ラムタラ 単語

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ラムタラ

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ラムタラ(Lammtarra)とは、「見えないほど速い」という意味のアラビア語。転じて「秘の」等も意味する。

  1. ラムタラ - 1992年生まれの競走馬のち種牡馬英ダービーキングジョージ凱旋門賞敗で制した名である。種牡馬としては日高の期待を一身に背負って高額で輸入されたが伸び悩んだ。
  2. ラムタラ - 関東で展開しているビデオ販売チェーン店。
  3. ラムタラ - 月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)の楽曲。アニメきらりん☆レボリューション」の第8期エンディングテーマ曲。

本項では1.の競走馬について記述する。

競走馬としての概要

NijinskySnow BrideBlushing Groomという血統。
Nijinskyは言うまでもなくイギリス三冠馬にして大種牡馬オークス(繰り上がりだけど)、祖母AwaasifヨークシャーオークスなどGI2勝、も大種牡馬という良血。

アラブ首長国連邦の王族にしてオーナーブリーダーであるモハメド殿下アメリカに持っていたゲインズバラファームで生まれ、イギリスアレックススコット厩舎に入厩。成長すると温和になったラムタラも当初は調教場に出るのを嫌がって暴れるなど手のかかるだったらしいが、本格的な調教が始まった時点でスコット師はダービー勝利を確信していたとまで言われている。

デビュー戦をいきなりワシントンシンガーステークス(リステッド)で使い、ここを勝利。この勝利を見て、スコット師はブックメーカーからダービーでのラムタラの単勝馬券1000ポンドも購入したというのだから凄い自信である。

ところが捻挫を起こして年内休養が決まった上、なんとデビュー戦の1ヶ後の9月30日スコット師が厩務員とトラブルになって撃ち殺されてしまう。に備えて移動していたモハメド殿下お抱えのサイード・ビン・スルール厩舎(UAE)にそのまま移籍したラムタラだったが、今度は年明けの3月になって感染症り、生死のをさまよう。

なんとも不幸続きのラムタラだったが、ダービーにはなんとか間に合った。しかしながら病み上がりかつ調教不足だった上にたった1戦のキャリアのラムタラは15頭中6番人気だった。ところがレースでは出遅れた上に進路を塞がれつつも、直線に入ったところで「モーゼを割ったように」綺麗にいた進路を突き抜け、物凄い末脚を繰り出して、最後は1身差で勝。ガッツポーズを見せたウォルタースウィンバーン騎手レース後「アレックス(スコット師)が上から助けてくれていた」とった。またこの勝利は同時に

という、記録ずくめの勝利となった。ちなみにスコット師の賭けた馬券は本来本人死亡効なのだが、ブックメーカーは特例で未亡人に配当を支払ったという。

次走はアイリッシュダービーの予定だったが挫跖で回避し、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに出走。騎手日本でもおなじみのランフランコ・デットーリに替わった。レースでは他の体をぶつけ合う厳しいレースになったが、ボクサーのような闘志を見せたラムタラが叩き合いを首差抜け出して優勝した。

続けて凱旋門賞へ出走。このレースは前年の勝ち*カーネギー、前年の英オークス愛ダービーBalanchine、5戦敗のSwainなど、かなり面子っていた。しかしこレースでは4先頭の積極策から、並んだら抜かせない「ライオンのような」勝負根性を発揮してりきり優勝。デットーリ騎手ゴール後、胸の前で十字を切り、差してスコット師に優勝を報告した。そして田原騎手がそれをマヤノトップガン菊花賞真似した。

英ダービーキングジョージ凱旋門賞を連勝したは史上2頭敗で達成したはラムタラが初めてであり、Nijinskyが勝てなかった凱旋門賞を制した最初で最後の産駒ともなった。

ラムタラはこれで引退。史上初の快挙を成し遂げたにも関わらず1995年カルティエ賞では最優秀3歳を得るにとどまり、年度代表馬には選出されなかった(GI4勝の3歳Ridgewood Pearlが受賞した)。この時は欧州競馬閉鎖性(オイルマネーで競馬界を席巻するマクトゥーム一族への嫌悪感がしたという説がある)が色々言われたものである。まあモハメド殿下所有のBaratheaが前年にブリーダーズカップ・マイル1勝だけで年度代表馬になっている点を鑑みると単にマクトゥーム一族々だけで片付けられる問題ではないし、そもそもラムタラは戦績を選考のために点数化した段階でRidgewood Pearlに負けているので、この年のラムタラが年度代表馬を受賞するのは難しかったのかもしれない。

しかしながらに見て、4戦敗、そのうち3つが欧州最高のタイトルという、史上稀に見るほど美しい戦績を誇っていることは事実である。1948年よりレーティングを作成しているタイムフォーム社も「このの偉大さは正確に評価できるものではない」と評している。

ダービーレコードで勝っているが、見た感じ、息の長い持続する末脚と根性が持ち味のっぽい。特に競り合いには類の強さを発揮するようで、それを最大限に生かしたのが凱旋門賞だったのだろう。

冒頭に挙げた通り、ラムタラ(Lammtarra)とは「の見えざる手」というような意味の古代アラビア語である。たった4戦であっという間に大レースを総なめにし、引退してしまった様は欧州版」という感じ。秘的なものを感じずにはいられないであった。

