ユニコーンライオン(Unicorn Lion)とは、2016年生まれの日本の競走馬。黒鹿毛の牡馬。
主な勝ち鞍
2021年:鳴尾記念(GIII)
2022年:福島記念(GIII)
父No Nay Never、母Muravka、母父High Chaparralという血統のアイルランド産馬。
父のNoNayNeverは未勝利戦後、三戦目にして無敗でG1モルニ賞を勝利するも、故障により実力の全てを世に見せないまま早期引退となってしまった未知数の馬。そんな彼の初年度産駒の一頭がこのユニコーンライオンである。
母Muravkaはレース未出走の繁殖牝馬だが、母父HighChaparralは計6つものG1を獲得し幾多の重賞勝利馬を輩出した偉大な名馬であった。そしてユニコーンライオンの半兄には、フランス2歳G1モルニ賞勝ち馬のThe Wow Signalが居るという良血であった。
そんな血統の中生まれた彼は、1歳時にタタソールズオクトーバーセールにて矢作芳人調教師によって85万ギニー(約1億3000万円)で落札され、ライオンレースホースから一口50万円×400口の総額2億円で募集された。なお矢作調教師によれば、セールの際に世界的にも有名なクールモアグループとの激しい競り合いの末落札できたという。G1馬の半弟だけあって生まれた頃からかなりの評価を受けていたのが分かる。
馬名に関してよく「ユニコーンなのかライオンなのかどっちだよ!」というツッコミを受けるが、由来はイギリス王家の象徴から(イギリスの国章にユニコーンとライオンが描かれている)なので、つまるところどっちでもありどっちでもない。だからどっちだよ。
SNSなどでは「🦄🦁」の絵文字で表現されることもある。
デビューは少々遅れ、初戦は2019年1月27日の新馬戦(芝1800m)。
ここを難なく勝利し、続けて条件戦のつばき賞(500万下)に挑み、2着と好成績残す。
3、4戦目にフジTVスプリングステークス、アーリントンカップと続けざまに重賞を狙うも、11着、5着と格上には厳しい戦いを強いられた。
その次に1勝クラス、2勝クラスを続けざまに勝利し。陣営は行けると踏み、菊花賞前哨戦、G2神戸新聞杯を選択。
敗れはするも、5着と掲示板を確保することに成功(まぁこの年は8頭立てと少なかったのもあるが)。既に賞金は十分あり、このまま菊花賞に参戦することに。
しかし、さすがに距離が長かったか最終コーナーの時点で一気に沈み、見せ場なく15着と惨敗を喫した。そして次のサンタクロースSも大した見せ場なく3歳を終えた。
デビュー遅れの3歳から走り始めたのに9戦と、地味にスプリンターでもダート馬でもないのにかなり走った。
4歳時に関しては正直言って書くことがない。なんせ3勝クラスをずっと抜け出せないまま1年を終えたのだから……(掲示板に入ったのも1回だけである)。
強いて言うなら1400mの3勝クラスである石清水ステークスを走ったことで、短距離から長距離すべての距離区分で走ったという珍しい実績を持ったことくらいである。ホントに令和の競走馬か?
さてこのユニコーンライオン、上記の通り相当な期待を持たれて購入された馬である。血統も良く、矢作調教師は「ゆくゆくは種牡馬へ」とも考えるほどであった。
実際馬体も良く、非常に見栄えする。矢作調教師も認めるほど、体の使い方も上手く、調教の動きはいい。では何故こうも勝てないのか。
実は単純にして明快な理由があった。
手を抜いていたのである……。
この時点で複数の騎手が騎乗しているがほぼ全員口を揃えて「本気を出していない」という証言をあげている。それでは勝てるものも勝てるわけがない。
さすがに見かねた矢作調教師は彼に魔法の言葉をかけた。
矢作「お前次ちゃんと走らなかったら去勢な」
🦄🦁「ひえっ……」
そんなわけで5歳時初戦、ストークステークス。1着は逃したものの、中断からの見事な差し足で最低の18番人気ながら3着入着。タマを守ることに成功した。
その勢いのまま中1週で弥彦ステークス。この頃から各種馬具を変更。ライオンの鬣のようにも見える赤いチークピーシーズを装着することにより左右の視界を狭め、集中力をあげる作戦に出た。
更に走り方もこれまでの先行策を改良し、スタートの上手い長所を活かした、序盤で先頭に立って全体のペースを作り、最終コーナーで後ろを引き付けてからデストロイモード二の矢で突き放すスローの逃げ差しを図るように。
これらの作戦もしくは矢作氏の脅しが功を奏したか、見事馬身差をつけて1着。3勝クラスから脱出した。
続いての鳴尾記念。久々の重賞挑戦であり、中2週のスパン。さらにはG1馬が2頭出走という格上との対決となり、人気は後ろから数えた方が早い8番人気。
しかし、ここでもスローの逃げ差しを展開。影を踏ませることなく、2着のショウナンバルディに3馬身差半もの差をつけてついに重賞勝利を果たした。
鳴尾記念の勝利を期に注目されるようになり、春のグランプリ、GI宝塚記念への出走を果たす。
人気は7番人気。枠番は1枠1番と絶好の枠をもぎ取った。(どうでもいいことだが、パドックで馬っ気を出しており、立派な下の角を観客とカメラにお見せした)
迎える二回目となるGIへの挑戦。スタートと同時に内に行きたがったレイパパレとぶつかるアクシデントがあったものの、先頭に立つことに成功する。そのままいつものスロー逃げで1000mを1分ジャストで通過。最終コーナーを過ぎ直線に入って1ハロンを過ぎたあたりでレイパパレに交わされかかるも必死に抵抗し、なんと差し替えす根性を見せる。少し前まで本気を出さずにいた天才が身に着けた勝負根性。このままゴールへ向かえばGIタイトル獲得は目前であった……!
