リオネル・メッシ(Lionel Andrés Messi, 1987年6月24日- )は、アルゼンチン共和国サンタフェ州ロサリオ出身のプロサッカー選手である。
アメリカ・MLSのインテル・マイアミCF所属。サッカーアルゼンチン代表。
アルゼンチン・ロサリオ出身のイタリア系アルゼンチン人。おもに4-3-3の右ウイングか3トップの中央でゼロトップ(偽の9番)としてプレー。おもな愛称は「レオ」。世界でもっとも有名なアスリートの1人であり、2019年の世界のアスリートの年収ランキングで1位に選出されている。
「神の子」とも称され、多くのサッカー関係者やファンから世界最高のフットボーラーと認識されている。歴代のサッカー選手の中でもNO.1という呼び声も多い。17歳でトップチームにデビューして以降、FCバルセロナの絶対的エースとして君臨。卓越した技術と圧巻の得点力で10度のラ・リーガ優勝、7度のコパ・デルレイ優勝、4度のUFFAチャンピオンズリーグ(CL)優勝と数々のタイトルをもたらし、2009年と2015年にはシーズン三冠(トレブル)を達成している。
自身も歴代最多となる8度のバロンドールを受賞している。また、ラ・リーガ得点王(ピチーチ)7回、CL得点王6回という記録を持っており、ヨーロッパ・ゴールデンシューも歴代最多の6回獲得している。欧州5大リーグの2010年代の得点ランキングとアシストランキング両方とも1位に輝いている。2012年に出場した公式戦の通算得点数は91得点であり、1972年にゲルト・ミュラーが作り出した記録を40年ぶりに塗り替えている。まさに異次元の経歴の持ち主である。
アルゼンチン代表としても18歳の頃から選出され、2010年からはキャプテンを務めている。代表の通算最多得点と最多アシストと最多出場記録の保持者でもある。しかし、華々しいクラブチームでの実績とは違い、代表ではなかなかビッグタイトルを獲得できず、アルゼンチン代表ではバルセロナの時ほど輝けないと指摘されていた。だが、2021年のコパ・アメリカ2021で得点王、アシスト王、MVPの"個人賞3冠"を達成すると共にようやく初の代表でのタイトル戴冠を成し遂げる。さらに、自身最後のワールドカップと公言した2022 FIFAワールドカップでは、7ゴール3アシストの活躍でアルゼンチンに36年ぶり3度目の優勝をもたらし、自身は2014年大会に続いて二度目の最優秀選手賞を受賞。名実ともに祖国アルゼンチンの英雄となった。
2009年から2014年までの6年間のうち5年間世界で最高年収のサッカー選手である。2006年以来アディダスとスポンサー契約を結んでおり会社の主要なパートナーとしての地位を確立。2017年にはアディダスと生涯契約を締結している。一方、その存在があまりにも大きすぎることがチーム戦術や監督の采配に影響を与えてしまうこともある。
自身幼少期に1万人に2人という難病によってサッカー選手としてのキャリアを断念しかねない経験をしていることから、2007年に難病の人々の救済や彼らの夢を叶え、平等の機会を与えるという信念の元に「レオメッシ財団」を設立。の活動が認められユニセフより国際親善大使に任命されている。
アルゼンチンのロサリオで工場労働者の父ホルヘとパート清掃員の母セリアの3人目の子として生まれる。ごく一般的な家庭で育ち、大人しく、人の輪に入るのが苦手な子供だった。二人の兄の影響でサッカーボールを蹴るようになり、5歳のときに父親がコーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始める。
8歳になった1995年に地元クラブのニューウェルズ・オールドボーイズに入団。圧倒的なドリブルスキルは誰も止めることができず、在籍していた6年間で500ゴールを記録。類まれな才能を見せていたことで周囲からは天才と称され、誰もが偉大なサッカー選手になることを期待していた。
ところが、10歳の時に成長ホルモンの分泌異常が発覚。1万人に2人しかならない難病であり、成長ホルモン投与などの治療なしでは身体が発達しないと診断された。両親も息子の夢を叶えようと奔走したが、裕福ではない家庭では治療費を工面出来ず、アルゼンチンの名門リーベル・プレートから獲得を断念される等サッカー人生に暗雲が立ち込める。どのクラブも治療費の負担を拒み、サッカーを続けることすら諦めなければならないほどの窮地に立たされていた。
そんなとき、人生の大きな転機が訪れる。13歳のときにアルゼンチンの天才少年の話を聞いたスペイン、リーガ・エスパニョーラの名門FCバルセロナのトライアルを受けるチャンスを得ることができた。テストにおいて、当時の監督だったカルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めた。このときレシャックは契約書を持っておらず、紙ナプキンで契約を交わしている。
当時、ヨーロッパのクラブがメッシのような若い年齢の選手と契約することは珍しいことだったため会長がなかなか契約を前に進めなかったため交渉は難航したが、メッシの才能に惚れ込んだレシャックの尽力もあり、家族全員のバルセロナへの移住を条件に治療費の全額負担を約束され、晴れて入団が決定。
2001年3月1日に正式契約を結び、家族揃ってスペインへ移住。カンプノウ近くのアパートに暮らしながら世界的に優秀なことで知られるバルサの育成機関ラ・マシアでサッカーを学ぶことになる。入団当初は同年代と比べても小さな身体であり、大人しい性格のためチームメイトにも馴染めず、ホームシックにも苦しんだが、すぐにその才能を誰もが認めることとなった。
