ヤマハ
ヤマハ株式会社(YAMAHA)とは、日本の楽器・音響機器・スポーツ製品メーカーである。
グランドピアノや電子ピアノ、電子ドラム、シンセサイザー、オーディオインターフェース、オーディオシステム等も製造しており、「音楽」に関連するものなら何でもやっているようなところである。「初音ミク」等で知られる音声合成技術「VOCALOID」や「TENORI-ON」という16×16のLEDボタンで操作する面白い楽器も開発している。
かつては「XGworks」「SOL」といった音楽制作ソフト(DAW)を製造していたが、同じくDAWを製造するスタインバーグを子会社化したことに伴い開発を中止。「VOCALOID Editor for Cubase」に象徴されるように、ボカロやスタインバーグ製品を中心としたソフト開発に方針を切り替えたようである。
あまり知られてはいないが、ネットワーク機器のひとつであるルータを製造・販売しており、結構なシェアを持っている。またライブ等のPAで使用されるミキシングコンソールも世界的に見て結構シェアがあったり、DAMシリーズの通信カラオケ機器の製造も行ってたりする。
MIDI規格提唱企業を自負しているが、2013年のグラミー賞におけるMIDI規格制定の貢献に対する授与のときには、ヤマハ関係者は呼ばれなかった(受賞者はローランドの創業者とアメリカのシンセ開発者。ちなみにヤマハは以前にスピーカー貢献で受賞したことはある)。
現在は楽器が主な収益源であるが、AV・PA機器にも力を注ぐとしている。実際中期計画で立てた増加目標のうち、AV・IT事業(PAは含まれない)では売上高の目標達成率は11%程度、営業利益の達成率にいたっては43%に及ぶ見込みであるのに対し、楽器事業においては売り上げ高の目標達成率がなんとマイナス13%、営業利益の目標達成率も8%となる見通しであり(参考)、楽器事業の目に余る減収が同社にAV事業への転換を促す要因になっているのかもしれない。
ヤマハの歴史
・最初は輸入ピアノの修理→楽器関係作る
・楽器やってた流れで電子楽器も作る→DSPも作る
・DSPを他に利用しようとして→ルータ作る
という流れで、楽器、電子機器、ネットワーク関係の製品を作るようになった。じゃ、なんで発動機や家具とかも作ってるかというと、
・ピアノの修理で木工のノウハウが溜まる→家具を作る→住宅設備も作る
・戦時中に軍から「家具作ってるんだから木製のプロペラ作れるだろ」といわれて戦闘機のプロペラ作る→ついでにエンジンも作る
・エンジン作ったから→バイクも作る
・エンジン作ったから→船も作る→船体作るのにFRPを作る
・FRPを利用して→ウォータースライダー→ついでにプールも作る
・プールの水濁ったんで→浄水器作る
・失敗作の浄水器で藻が大繁殖→藻の養殖始める→バイオ事業化
掲示板等で出回っているコピペ。年によって改変されてたり付け加わっていたりする。上記引用枠内では輸入ピアノの修理から始まっているが、現ヤマハの創業者山葉寅楠が楽器製造にかかわるようになったのは、1888年に浜松にて本格的なオルガン作りに成功したことに起因する。元々山葉は時計の修理を学びその技術を買われて医療器具の修理を手がけていて、その延長線上で他の機械も修理していたのだが、ある日小学校のオルガン修理を依頼され、その構造を見て「これなら自分でも作れる」と、オルガン作りを開始したのであった。その後、1889年に合資会社山葉風琴製造所を設立しているが、出資引き上げによりこの会社はポシャっている(直接のヤマハの前身ではない)。
コピペの説明では自身の努力により事業拡大を行ってきたように見えるが、実際にはヤマハ(および直接の前身であるニチガク)は同業他社の買収・合併(今で言うM&A)も積極的に行ってきた会社である。プロペラ・エンジン作りに前後して1921年に西川オルガンを合併。1937年には日本管楽器株式会社の経営に参画するようになり、1970年同社を合併。1986年には経営難に陥っていた京王技研工業株式会社(「コルグ」ブランドで通名)に資本参加した(同社は同年に株式会社コルグに社名変更した)。1987年にはMIDI制定企業のひとつであるシーケンシャル・サーキットを合併(同社の創業者はMIDI制定が評価され、2013年にグラミー賞受賞を果たしている)。2005年にMIDIシーケンサーやDAWを開発していたドイツの音楽ソフトウェア会社のスタインバーグを傘下におさめ、2008年には世界的に有名なオーストリアの老舗ピアノメーカーであるベーゼンドルファーを買収、子会社化した。
