銀河英雄伝説の戦闘 | |
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リップシュタット戦役 | |
基本情報 | |
時期 : 帝国暦488年 4月6日~8月頃 | |
地点 : 銀河帝国国内 | |
結果 : 銀河帝国正規軍の勝利 | |
詳細情報 | |
交戦勢力 | |
ゴールデンバウム朝銀河帝国政府 | リップシュタット貴族連合 |
指導者 | |
帝国宰相 クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵 |
盟主 オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵 |
最高指揮官 | |
帝国軍最高司令官 ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥 |
実戦総司令官 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将 |
動員兵力 | |
ローエングラム元帥府 ミッターマイヤー艦隊 ロイエンタール艦隊 ケンプ艦隊 メックリンガー艦隊 ミュラー艦隊 ビッテンフェルト艦隊 キルヒアイス艦隊 ワーレン艦隊 ルッツ艦隊 など |
リップシュタット貴族連合軍 ブラウンシュヴァイク公爵家 リッテンハイム侯爵家 ヒルデスハイム伯爵家 フレーゲル男爵家 など貴族3740名 兵員総数2560万名 艦艇総数15万隻前後 |
リップシュタット戦役 | |
オーディン制圧 - アルテナ会戦 - レンテンベルク要塞攻防戦 - キフォイザー星域の会戦 - シャンタウ星域の戦い - ガイエスブルク要塞の戦い - ヴェスターラントの虐殺 - ローエングラム侯暗殺未遂事件 - オーディン再制圧 |
前の事件 | 次の事件 |
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帝国領侵攻作戦 | イゼルローン回廊帝国寄り宙点における戦闘 |
リップシュタット戦役とは、「銀河英雄伝説」の戦闘の一つである。
帝国暦488年4月6日~8月、ゴールデンバウム朝銀河帝国において発生した大規模な内戦。
第36代皇帝フリードリヒ4世の死後、第37代皇帝としてエルウィン・ヨーゼフ2世を擁立した帝国宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵、宇宙艦隊司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵両名の枢軸体制に対し、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム3世侯爵ら保守派門閥貴族が連合して対抗したことによる貴族叛乱である。
この戦役における貴族連合の敗北の結果、ルドルフ大帝以来五世紀にわたって帝国を支えた門閥貴族体制は完全に崩壊するとともに、戦役の終結と時をあわせて発生した宮廷クーデターによりローエングラム公ラインハルトが帝国宰相・帝国軍最高司令官として銀河帝国の実権を掌握し、ローエングラム独裁体制が確立されることとなった。
帝国暦487年10月、皇帝フリードリヒ4世が急死すると、皇太子ルードヴィヒが早逝していたことから、帝国国内では誰をして後継帝とするかが問題となった。
皇太子ルードヴィヒには男子(すなわち直系皇孫)であるエルウィン・ヨーゼフがいたが、5歳と幼少で、かつ有力な姻戚を持たなかったこともあって、彼よりもフリードリヒ4世女アマーリエとブラウンシュヴァイク公爵オットーの娘であるエリザベート、おなじくクリスティーネとリッテンハイム侯爵ウィルヘルムの娘サビーネの二人が候補であるとみなされていた。エリザベートは16歳、サビーネは14歳とこちらも若くはあるものの、それぞれブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家という帝国門閥貴族でも最大級の権門の生まれであり、後ろ楯としては充分なものがあった。