外から飛んできたのは春秋グランプリを制した世代の女王クロノジェネシス。並んだかと思った瞬間に即座に先頭へと変わり、そのままゴール。グランプリの晴れ舞台で2着を確保するも、実力差を見せつけられた敗北となった。
しかし、年明けまで条件戦で苦戦していたとは思えないこの覚醒ぶりは様々な競馬ファンの目に止まり、彼の今後を期待する声が高まった。これからの彼の活躍を、誰もが期待した。
……しかし、現実は残酷なものだった。
ユニコーンライオン 蟻洞発覚。
蟻洞というのは、蹄に対する過度の乾燥、硬地上での疲労、衛生面による雑菌の侵入、栄養不調などいずれか、または複合的な要因により、蹄に穴が空いてしまう症状。実際には少々異なるがざっくり説明するならば、蹄の虫歯のようなもの。これを原因に蹄が大きく割れ、最悪使い物にならなくなる。
当然、馬にとって生命にかかわる深刻なものである。
これから……本当にこれからという時にユニコーンライオンは長期療養をせざるを得なくなってしまった。
覚醒した力を存分に振るうはずだった5歳時を、彼は不運にもここで終えることとなった。
悔いの残った5歳の時を終え6歳となるが、蟻洞の症状は思っていた以上に深刻なものだったようで、さらに蹄葉炎も合併してしまったことから1年近い療養を挟むことに。
連覇のかかった鳴尾記念やリベンジするはずだった宝塚記念もスルーすることとなり、次走はまさかのダートのGIIIプロキオンステークス。ダートは一応何回か経験あるとはいえ、どれも惨敗しており、結果は過去最悪とも言っていい大差の最下位。逃げることすらままならず、レース半分もしないうちに少しずつ後退し、最終直線ではカメラに映ることすらなかった。
さすがにこの結果には一部で批判が湧いたが、ほぼその直後、関越S(OP 芝1800m)を怪我明けで出走したグレートマジシャンが右第1指関節脱臼及び繋靭帯のダメージの悪化により競争中止、予後不良となった為、結果論ではあるものの、脚の負担の軽いダートを選択したこの陣営の判断は正しかったの評を得ている。
無事に走り切ったのち、体も問題なかったことで早めのスパンとなるGII札幌記念。
さすがスーパーGIIということもあり、GI馬が5頭、GI経験馬にいたっては自身を含めて12頭というとんでもないレースとなった。
始まるとスタートが苦手なパンサラッサよりも早めに先頭になることに成功。しかし、それでも無理矢理先頭を奪おうとするパンサラッサに押され、2番手に抑えることに。第3コーナーまでこの位置をキープするが、まだ本調子ではないか、最終コーナーを回り切るよりも早くジャックドールら先行馬に交わされ、そのまま沈み、結果は12着。序盤に先手を取った事も結果的にはパンサラッサのラビットに近い形になってしまった(そのパンサラッサも直線でジャックドールに交わされ2着となった)。
少し休んで、次走は古馬になってから最長距離となるGII京都大賞典(芝 2400m)。
ここでは最後の直線まで先頭を維持することに成功し、直線でもしばらくは先頭でい続けるが、自身としては長くなってしまったか、ゴール直前で一気に沈み、13着。
1年の療養のブランクはやはり重くのしかかり、過去に宝塚2着に入ったという実績だけが光る馬という認識が強くなってしまった。
しかし、彼は終わっていなかった。
続いてはペース早めのGIII福島記念。
騎手を国分優作に変え、さらに彼のシンボルでもあったチークピーシーズを取り外し、赤と白のメンコを着用。1枠2番の絶好枠を手に入れ、いざスタート。他の先行馬に競り勝ち先頭に立ち、そのまま得意のスローの逃げで最終コーナーを回る。そして、鳴尾記念を思い出させる直線での二の矢を発動。後続を突き放し1着でゴール。見事復活を果たした(また、総獲得賞金額も購入額を上回った)。
この勝利に矢作調教師も「死にかけて、よくぞここまで復活してくれた。本当にうれしい」と称え、思い切って中一週でジャパンカップへの登録を行った。流石過去に連闘で馬に初G1を取らせたりした矢作調教師というべきか。5枠9番となり、大一番の勝負となる。
