ラシカツター 単語

ラシカッター

4.2千文字の記事

ラシカツターとは、

  1. 1905年生まれのイギリス競走馬種牡馬鹿毛
  2. 1918年生まれの日本競走馬種牡馬栗毛1の産駒。繁殖名「ラシデヤー」。

本項では息子の方のラシカツター(ラシデヤー)について記述する。

生産者:種馬牧場調教師:仲住与之助、馬主山岡長七 →山本尚文 →山岡長七

な勝ち
1925年:帝室御賞典(東京)、各内国抽籤濠州産馬混合競走

※当記事では馬齢は旧年齢で表記します。

概要

*ラシカッターはアスコットS勝ちパーシモン直子ということで期待され、2万5千円の高値で1910年輸入されたイギリスオーデヤレストは1907年輸入されたアイルランド。全連合二哩こと優勝内国産馬連合競走を勝ち、日本一いたウキフネがいる。と、いう良血で当は第十八ラシカツターという名であったが競走馬としてはと同じラシカツターを名乗った。

調教師の仲住与之助は明治末期にはトップジョッキーの一人で大正時代を代表する名ピユーアゴウルドバンザイの管理調教も行い横浜ボスと呼ばれた男。騎手は半モンキー乗りの使い手である杉浦照。

馬主山岡長七は下野の富農のに末っ子の4男として生まれ、から暖簾分けという形で1913年横浜山岡毛皮店を開業、馬主としては地に海老袖の勝負服を使用した。

5歳 大正11年競馬成績書はいずこへ

ラシカツターは1922年デビューしたはずだが資料がない。1923年連合二哩[1]に出走しているのでこの年に新馬戦を勝って最低でも1勝しているはずである。

6歳 夢の大舞台優勝内国産馬連合競走

1923年4月28日東京目黒の各内ハンデキャップから始動するも3着に敗れた。ちなみに着外にオーキツドがおり、この2頭ライバルであったらしく、これ以降もよく一緒に着争いしている。翌日も3着となるがオーキツドに2着と先着されている。5月5日には当時の最高峰レース連合二哩に出走、ここは何としても勝ちたかったがスターリングに3馬身半離された3着に終わり姉弟連合二哩制覇のは潰えた。

気を取り直して5月11日には横浜の名物重賞オールカマーハンデキャップに出走するもオーキツドの2着に敗れたが18日のレースで仲住与之助が騎乗して勝利

6月牧場行くついでに福島によるも2日3日と続けて2着と勝ちきれない。しかし、4日の優勝戦を見事優勝を終えた。

11月16日福島から始動するも着外、2着、3着で東京に移動。12月15日はフロラーカツプの半馬身2着と健闘。翌日の帝室御賞典に挑むも着外。22日はハナ差2着と惜敗、23日は再び仲住が騎乗して1着で年内終了。

資料ではこの時点で4勝しているとのことなので5歳時は1勝しかしていなかったことがわかる。

7歳 バンザイの阪神遠征

1924年4月26日東京から開始するもオーキツドに6馬身つけられて2着。翌日は後輩ピユーアゴウルドバンザイの姉弟無双しているのをしりにラシカツターも勝利優勝戦は回避して福島に向かい、5月17日福島市賞典に出走するも着外。翌日は勝利するも25日の優勝戦でまたしても着外。

7月横浜に出走し7月5日の初戦でオーキツドを3着に破り勝利。13日ではオーキツド共々ラレードに敗れ3着でを終了。

阪神に遠征。阪神では馬主半右衛門になっており、この馬主バンザイ営が会員資格のない阪神競馬場に出走するために名義を借りた人物である。つまり、バンザイの帯同に選ばれて同行したという事なのだろう。

10月4日バンザイがオーキツドにまさかの敗北を喫して衝撃が走る中、ラシカツターはひっそりと障碍競走で2着、5日も11日も障碍競走で3着、3着。12日は芝のレースで2着、バンザイとオーキツドが盛り上がっていたけど関係なく遠征終了。

11月は1日から函館孫作を上に迎えて横浜オールカマーハンデキャップに出場するもオーキツドと共に根岸巧者ラレードの後を拝し3着、翌日も3着。8日は2着。9日はしり上がりに各内ハンデキャップ勝利

15日からは杉浦上を戻し、東京でまずは着外、レデースバツトンオーキツドとラレードをレコードで打ち破り阪神連合の実力を見せつけたレースだった。翌日は帝室御賞典に挑むがフロラーカツプから7馬身半離された3着、1流へのは遠い。22日はラシカツターがかつてした姉弟連合二哩制覇のバンザイが果たしたのを見て闘志に火が点いたのか見事勝利、逆にオーキツドは着外に沈んでいる。そして、翌23日の優勝戦ではフロラーカツプが1着、オーキツドが3着に入る中、ラシカツターは着外と燃え尽きてこの年を終了。