しかし、当時国務尚書・帝国宰相代理の地位にあったリヒテンラーデ侯爵クラウスは、これら外戚が国政を左右することを恐れるとともに自身の権勢維持を図り、エルウィン・ヨーゼフを擁立した。対立は必至となった門閥貴族への対抗上、軍事力と平民からの人気を必要としたリヒテンラーデ侯は、宇宙艦隊副司令長官である伯爵ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥を同盟者に選ぶ。ローエングラム元帥もまた国政と宮廷におけるリヒテンラーデ侯の権力・影響力を必要としており、彼は宇宙艦隊司令長官・侯爵に、リヒテンラーデ侯は摂政・公爵に位階をすすめた上でエルウィン・ヨーゼフ2世が即位することとなった。
この動きにより、自身の娘を皇帝に擁立するべく宮廷工作を重ねていたブラウンシュヴァイク公およびリッテンハイム侯はあるべき外戚としての権力を奪われることとなった。さらに、先帝時代の官僚貴族リヒテンラーデ公と帝国騎士出身のローエングラム侯による新体制は門閥貴族を疎外するものとなったため、帝室の藩屏たるを自認する門閥貴族全体に強い反発を巻き起こした。ここに及び、本来競争者であったはずのブラウンシュヴァイク・リッテンハイム両家はリヒテンラーデ・ローエングラム両者への共通の憎悪をもとに手を結ぶ。
このようにして、帝国の支配階級内には帝国暦488年初頭までに皇帝派リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸対反皇帝派ブラウンシュヴァイク=リッテンハイム連合の構図が成立する。後者がいずれ武力叛乱に至ることは前者にも不可避と予測され、ローエングラム元帥府では戦争準備が進められることとなった。
帝国暦488年2月初旬頃、ブラウンシュヴァイク公・リッテンハイム侯の両名を中心とする門閥貴族3740名が、首都星オーディンのリップシュタットの森に位置するブラウンシュヴァイク家の別荘に参集する。集会の名目は園遊会と古代名画のオークションだったが、実際には反リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸体制を呼号する決起集会であり、この時おこなわれた「愛国署名」の文面は、リヒテンラーデ公・ローエングラム侯を非難するとともに、”伝統的貴族階級”をして王朝守護を担うべき選良と謳ったものであった。この「愛国署名」を「リップシュタット盟約」と通称し、これをもって門閥貴族による軍事組織「リップシュタット貴族連合」が成立したものとされる。
貴族連合の盟主はブラウンシュヴァイク公爵オットー、副盟主をリッテンハイム侯爵ウィルヘルムがその地位についたが、実戦部隊の総司令官を決めるにあたって問題が生じた。自身が直接指揮を執るつもりであったブラウンシュヴァイク公に対し、競争者でもあるリッテンハイム侯が、盟主が軽々に前線指揮に出るべきではなく、専門の職業軍人を総司令官につけるべきだとして老練の用兵家として信望のあるウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将を推薦したのである。貴族の多くも賛同し、メルカッツ上級大将へ総司令官就任が要請されることとなった。
しかし、そもそもメルカッツ上級大将はリップシュタット盟約の参加者ではなく中立的立場を望んでおり、総司令官就任の要請にも固辞を通そうとした。ブラウンシュヴァイク公は盟主としての体面からなんとしても彼の総司令官就任を必要としており、説得が脅迫的になったためにやむなく受諾したが、この時メルカッツ上級大将はブラウンシュヴァイク公にふたつの条件を受け入れさせている。実戦の全権を委ね指揮系統を統一すること、地位身分にかかわらず命令に従い反すれば軍規に則り処罰を受けること、の二点であった。
リップシュタット連合の成立につづいて、反リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸派の貴族・軍人の大部分は春までにオーディンを離れた。事態が軍事衝突へと加速度的に進行するなかで、大規模な軍事衝突を回避しようとする動きも存在したが、それは門閥貴族排除のため暴発的武力叛乱をこそ望んでいたローエングラム側ではなく、むしろ貴族連合側にあった。直接の軍事衝突に及んだ場合、富力・数的戦力に優るとはいえ過度に楽観的で実戦経験もない門閥貴族の軍では不利と見る者たちがいたのである。
このうちの一人、ブラウンシュヴァイク公爵家に仕えるアントン・フェルナー大佐は、一撃をもって事態を解決すべきとして独自に300名の兵を集め、ローエングラム元帥の居館を襲撃せんと試みたが、当の居館はすでに厳重に警護されていた。それを知ったフェルナー大佐が襲撃を断念して部隊を解散させたために戦闘は未発に終わったが、この襲撃未遂事件がリップシュタット戦役の直接の引き鉄となった。
フェルナー大佐の独自行動を知ったブラウンシュヴァイク公は、これ以上帝都にとどまることに身の危険を感じ、家族・臣下とともにひそかにオーディンを脱出。これを知ったローエングラム元帥は実力をもって軍務省ビル・統帥本部を制圧するとともに、オーディンに残留していた門閥貴族がブラウンシュヴァイク公につづいて脱出を試みたところを拘束し、帝都オーディンを掌握した(オーディン制圧)。
この結果、ローエングラム元帥は宇宙艦隊司令長官にくわえ軍務尚書・統帥本部総長を兼任し、帝国における軍事の全権を得ることとなった。4月6日、皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世はローエングラム公ラインハルトに対し帝国軍最高司令官の称号をあたえるとともに、ブラウンシュヴァイク公以下の貴族たちを反逆を企図する国賊として討伐の勅令を降す。ブラウンシュヴァイク公以下、オーディンを離れた門閥貴族・反枢軸派軍人はガイエスブルク要塞を本拠として集結していたが、これをもって正式に帝国への叛乱と見做され、”賊軍”と呼称されることとなった。
リップシュタット戦役に至る両者の対立は帝国の支配階級内での分裂ではあったが、ローエングラム元帥はもとより平民からの人気が高く、門閥貴族への反感もあって討伐軍側が平民階級の支持を受けることとなった。また、貴族の中にもごく一部ながら討伐軍側を支持する動きが存在していた。リップシュタット連合の成立直前に娘をオーディンに派してローエングラム元帥への忠誠を表明したマリーンドルフ伯フランツがその代表格であり、オーディン制圧時には脱出しそこねた貴族の一部がマリーンドルフ伯爵家に庇護されている。
ローエングラム元帥府の兵力から構成される討伐軍の戦力は宇宙艦隊司令長官ローエングラム元帥によって直卒され、宇宙艦隊総参謀長をパウル・フォン・オーベルシュタイン中将が務めた。上級指揮官としてはジークフリード・キルヒアイス上級大将、ウォルフガング・ミッターマイヤー大将、オスカー・フォン・ロイエンタール大将、カール・グスタフ・ケンプ中将、エルネスト・メックリンガー中将、ナイトハルト・ミュラー中将、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト中将、ウルリッヒ・ケスラー中将らが参加している。
リップシュタット貴族連合の主な参加貴族としては、ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵という両巨頭のほかに、ヒルデスハイム伯爵、ランズベルク伯爵、フレーゲル男爵などがいた。これらの貴族のうちには儀礼的に軍の階級を有する者も少なからず存在したが、彼ら以外に正規軍を離反して参加する職業軍人も多く、装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト中将といった面々が部下を引き連れて参加している。特に、実戦総司令官を任されたメルカッツ上級大将は、新進気鋭の将帥からなるローエングラム元帥府の面々からもその軍歴と手腕によって一目置かれる存在であった。
”正義派諸侯軍”と自称した貴族連合軍の戦力は、正規軍と貴族の私兵をあわせて兵員総数2560万名に達し、艦艇総数においても15万隻以上に及んだとみられる。この兵力は、組織の統一を必要とする雑多な集団でこそあったものの、討伐軍に十分対抗しうる大軍であった。しかし、幹部級将校の数的中核をなした門閥貴族の多くはまともな軍務経験もなく、組織幹部としての統一された意思もほとんど持っておらず、戦略面ではおのおのが利己的な主張を押し通し、実戦に際しては生来の傲慢さに由来する楽観主義が蔓延するというありさまであり、この統率の欠如は最終的に貴族連合が敗北する主因のひとつとなった。また、これら貴族将校に対して兵士はすべて平民出身者であり、その構成の歪さが戦役の最終局面にいたって露呈することとなる。
エルウィン・ヨーゼフ2世の登極により帝国の内戦が不可避のものとして予測されるようになったとき、ローエングラム元帥府において問題となったのが、第三勢力となりうる自由惑星同盟、ひいてはイゼルローン要塞に駐留するヤン・ウェンリー大将の存在であった。前年のアムリッツァ星域会戦で同盟軍戦力の多くが失われたとはいえ、ヤン大将はローエングラム元帥の最大の敵手のひとりであり、介入を受けた場合に内戦の長期化や戦況の逆転なども想定され得たためである。
