リッチモンド公爵 単語

リッチモンドコウシャク

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リッチモンド公爵とは、イングランド公爵位である。


今までの歴史の中で4回創設されている。第1期と第2期は爵位を受けた者が男子後継者を作れなかったので一代で絶えた。第3期は二代で絶えた。第4期は1675年に創設されて、2019年の現代まで続いている。

本記事では、第4期のリッチモンド公爵を代々受け継いでいるゴードン=レノックスについて記述する。
 

系譜

英国国王と愛人の間に男子が生まれ、英国国王に溺愛される

17世紀のフランスに、ルイーズ・ケルアイユexitという美女がいた。彼女フランス貧乏貴族出身で、結婚持参もまともに用意できないので普通結婚を諦め、フランスの王宮に入って国王ルイ14世愛人になろうとした。ところがそのときのルイ14世は他の愛人中だったので、その企みは失敗した

フランスの王宮の中で働いていたら英国の王宮に派遣されることになり、ロンドンへ行ってみると英国国王チャールズ2世一目惚れされ、すぐに愛人になった。出産したチャールズレノックスという息子は、僅か3歳でリッチモンド公爵位(イングランド爵位)とレノックス公爵位(スコットランド爵位)を与えられた。これが、レノックスの初代家長である。

ルイーズ・ケルアイユは英国国王の寵を受けて多くの品を贈られており、態度も尊大になっていて、英国議会の議員たちから「あんな女は外追放しろ!」と言われるほどだったが、チャールズ2世が生きている間はずっと英国に住むことができた。

息子チャールズレノックスも溺され、タイン炭山の石炭の産出に応じてお金をもらう権利を与えられた。このときの優遇措置により、レノックスは大持ちになった。2019年現在レノックス現在の名称はゴードン=レノックス)は大持ちである。

ルイーズ・ケルアイユはフランス国王ルイ14世からスパイとして英国王宮に送り込まれていたらしい。ルイーズ・ケルアイユがうまくチャールズ2世愛人になって英国王宮の深くに潜入することができたため、ルイ14世も大喜びだった。そのため、ルイ14世ルイーズ・ケルアイユに「オウビーニュイ公爵位」を与えた。この爵位も、レノックス現在の名称はゴードン=レノックス)の家長が代々受け継ぐことになった。


レノックス現在の名称はゴードン=レノックス)は、初代家長から、第11代現家長までの全員チャールズという名前を名乗っている。「チャールズ2世愛人息子」というのがこのの最大の特徴なので、代々チャールズという名前を使っている。
 

第2代から第5代まで陸軍軍人を輩出する

2代目家長陸軍軍人として少将まで昇進し、近衛馬連隊(王宮を警護する部隊)の連隊長を務めた。寝室従長になって国王の身の回りの世話をしたこともある。また、庶民院議員になったこともある。

3代家長陸軍軍人として元帥まで昇進した。また、貴族院議員になった。

4代家長陸軍軍人になっていて、ナポレオン戦争に参加している。

5代目家長陸軍軍人になり、貴族院の議員になった。この人の母親ゴードン家出身だったが、ゴードン男子継承者がおらずに断絶していた。そのため、5代目家長から「ゴードン=レノックス」と名乗るようになった。
 

第6代家長のときに爵位が追加される

6代家長は軍隊に行かず、若い頃から貴族院議員だった。貴族院で活躍し、保守党院内総務(保守党の中のリーダー格。日本でいえば自民党の幹事長)になった。通商大臣や枢密院議長にもなり、ヴィクトリア女王にも信頼されたので、1876年にゴードン公爵という爵位を追加で与えられた。5代目家長母親ゴードン家出身なのだが、そのゴードンに与えられていたゴードン公爵位を受け継いだという格好になる。

これで、ゴードン=レノックスは、初代家長に与えられたリッチモンド公爵位と、同じく初代家長に与えられたレノックス公爵位と、初代家長母親がもらったオウビーニュイ公爵に合わせて4つ公爵位を名乗ることになった。
 

第7代家長と第8代家長は軍隊と貴族院で働く

第7代家長は軍隊をちょっと経験してから貴族院議員になった。

第8代家長は軍人で、貴族院議員にはならなかった。この人の代から、政治活動をやらなくなった。
 

第9代家長からモータースポーツにハマリ始める

第9代家長フレデリック・チャールズ・ゴードン=レノックスexitという。チャールズがミドルネームになったのは、ゴードン=レノックスの歴代家長の中で第9代家長だけである。

1904年生まれで1989年したこの人は飛行機が大好きで、大学時代から工学中になり、大学を出たら自動車レースに参加し、第二次世界大戦中は航空機製造省に勤務して軍用飛行機を設計していた。そして、1948年にグッドウッドサーキットを開設した。現在ゴードン=レノックスモータースポーツ大好きでグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード運営しているのだが、そのを作り上げた。


第10代家長チャールズ・ヘンリー・ゴードン=レノックスexitという。1929年に生まれて2017年した。この人は公認会計士としてビジネス世界を20年近く生き抜いていたビジネスマンであり、サセックス大学の学長を務めたり英国教会に関わったりしていた。教育宗教に顔を出す、実直で生な人と言っていいだろう。モータースポーツには、あまり関心を持っていなかったようである。かなりの放任義の人だったらしく、息子が名門学校退学して写真になると言いだしたら「好きなようにしなさい」と言い、息子モータースポーツイベントを開催しようと言い出したら「好きなようにしなさい」と言った。


第11代家長チャールズ・ゴードン=レノックスexitという。1993年からグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードを開催するようになった。モータースポーツ大好きなのは祖に似たのであろう。
 

家長の爵位、家長の嫡男の爵位、家長の孫の爵位

ゴードン=レノックス家長爵位は、数多い。公爵位が4つある



ゴードン=レノックス家長の嫡男は、次の爵位を名乗る。



ゴードン=レノックス家長の嫡男の嫡男(要するに、家長の孫)は、次の爵位を名乗る。



グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードを1993年に始めたことで有名な1955年生まれのこの人exitは、祖が生きている1989年まではセトリトン男爵名乗り父親が生きている2017年9月1日まではマーチ伯爵名乗り2017年9月1日から家長になってようやくリッチモンド公爵を名乗るようになっている。

2005年のこの記事exitには「マーチ卿がグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードを始めた」と書いてある。この時点ではリッチモンド公爵と呼ぶことができないので、正しい記述と言える。
 

リッチモンド公爵家の財産

初代家長のころからゴードン=レノックスは巨大な資産を抱えていて裕福だった。

第8代家長から第9代家長代替わりした1930年代に、高額の相続税を払うことになり、いくつかの屋敷を売り飛ばすことになった。このとき第9代家長は「何のビジネスもせず、ボーッとしていると相続税ですべてを失ってしまう」と危機感を抱いたらしく、グッドウッドエステートという企業を立ち上げ、観光などのビジネスを始めることになった。
  

グッドウッドハウス(家長が住む大邸宅)

イギリス南部に、ウェスト・サセックス州exitという田舎の州がある。その中のこの場所exitに、グッドウッドハウスがある。

リッチモンド公爵家長が住んでいる大邸宅で、画像検索すると立派な屋敷の姿が目に入ってくるexit。屋敷の前には円の形のがあり、屋敷は4つの緑色ドームがある。に、緑色植物が生えている。イギリス貴族のこういう大邸宅をカントリー・ハウスexitと言い、中には数十人から数人のお手伝いさんが住み込み労働者として働いている。

グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの際には、この大邸宅の前の広場(円状の道路があるところ)がメイン会場になる。毎年、ホスト役を依頼された自動車企業が、オブジェを展示するのが恒例になっている。画像検索すると、珍妙な形のオブジェの姿が目に入るexit

結婚式会場としても利用されているexit
 

グッドウッド競馬場

グッドウッドハウスから北に2km離れたこの場所exitに、グッドウッド競馬場がある。

グッドウッド競馬場の経営はリッチモンド公爵業みたいなもので、第3代家長17351806年)が1802年に初めて作った。この人は陸軍軍人だったので、強くて速い軍用を作る競馬というスポーツに大きな関心があった。現在まで連綿と受け継がれ、「世界で最も美しい競馬場」と評され、競馬開催時は貴族の社交場になる。

コースの形は、8の字を描いたような形になっているexit

最も有名な競走はサセックス・ステークスexitで、世界最高峰のマイルレース優勝にはウォーニング、ビッグストーンといった日本競馬ファンなら聞いたことがある名前がある。前者はカルストンライトオ後者メイショウドトウ


 

グッドウッドサーキット

グッドウッドハウスから南西に1.7km離れたこの場所exitに、グッドウッドサーキットがある。

サーキットの内部にはチチスター・グッドウッド空港がある。定期就航便はないが、航空学校練習場として使われている。

第二次世界大戦中に、イギリスドイツしい航空戦を展開した。これをバトルオブブリテンという。軍用機を飛ばすための飛行場としてチチスター・グッドウッド空港が整備された。

第二次世界大戦が終わって、空港空軍からリッチモンド公爵へ返還された。その空港の周りをぐるっと囲む形でサーキットが作られ、1948年オープンした。第9代家長モータースポーツ大好きなので、数々のレースが開催された。

1960年代頃までレースが開催されたが、1966年を最後にレースが開催されなくなった。

1993年からグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードが始まり、好評となった。それを受けて1998年からグッドウッド・リバイバルがグッドウッドサーキットで開催されるようになった。


 

クリケット場と牧場

初代家長exit第2代家長exitクリケットという競技の普及に努めていた。その遺志を継ぐためか、グッドウッドハウスから南東にちょっと離れたこの場所exitは、広大クリケット場になっている。

このクリケット場は、世界古のものだという。この記事exitで第11代家長っている。

クリケット場の周辺は牧場になっており、が放牧されている。この写真exitで、そのことを確認できる。

牧場というのは、家畜の落とし物のせいで、くさい。このように検索するとexit牧場のそばに住む人々の苦しむを読むことができる。なにもわざわざ牧畜なんてしなくて良いのに、と思ってしまうのだが、古き良き時代風景を維持するために牧畜をしているのだろう。


グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの際には、クリケット場と牧場のところに仮設の建物を建てる。航空写真exitと、このイベント・マップexitを見べると、仮設の建物を建てた跡が牧場の上に残っていることがよく分かる。
  

ゴルフ場

グッドウッドハウスから南にちょっと離れたこの場所exitに、ゴルフ場がある。
 

ホテル

グッドウッドハウスから南にちょっと離れたこの場所exitに、ホテルがある。グッドウッドハウス結婚式を挙げるときは、このホテルに泊まることになるのだろう。
 

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