8歳 晩成の名馬

1925年はまさかの阪神から始動。馬主名義も山岡長七のままであり同馬主のトチギを帯同にしてのバンザイとは関係の遠征である。4月4日の初戦はゴールドウイングの1馬身差2着に敗れ、翌日の帝室御賞典ゴールドウイングの1馬身差2着と相変わらずの善戦マン。11日は実力カツタマに8馬身つけての圧勝で12日の優勝戦に挑むも帝室御賞典ゴールドウイングに格の違いを見せつけられて大差で3着に敗れた。

5月9日東京の各内ハンデキャップに出場してオーキツド、ラレードらと仲良く着外に沈んでアボン。翌日の帝室御賞典は如何にも理そうだが1馬身いで見事勝利!ついにビッグタイトルを獲得し1流仲間入りを果たした。16日はゴールドウイングに敗れるも2着オーキツドがクビ差、3着ラシカツターがアタマ差で大接戦と今までの彼とはひと味違う。17日の優勝戦では上を八木澤に変えて同厩舎の後輩バンザイと初対決、ここは先輩の威厳を見せたいところだが、バンザイから12馬身離された3着と実力の違いを見せつけられた。

5月23日からは上を杉浦に戻し横浜オールカマーハンデキャップに出走、オーキツドに先着するもゴールドウイングに2馬身つけられての2着に敗れる。翌日は上仲住で逆にオーキツドに6馬身離されての2着。30日は勝利し、31日の優勝戦に進むもゴールドウイングに敗れ3着。

6月福島で25日の福島市賞典を勝利するも、28日の優勝戦でトニーの2着に敗れた。すでに時代はトニー、チヤペル時代へと移ろっていた。

はろくに資料がないのでわかる範囲内で書くと横浜の初日11月7日オールカマーハンデキャップでラレードの3着に敗れた。その後、ピンクンとヒヨウタという名前が弱そうな連中を蹴散らし勝利

23日は東京で新設された各内国抽籤濠州産馬混合競走(通称濠抽混合)に出走。ラシカツターの他にバンザイ、オーキツドと有力6頭が参戦。大方の予想ではバンザイの勝利に終わるとみられていた。馬主山岡はいつもレース前には景気づけとして最高級の玉露20円分[2]団子にしてでっぽうに入れてに飲ませていた[3]がこの日は勝ちがないので飲ませなかった。

レーススタートからラシカツターが快調に飛ばし、直線で追い込んできたバンザイを振り切ってまさかの優勝してしまう。しかも、着差は2着バンザイとは4馬身差、3着コナミバンザイから7馬身差と圧勝である。しかし、タイムは3分5749で翌年とべても遅い。おそらく、ドスローからの大逃げを打ったのだろう。さぞかし阿鼻叫喚壮観きわまる面レースだったことだろう。善戦マンの8歳がとうとう今でいうG1級競走を2勝して見せたのである。山岡はのちに「あんなに嬉しいことはなかった」と語っており、このレースを最後に引退させ、種牡馬入りさせることを決断。続秀太朗という男に牧場に卸して種牡馬にしてくれと頼んで1,500円で売却した。

その後

1926年3月13日小倉障碍競走から始動。そう、山岡は騙されたのである。レースレンドに12馬身つけられての2着になった。この年のレンドすごいからなあ。翌日の障碍競走を勝利し、21日の障碍優勝戦ではレンドレース中に故障したためにラシカツターが優勝

引退したはずのラシカツターが九州優勝戦を制したと話題になり、話をにした山岡は新たな馬主である山本を返してくれるよう頼むが山本はこれを拒否。1頭のを2人の男が引っり合う泥沼の法廷闘争が1年近く続き、山岡が2,500円で買い戻すことで決着。1,500円で売ったを2,500円で買い戻した件はこれまた話題となった。これが功を奏したのかラシカツターは小岩井農場という当時最高峰の牧場にてラシデヤーの名で種牡馬になった。

通算成績は判明している範囲内で55戦17勝。

産駒からは連合二哩帝室御賞典を勝つハクユウが出て種牡馬として大成功。その後も、ラシデヤ―の子孫からは次々と活躍が現れた。産駒デヤレストの子孫からチトセホープオフサイドトラップが出て、ハクユウの子孫からメジロボサツモーリスが現れて血統表にその名を残している。2021年にはモーリス産駒ピクシーナイトGIスプリンターズステークス勝利した。

大正時代を生きた1人の男の想いは令和の時代にまで届いている。

血統表

*ラシカッター
1905 鹿毛
St.Simon Galopin
St.Angela
Perdita Hampton
Hermione
Curbstone
1889 鹿毛 
Plebeian Joskin
Queen Elizabeth
Granite The Duke
Whisper
*オーデヤレス
1903 栗毛
Hackler
Petrarch Lord Clifden
Laura
Hackness Albert Victor
Cicely Hacket
Kendal Bend Or
Windermere
Rosmarine Rosicrucian
Tarelle

クロス:Lord Clifden 5x4(9.375)

関連項目

脚注

  1. *当時の出走条件は各競馬場での前季の新馬戦で1着
  2. *1930年新聞1円なので現代通貨価値で8万円程か
  3. *当時馬主が払う預託料にはお茶代が含まれており、競走馬は皆お茶をキメていた。
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