ローエングラム候はヤン大将を国内問題に拘束するべく、思想犯(事実上の捕虜)として収容されていたアーサー・リンチ元同盟軍少将を起用。捕虜交換に乗じてフェザーンから秘密裏に帰国したリンチ少将が同盟軍幹部に軍部クーデターを使嗾させた。これにより4月13日、同盟首都ハイネセンにおいて救国軍事会議によるクーデターが発生したことで、ヤン大将は同年8月ごろまでヤン艦隊を率いてクーデターの鎮圧に注力することとなり、リップシュタット戦役が同盟の干渉を受けることはなかった。
軍事的には、ローエングラム元帥の信頼するキルヒアイス上級大将を司令官、ワーレン、ルッツ両中将を副司令官とする別働隊が編成され、辺境星域の経略にあたっている。首都オーディンを守るのはモルト中将の率いる留守部隊将兵3万名のみであったが、これは貴族連合側の政治的事情から、皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世のいるオーディンを攻撃される危険がなかったためであった(詳細は後述)。
盟主ブラウンシュヴァイク公による初期の戦略案は、首都オーディンから本拠ガイエスブルク要塞にいたるまでを戦略縦深とし、航路上の九箇所おいた軍事拠点に配置した戦力をもって討伐軍に消耗を強い、最終的に消耗しきった討伐軍をガイエスブルク要塞から出撃した貴族連合軍主戦力が撃滅するというものであった。
しかし、この作戦には、各拠点への兵力分散のために本拠ガイエスブルク要塞が手薄になり、討伐軍が通信・補給の遮断により各拠点を間接的に無力化してガイエスブルク要塞へと直行した場合には作戦じたいが無意味になるという危険をはらんでいた。この危惧を指摘したメルカッツ上級大将は戦略に修正を加え、各拠点には偵察・監視の機能を担わせて実戦力はガイエスブルク要塞へと集中配備し、遠路ガイエスブルク要塞に到来する討伐軍に対し決戦におよぶ、という構想を示した。
しかし、結局これらの戦略が厳密に運用されることはなかった。服従を知らない門閥貴族たちの主張はしばしば先鋭化し、総司令官であるはずのメルカッツ上級大将でさえもしばしば妥協を余儀なくされたからである。ブラウンシュヴァイク公も時に総司令官就任時の二条件を無視することがあり、こうした問題点はリップシュタット戦役の終結にいたるまで是正されることがなかった。
上記した戦略構想がまとめられた作戦会議の場においては、ブラウンシュヴァイク公やメルカッツ上級大将による構想が示されたのち、さらに修正を加えるとしてシュターデン提督からも別の戦略構想が披瀝されていた。この構想は、討伐軍をガイエスブルク要塞に引きつける一方で大規模な別働隊により帝都オーディンを急襲、皇帝を擁して彼我の正当性を逆転させるというものであった。この案はメルカッツ上級大将も一時は構想した策ではあったが、貴族連合軍の政治的事情をかんがみれば非現実的な選択肢というしかなかった。
なぜならば、オーディン急襲が成功すれば、その指揮官は貴族連合軍最大の功績とともに皇帝と帝都を後ろ楯として得ることとなり、貴族連合を無視して自ら最高権力を手中に収めることすら可能となるからである。もともと利己的で野心の強い門閥貴族たちが反リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸という点でのみ一致して集った貴族連合においては、オーディン急襲案の政治的な意味合いは大きすぎた。
作戦会議でも、ランズベルク伯アルフレットが無自覚にこの点を指摘したことで、貴族連合内に不和を生み出す原因となっている。ローエングラム元帥もこの問題を理解していたため、貴族連合軍が別働隊をもってオーディンを奇襲する可能性を無視して兵力を正面戦闘に集中することができた。
リップシュタット戦役における最初の交戦となったのは、4月下旬、両軍が共に初戦の勝利と相互の戦術能力評価を目して出撃したことで発生したアルテナ会戦である。この戦闘における両軍の戦力は、シュターデン提督の指揮する貴族連合軍先陣16000隻に対し討伐軍先陣ミッターマイヤー艦隊14500隻であった。この戦闘では、早くも組織の脆弱さを明らかにした貴族連合軍が大敗し、有力な貴族のひとりヒルデスハイム伯も戦死した。