また、戦後社長に就任し、中興の祖となった川上源一が積極的に事業の多角化を進めていった。軍用航空機用プロペラを作っていた関係でGHQに工具類を接収されていたが、それが開放されてエンジン作りを開始、そこに川上が欧米のような軽快さや機動性、デザインを重視したバイクを作るよう指示、これがヤマハ発動機の起こりとなった。
ほかにも、川上が弓道をたしなんでいたのでアーチェリーを作るためにFRPの製造を開始、船を持っていたがその船外機がすぐ壊れるので船外機の製造を作るように指示、さらには伊勢志摩をクルーズしているうちにその地域が気に入ったため精通してしまい、その流れで鳥羽国際ホテルを設立しリゾート事業に進出、と川上の趣味が実益に活かされたことや、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)や世界歌謡祭を開催し、中島みゆきを始めとする様々なアーティストの発掘・デビューに貢献している。
なお、中島は現在でも川上を恩師と仰ぎ、ヤマハ系列の芸能事務所・音楽レーベルに所属、一般財団法人ヤマハ音楽振興会の理事やヤマハミュージックコミュニケーションズの取締役を務めている。
もっとも、事業の中には売り上げが伸びなかったりする物もあり、事業の縮小や撤退もしている。
戦前に大規模な労働争議が起きた会社としても知られる。同業他社である河合楽器製作所はこのときの影響で退社した河合小市が創業したものである。
ちなみに発車メロディの制作も行っていて、1989年3月11日に新宿・渋谷両駅にヤマハ製のメロディが導入された(現在では他のメロディに交換済み)。楽器にはピアノ・ハープ・鈴などが使われている。
これらのメロディはJR東日本初の発車メロディでもある。
なお、現在では水戸駅でのみヤマハ制作のメロディを聞くことができる。
で、ライターのヨッピー氏が上述のコピペについて、ヤマハ&ヤマハ発動機の人と検証作業を行った結果、以下のように修正された。
【ヤマハの歴史完全版】
・最初は輸入オルガンの修理→楽器関係作る
・楽器やってた流れで電子楽器も作る→LSIも作る
・LSIを作ったからパソコンも作る→他にも利用しようとしてルーター作る
という流れで、楽器、電子機器、ネットワーク関係の製品を作るようになった。じゃ、なんで発動機や家具とかも作ったのかというと、
・オルガンやピアノ作りで木工のノウハウが蓄積される→家具を作る→住宅設備も作る
・戦時中に軍から「家具作ってるんだから木製のプロペラ作れるだろ」といわれて航空機のプロペラ作る→終戦後にGHQから返してもらった設備でバイクとエンジン作る
・ヤマハ発動機を立ち上げる→設立9日後に初めて作ったバイクでレースに優勝
・社長が弓道やってたからFRPでアーチェリー作る→FRPあるから船も作る
・社長が自分で使ってたアメリカ製の船外機がよく故障するので船外機作る
・FRPを利用してプールを作る→ついでにウォータースライダーも作る
・インドネシアの駐在員の家族から「水道水が汚い」ってクレームがきたから浄水器作る
・バイクから出る二酸化炭素を何とかできないかと思ってバイオ事業化
……あれ?だいたいあってるどころか、もっとすごいことになってね?
とか言っていたら、まさかの公式が病気をやらかしました。何やってんだヤマハ&ヤマ発……
ポストを読み込み中です
https://twitter.com/yamaha_bike/status/1712031340806459887
ポストを読み込み中です
https://twitter.com/sigekun/status/1712735221454700866
日本でもっとも有名な音楽教室の一つにヤマハ音楽教室がある。子会社直営の教室もあるが、多くは特約店によるものである。海外にも進出、開講している。
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最終更新:2024/12/06(金) 09:00
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