ラ・マシアでの治療のおかげで169㎝までに身長が伸び、2004年10月6日のエスパニョール戦において17歳でトップチームでのデビューを果たす。翌年5月1日のアルセバテ戦にて当時のクラブ最年少記録(17歳と10ヶ月7日)となる初ゴールを決める。プロ1年目はレギュラー定着とはならなかったものの、次世代のスター選手となる逸材として大きく注目されるようになる。
2005-06シーズンにスペイン市民権を得たことでEU外の枠の問題もなくなり、フランス代表のリュドヴィク・ジュリから右ウイングのポジションを奪うほどの活躍を見せる。しかし、CL準々決勝2nd legのチェルシー戦で右足の筋肉を負傷し、残りのシーズンを棒に振ってしまう。チームはラ・リーガとCLの2冠を達成するが、タイトル獲得のときピッチに立つことができなかった。
2006-07シーズン、コパ・デルレイ準決勝ヘタフェCF戦ではマラドーナの再来とも言われる伝説の5人抜きを達成。しかもドリブル開始からフィニッシュまでのドリブルコース、ボールタッチ数、ゴールパフォーマンスまでもが酷似していたため、同試合を中継していた現地テレビ局の実況も興奮気味にマラドーナの名を連呼していた。右サイドから切れ込むドリブルが冴えわたり、インパクトを残し、このシーズンで初めて二桁ゴールを決めるなど、成長を遂げる。反面、またしても筋肉系の負傷に苦しみ、フルシーズン力を発揮することができずにいた。
2007-08シーズンはサミュエル・エトーが負傷、ロナウジーニョが不調、加入したティエリ・アンリがチームにフィットできず、期待された攻撃陣が機能しない中で孤軍奮闘。単騎突破から貴重なゴールを決め、暗黒期が到来していたチームの希望の星となる。ただ、過去の3試合よりは出場時間が増えたものの、やはりこのシーズンも怪我で戦列を離れた時期があった。また、完全に過渡期となったバルサは、2シーズン連続で無冠に終わり、大きく期待を裏切ることに。そして、チームの主役はロナウジーニョからメッシへと移るのであった。
フランク・ライカールトからジョゼップ・グアルディオラに監督が代わり迎えた2008-09シーズン、退団したロナウジーニョに代わり背番号10をつける事に。人材不足であった右サイドバックにセビージャからブラジル代表DFダニエウ・アウヴェスが加わったこともあり連携面でのアドバンテージを得る。この頃からグアルディオラの指導もあって食事方法の改善による肉体改造を図り、これまで悩まされていた筋肉系の負傷が減り、シーズンを通して活躍できるようになる。また、以前は1人で強引にドリブルで持ち込もうとする傾向が強かったが、グアルディオラの方針もあって周りを使ったプレーの意識も強くなり、シャビやアンドレス・イニエスタと連携してゲームメイクでも貢献するようになる。2009年5月27日におけるUEFAチャンピオンズリーグ決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦でのダメ押しゴールは、三度目の正直となる初のバロンドール受賞、そしてチームの欧州制覇の決定打となった。この年、チームはリーガ、コパ・デルレイ、そしてCLで優勝したことでクラブ史上初のトレブル(三冠)を達成。新たな黄金期が築くことになる。メッシにとっても大きな飛躍のシーズンになったと言え、名実ともに世界最高のフットボーラーとして認識されるようになる。
2009-10シーズンにはバルセロナ通算100ゴールをクラブ史上最年少記録で達成。シーズン後半からはポジションを3トップの中央に移し、偽の9番(ファルソ・ヌエベ)としての役割を担うようになる。2010年3月14日のバレンシア戦、3月21日のサラゴサ戦で2試合連続ハットトリックを達成。リーグ戦34得点で初のピチーチ(得点王)を獲得するなど、最終節まで縺れたレアル・マドリードとのデッドヒートを制しリーガ連覇に貢献。1シーズン47得点で怪物ロナウドの記録にも並び、初のヨーロッパ・ゴールデンシューも獲得する。2009年の暮れには欧州王者としてクラブワールドカップにも出場。決勝のエストゥディアンテス・ラプラタ戦の延長後半にはGKの動きを見てボールを胸でゴールに押し込むという機転の利いたプレーを見せ、同大会MVPに輝いている。
バロンドールとFIFA最優秀選手賞が統合されたFIFAバロンドールの初代受賞者となったが、スペイン代表で初のW杯制覇を達成したチームメイトのシャビやイニエスタ、クラブ3冠とW杯準優勝のスナイデルを差し置いての受賞には一部で議論が巻き起こった。
2010-11シーズン、ジョゼ・モウリーニョを招聘し序盤から好調のレアルをホームに迎えたエル・クラシコ第1戦ではダビド・ビジャの2ゴールをアシストするなど結果は5-0での圧勝。MVP(メッシ、ビジャ、ペドロ)と称された3トップが機能し、リーガ3連覇と2シーズンぶりのCL優勝に貢献。このシーズンのバルセロナは世界を震撼させるほどの圧倒的な異次元の強さを見せ、パスワークによるポゼッションを重視したバルサスタイルを世界中のチームが憧れるようになる。リーガの得点王の座ことクリスティアーノ・ロナウドに譲ったものの、2シーズン連続でゴール数は30ゴールを超え、CLでは大会史上最多タイとなる12ゴールで得点王となる。異次元のプレイヤーとして進化したメッシを世界中が称賛し、3シーズン連続でのバロンドールにも選ばれている。
グアルディオラ体制最後の年となった2011-12シーズンはクラブタイトルは国王杯のみとなったが、驚異的なペースでゴールを量産し、リーグ戦50得点という前代未聞の記録を打ち立て得点王に輝く。CLでは、3月7日のレバークーゼン戦において大会史上初となる1試合5得点を達成。4シーズン連続で得点王となっている。また、シーズンの公式戦通算得点数は73得点というとてつもない数字を残しており、ゲルト・ミュラーが持っていたシーズン公式戦最多得点記録を塗り替えている。2011年末に日本で開催されたクラブワールドカップでは出っ歯の無礼極まりないインタビューを浴びながらも南米王者サントスFCを子供扱いし、格の違いを見せつけて優勝。何かと比較されたブラジルの新星ネイマールがひたすら守備に追われる中、2ゴールをマークしたメッシは再び大会MVPを受賞した。2012年のバロンドールにも選出され、フランスの"将軍"ミシェル・プラティニの記録を打ち破る前人未踏の4年連続の受賞となった。