勝利した討伐軍は、貴族連合軍の管理下にあるフレイア星系レンテンベルク要塞の戦略的重要性を危険視し、この要塞を全面攻撃する(レンテンベルク要塞攻防戦)。防御を直接指揮する装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将を前に苦戦を余儀なくされたものの、最終的にはレンテンベルク要塞を陥落させ、敗戦ののち収容されていたシュターデン提督およびオフレッサー上級大将を捕虜とすることに成功した。
この時、討伐軍はオフレッサー上級大将のみを釈放してガイエスブルク要塞への帰還を許している。これは貴族連合を政治的に揺さぶる工作であり、同様に捕虜となった同僚・部下16名が処刑される一方でひとりガイエスブルク要塞に戻ったオフレッサー上級大将は、ブラウンシュヴァイク公より背信の嫌疑を受けて射殺された。反ローエングラム派の最右翼とみなされていたオフレッサー上級大将が背信の咎で処刑されたことは、討伐軍の思惑通り貴族連合内に大きな動揺をもたらすこととなった。
戦役勃発以降、キルヒアイス上級大将の指揮する討伐軍別働隊は辺境星域の平定にあたっていた。キルヒアイス上級大将は占領した惑星の統治を民衆に任せるとともに星間治安の維持に努め、この間に発生した60回以上の小戦闘にもすべて完勝をおさめている。この時期、キルヒアイス上級大将は担当する辺境星域について政軍両面の全権を委ねられており、彼を”辺境星域の王”と称するような冗談が語られたほどであった。
この事態を受けた貴族連合軍は7月初旬頃、辺境星域の奪回のため副盟主リッテンハイム侯を指揮官に5万隻の大軍を分遣する。しかし、この目的はあくまで名目上のものにすぎず、実態は盟主ブラウンシュヴァイク公との対立を深めたリッテンハイム侯の分派行動といえた。このリッテンハイム軍はキフォイザー星域ガルミッシュ要塞を根拠地とし、キルヒアイス軍とのあいだにキフォイザー星域の会戦が発生する。戦いはリッテンハイム軍の完敗に終わり、リッテンハイム侯もガルミッシュ要塞において死亡、貴族連合は副盟主と全軍の三割におよぶ兵力を失った。
同じ時期、進撃する討伐軍本隊のうちロイエンタール艦隊は、シャンタウ星域においてメルカッツ上級大将の直接指揮による秩序だった貴族連合軍大艦隊の迎撃を受ける(シャンタウ星域の戦い)。老練のメルカッツ上級大将を対手とすることになったロイエンタール大将は、過去にない難戦を予測して一時撤退を選択したため、この戦闘は結果としてリップシュタット戦役における貴族連合軍側の初勝利となった。
以降も討伐軍は進撃を続け、ローエングラム元帥から貴族連合軍への古典的かつ侮蔑的な”果たし状”の送付をきっかけに戦場はガイエスブルク要塞の周辺へと移った(ガイエスブルク要塞の戦い)。数回繰り返された小戦闘の結果、挑発と擬態に踊らされた貴族連合軍は討伐軍を過小評価し、8月15日の戦闘ではブラウンシュヴァイク公までも自ら出撃するに至る。この好機に、討伐軍は緻密な縦深陣を構築して貴族連合軍の誘引・殲滅を図った。貴族連合軍後衛に控えていたメルカッツ上級大将によって全面崩壊こそまぬがれたものの、この戦闘は貴族連合軍の完敗に終わり、受けた損害は甚大なものとなった。
こうした討伐軍側有利の戦況を受け、平民階級にも反抗の機運が育ちつつあった。ブラウンシュヴァイク公領の惑星ヴェスターラントでは大規模な暴動が生起、統治者であるブラウンシュヴァイク公の甥シャイド男爵が死亡する事件が発生する。これに激怒したブラウンシュヴァイク公は、ヴェスターラントに対して禁忌とされてきた核攻撃を命令。核攻撃の情報を得た討伐軍も貴族連合軍下層の兵士・民衆を離反させる好機として座視したため、命令は妨害なく実行された。これにより、ヴェスターラントに居住する民衆200万人が虐殺される(ヴェスターラントの虐殺)。
この惨劇は、討伐軍の監視衛星からの映像によって帝国全土に広められ、貴族連合とブラウンシュヴァイク公から人心が離反する決定打となった。包囲下のガイエスブルク要塞に残った門閥貴族たちはブラウンシュヴァイク公やフレーゲル男爵を中心に最後の抵抗に打って出たが、キルヒアイス上級大将の別働隊を合流させた討伐軍の前に壊滅する。貴族連合軍内部では兵士の離反が相次ぎ、フレーゲル男爵ら門閥貴族の多くは死亡。ブラウンシュヴァイク公も服毒自殺を遂げ、ここにリップシュタット貴族連合は完全に崩壊した。
9月9日、討伐軍の占領下となったガイエスブルク要塞で戦勝式が開催された。しかしその途中、ローエングラム元帥暗殺未遂事件が発生、キルヒアイス上級大将が死亡する惨事となった。暗殺犯はブラウンシュヴァイク公の臣下アンスバッハ准将だったが、この事件を奇貨としたローエングラム元帥府の高級幹部は暗殺未遂の罪を帝国宰相リヒテンラーデ公の陰謀に帰してその排除を決断。麾下の戦力を可能な限りの速度でオーディンへと帰還させ、国璽をはじめとする政府機能を制圧した(オーディン再制圧)。対するリヒテンラーデ公も戦役の終結を見越して宮廷工作を行っていたが、ローエングラム元帥府側の迅速な動きに機先を制される形となり、逮捕されたのち自決した。
10月、ローエングラム元帥は公爵に陞爵して帝国宰相に任じられ、帝国軍最高司令官の称号とあわせて政軍の全権を掌握した。ローエングラム公はカール・ブラッケ、オイゲン・リヒターら以前からの開明派を任用し、刑法・民法や税制の公平化、貴族荘園・農奴の解放などを中心とする画期的な改革を実行。貴族連合に与した門閥貴族の生き残りから財産と特権を剥奪する一方、内務省社会秩序維持局の廃止、思想犯・政治犯多数の釈放、発禁メディアの再刊許可、貴族向けの金融機関廃止と農民金庫新設など、民衆の権利を拡張する革新的な政策が進められた。
軍事面では、ローエングラム元帥府を構成したロイエンタール、ミッターマイヤー両大将とオーベルシュタイン中将は上級大将に昇進し、その他の中将も大将へと昇進した。先に殉職したキルヒアイス上級大将も、帝国元帥の称号をはじめとした各種の名誉を受けている。長く辺境防備の任を務めていたカール・ロベルト・シュタインメッツ中将の協力により辺境星域も改めてローエングラム体制に組み込まれ、シュタインメッツ中将も大将昇進のうえローエングラム元帥の指揮下に入った。また、ガイエスブルク要塞において降伏したファーレンハイト中将も、その能力を見込まれ、大将に昇進してローエングラム元帥の麾下に迎えられている。
こうして政軍双方からローエングラム独裁体制が確立された結果、すでに英雄視されていたローエングラム公は”解放者”ないし”改革者”として平民階級の熱狂的支持を受けることとなった。この支持が帝国暦489年から490年にかけての”神々の黄昏”作戦の遂行に大きく寄与し、ローエングラム朝銀河帝国の成立に至るのである。
リップシュタット戦役の結果、貴族連合軍の門閥貴族はほとんどが死亡するか捕らえられたが、脱出に成功した者もいくらか存在した。ランズベルク伯やフレーゲル男爵の部下レオポルド・シューマッハ大佐は難を逃れてフェザーンに亡命したが、二人はのちに皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世の”救出”を成功させ、帝国フェザーン駐在高等弁務官であったヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵とともにハイネセンでの銀河帝国正統政府の成立に参画することとなる。
実戦総司令官メルカッツ上級大将も、ガイエスブルク要塞の戦いの最終盤で要塞外に取り残されて孤立、ヤン大将の駐留するイゼルローン回廊へ向かい、部下とともに自由惑星同盟への亡命を選んだ。メルカッツ上級大将は同盟軍で中将待遇の客員提督として迎えられ、銀河帝国正統政府成立にあたっては軍務尚書に任じられた。
掲示板
29ななしのよっしん
2021/09/20(月) 22:14:05 ID: aP5VX3VUcc
仮にも帝国を二分する内戦で大勢の大貴族が死んだのに
その後帝国が全くダメージを受けてないように見える
同盟の衰退っぷりの方がヤバいからかもしれないけど
30ななしのよっしん
2021/11/05(金) 07:22:50 ID: BQOQNlJGlY
最初から要塞に籠ったおかげで「貴族以外」の人的経済的被害があまりないってのも理由かな。
建て直しに必要な人材は上につかえてた貴族層一掃したことによりいくらでも発掘できる(まあその結果が中間層の涸渇、七元帥クラスに対して妙に頼りない中将大将ズかもしれないけど)、必要な財源は貴族埋蔵金が使いたい放題、今が延び盛りなので誰もがやる気に満ち溢れてる、と好条件が揃ってる。
31ななしのよっしん
2021/11/19(金) 19:18:25 ID: vfQcROy+A+
薔薇戦争後のイングランドみたいなもんかな。人的被害は一部除いて意外と少なめ、大貴族が
消えて中央集権的な王権の強化(実質的にはローエングラム朝だけど)と領民から臣民ついで
国民への脱皮の始まり。
急上昇ワード改
最終更新:2023/05/28(日) 18:00
最終更新:2023/05/28(日) 18:00
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