ヤマニンゼファー 単語

29件

ヤマニンゼファー

4.9千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

そよ風 (ゼファー)、というには強すぎた。

JRAヒーロー列伝No.37 ヤマニンゼファーexit

ヤマニンゼファー19882017)とは、日本競走馬種牡馬である。

名は冠名+ギリシャ神話の西ゼピュロス英語読みゼファーから。実際は資生堂化粧ゼファーからだが、はゼピュロスからであるのでそんなに違いはない。

な勝ち
1992年:安田記念(GI)
1993年:安田記念(GI)、天皇賞(秋)(GI)、京王杯スプリングカップ(GII)

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
ヤマニンゼファー(ウマ娘)を参照してください。

血統背景

マイル皇帝ニホンピロウイナーはヤマニンポリシーブラッシンググルームという血統。祖母ヤマホウユウアメリカに持って行って種付けして生まれたのだが、全の*ベイラーンが日本にいるにもかかわらずまだ産駒が走っていないブラッシンググルームをわざわざ付けに行ったので「かけて*ベイラーンのなんか付けに行ったのか」とさんざ笑われたという。そうやって生まれたヤマニンポリシーは……勝利を勝つのがやっとで繁殖入りしたが、繁殖牝馬として彼を産んだ。

ちなみに、同世代にはニホンピロウイナー秋天で捉えかけた皇帝シンボリルドルフの最高傑作トウカイテイオーがいた。しかしたった一度、秋天でニ会戦を行った世代と違い、子世代の運命は交わることはなかった。 

吹き抜ける春風のごとし

膜炎が長引き、デビュー3月新馬戦が終わる前に強行デビューとなった。調整不足は明らかであり、ダート戦ということもあり12番人気と非常に低評価であったが直線の短い中山で追い込んで快勝。続く条件戦も快勝すると、可性を試すべくクリスタルカップへ。初の芝ながら3着し可性を見せつける。

このあとはまた膜炎でまで休養。復帰後は2戦して1勝。営は格上挑戦でスプリンターズステークスに挑戦させたがさすがに荷が重く7着。

翌年は条件戦を2戦で突破。オープン入りすると京王杯スプリングカップで3着と好走する。そして迎えた安田記念バンブーメモリーの前例を踏まえれば人気しそうなタイプだったが……。なんと11番人気ダイタクヘリオスダイイチルビーっていたとはいえ、軽視され過ぎである。これが当時の上で、GI勝利だった田中にはプラスになったのか、カミノクレッセを抑え込み重賞初制覇をGI初制覇で決めた。

しかしは好走すれど勝ち切れず、スプリンターズステークスで十中八九勝った流れをニシノフラワーめちゃくちゃな脚でばっさりされた2着が一番立った成績であった。

再びの春風

_

のごとく

渦となった気流が
さながらのように
世界を刺し貫き
もしくはと化して
を堅く塞ぐ。

と呼ぶには
あまりに苛
巻き込まれた者は
すぐさま蹴散らされ
崩れ落ちるほかなかった。

JRA名馬の肖像ヤマニンゼファーexit

6歳(旧表記)を迎えると、が3着に敗れた天皇賞(秋)制覇を最大標に定め、騎手としての相馬眼に優れていると言われていた田原成貴上に招聘。マイラーズカップ中山記念の二戦をこなしたが2着と4着となった。田原からは「このなら中距離でも大丈夫だよ」 と評価され、正式に秋天制覇をすこととなった。しかし標は安田記念である。ということで京王杯スプリングカップへ。59キロを背負いながらシンコウラブリィを叩き合いの末ひねる。

安田記念へ向かうことになったが、騎手田中が大恩ある師匠が見出した素質セキテイリュウオーに専念するために裏開催を選んだのでゼファーには乗れなくなってしまった。ちなみに、田中はこれで運が逃げてしまったのか中央では2007年皐月賞までGIを勝てなかった。の誕生である。ゼファーのせいじゃないんだけども。

そこで京王杯SCでも騎乗停止中の田中に代わり騎乗した柴田善臣を新たな戦として招き、迎えた安田記念。 なかなか一番人気になれないジンクスでもあるのか二番人気レースでは得意の2番手から根性と持続する脚で押し切り快勝。連覇達成となった。ちなみに怪で欠場していたため安田記念は連覇出来ていない。割と意外な話。上の柴田善臣は念願のGI制覇を達成した。こののおかげで関東の若手が二人も初GI勝利を達成したのである。 なんというヴァージンキラー

盾の木枯らし

毎日王冠から始動するが、6着と敗。まあ、これまでを見ても使って良くなる傾向はあるではあるので営は悲観しなかったのか予定通り天皇賞へ。中距離をこなすため厳しいスタミナ強化調教を施されたが、耐え抜きパワーアップして挑んだ。

この年の秋の天皇賞は本命不在の大混戦。メジロマックイーン戦圧勝でスーパーレコード叩き出し、大阪杯の勝ちっぷりも込みで一番人気確実と言われながら最終追い切り後繋靱帯炎を起こし引退有馬で痛めたを治していたら骨折までした散々なから巻き返しを誓い秋天から復帰予定だったトウカイテイオーも結局有馬記念直行を決断し万全の調整をする方向になりマックイーンを負かしたい刺客ことライスシャワーマックイーンを負かすためにを使い果たし絶不調、うっかりツインターボにもしてやられたと軸がいない状況だった。

