ユースフ・トパロウル 単語


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ボヤキノユースフ

2.1千文字の記事

ユースフ・トパロウル(Yūsuf Topparol)とは、「銀河英雄伝説」の登場人物である。
CV.津田健次郎(オーディオブック版)。

概要

ダゴン星域会戦時の自由惑星同盟艦隊参謀長・中将。当時30代の少壮の将官であった。
どちらかといえば背が高く、どちらかといえばやせていて、顔にはあるべきものがあるべき場所についていたという。

戦争を登山にたとえるなら……

登るべき山をさだめるのが政治だ。どのようなルートを使って登るかをさだめ、準備をするのが戦略だ。そして、あたえられたルートを効率よく登るのが戦術の仕事だ……

という簡潔な言を残した人物であり、緻密で論理的、「呼吸する戦術コンピューター」と評される優秀な戦術家として、ダゴン星域会戦において総司令官リン・パオを輔佐した。しかしそれと同時に、「ぼやきのユースフ」として後世まで名を残すほどの不平家としても知られていた。

「ぼやきのユースフ」

のちのちまでその代名詞となった「ぼやきのユースフ」のあだ名の通り、ユースフは散々な不平家であった。否、正確に言えば、「あだ名の通り」というよりも「ぼやき」という程度ではすまされないレベルで悪辣な毒舌を吐き続けていた、というのが「同時代の知人たち」(※友人ではない)の評価であったようである。

なにせ、同盟軍の歌は「給料どろぼうのワルツ」「ごくつぶしのヤンタンゴ」だと罵り、「上層部が無能ばかり重用するのはおなじ無能仲間だからだ」と言わんばかり。「なんだっておれだけが苦労する」などとことあるごとに不満を漏らす勢い。それだけならただの不平家なのだが、厄介なことにユースフは軍人として十二分に有能であり、「ぼやき」つつも仕事はちゃんとやる(本人の主観では「やらされている」「おしつけられている」)のであった。

そもそも彼の性格からして、気難しく神経質、低血圧ぎみの堅物といったものであり、派手なリン・パオと同じく生涯独身でありながら正反対に「無彩色にちかい人生」をおくった。ただ、交流のあった女性との書簡が残っており、のちにヤン・ウェンリーに「今週の努力目標」と評されるやたら淡々とした内容が知られている。

こういった人間であるから、ユースフに人望なんてものはなく、むしろ同盟軍のトラブル・メーカーのひとりに数えられていたほどであった。

経歴

開戦まで

この、歪んだ性格と緻密な頭脳の持ち主を帝国軍の侵攻に対する迎撃の参謀長に当てる人事を成したのは、統合作戦本部長ビロライネン大将と最高評議会議長マヌエル・ジョアン・パトリシオの采配によるものであった。コンビを組む相手である総司令官にはリン・パオが選ばれたが、この歩く風俗紊乱ともいうべきいい加減な男とユースフが馬が合うはずもなく、当人に向け「おれの軍人生活で最低最悪の命令」と言い放っている。

当然リン・パオもユースフのことを嫌っており、かなりアレな雰囲気のまま司令部は迎撃の準備を進めた。途中、彼をまともにしようと試みた国防委員を捻くれた返答と「ゆるぎない確信」でもって論破したり、司令部がこのコンビであると知った艦隊司令官たちが露骨に嫌な態度を見せたり、リン・パオのユーモアセンスに「殺人未遂現行犯」の目を向けたりしながらも、宇宙暦640年7月14日、ダゴン星域会戦を迎える。

ダゴン星域会戦

この戦いにおいて、ユースフは参謀チームを率いて旗艦<サンタイサベル>に座乗していた。

7月18日には、帝国軍総司令官ヘルベルト大公の無謀な命令による帝国軍の散開行動に際してはその予想外さから気を動転させ、苛つきのあまりリン・パオが朝食にメルバトーストを6枚平らげた(低血圧ぎみのユースフは普段から朝食を半分食べのこす)ことすら非難しかけている。ただ、これは「動物的な食欲であれ道徳的に非難できるものではない」という若干謎な理論で「めずらしく」自制した。

こうして、その日一日、ユースフは「極度の食欲不振で精彩がなく、口の中でなにやらつぶやきながら事務的な処理をおこなうだけ」という陰気のどん底に陥った。決断を欠くリン・パオとあわせた司令部を見たアンドラーシュの激語にすら罵倒の一言も返さないという有様で、楽天的な幕僚オルトリッチ少佐に覚悟を決めさせたほどであった。

しかし翌日、リン・パオとユースフの二人はついに帝国軍が「あほう」であるという事実に気づく。両者は目前の戦況について嫌味の応酬を交わすほどまで活気を回復させ、総力戦の末、22日には帝国軍遠征部隊をほぼ消滅させたのであった。総司令官は「事後処理をすませしだい首都に帰還」と打電したが、そのままどこかに消えてしまい、結局「事後処理」は憤激するユースフに押し付けられたのだった。

戦後

戦後、最終的に元帥まで昇進した。しかし、その大きすぎる功績故か軍としては「敬して遠ざける」形となり、昇進後一年程度で退役。教育・福祉関連の名誉職を務めた程度の寂しい晩年となった。

なお、リン・パオと「名コンビ」と言われるとそのたびに激怒したという。

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