メルセデス・ベンツ単語

メルセデスベンツ

  • 14
  • 0
掲示板をみる(65)
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE
  • ほめる(14)
  •  
  •  
  •  
  •  
  • その他

メルセデス・ベンツMercedes-Benz )は、ドイツ自動車会社ダイムラーDaimler AG )の乗用車バストラックブランドである。

概要

ドイツ技術者カール・ベンツによって1883年に設立された世界最古の自動車メーカーの一つである。ベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトレンファブリーク(ベンツ&シーBenz & Cie )とドイツガソリンエンジンパイオニア、ゴットリープダイムラーヴィルヘルム・マイバッハらにより1900年に設立したダイムラーモトレンゲゼルシャフト社(Daimler-Motoren-Gesellschaft, DMG1926年に合併することで誕生したブランドである。

社名はダイムラー・ベンツとなる。同社は「メルセデス・ベンツ」ブランド自動車や、戦車・船舶・航空機エンジンなどのメーカーとして発展をとげた。1998年、社名はダイムラークライスラー(~2007年)と変更されるも、ブランド名の変更はない。

日本においては、高価格帯の種しか輸入されていないなどのブランド戦略によって高級の代名詞とも言えるイメージが定着。しかし欧では実用・商用、そして大衆から高級まで幅広く生産する自動車総合メーカーとして有名である。タクシー救急車トレーラーメルセデスであることも一般的である。
また、暴力団が乗っているというイメージが強く、近づきがたい印も根付いているが、近年では流麗なデザインを採用するようになり、大きなイメージ変更がされている。逆に言えば「ベンツらしくない」とも呼べる。
近年のイメージ戦略の一環として、東京大阪羽田にベンツギャラリーイベントスペースを併設したカフェレストランの「メルセデスミー」旧称:メルセデス・ベンツコネクションを出店している。詳細は当該記事へ。

Das Beste oder nichts」(最善か、か)の企業スローガンの下、「全ての形に理由がある」と言われるほど質実剛健であり、良い意味で過剰性な品質に定評があった。
しかし1990年代中盤以降、コストダウンを進めメイン工場を南アフリカ中国アメリカなどに置くことなどを推進した結果、内装設備のランクダウンにより一時期、乗り味や質感など品質低下していた時期が存在する。これにより1990年代後半では中古価格が新よりも高騰するという事態が発生。これに対し2000年以降のモデルに品質の善を進め2004年から2005年までに起きたリコール騒動のもあったが、現在では品質低下以前以上の品質の取得に成功している。

メルセデススペイン語で『慈悲深い人』の意味)」という名前は当時、ダイムラーディーラーを経営していたオーストリアハンガリー帝国の領事のの名である。「ダイムラー」という硬いきを嫌い当時流行していたスペインきを持つ名前にしたとされる。その名残か、欧では一般に「メルセデス」「メルセデス・ベンツ」と呼ばれる。それに対し、日本では「ベンツ」と呼ばれることも多いが。欧と同じく硬いきを嫌い、ディーラーオーナーなども「メルセデス」と呼ぶ。

エンブレムは、合併前のダイムラー社が使用していたスリーポイテッドスターとベンツ社の円形冠を併せデザインされたもので、3点にはそれぞれ「陸・」の各分野でダイムラー・ベンツ社の繁栄が込められている。

主なモデル

ハッチバック2BOX
セダンサルーン
クーペ・ガブリオレ
SUVクロスオーバーSUV
ミニバン・1BOX

モータースポーツ

日本ではラグジュアリーな高級としてのイメージが強いが、モータースポーツにも参戦している。
1934年からモータースポーツへ参加し、同ライバルであったアウトウニオン現在アウディ) としのぎを削りながら、数多くの勝利を手にする。
しかし、第二次世界大戦によってレースへの参加中止を余儀なくされ、ドイツは大敗して大きな被害を受けてしまう。 

F1世界選手権

1954年デビューし、参戦した6戦中4勝を挙げた、ファン・マヌエル・ファンジオがチャンピオンを獲得、翌年も7戦中4勝を挙げてファンジオが連続チャンピオンき、スターリングモスも1勝を挙げる(当時はコンストラクタータイトルはなかった)。
しかし後述する事故によって、F1から撤退を余儀なくされる。

