ランディ・オートンとは、アメリカ合衆国のプロレスラーである。本名はランダル "ランディ" キース・オートン。
現在、アメリカのプロレス団体・WWEの所属スーパースターとして活動中。
祖父も父もプロレスラーで祖父はボブ・オートンSr、父はボブ・オートンJr。ランディ・オートンは3代目プロレスラーにあたり、父のボブ・オートンJrは、2005年にWWE殿堂入りを果たしており、授賞式ではランディがプレゼンターを務めた。
2000年にMMWA-SICWにてプロレスデビュー。その後すぐにWWEの下部組織であるOVWに移籍する。2002年の4月にWWEのSmackDown!に 昇格。程なくして肩を負傷し長期欠場を余儀なくされるが、その間も自身の怪我の回復具合の申告とファンからの応援メールを募集する「RNN」のプロモで出演を続け、「番組中の良いところで必ず割って入るどうでも良いコーナー」という趣旨でファンの顰蹙を買うキャラクターとなる。9月にRAWに移籍した。
2003年1月20日にはHHH、OVW同期のバティスタ、リック・フレアー率いるチーム、エボリューションにハンターの後継者として入団。しかし直後に負傷し長期欠場することとなった。
復帰後は2003年末に獲得したIC王座を7か月間に渡り防衛、これは過去10年間で最長の記録となった。王者の期間にはミック・フォーリーとも抗争、バックラッシュでは王座の懸かったノー・ホールズ・バードマッチで対戦し、画鋲の上に落とされる、有刺鉄線で殴られるなど大苦戦の末、有刺鉄線の上にRKO(飛びつき式のダイヤモンドカッター)を決めタイトルを防衛、この試合で一気に名を上げた。バッド・ブラッドではシェルトン・ベンジャミンとの王座戦で防衛成功。その後王座陥落後、バトルロイヤルを制し世界ヘビー級王座への第一挑戦権を獲得し8月のサマースラムにて世界ヘビー級王座に挑戦。クロスフェイスをカウンターしてのRKOを決めて王者クリス・ベノワに勝利し、WWE史上最年少24歳で世界ヘビー級王者になる。
こうした経緯もありシングルプレーヤーとして十分に売り出せるようになったと判断され、世界ヘビー級王座獲得の翌日にエボリューションから離脱する。アングル上では、リーダーのHHHを差し置いて世界ヘビー級王座を獲得したことが裏切りと見なされ追放された。その後はオートン対エボリューションの抗争になるも、9月のアンフォーギヴェンでHHHに世界ヘビー級王座を奪取された。
2005年4月のレッスルマニア21では、当時レッスルマニア12連勝中のアンダーテイカーに挑戦。また父のボブ・オートンと組み再びヒールターンした。
5月のドラフトでRAWからSmackDown!に移籍。しばらく肩の負傷で休養していたが、サマースラム前に復帰しアンダーテイカーとの抗争を再開。テイカーを撹乱させようとボブ・オートン共々心理戦を挑んだがテイカーの方が一枚上手であった。しかしノーマーシーにてWWEでは初のハンディキャップ形式の棺桶戦でテイカーに勝利、棺桶ごと燃やしてしまう。
その後サバイバー・シリーズのRAW対SmackDown!対抗戦で代表メンバーに加わるとマイケルズにRKOを決めて勝利をもたらした。すると試合後テイカーが復活し抗争が再燃、12月のアルマゲドンにてヘル・イン・ア・セル戦で闘ったが、死闘の末親子共々ツームストーンを受けて敗北を喫した。
2006年になって、前年末に死去したエディ・ゲレロに対する暴言で挑発したことにより、レイ・ミステリオとの抗争が始まる。レッスルマニア22では、結局トリプルスレット形式となった世界ヘビー級王座戦でミステリオ、王者カート・アングルと対決したが敗退。祭典終了後、WWEより「最低60日の謹慎処分」との発表がなされる。そして7月に謹慎処分を解かれ復帰した。
7月15日、テキサス州ダラスで行われたサタデー・ナイト・メイン・イベントで、ハルク・ホーガンの娘であるブルック・ホーガンに接近、それが逆鱗に触れる形でランディの挑戦をホーガンが受ける形で試合がサマースラムで実現するも、ハルカマニアの声援を受けたホーガンに敗れてレジェンド狩りには失敗した。
その後エッジとのタッグ、レーテッドRKOを結成してDXとの抗争に突入。
2007年に入り、ニュー・イヤーズ・レボリューションで行われた世界タッグ王座戦にて対戦相手のHHHが大腿四頭筋を断裂し、以降長期欠場に入ったためDXとの抗争は不完全燃焼に終わる。
その後も王座獲得に二人は専念するもことごとく敗退する。
レイテッドRKOも解消、冷血キャラが前面に出され「相手の顔面を蹴り飛ばし負傷させるパフォーマンス」を行うようになり、このムーブがそのまま「パントキック」としてフィニッシャーに昇華された。マイケルズやRVDを長期欠場に追い込むなどの演出をする。
その後はレガシー加入前のコーディ・ローデス、シナなどと王座戦や抗争を繰り広げる。
シナの負傷でビンス・マクマホンからWWE王座が授与されるが、ビンスを挑発したせいでHHH相手に王座戦を組まれ敗れ、王座を奪われる。
しかしHHHとの3試合目となるラストマン・スタンディング・マッチ形式で戦い勝利し、この日だけで2回WWE王座を獲得した。その後は、電撃復帰するマイケルズやクリス・ジェリコと抗争し王座を防衛し続ける。
2008年に入り、ロイヤルランブルでジェフ・ハーディーと王座戦。その後、電撃復帰したシナと抗争を繰り広げる。
この抗争内ではバックラッシュでのシナ、HHH、JBLとのエリミネーション形式4ウェイ戦でHHHに王座を奪われている。
その後のワン・ナイト・スタンドの試合の終盤にトップロープから落とされて左鎖骨を骨折したため数ヶ月欠場した。
9月のRAWにて復帰すると、ダスティ・ローデスの息子コーディ・ローデス、ミリオンダラー・マンの息子テッド・デビアス、アファ・アノアイの息子マヌゥ、ジミー・スヌーカの息子シム・スヌーカといったいわゆる2世、3世のレスラーを従え"レガシー"を結成する。途中でスヌーカ、マヌゥを追放し最終的にはローデス、デビアスと3人で行動を開始した。
2009年年明けからステファニー・マクマホンによる平手打ちをきっかけにマクマホンファミリーとの抗争がスタート、ビンス・マクマホンにパントキックを食らわせ病院送りに。さらにはシナの父親にも手をかける暴挙に出た。
この時期から"ヴァイパー(毒ヘビ)"なる通り名が付けられるようになり、定着する。
2010年に入りオートン、デビアスとローデスの関係がギクシャクしてくる。エリミネーション・チェンバーのエリミネーション・チェンバー・マッチでのWWE王座戦では、共に出場していたデビアスに鉄パイプで殴られ、敗退させられるという屈辱。これを機にオートンはレガシーから追放され、デビアスとローデスとの抗争が始まる。レッスルマニアXXVIではレガシーを相手に3WAYで対決。2対1の場面もあったが、コーディにパント、テッドにRKOを決め勝利。それと同時にベビーターンも果たす。 翌日のRAWでも、シナとタッグを組み試合をするなど、ベビーとしての存在感を示した。
ベビーターン以降はラスボスのような雰囲気をかもしだす、ベビーなのだがヒールに見えるダークヒーロー的立場で活躍する。「ヴァイパー(毒蛇)」というニックネームに相応しく、実況席の上でクリスチャンやRトゥルースにRKOをお見舞いするも実況席が壊れなかった、なのでやり直しということでもう一度RKOをするも壊れなかったがオートンは狂ったように笑っている。さらにはコーディの頭をゴングで殴り9針縫う怪我を負わせて、血溜まりが出来るほど出血してるのにも関わらず実況席に容赦なくRKOするなど、以前の残虐さ冷血さを残したままべビーターンをして現在に至っている。
ちなみに現在は2011年12月30日のSD収録にて背中に怪我を負い長期欠場が発表されたが、翌年2012年のロイヤルランブル前のSDで復帰。しかし2月13日のRAWでビッグ・ショーにRKOをした際に脳しんとうを起こしまたも欠場。ケガと戦いつつも、シェーマスやダニエル・ブライアンといった上位陣へ着実にターゲットを狙っているようだ。
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最終更新:2024/04/25(木) 22:00
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