/04/27(木) 13:27:41 ID: uFLyZ4tJrx
あがり一位は上がりが速くなくても周りをズブズブに沈めたら出せる定期 ゴルシやマックもあがり一位はよく出すがあれを早い上がりを出す馬とは言わない
まぁ「ズブい」を仕掛けに反応しない、と解釈するか加速してくれない、と解釈するかの違いはありそうだが
ディープボンドはズブいというかアホみたいに広げるふわふわストライドのせいでコーナリングからの加速が激ニブなだけでスタートはちゃんと決めるし道中の追走も楽で反応は良いから全然おっつけ通しではないよ 向正面から仕掛けるのは小回りのコースでだけ
超ロングストレートのフォア賞見てみ めちゃスムーズに進出してる
あれがズブならブライトもズブだし、あれがズブじゃないならブライトもズブじゃない
63 ななしのよっしん
2024/05/04(土) 07:04:49 ID: hveMaEgQRn
ブライトが向正面からおっつけ通し・・・っていう、典型的な「ズブい馬」してるレースはほとんどないよね。
勝った春天なんて、ドスローに痺れを切らして掛かりそうになったのを制止されてるし
スタートヘタクソで大体最後方、そこから追い込むけどあと少しのところで届かねえ、っていう善戦マンなレースを繰り返してたから
最後の決め手に欠ける→それはズブいからでは?
って評価されてる印象。
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最終更新:2025/03/23(日) 04:00
最終更新:2025/03/23(日) 03:00
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