本番のジャパンカップ。他の出走馬の中でも逃げの馬がいなかったこともあり、楽々と先頭に立つことに成功するが、スローの逃げはここでは悪手となったか、末脚勝負となった今回では一気に沈み、16着大敗となった。
7歳初戦は京都記念(GII)。逃げを打ったが、まさかのエフフォーリアが先団に取り付いて来たためペースをかき乱され沈んで7着。
次戦は初の海外遠征となるクイーンエリザベスステークス(豪G1)。
日本からの馬券が購入できる等、かなり期待を寄せられたが、運悪く一番大外の13番を引いてしまう(調べてもらったらわかるが、このレースはスタートがカーブ序盤というかなり特殊なレースで、この時点ですさまじく不利)。しかし見事なスタートを決めすぐに先頭へ躍り出た。
残り200m付近まで逃げ粘るが最後はつかまり5着。賞金を少し(12万5000オーストラリアドル。日本円に換算すると1120万3059円)ゲット。
その後は宝塚記念(GI)はドゥラエレーデとともにハイペースになってしまい直線で沈んで15着。函館記念(GIII)は4コーナーであっさりつかまり12着。札幌記念(GII)は3コーナーでもうトップナイフに抜かされてしまい、あとはずるずる沈んではるか後方でしんがり負けとなった。
少し休んで秋の初戦は一気に距離を縮め、1600mのマイル重賞富士ステークス(GII)。
絶好の1枠1番をもぎ取るも、まさかのダノンタッチダウンが無理やりハナを奪い逃げを打つ展開に。さらに久々出走のステラヴェローチェも競り合う形となり、ペースを掴みきれず9着と敗退した。そして連覇がかかる福島記念(GIII)はテーオーシリウスにハナを取られ、逃げることすら叶わず、バビットに1と4分の1馬身離された完走した馬の中ではしんがり負け。
そしてついにラストランとなる中日新聞杯(GIII)、最後の花道と言わんばかりに絶好の1枠1番を引き当てる。しかし序盤から掛かったホウオウビスケッツに競られ、先頭を譲ることに。最後の直線である程度粘るものの、伸びてくる後続に飲まれ、11着となった。
引退後は北海道で種牡馬入りする予定とのこと。なお、No Nay Never産駒の種牡馬入りは日本初となる。
種牡馬としてはもう一枚泊が欲しかったところではあるが、非サンデーかつ海外で活躍している良血ということもあり、一定の需要はあるだろう。
彼の産駒が『物語』の続きを描くような活躍を残す事に期待するばかりである。
No Nay Never 2011 黒鹿毛 |
Scat Daddy 2004 黒鹿毛 |
*ヨハネスブルグ | *ヘネシー |
Myth | |||
Love Style | Mr. Prospector | ||
Likeable Style | |||
Cat's Eye Witness 2003 鹿毛 |
Elusive Quality | Gone West | |
Touch of Greatness | |||
Comical Cat | Exceller | ||
Six Months Long | |||
Muravka 2008 鹿毛 FNo.8 |
High Chaparral 1999 鹿毛 |
Sadler's Wells | Northern Dancer |
Fairy Bridge | |||
Kasora | Darshaan | ||
Kozana | |||
Tabdea 1987 鹿毛 |
Topsider | Northern Dancer | |
Drumtop | |||
Madame Secretary | Secretariat | ||
Ruby Tuesday | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス: Northern Dancer 5×4×4(15.63%)、Mr. Prospector 4×5(9.38%)
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/11(水) 06:00
最終更新:2024/12/11(水) 06:00
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