クラブが新たなサイクルに突入した2012ー13シーズンだったが、エースとしてこれまで通り異次元のプレーを披露。2012年12月9日のレアル・ベティス戦で2ゴールをマーク。公式戦年間ゴール数を86とし、元ドイツ代表FWゲルト・ミュラーの記録した85得点を超え40年振りに年間最多得点記録を更新した。
快挙から数日後、ブラジルリーグの名門フラメンゴが「1979年にジーコが89得点を記録している」との声明を発表。非公式記録ではあるものの相手が相手なだけに議論が巻き起こったが、国王杯コルドバ戦、アトレティコ・マドリードとのリーガ天王山でそれぞれ2ゴール、年内最終戦のレアル・バジャドリード戦でも1ゴールを挙げ、最終的に年間ゴール数は91。自ら記録を更新すると共に、「神様」との不毛な外野戦にも終止符を打った。さらに2シーズンぶりにリーガのタイトルも奪還している。
2012-13シーズンでは3試合の負傷による欠場を挟みながら、21試合連続ゴールというとてつもない記録を作り出しており、サッカー史における最多連続得点記録を樹立。CLでは、自身の負傷による欠場もあって準決勝でバイエルンに敗れたが、リーガのタイトルを奪還することに成功。シーズン終盤は負傷によって戦線を離脱したが、リーガ46得点、公式戦60得点を挙げ2年連続得点王に輝いた。また、これによって3度目の欧州得点王となり、ヨーロッパ・ゴールデンシューの単独最多受賞者となる。
ブラジルの新星ネイマールが加わり、注目度の高かった2013-14シーズンは、開幕から度重なる筋肉系の負傷に悩まされ、2013年11月10日のベティス戦では左足太ももの肉離れによって1カ月半の離脱を強いられる。それでも、復帰後は例年通りの異次元のプレーを見せ、2014年3月23日のレアル・マドリード戦ではハットトリックの活躍を見せ、クラシコの単独最多得点者となる。しかし、リーガのタイトルは最終節の直接対決で引き分けたことでアトレティコ・マドリードに持って行かれ、シーズン無冠に終わる。
2014-15シーズンは新加入のウルグアイ代表FWルイス・スアレスに譲る形で、シーズン途中からポジションをおよそ5季ぶりに右ウイングへと変更。ネイマールを加えたトリデンテ「MSN」が目覚ましいコンビネーションを炸裂させ、自身も好調を維持し、43得点をマークしたリーガは2季ぶりの奪冠。
恩師であるグアルディオラが率いるバイエルン・ミュンヘンと戦うこととなったCL準決勝2nd legでは、右からドリブルで切りこみ、マークについたジェロム・ボアテングを切り返しによってバスケットのアンクルブレイクのような要領で転倒させる超人的なプレーからゴールを決める。コパ・デルレイ決勝アスレティック・ビルバオ戦では右サイドタッチライン際、ハーフウェーライン付近でダニエウ・アウベスのパスを足元で受けた後DF3人に囲まれたが、そこから強引にドリブル突破。エリア内に侵入すると更に1枚かわしてニアサイドに強烈な先制点を突き刺す圧巻の「4人抜き」を披露し、4季ぶりのCL決勝ユベントス戦ではゴール・アシストこそならなかったものの、正確な左サイドへのロングフィード、長距離ドリブルからDFを1枚吹き飛ばした末にGKブッフォンのファンブルを誘う強烈なミドルシュート、そして終了間際にルーズボールを制して完全にフリーとなったネイマールへのスルーパスなど全3得点に絡む活躍で優勝に大きく貢献。
5度目の載冠により優勝カップの永久保持権獲得、そして史上初となる2度目の3冠達成と記録ずくめのシーズンとなった。
この活躍により自身5度目となる2015年のバロンドールを受賞。
2015-16シーズンは、髭を生やしたワイルドな風貌にイメチェンする。前シーズンにシャビがチームを退団した影響によりゲームメイクに関わる頻度が高くなり、以前よりも下がり目の位置でプレーする機会が増える。それでも得点力に陰りは見られず、2016年2月3日のバレンシア戦で34度目のハットトリックを達成し、キャリア通算500ゴールを達成。2週間後のスポルディング・ヒホン戦では、リーガ通算300ゴールを記録。シーズン終盤にネイマール、スアレスと共に揃ってコンディションを崩し、CLはベスト8で敗退。一時は独走状態だったリーガでも3連敗を喫し、最終節までもつれこんで辛くも逃げ切って優勝することになる。
2016-17シーズンは、イニエスタの負傷欠場が多かったこともあって負担が増えるが、2016年10月19日のCL、マンチェスター・シティ戦ではチャンピオンズリーグ単独最多の7度目のハットトリックを達成した。11月6日のリーグ11節セビージャ戦ではクラブ通算500ゴールを達成。2017年4月23日、レアル・マドリードとのエル・クラシコでは決勝点を含む2ゴールを決めてクラブでの公式戦通算500ゴールを達成。だが、バランスの悪さが目立つようになったチームは宿敵レアル・マドリードにリーガ優勝を許し、CLでもベスト8でユヴェントスを相手に完敗している。
グアルディオラがチームを去って以降のバルセロナは、年々メッシへの依存度を増すようになり、2015年のシャビの退団、そして2018年にイニエスタが退団したことで中盤のポゼッション力低下が加速してしまい、攻撃の全権を任されることとなったメッシはもはやクラブ以上の存在となりつつあった。そのため、クラブでの発言力も年々増すようになっている。また、2014年あたりから試合中に嘔吐することがたびたびあった。後にこの嘔吐癖の理由を当時の怠惰な食生活にあったことを明らかにしている。
2017-18シーズン開幕直前にネイマールが電撃的にパリ・サンジェルマンへ移籍し、MSNトリオは唐突に崩壊となる。突然の路線変更が必要となったエルネスト・バルベルデ監督は守備のバランスを重視したスタイルに舵を切るが、これまで通り守備の負担は免除されたことで攻撃の全権を握ることになる。スアレスとのコンビネーションからゴール、アシストでチームを牽引していき、CLでは準々決勝でASローマにまさかの大逆転を許し敗退するが、ラ・リーガでは第35節まで無敗を維持し2シーズンぶりに優勝。34ゴールで2シーズン連続5度目のピチーチ(リーガ得点王)を獲得する。
2018-2019シーズンからはイニエスタが退団したことでチームの新キャプテンに選ばれる。シーズン開幕からいつも通りゴールを量産するが、2018年10月26日のセビージャ戦で橈骨を骨折し、3週間の離脱を余儀なくされ4日後のエル・クラシコを欠場する。2019年1月13日のエイバル戦では、欧州5大リーグでは史上初となるリーガ通算400ゴールを達成。このシーズンではリーグ戦34試合出場で36ゴールを決め、史上最多となる6度目のピチーチを受賞する。
通算6度目となる2019年のバロンドールを受賞。クリスティアーノ・ロナウドを抜いて再び単独での歴代最多記録を更新する。
2019-2020シーズンは、右足ヒラメ筋の負傷により開幕から欠場し、6年ぶりとなる6試合ノーゴールを経験する。2020年1月にエルネスト・バルベルデ監督が解任となるが、バルベルデを支持していたメッシは公にチームの決定に反発。さらに、この解任劇について選手が追い出した旨の発言をしたエリック・アビダルSDをSNSで批判。チーム上層部との間に亀裂が走ったと報じられ、2021年までとなっていた契約の延長交渉をストップさせたことでバルセロナからの退団が噂される。不協和音が響いてチームはリーガ連覇を逃すが、自身は25ゴールで7度目となるビチーチを4年連続で受賞し、2008-09シーズンにシャビが作り出した1シーズン最多アシスト数を更新する21アシストを記録。一方、CLでは、ラウンド16 2nd legのナポリ戦で5人に囲まれながらのゴールを決め勝利に貢献するが、準々決勝ではバイエルンを相手に8失点を許しての歴史的な大敗を喫する。試合中、崩壊するチームを呆然と見ていた姿がキャプテンとしてあるまじき姿であるとして批判を受ける。
バイエルン戦での惨敗後、スアレスらベテラン勢を容赦なく切り捨てようとするチーム上層部との関係はもはや修復不能な状態となり、2020年8月25日にクラブに対して自身の契約を一方的に解除することを正式に要求し、バルセロナから退団する意思を表明する。恩師であるグアルディオラ監督率いるマンチェスター・シティへの移籍が有力紙されるなど、移籍が確実視されるが、ラ・リーガ側がバルセロナ側の主張の正当性を認める声明を出したことで事態は急転。愛するバルセロナと争う状況を避けるため、不本意ながらもあと1年バルセロナに残留することを表明。
【全文】「裁判で争いたくはない」メッシが明かすバルセロナ残留の真相、思い、確執/インタビュー
紆余曲折して2020-2021シーズンもバルセロナでプレーすることとなったが、PK以外でゴールが奪えず、ボールロストも例年と比べて目立ち、2020年10月24日のクラシコでレアル・マドリードに敗れたあたりから衰えが指摘される報道が増え、運動量の少なさが再びクローズアップされ批判が集まるようになる。さらに、アントワーヌ・グリーズマンとの不仲も取り沙汰され、自身への批判に対し「もう批判されるのは疲れた」とコメントしている。11月29日のオサスナ戦ではチームの4点目となるゴールを決めると、下に着ていたニューウェルズの背番号10のユニフォームを披露し、4日前に亡くなったディエゴ・マラドーナを追悼するパフォーマンスを見せる。12月22日におこなわれたラ・リーガ第15節バリャドリード戦では、バルセロナでの通算得点数644得点目となるゴールを決め、ペレがサントスFCで記録した1クラブにおける最多得点記録を塗り替える。徐々に調子が上向きになり、事態が好転したかに見えたが、2021年1月17日のスーペル・コパ決勝アスレティック・ビルバオ戦の試合終了間際に相手のチャージに激昂して暴力行為を働いてしまい、クラブキャリアでは初となる退場になる。これにより、公式戦2試合の出場停止処分が科せられる。3月15日のラ・リーガ第27節ウエスカ戦でバルセロナでの通算試合出場数が767試合となり、シャビの持っていたクラブ最多記録に並び、さらにこの試合で2ゴールを決めて13シーズン連続での20ゴール超えを達成。4月17日、コパ・デルレイ決勝アスレティック・ビルバオ戦では2ゴールを決め、タイトルを獲得。リーガでは前年を上回る30得点を記録し、5年連続8回目のピチーチを獲得したものの、優勝には届かなかった。
2021年6月30日をもって契約延長交渉がまとまらず、形式上無所属という状態になる。コパ・アメリカ2021終了後バルセロナと再契約交渉をおこない、一度は双方とも新契約に合意していたが、8月5日にバルセロナ側から「経済的・構造的な障害のために正式な契約を結ぶことができない」という声明が発表され、21年間所属していたバルセロナを退団することになる。8月8日にはカンプノウで退団会見を開き、「残るための全てのことをやった」「最も辛い瞬間」と述べ、涙ながらに12歳の頃から所属したクラブに別れを告げる。
2021年8月10日、フランス・リーグ・アンのパリ・サンジェルマンFCと2年契約を結んだことが発表される。ネイマールから背番号10を譲ることを打診されるが、これを固辞し、新天地での背番号はプロデビュー時と同じ「30」となる。
8月29日のリーグ・アン第4節スタッド・ランス戦で途中出場し、フランスでのデビューを飾る。しかし、同僚のディ・マリアにパリに馴染めていないことが明かされるなど適用に苦しみ、力を出せず、批判の声が出始めていた。そんな中、9月28日のCLグループステージ第2節マンチェスター・シティ戦で待望の移籍後初ゴールを決める。11月22日、リーグ・アン第14節FCナント戦でリーグ戦出場6試合目にして待望のリーグ・アン初ゴールを記録。しかし、リーグ・アンでは怪我や新型コロナウィルス感染もあり前半戦1ゴールのみというまさかの成績に終わり、2月15日のCLラウンド16 レアル・マドリードとの1stレグではPKを失敗したことで酷評され、地元紙から最低点の評価を下される。2nd legでも不発に終わりチームは逆転負けを喫すると、直後のボルドー戦ではボールを持つたびに味方サポーターからブーイングを浴びるこれまでにない屈辱を味わい、CL敗戦の戦犯とされてしまう。PSGの2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献はしたが、結局リーグ戦で6ゴール14アシストという成績に終わり、期待値を考えると物足りないシーズンとなった。
2022-23シーズンのリーグ・アン開幕戦であるクレルモン戦では、鮮やかなバイシクルシュートを決めるなど、2ゴール1アシストの活躍を見せる。9月14日のCLグループステージ第2節マッカビ・ハイファ戦でゴールを決め、CL史上初の18シーズン連続ゴールを記録する。しかし、CLではラウンド16でバイエルン・ミュンヘンを相手に敗れると、味方サポーターから戦犯とみなされブーイングを浴びせられてしまう。さらに、バルサへの復帰話が取り沙汰されるようになり、2023年5月2日にはクラブへ無断でサウジアラビアに渡航したことが問題視され、2週間の活動停止処分を受ける。謝罪後、チームに復帰しPSGのリーグ連覇に貢献。公式戦41試合20得点20アシストという成績を残した。
リーグ最終節終了後、PSGを退団することが成績に発表される。
新天地について古巣FCバルセロナへの復帰やとてつもない巨額のオファーを受けたサウジアラビアのクラブへの移籍が取り沙汰されたが、2023年6月7日にデイヴィッド・ベッカムが共同オーナーを務めるアメリカ・MLSのインテル・マイアミCFへの移籍が発表される。契約は2年半で背番号は「10」。
7月21日のクルス・アスル戦でアメリカでの初出場を果たすと、試合終了直前に芸術的なFKからの直接ゴールを決め、チームを劇的な勝利に導く、鮮烈なデビューを果たす。インテル・マイアミでは加入して間もないにも関わらずキャプテンを任されると、7試合連続で10ゴールとゴールを量産。8月19日にはリーグスカップ優勝を果たし、アメリカでの初タイトルを獲得する。
2024年の1月下旬から2月上旬にかけてチームのアジアツアーに参加するが、2月4日の香港選抜との親善試合を怪我を理由に欠場。これに中国のファンが激怒し、「金を返せ!」とブーイングを浴びる事態となるなど批判が殺到する。ついには香港政府までが批判の声明を出す事態となる。
その3日後の2月7日には東京でのヴィッセル神戸との親善試合では、欠場の可能性が不安視されていたなかで後半途中から出場。
ところが日本で試合に出場したことで中国からの批判がさらに過熱してしまい、ついには3月に中国で予定されていたアルゼンチン代表の親善試合2試合が中止となってしまう。そんな騒動の中、2月15日には古巣であるニューウェルズ・オールドボーイズとのプレシーズンマッチが実現している。
2024年シーズン第2節ロサンゼルス・ギャラクシー戦で試合終了直前にジョルディ・アルバとの連携からシーズン初ゴールとなる起死回生の同点ゴールを決める。3月7日にハムストリングを負傷し、1か月ほど欠場するが、復帰後は盟友スアレスと二人でゴール、アシストを量産し、開幕7試合9ゴール4アシストという驚異的なスタッツを残す。4月27日のニューイングランド戦で2ゴール1アシストを記録し、MLS史上初めて5試合連続で複数得点に絡んだ選手となる。5月5日の第11節ニューヨーク・レッドブルズ戦では1ゴール5アシストという離れ業をやってのけ、二桁得点に到達。コパ・アメリカ2024での負傷によって2か月ほど戦列を離れるが、復帰戦となった9月14日の第31節フィラデルフィア・ユニオン戦で2ゴール1アシストという圧巻の活躍を披露。
2005年5月から開催されたFIFAワールドユース選手権2005にU-20アルゼンチン代表のエースとして出場。決勝のナイジェリア戦では、2つのPKを決める活躍で優勝に貢献。個人としても得点王と大会最優秀選手を獲得している。その後、ホセ・ペケルマン監督率いるフル代表に選出され、8月23日のハンガリー戦に途中出場し、18歳にして代表デビューを果たす。しかし、出場からわずか40秒後に相手選手に肘打ちをしてしまい一発退場。涙ながらにピッチを後にするほろ苦いデビューとなる。
2006年ドイツで開催されたFIFAワールドカップ 2006のメンバーにも選ばれ、グループステージのセルビア・モンテネグロ戦でワールドカップ初ゴールを記録。アルゼンチンにおけるワールドカップ最年少出場、最年少アシスト、最年少ゴールを一気に更新した試合となった。チームはベスト8で開催国のドイツに敗れ、レギュラーで出場することはなかったが、才能の片鱗を見せた大会となった。
2008年夏に開催される北京オリンピックに挑むU-23アルゼンチン代表のメンバーにも選ばれるが、デビュー時から怪我がちでフル稼働出来たシーズンはほとんど無かったことを考慮し、当初バルセロナ側は招集を拒否。だが、最終的には許可が下り、セルヒオ・アグエロやアンヘル・ディ・マリアら後のA代表の主力らとオーバーエイジにより選出されたフアン・ロマン・リケルメと破壊力抜群の攻撃陣を形成。決勝のナイジェリア戦では、58分にディ・マリアの決勝ゴールをアシスト。アルゼンチンの金メダル獲得に貢献する。
名実ともに世界最高選手として注目されるようになったFIFA ワールドカップ2010では、監督を務める母国の英雄ディエゴ・マラドーナから攻撃の全権を任されるも、戦術の無い個人技頼みのチームで持ち味を出すことができず。準々決勝のドイツ戦では何もさせてもらえず完敗。このあたりからバルセロナのときと比べて代表で輝けないメッシに対するアルゼンチン国民からの批判が強まるようになる。
コパ・アメリカ2011では無得点に終わり、準々決勝敗退となるが、大会後24歳にしてアルゼンチン代表のキャプテンに任命される。2013年6月14日のグアテマラ戦でハットトリックを決め、マラドーナの持つ代表通算ゴール数34を抜く。
キャプテンとして迎えた2014 FIFAワールドカップでは、初戦となったボスニア・ヘルツェゴビナ戦でゴールを決め、2大会ぶりに得点を記録する。続くイラン戦では0-0で迎えた試合終了間際に決勝ゴールを決めると、グループリーグ最終戦のナイジェリア戦でも2ゴールの活躍。延長戦までもつれ込んだベスト16のスイス戦では、ディ・マリアの決勝ゴールをアシスト。ここまでの4試合全ての試合でMOMに選ばれている。準々決勝のベルギー戦と準決勝のオランダ戦では、相手の包囲網が厳しく決定的な仕事をさせてもらえなかったが、チームは1990年イタリア大会以来24年ぶりに決勝へと進む。決勝のドイツ戦では、堅守からのカウンターを狙う攻撃陣を引っ張り脅威を与えるが、延長戦の末に敗れ、悲願のワールドカップ優勝をあと一歩のところで逃すこととなる。試合後、大会のゴールデンボール賞を受賞する。
ブラジルワールドカップで悔しい思いをしたメンバーがほぼ残った顔ぶれで挑んだコパ・アメリカ2015では、自身も含めた攻撃陣が不調だったが、守備陣の奮闘もあってしぶとく勝ちあがっていく。準決勝のパラグアイ戦では、チャンスメーカーとして大量6ゴールを奪った攻撃陣をリード。しかし、決勝のチリ戦では、相手に圧倒されて豪華攻撃陣が沈黙。0-0で迎えたPK戦の末に敗れ、2014年のワールドカップに続いて準優勝に終わる。試合後、大会の最優秀選手に選ばれるが、なんとこれを拒否。賞が空席となってしまう異例の事態を引き起こす。
2016年6月にアメリカで開催されたコパ・アメリカ・センテリオでは、負傷を負ったため開幕戦を欠場。第2戦目のパナマ戦で61分から途中出場すると、ハットトリックを達成。準々決勝のベネズエラ戦でもゴールを決めると、準決勝のアメリカ戦ではFKからの直接ゴールを決め、代表通算ゴールを55とし、ガブリエル・バティストゥータが持っていた代表最多得点記録を塗り替える。2大会連続で決勝へ進出し、相手も前回大会で敗れた因縁のチリとの再戦という形になる。しかし、またしても0-0からPK戦にもつれ込み、1人目として蹴ったPKを外してしまう。結局PK戦の末に敗れて2大会連続で準優勝に終わり、大会後心身の疲労を理由にアルゼンチン代表からの引退を示唆する。
だが、8月に母国愛を理由に代表引退を撤回する。2015年からスタートしたロシアワールドカップ南米予選でアルゼンチンは、予想以上の苦戦を強いられ、最終節を前にワールドカップ出場圏外の6位で迎え、予選敗退の危機に直面する。このアウェイのエクアドル戦で開始早々にリードを許すが、12分の同点ゴールを皮切りにハットトリックの大活躍を見せ、母国の窮地を救い、ワールドカップ出場に導いてみせる。なお、この南米予選では21ゴールを記録し、南米予選の最多得点記録を樹立。
31歳となり、ベテランとなったメッシは自身4度目となるFIFA ワールドカップ2018に出場。しかし、第1戦目のアイスランド戦でPKを失敗し1-1の引き分けに終わり、2戦目のクロアチア戦では0-3の完敗と窮地に立たされる。当時の代表監督であるホルヘ・サンパオリはメンバーに誰を入れ、誰を外すかをメッシに訊ねており、このことで選手と指揮官の間に内紛が起きていた。それでも、ナイジェリア戦では自らゴールを決めてチームを決勝トーナメント進出に導いている。ベスト16のフランス戦では2アシストを記録するが、チームは3-4で敗れて敗退。メッシ頼みのチームの限界を露呈することとなった。
ロシアワールドカップ終了後、過度の重圧から年内の代表としての活動を休止。2019年3月のエクアドルとの親善試合で代表に復帰し、6月からブラジルで開催されたコパ・アメリカ2019に出場。黒星スタートとなった中、第2戦のパラグアイ戦でPKによるゴールを決め、チームは準決勝まで進む。しかし、準決勝で宿敵のブラジルを相手に0-2の完敗。試合後、主審の厳しいジャッジをメディアを通して厳しく批判する。続く3位決定戦のチリ戦では、31分にガリー・メデルとの小競り合いによって一発退場になる。アルゼンチンは試合に勝利したが、試合後メッシは判定と大会運営への抗議のため表彰式に参加せず、メダルの受領も拒否。この一連の行動を重く見た南米サッカー連盟は、メッシに対し5万ドルの罰金と3カ月の出場停止処分を科す。
2021年6月に開催されたコパ・アメリカ2021では2年前に遺恨を残したチリと初戦で対決し、FKから直接ゴールによる先制ゴールを決める。続くウルグアイ戦ではピンポイントのクロスでギド・ロドリゲスの決勝ゴールをアシスト。グループステージ第5節のボリビア戦では代表での出場試合数が148試合に達し、ハビエル・マスチェラーノを抜いて歴代最多出場試合数を樹立。試合では次元の違うスーパープレーを連発し、2ゴール1アシストの大活躍で自らの記念試合に華を添える。準々決勝のエクアドル戦では1ゴール2アシストと3ゴール全てを演出する活躍をまたも見せる。準決勝のコロンビア戦でもラウタロ・マルティネスのゴールをアシストし、ここまでアルゼンチンの奪った11ゴール全てに絡むこととなる。そして、7月10日に開催されたブラジルとの決勝でアルゼンチンはディ・マリアが決勝ゴールを決めて1992年以来のタイトルを獲得。自身にとって5度目の正直にしてようやく掴んだ悲願の代表での初タイトルを獲得。大会7試合で4得点5アシストを記録し、得点とアシスト両方で大会トップの成績を残し、大会のMVPにも選ばれる。さらには、2021年11月29日に史上最多通算7度目のバロンドールを受賞。
2021年9月9日、2022 FIFAワールドカップ南米予選第10節ボリビア戦ではハットトリックの活躍を見せ、代表での通算得点を79に伸ばし、ペレの記録を抜いて南米での最多得点選手となる。この試合の後、コパ・アメリカ優勝セレモニーをおこない、サポーターと喜びを分かち合いながら歓喜の涙を流している。南米予選ではチーム最多タイの7ゴールを決め、ワールドカップ出場権獲得に貢献。2022年6月1日にEURO王者のイタリアと争ったフィナリッシマ2022では2アシストの活躍で勝利に貢献し、代表で2つめのタイトルを獲得する。6月5日のエストニア戦では代表では初となる1試合5ゴールを記録。
2022年11月にカタールで開催された2022 FIFAワールドカップは、自身5度目の出場であり、これが最後のワールドカップになることを公言しての大会となった。
グループリーグ初戦のサウジアラビア戦でPKを決め、先制ゴールを決めるが、その後チームはまさかの逆転負けを喫し、悲願の初優勝へ暗雲が漂うスタートとなった。続くメキシコ戦でも膠着状態が続くが、後半19分にミドルシュートを決め嫌な空気を払拭させる。試合終盤には、エンソ・フェルナンデスのゴールをアシスト。1ゴール1アシストの活躍でチームに初勝利をもたらす。第3戦のポーランド戦ではPKを止められるも、アルゼンチンは2-0で勝利し、首位でグループリーグを突破。
キャリア通算1000試合目のメモリアルマッチとなったラウンド16のオーストラリア戦では、前半35分に自身にとってワールドカップ決勝トーナメント初ゴールとなる先制ゴールを決め、勝利に貢献する。準々決勝のオランダ戦では、前半に正確無比なスルーパスでナウエル・モリーナのゴールをアシスト。後半28分にはPKで追加点を奪う。その後オランダに同点に追いつかれるが、PK戦では1人目のキッカーとして成功させ、ベスト4進出を果たす。なお、この試合ではオランダのルイス・ファン・ハール監督から挑発的な言動を受けたこともあって感情的になる場面が見られ、試合後に近づいてきたボウト・ヴェグホルストに対し攻撃的な言葉で応対している。
W杯最多出場記録(25試合)に並んだ準決勝のクロアチア戦では、前半32分今大会屈指のPKストッパーであるドミニク・リバコビッチを相手にPKによる先制ゴールを決める。このゴールは、アルゼンチンのW杯最多得点記録更新となる通算11点目であった。さらに後半24分には、ヨシュコ・グヴァルディオルをドリブルで振り切っての圧巻のプレーからフリアン・アルバレスのダメ押しゴールをアシスト。ついに悲願のワールドカップ優勝に王手をかける。
2022年12月18日、フランスとの決勝でワールドカップ最多試合出場数及び最多出場時間数を更新する。前半23分に盟友ディ・マリアが得たPKをきっちり決め、先制ゴールを決める。後半にフランスのキリアン・エムバペの2ゴールによって2点のリードを追いつかれてしまうが、延長後半4分にラウタロ・マルティネスのシュートのこぼれ球に詰め、勝ち越しゴールを決める。これでアルゼンチン優勝かと思われたが、またしてもエムバペに同点ゴールを決められ、PK戦に突入。ここでも1人目のキッカーとして確実に成功させると、PK戦を制し、5度目の正直で長年の悲願だったワールドカップ優勝を果たす。
大会後、自身にとって二度目となるFIFAワールドカップ・ゴールデンボール(最優秀選手賞)を受賞。長年ディエゴ・マラドーナと比較されてきた「呪い」から解き放たれた瞬間であり、史上最高のプレイヤーと評されるのに欠けていた最後のピースを埋めた瞬間でもあった。
2023年10月30日には、ワールドカップでアルゼンチンを優勝に導いたことが評価され、史上最多通算8回目となるバロンドールを受賞する。
ワールドカップ後もアルゼンチン代表としての活動を継続する意向を明らかにし、優勝後初の母国アルゼンチンでの代表ウィークとなった2023年3月には国民から熱烈な歓迎を受ける。3月28日のキュラソー戦では前半だけでハットトリックを達成。これにより南米の選手とはしては初となる代表通算100ゴールを達成。
2023年9月8日の2026 FIFAワールドカップ南米予選第1節エクアドル戦では値千金となるFKからのゴールを決め、勝利をもたらす。
2024年6月、アメリカで開催されたコパ・アメリカ2024に出場。36歳として最後の試合となった開幕戦のカナダ戦ではラウタロ・マルティネスのゴールをアシストし勝利に貢献。グループステージ最終戦のペルー戦は怪我のために欠場となったが、準々決勝のエクアドル戦で復帰。PK戦までもつれ込んだ試合で1人目のキッカーを務めるが、パネンカを狙って失敗。しかしチームメイトの奮闘によって戦犯になることを回避する。準決勝のカナダ戦ではチームの2点目を決め、大会初ゴールを記録。決勝のコロンビア戦では後半21分に右足首の靭帯が損傷しプレー続行不可能となる。ベンチに戻ったメッシは人目をはばからず涙を流すが、奮起したチームメイトによってアルゼンチンは大会連覇を果たし、キャプテンとして国際大会3大会連続で優勝トロフィを掲げる栄誉を得ることとなった。