人気を見ればタマモクロス以来の同一年天皇賞春制覇のかかったライスシャワーが押し出された1番人気だったが、あのナイスネイチャ2番人気、さらに逃げ芸人暴走機関車ツインターボが絶好調だったとはいえ3番人気である。七夕賞オールカマーすごい内容だったので前売りでは1番人気にもなったくらいであった。

みんな何を軸にしていいかわからん状況でパニクってたのだろう。そんななか、府中GI2勝を挙げたとはいえゼファーはまた5番人気若干忘れられていた。いい加減なんで軽視するんだとも言いたくなるが、こんだけ軸がなくても短距離はない、当時は皆がそう考えても不思議はない。
戦は着順だけ見たら情けなかったし。レースではいつものように爆走するツインターボは捨て置き、2番手集団の先頭ロンシャンボーイの直後につけ、前二頭がテンプレ的に尽きると彼らを潰して先頭に躍り出るが、 かつての相棒田中上のセキテイリュウオーが外から強襲。
一旦は先頭に立たれるもののそれを類稀なる根性で差し返し退け、見事天皇賞(秋)を制覇。ニホンピロウイナーの成し遂げられなかった天皇賞制覇を達成したのだった。お見事。
その後、秋天の疲れのためシンコウラブリイとの第四ラウンドとなるだったマイルCSは回避。短距離マイル・中距離三階級GI制覇と前年のリベンジをかけてスプリンターズステークスに出走するが、覚醒した92世最強スプリンターサクラバクシンオー破りのスピードには敵わず2着、引退となった。ニシノフラワーといいこの世代は天敵である。

1993年は確固たる活躍がいなかったため、天皇賞安田記念を取ったゼファーにも年度代表馬はあると思われたが、獲得タイトル菊花賞のみで2着ばかりのビワハヤヒデ年度代表馬となった。

これには一部の識者から短距離の軽視ではないかなど批判が上がることとなった。1997年タイキシャトルでも理だったんだから仕方ない。取りたいなら1998年タイキシャトルや後のロードカナロアモーリスのように海外で箔をつけなきゃ理というのが後に示されたわけで。ゼファーの場合叩きで仕上げるタイプとはいえ前戦負けすぎというのは印面でマイナスが強かったのもある。 

引退後・余談

引退後は種牡馬として最初はサンフォードチーらを出しそこそこやれていたが後が続かず、2009年種牡馬引退。その後はふるさとの錦牧場で功労として々自適の生活を送った。

2017年5月、29歳で死去。やその近は軒並み心臓麻痺に召されたが、ゼファーは老衰で、前日まで特段変わった様子もなかったとのこと。冒頭にもある「そよ風(ゼファー)、というには強すぎた」とは「ヒーロー列伝コレクション」でつけられた彼への賛辞であるが、その最期は名の通り、そよ風のような、静かなものになったようである。手さでは同い年の二世皇帝トウカイテイオーに隠れてしまったが、マイル皇帝の二代ということもあり熱狂的ファンは少なからずいたようで、彼の血を引くが走る日には、ヤマニンの勝負服の色に染め上げられたゼファーという横断幕が掲示されていた。ヤマニンゼファー産駒がたくさんいた頃はパドック中継の半ば風物詩であった。

余談だが、代表産駒であるサンフォードチー種牡馬にこそなれず乗としてで暮らすことになったが、高崎競馬舞台にしたNHK連続テレビ小説ファイト」で主人公と関わりをもつタロウとしてレギュラー出演。名俳優っぷりを見せていた。

胴の詰まり発達した四肢をもつ、わかりやすいほどの短距離だったが、気性は素直でおとなしく、しかしレースでは根性を発揮し一歩も退かないという完成されたであった。それが遺憾なく発揮されたのが天皇賞(秋)であり、かかることなく先行し直線では根性で距離を乗り越えてみせた。柴田善臣も「ゼファー完璧勝利だよ、もう一回やれって言われてもできない」とっている。

ちなみにゼファーは必要以上にチャカつかずおとなしかったが、ヤマニンポリシーはガーサント肌にブラッシンググルームと気性難×気性難の配合で生まれただったため、産駒は総じて気性がしかったらしく、管理調教師で上の二頭も管理した栗田師は「またヤマニンポリシーの子ですか……」と当初は嫌な気持ちを持っていたとか。

血統表

ニホンピロウイナー
黒鹿毛 1980
*ステイールハート
黒鹿毛 1972
Habitat Sir Gaylord
Little Hut
A. 1 Abernant
Asti Spumante
ニホンピロバー
鹿毛 1974
*チャイナロック Rockefella
May Wong
ライトフレーム *ライジングフレーム
グリライト
ヤマニンポリシー
鹿毛 1981
FNo.1-m
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
ヤマホウユウ
黒鹿毛 1968
*ガーサント Bubbles
Montagnana
ミスタルマ ハクリヨ
*バドミントン
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

主な産駒

関連動画

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

JRA賞最優秀父内国産馬
優駿賞時代 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー |
1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン
JRA賞時代 1980年代 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン
1990年代 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー |
1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン |
1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード
2000年代 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル |
2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス |
2007 ダイワスカーレット
※1.該当しを除く最多得票ナリタトップロード
競馬テンプレート
この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
ボリノーク・サマーン[単語]

提供: モリノーク・マサーン

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/20(土) 07:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/20(土) 07:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP