ランディ・ルイーズ 単語

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ランディルイーズ

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ランディ・ルイーズRandy Ruiz、1977年10月19日-)とはアメリカ合衆国出身のプロ野球選手である。通訳もできる。

名前ルイーズであるため、案の定活躍した日にはゼロの使い魔ネタ野球chなんJなどに投下される。
また、ニコ生の打席時には釘宮病患者が大量増殖する。

もっとも、ルイズに似ているのは笑顔が非常にキュートである事くらいか。

概要

アメリカ時代

1999年シンシナティ・レッズ契約してから、メジャーデビューまでに9年、8球団の下に所属した苦労人。

2008年ミネソタ・ツインズで念願のメジャーデビューを果たし、メジャー本塁打記録。同年オフトロント・ブルージェイズに移籍。

2009年3A打率.320、25本塁打106打点の好成績を残し、8月メジャー昇格。33試合と少ない出場機会ながら10本塁打を放った。ちなみにその年にDHとして記録したOPS(打者を評価する標のひとつ、出塁率+長打率)1.033は100打席以上打席に立った3ADH13人の中では最高の数字だった。数字だけを見ればメジャーを代表する長距離アレックス・ロドリゲスや、2009年ア・リーグ二冠王のマーク・テシェイラよりも上であった。

しかし、初めてシーズン開幕をメジャーで迎えた翌2010年は不振に喘ぎ、打率.150、1本塁打と期待に応えられず球団から解雇通告。そして退団後、『長打を打てる外国人』を探していた楽天契約して、シーズン途中での加入が決定した。

楽天在籍時

マイナーリーグの通算成績は出場1093試合、打率.304、192本塁打、807打点マイナーとはいえこの成績は特筆に値するほどの強打者の成績であると言える。それでも何故これほどの成績を残しながらなかなかメジャー昇格できなかったのか?疑問を持つ人が多いだろう。それこそがルイーズ最大のであり地雷であった。

それは、ファーストしか守れないという、メジャーでも強打者いのポジションで常に苛な争いをしていたという事であった。ファーストしか守れないという事実アメリカルイーズの起用法を著しく限定してしまっていたのである。メジャーデビューまでに9年かかるのも当然。なにしろ、メジャーに上がるためにはメジャーの強打者を押しのける成績を上げる必要があったのだから…。
つまり、一見かしく見える前述したマイナーリーグの成績ですら、ルイーズに日のを当てることはわなかったのだ。

更に悲しいことに、その受難は来日しても変わらなかった。
パリーグには指名打者(以下DHがあり、「守備機会のない打者」というルイーズの起用の助けになる制度が存在する。だが、よく考えて欲しい。ルイーズが来日した2010年楽天には当時、不動のベテラン山崎武司DHに鎮座していた。そこに割って入ったルイーズの存在。山崎ベテラン故に守備に関しては下降気味であり、専らDH起用が多かった。
つまり、同じような役回りの打者が細胞分裂の如く増えてしまったのである。結果的に当時のブラウン監督ルイーズ山崎を並行起用するという苦の策に出ることになる。そのために、必然的にファーストスタメンは山崎ルイーズという非常に厳しい取捨選択を強いられることになってしまった。
それでも、ベテラン山崎底してDHに専念できるならばまだ救いがあった。だが、蓋を開けてみれば当時41歳の山崎の方が同じく32歳のルイーズよりも守備がマシだったのである…。それほどまでに守備はダメ外人であった。
ちなみに、山崎との絡みとしては来日直後の低迷の時に山崎が「日本野球は甘くない」と叱したり、場外ホームランを見て「当たれば大リーガー」と評したりしていた。

そしてその通り、パワーに関しては折り紙付であった。来日第1号が場外ホームラン。その後もルイーズ本塁打を打てば負けがない、という魔術めいたパワーが噂され(8月半ば、7連勝で記録ストップ)途中加入でありながら12本塁打を挙げる活躍をした。が、一方で異様に三振数が多く4番山崎武司、5番ルイーズ、6番中村紀洋という2010年楽天クリーンナップは「三連巨大扇風機」と呼ばれるほどファンの頭を悩ませた(当たれば強かったことは本人たちの名誉のために付け加えておく。当たれば)。

2011年なんとか契約を掴み残留したが、開幕から速不振。おまけシーズン途中に加入したサンチェスの通訳を務めたことが判明しネタ要素を増やしてしまう。具体的にはスペイン語しかできないサンチェススペイン語英語のできるルイーズ→球団通訳さんというやりとりで入団会見が行われた。

しかし、要所でサヨナラホームランを打ったりと記録よりは記憶に残る活躍を残す。特に、西武エース涌井秀章にはめちゃくちゃ強かった。なぜか毎度のようにフルボッコ。涌井を打ち崩す手段として他球団ファンからもその名を挙げられるほどの強さを発揮した。一時は山崎骨折したこともあり中軸を任され、復帰までの期間をしっかり支えて踏んった。が、山崎復帰後には2軍に落とされ、更にその2軍ですら出番なく、10月々に帰してしまう。そして11月戦力外通告が発表されルイーズは1年半の楽天選手としての生活に別れを告げることとなった…涌井も安堵しているだろう。

楽天退団→横浜DeNA在籍→その後

2012年アリゾナ・ダイヤモンドバックスマイナー契約下の3Aリノ・エーシズプレーしていた。

同年6月8日何故か横浜DeNAベイスターズが獲得を発表。しかし案の定わずか32試合で打率.210 2本塁打に終わり、戦力外通告を受ける。

2013年シカゴ・ホワイトソックスマイナー契約5月解雇され、同年6月ニューヨーク・ヤンキースマイナー契約を結び、2014年はメキシカリーグティファナ・ブルズに所属。しかし4月自由契約となって、5月にはアメリカ独立リーグロングアイランドダックスに所属。また同年6月自由契約となる。

2015年、メキシカリーグレイノサ・ブロンコスに所属。ブロンコスでも相変わらずファーストを守っていた模様exit。しかしまた5月上旬に解雇され、6月よりロングアイランドダックスに再度所属exitしている。

通算成績

2014年終了時点)

通算:6年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
MLB:3年 68 238 217 41 59 12 25 2 0 1 16 4 67 7 .272 .332
NPB:3年 151 512 472 51 113 20 60 0 0 1 36 3 178 13 .239 .297

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