1993年に、スポーツカーレースパートナーであったザウバーメインスポンサーとして再参入、翌年にはイルモアを買収してエンジンサプライヤーとして復帰を果たす。
1995年からはマクラーレンワークス契約を結び、1998年ダブルタイトル1999年ドライバータイトルに貢献する。

2009年にはフォース・インディアブラウンGPエンジンを供給し、ブラウンGPダブルタイトルを獲得する。
その際に、スポンサーに乏しくチーム運営に不安のあったブラウンGPを買収、2010年からメルセデスGP(2012年からメルセデスAMG称)として、1955年以来のワークス参戦を果たす。とうとう、3年2012年にはニコ・ロズベルグ中国GPにて自身初優勝チーム優勝を飾る。また、ヨーロッパGPにてミハエル・シューマッハが復帰後初の表台に上る。

2014年の新規定から蓄えたパワー爆発させ、2016年まで3年間ダブルタイトルを獲得する圧勝を収めた。
一方でメルセデスPUパワーユニットカスタマーのウィリアムズフォース・インディアなども上位で結果を残しており、動の面においても最強の呼びが高い。 

ル・マン24時間レース

1951年ル・マン24時間レースに参戦、翌年には優勝を果たすが、1955年にはクラッシュによって観客を含む200名以上の死傷者を出したことで、全てのモータースポーツから撤退を余儀なくされる。

1985年に、ザウバーメルセデスエンジンレース用にチューニングしてマシンに搭載、1986年にWSPCで初勝利を挙げる。
これに触発されて、1987年には技術支援を行い、翌年にはワークス参戦を宣言する。1988年ル・マン24時間はタイヤバーストに見舞われて決勝を辞退するも、1989年ル・マン24時間で優勝を果たし、同年のWSPCでもチャンピオンを獲得する。
しかし、SWCめられた1991年には参戦メーカー減、メルセデスはその年を以て撤退した。

ル・マン24時間レースでは、GT規定に変わった後、1997年からFIA-GT選手権で使っていたマシンで参戦したが、1999年には、CLRによるフリー走行、決勝でマシンが宙に舞うクラッシュを演じ、決勝での事故後、全を引き上げ、ワークスでのル・マンからの撤退をする。
どうやら下2桁がっている年にル・マンに出場するとよくないことが起きるようだ。

ミハエル・シューマッハもここで育てられた。

ドイツツーリングカー選手権(DTM)

ル・マンへの参戦に呼応する形で参戦、5度のマニファクチャラーズチャンピオンを獲得する。同選手権は1995年ITCツーリングカー選手権)に発展するものの、翌年にはDTMとともに終了する。

2000年に、新生DTMが設立されると、同年よりCLKで参戦。こちらでも5度のマニファクチャラーズチャンピオンを獲得する。2012年は新規定により、Cクラスクーペで参戦している。

現在日本で開催されているSUPER GTマシン規定などの統合をしており、将来的にはこちらへの参戦も期待される。

ミカ・ハッキネンをはじめぺヤング先生ミハエル・シューマッハラルフシューマッハも出場していた。

SUPER GT

海外GTカーレースでは参戦経験があるものの、SUPER GTではJGTC時代にHKSが独自改造してGT500に出走したことを除き、参戦することはなかった。

しかし2012年GT300クラスにてSLS AMG GT3をもって、GREEN TEC & LEON with SHIFTが参戦している。2013年からは一挙に使用チームが5台に増え、優勝争いの常連となっている。また、人気チームGSR初音ミクBMWからメルセデスシフトしたことも話題となった。

2016年からはSLSからエンジンキャリーオーバーしたメルセデスGT AMG GT3が参戦、16、17と開幕戦で優勝を飾っている。

関連動画

市販車

F1ドライバー出演CM

メルセデスエンジンを積んだチームドライバーが出演している。ユーモアなものも多い。

関連商品

外部リンク

関連項目

この記事を編集する
流行語100

掲示板

おすすめトレンド

急上昇ワード改

最終更新:2020/11/30(月) 23:00

ほめられた記事

最終更新:2020/11/30(月) 23:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP