ラファエル・ベニテス・マウデス(Rafael Benítez Maudes, 1960年4月16日 - )とは、スペインのサッカー指導者である。とくにトーナメント戦に強い。愛称はラファ。
マドリッド出身でレアル・マドリーの下部組織に所属していたが選手としてあまり活躍できず怪我で引退。
1986年にレアル・マドリーのユースチームの監督となり、1995年のバジャドリーを皮切りにリーガ・エスパニョーラのチームの監督を務めるようになる。2001年から3シーズン率いたバレンシアでは2003/2004シーズンにリーガ制覇とUEFAカップ優勝を成し遂げた。
2004年にリヴァプールの監督に就任し、とくに就任一年目でUEFAチャンピオンズリーグを制覇している。
2010年、チームの成績不振と補強を巡ってのオーナーとの不仲から監督を退任。(ちなみに当時のオーナーは借金まみれで補強資金もたいして出せず、ファンからも大不評でベニテスを解任したのも不評だった)
2010年にはインテルの監督に就任し、クラブワールドカップを制覇。しかし成績不振で解任。
2012年途中からチェルシーの暫定監督に就任。元リヴァプールの監督であるためシーズンのほとんどをファンから大ブーイングを受けながら指揮し、見事CL圏内フィニッシュ、EL優勝という結果を残しチェルシーを去る。
因みに、CLとEL両方を制覇した監督はベニテスで四人目である。
試合中メモを欠かさない。リヴァプール時代は堅守速攻が持ち味で欧州に名を馳せた。あまり攻撃的なことを言わない性格であるが、ライバルであるマンチェスター・ユナイテッドのファーガソン元監督とはしばしば舌戦を繰り広げた。ターンオーバー制を好む傾向があり、これによってリーグ戦で試合を落とすこともあるためファンの賛否が分かれる。けが人に泣かされることが多い。妻や子供を含め家族はリヴァプールの街が大のお気に入りらしく、リヴァプールに豪邸を建て、インテル監督就任時にも家族はリヴァプールで暮らしていた。娘さんはリヴァプール訛りの英語をしゃべるようになっており、スペイン語よりも英語のほうが上手。リヴァプールの街の人もベニテス家のことを温かく見守っている。リヴァプールはベニテス退任時から不振にあえいでいるためベニテス復帰を望む声も毎年少なくない。
インターネット上では、ベニテスが手で指示するのと映像の字幕がシンクロしている動画が有名。
掲示板
1 ななしのよっしん
2011/01/16(日) 13:11:52 ID: 6hUHXTmtc4
世界を制覇してもクビになるんだな・・・
2 削除しました
削除しました ID: NWj29sbd7w
削除しました
提供: ロードカナロア
提供: タルゴ
提供: 通りすがりの猫
提供: 酉々
提供: NM
急上昇ワード改
最終更新:2025/04/02(水) 07:00
最終更新:2025/04/02(水) 06:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。