サッカープレイヤーとしては小柄でストライドは短いというが、爆発的な加速力と繊細なボールタッチを武器に敵陣を切り裂く世界最高峰のドリブラー。トップスピードに乗った状態でのドリブルでもボールが足元から殆ど離れず、相手DFが飛び込む隙を与えない。尚且つ筋肉質であるため、ユニフォームを引っ張るなど故意のファールでも止められず、対戦相手の指揮官から「メッシを止めるにはショットガンが必要だ」とジョークが飛ばされるほどである。
また、視野も抜群に広いため、人数をかけてコースを塞がれてもフリーの味方を見つけ出し、絶妙なパスを供給出来る。特に右サイドから逆サイドのスペースへ対角線に通す浮き球のスルーパスを得意としている。近年は中央でプレーする機会が増え、ゴールゲッターとしての才能も開花。ゴール前での落ち着きは目を見張るものがあり、芸術的なループシュートから強烈なミドルシュートまでそのバリエーションも豊富。
シャビやイニエスタが去ってからのバルセロナでは、アンカーのエリアまで下がってゲームメイクに加わる場面も見られ、1人でゴールを量産しながらゲームメイクもこなしてしまう完全無欠のアタッカーへと進化。さらに若い頃はさほど得意で無かったプレスキックのキッカーとしても進化を遂げており、2014-15シーズン以降はフリーキックからの直接ゴールの数が飛躍的に伸びている。特に2018-19シーズンは、公式戦で8ゴールを決め、ますます歯止めの利かない選手となっている。
試合開始から数分からは歩行をするだけで試合から消えていることが多いが、これは周囲を観察してこれから起きることを予測するためだと言われている。90分間においても走行距離が他の選手と比べて少なく、多くの時間を歩いている。これも首を振りながら状況を観察し、頭の中に迅速に地図を作るためであると言われている。そして、ボールを受けた瞬間にすぐにスイッチを入れ、一瞬でトップギアに入れるスタイルを確立させているためである。自身のエネルギーを攻撃に全て集中させることであの圧倒的な個人能力を発揮している。ただし、守備への貢献がほとんどないため、チームの守備が不安定になる原因にもなっている。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2003ー04 | バルセロナB | セグンダ | 5 | 0 | |
2004ー05 | バルセロナB | セグンダ | 17 | 6 | |
バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 7 | 1 | ||
2005ー06 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 17 | 6 | |
2006ー07 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 26 | 14 | |
2007-08 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 28 | 10 | |
2008ー09 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 31 | 23 | |
2009-10 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 35 | 34 | |
2010-11 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 33 | 31 | |
2011-12 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 37 | 50 | |
2012-13 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 32 | 46 | |
2013-14 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 31 | 28 | |
2014-15 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 38 | 43 | |
2015-16 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 33 | 26 | |
2016-17 | バルセロナ | ラ・リーガ | 34 | 37 | |
2017-18 | バルセロナ | ラ・リーガ | 36 | 34 | |
2018-19 | バルセロナ | ラ・リーガ | 34 | 36 | |
2019-20 | バルセロナ | ラ・リーガ | 33 | 25 | |
2020-21 | バルセロナ | ラ・リーガ | 35 | 30 | |
2021-22 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 26 | 6 | |
2022-23 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 32 | 16 | |
2023 | インテル・マイアミ | MLS | 6 | 1 | |
2024 | インテル・マイアミ | MLS |
「メッシは私が現役時代に一度もできなかったプレーを、1試合のうちに4、5回やっている。」
「この世に2人の史上最高の選手は存在しない。唯一の存在であり、それがメッシだ。」
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最終更新:2024/10/05(土) 06:00
最終更新:2024/10/05(土) 06:00
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