本名は夏令震で1957年7月26日生まれ。
ユン・ピョウという名前は京劇学校時代に与えられた芸名でユンはその学校の教官の于占元(ユン)から一字を取って与えられた名前である。
カンフー映画ではブルース・リーやジャッキー・チェン、サモ・ハンと並んで有名な俳優であり人気も高い。
特にジャッキー・チェンとサモ・ハンとは同じ京劇学校出身ということもあり映画で何度も共演する等親交は深い。
京劇学校時代はエリート中のエリートの七小福結成メンバーに最年少で選ばれた。
身体能力は非常に高く大福星で共演した西脇美智子曰く「自分の思い通りに体を動かせる」とのこと。
全てのアクションを高いレベルでこなすことができ、特に蹴り技の美しさとスピードは随一。
燃えよドラゴンでエキストラとして上記の3名と共演している話は有名。
映画デビュー自体は侠女という映画で上記の二名と共演している。がスタントマンとしての共演であり顔は映っていない模様。
かなりの童顔をもちアクション俳優としての人気のみならずその甘いマスクで女性陣からの人気はかなり高い。
現在はカナダでの生活が主となっているが俳優としては現役である。
6歳のときに京劇学校に入学する。当初から才能を発揮しており教官からは目を掛けられていた。
これ以降の10年間は地獄のような生活の10年間であり、彼の重要な基礎づくりの10年間でもあった。
その才能ゆえ上級生からはあまり快く思われることはなく、しごきも兼ねたイジメにあうこともしばしばであった。(ジャッキー・チェンは割とユン・ピョウをかばっていたようだ。)
年を重ねもともと高かった才能を更に引き延ばしエリート集団の七小福の結成メンバーに選ばれる。
この時の七小福のメンバーはユン・ピョウ含め現在でも香港映画界で一線で活躍する大物ぞろいである。
卒業前から先に卒業していたサモ・ハン等から仕事を回されることがしばしばあった。
卒業後はブルース・リーの影響で世間はカンフー映画のブームでありその流れにのるべく、ゴールデンハーベストに入社し、先に卒業していたサモ・ハンを介してブルース・リー関連の映画のスタントマン等の仕事を次々とこなしていた。
順風満帆かと思われたが一気にカンフー映画ブームは終息することとなる。ブルース・リーの急逝である。
カンフー映画界全体が沈んでしまい、仕事の量がかなり落ちてしまった。
また、信頼すべき大先輩のジャッキー・チェンすらが俳優業を諦めコックを目指しオーストラリアに渡ってしまう等ユン・ピョウとしてももはや他の仕事を探さなければならない状態であった。
映画会社もかつてのブームを取り戻すべく、香港を離れたジャッキー・チェンを呼び戻しブルース・リー映画の二番煎じのような映画がいくつも作られるがどれも今一つの成績に終わってしまう。
しかしジャッキー・チェンが次の一手として放ったコミカルアクション映画である「スネーキーモンキー蛇拳」や「ドランクモンキー酔拳」が大ヒットを記録。
ほぼ同時期にサモ・ハンがカンフー映画の恐慌を脱出すべく放った「燃えよデブゴンシリーズ」が高い評価を得る。
これらにより一気にカンフー映画界がかつてのにぎやかさを取り戻した。
ユン・ピョウもこの二人と縁が深いこともあり仕事が有り余る状態になり次第に注目されるようになる。
そしてここまでの長い下積み人生を経てようやく自身の主演作「ツーフィンガー鷹」「モンキーフィスト猿拳」の話が上がり本格的に俳優として仕事を進めることとなる。
(ただし「ツーフィンガー鷹」は実際には、元祖カンフースターである関徳興による人気作「黄飛鴻シリーズ」の番外編であり、日本で言うならば、「男はつらいよ」のメインゲストに大抜擢と言ったところ)
こぼれ話だが「ツーフィンガー鷹」で姉役として共演したリリー・リーがのちにのちに出演するヤングマスター師弟出馬でも同じく姉役として共演。またゴールデンハーベストの後輩であるジェット・リー版の黄飛鴻シリーズ「天地黎明」に「ツーフィンガー鷹」の時と同様に黄飛鴻の弟子の役で出演していたりもする。
ここからはまさに黄金時代といえる。サモ・ハンの日本で言うところの「燃えよデブゴンシリーズ」には幾度となく出演。主演作としては「ユン・ピョウINドラ息子カンフー」が再び大ヒット。俳優業の傍らスタント業や武術指導等比較的裏方の仕事も数多くこなし、名実ともにアクションスターとなる。
1980年以降も仕事に困ることはなかったがややカンフー映画ブームにブレーキがかかり始めていた。
それでもなお精力的に仕事をこなすことでかつてほど下火になることはなかった。
そんな中再びカンフー映画界を燃え上がらせるべく一つの映画の製作が決まった。
1984年制作の「プロジェクトA」に出演が決まる。ユン・ピョウ、ジャッキー・チェン、サモ・ハンが本格的に共演した映画である。
映画は大爆発的ヒットを記録し、これを機にユン・ピョウ、ジャッキー・チェン、サモ・ハンのトリオで映画を幾度となく撮影することになり、伝説の黄金トリオと呼ばれるようになる。
そして狙い通りカンフー映画界は再び業火を放つようになる。
このトリオの中ではサモ・ハンとジャッキーの二人は両者我が強く、ぶつかることも少なくなかったがその仲裁をユンピョウがやっていたとのこと。
この三人が共演する映画ではユン・ピョウだけ微妙に出番が少ないことが多く三人の中での上下関係が感じられる。
1990年代以降はあまり自身の主役映画を製作するよりも準主演クラスで数多くの映画に出演する。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地黎明」での年齢を感じさせないまるで若い青年のような演技や「金城武の死角都市・香港」の演技は印象に残っている方も多いのではないだろうか?
またこのころから「実写版孔雀王映画シリーズ」に出演したり、太田光の「バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ」萩本欽一監督の日本映画に出演するなど今までよりも国際的に活動するようになる。
映画への出演回数はそこまで多くなく、それ以外の仕事の方が中心となるが身体能力は衰えを知らず2006年に出演した「プロジェクトBB」ではジャッキー・チェンとともに凄まじい殺陣を繰り広げている。
現在はカナダで悠々の生活を送りながらも時折香港で仕事をする生活を送っている。
日本ではブルース・リーやジャッキー・チェン、サモ・ハンに比べると知名度などでは劣っているが、カンフー映画ファンの心をつかんで離さない魅力を今もなお放っており、近年になって彼の事を知ってファンになる人間も少なくない。
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最終更新:2025/03/17(月) 08:00
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