種牡馬としての概要

ラムタラは引退後、イギリス種牡馬になった。ところが1996年北海道日高の生産者団体が、なんと3000ドル(約33億円)の巨費を投じてラムタラを購入。日本への導入が決定した。契約に際してイギリス側の職員は「本当は売りたくない」という意思表示のためにインクの出ないボールペンを渡したという。

この当時、*サンデーサイレンス日本競馬界に吹き荒れ始めており、おまけ外国産馬が猛威を奮い、日本国内の中小生産者は「深い崖に追い詰められ、飛ぶか落ちるかしかない」状況に陥っていたのであった。落ちたくなければっ暗な崖の向こうへ飛ぶしかない。それは何かといえば、*サンデーサイレンスに対抗出来得る訴求力を持った種牡馬の導入に他ならなかった。そして白羽の矢が立てられたのがラムタラだったのである。まあ、この時点で死亡フラグ臭がぷんぷんするんですな。

ラムタラは大種牡馬Nijinskyの直である。Nijinsky産駒マルゼンスキーが大成功を収めていた。そういう裏付けもあっての導入決定だったのであろうが、問題だったのはこの時代、既に日本でのNijinsky系は「ズブいところのあるステイヤーを出しやすい」という評価になりつつあったということである。つまり、短距離番組が多くなって独特の高速馬場によるスピード競馬に移行しつつあった日本競馬に対応出来なくなり始めていたのだった。

レースを見る限り、ラムタラもジリ脚なステイヤーであり、典的なNijinsky系の産駒が出る事は当然予想出来た。近年、ヨーロッパ的な重い血統は、散発的に活躍が出ることはあっても、日本ではほとんど成功していないのである。

おまけに、ラムタラはNorthern Dancerの2×4という強いインブリードを持っていた。これではNorthern Dancerの血を少しでも引くにはつけにくい。日高牧場の良血には既にこの時、Northern Dancerの血がかなり行き渡ってしまっていたのである(悪いことに特に良いマルゼンスキーの血を引いていた)。

これでは、いろんな意味で成功が難しいのは当たり前のことであったのだ。まあそれは当然後付のしたり顔解説というやつで、当時のファンは、そのスマートかつ流麗な格やしっかりした四肢、栗毛の薄い皮膚や賢そうな顔立ち、完璧な成績と秘的なストーリーから「成功間違いし!」とか思っていたのだった。実際、ラムタラ産駒は当初かなり高く売れたらしい。見た感じは良かったのだ。

だがしかし、初年度こそ重賞勝ちが出たものの、GⅠレベルはついに出なかった。代表産駒メイショウラムセスでは……。とにかく、体質が弱く、もまれる競馬に弱く、切れる足がなく、気性も良くないと、扱いが難しいが多かったらしい。面いのはダート戦線でそこそこ走っていることで、むしろパワーを多く出したようである。意外なことに勝ち上がり率はそこそこであった。

とは言え、導入額から言えば大失敗と言っても過言ではないだろう。欧州に残してきた重賞は1頭(GIII1勝)出ただけだった。日本の「軽い芝で終いの切れ味勝負」という競馬に圧倒的に向かなかったのもあるだろうが、結局のところ両国合わせてステークスウィナー6頭では「単純に種牡馬としてのが案外だった」ということになってしまいそうである。一応オークス2着のMelikahはいるけどは名Urban Seaなのできょうだいの中では立たないし……。

大騒ぎで導入されてから10年後の2006年、ラムタラはひっそりとイギリスへと買い戻されていった。価格は24万ドル(約2750万円)。バブル崩壊にもほどがある。いったいこの失敗でいくつの牧場が潰れた事やら……。ラムタラ以来、高額海外種牡馬を導入するのは大半が社台になったのだった。

せめてもの救いは、として2011年天皇賞(春)優勝ヒルダムールを出したことか。Nijinsky系はとして*サンデーサイレンス系と相性が良いようなので、そちらの面ではまだ可性があるのかもしれない。

イギリスに戻ったラムタラはモハメド殿下が買い戻した時点で「種牡馬として供用するつもりはい」と発言しており、その言葉通り種牡馬としては働かず、余生を功労として過ごしていた。繁殖牝馬引退したSnow Brideも功労として同じ牧場に繋養されており、普通は離したら顔を合わせることがないサラブレッド子が一緒にいるというしい環境で過ごしていたという(同様の話はミスターシービーシービークインにもある)。

2014年7月6日、繋養先のダルハムホールスタッドで死去。享年22歳。現役時代の々しい成績から見れば侘しい晩年だった印を受けてしまうが、ラムタラ当てで牧場に訪れるファンは多かったようだ。

なお、ラムタラの死から4年が経った2018年欧州に残した中で一番の活躍だったMelikahの曾孫Masarが英ダービーを制覇。23年の時を経てラムタラの子孫がダービーとなった。どっちかというとUrban Seaが強い気もするけど。

血統表

Nijinsky II
1967 鹿毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Flaming Page
1959 鹿毛
Bull Page Bull Lea
Our Page
Flaring Top Menow
Flaming Top
Snow Bride
1986 栗毛
FNo.22-b
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
Awaasif
1979 鹿毛
Snow Knight Firestreak
Snow Blossom
Royal Statute Northern Dancer
Queen's Statute
競走馬の4代血統表

クロスNorthern Dancer 2×4(25.00%)、Nearco 4×5(9.38%)、Menow 4×5(9.38%)

主な産駒

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