リンドシェーバー(Lindo Shaver)とは、1988年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
朝日杯3歳Sでマルゼンスキーの伝説のレコードを破ったことで知られる、90年代の「強いマル外」の先陣を切った馬。
主な勝ち鞍
1990年:朝日杯3歳ステークス(GⅠ)
父Alydar、母*ベーシイド、母父Cool Moonという血統のアメリカ産馬。
父アリダーは1978年のアメリカ三冠全てで三冠馬Affirmedの2着に敗れた馬。種牡馬としては大成功を収め、*サンデーサイレンスのライバルEasy Goerの父でもある。その一方で若くしての不慮の死に保険金目当ての殺害疑惑があるなど何かと運が無さ過ぎた馬として有名。
母はアメリカでGⅢアクサーベンクイーンズハンデキャップを連覇するなど55戦23勝という戦績が残る。後に早田牧場によって輸入されて日本でも3頭の仔を産んだ。
母父クールムーンはカナダ産のアメリカの馬で52戦6勝、1970年のアメリカのユースフルSを勝ち、種牡馬としては*ベーシイドが代表産駒ということぐらいしかわからない。
姪に2014年の小倉2歳Sで単勝120.2倍の大穴を開けたオーミアリスがいる。
1988年3月3日、アメリカで*ベーシイドの第2仔として産まれたリンドシェーバーは、キーンランド・ジュライセールにて52万5000ドルという、当時としては結構なお値段で落札され日本にやってくることとなった。
オーナーは「リンド」や「エーピー」の冠名を用いた(株)デルマークラブ。
「エーピー」の冠名で「ん?」と思った人は勘が良い。このデルマークラブの代表は、直系子孫の*シニスターミニスターや*パイロなどで今や日本競馬のダート界に確固たる勢力を築いている大種牡馬A.P. Indyを共同所有していた鶴巻智徳という人。モータースポーツが好きな人なら、F1誘致を目指して日田市にサーキット「オートポリス」を作った人、と言えばわかるだろうか。エーピーインディの「エーピー」も「AUTOPOLIS」の略からである。ピカソの「ピエレットの婚礼」を75億円で競り落とした逸話でも知られるバブリーな人であった。
※本記事では当時の表記に合わせ、馬齢を数え年(現表記+1歳)で記述する。
美浦・元石孝昭厩舎に入厩したリンドシェーバー。デビュー前の併せ馬で併走相手に騎乗していたのが、主戦を務めることになる的場均だった。的場は隣を走るリンドシェーバーの動きのあまりの素晴らしさに驚き、元石師に「次はそっちの馬に乗せてくれないかな」と依頼、そのまま調教で騎乗してみて「本物だ」と確信。帰宅してすぐ妻に「おい、今年の朝日杯は勝ったぞ」と言ったという。
1990年7月8日、札幌・芝1200mの新馬戦でその的場均を鞍上にデビューすると、単勝1.4倍の断然支持に応え、終始先頭で8馬身差の圧勝デビューを飾る。以後、引退まで的場が一貫して手綱を取ることになった。
続く函館のクローバー賞(OP)では後のJRA賞最優秀3歳牝馬を受賞するノーザンドライバーとの対決となったが、ここでも1.8倍の人気に応えて2番手抜け出しからノーザンドライバーの追撃をクビ差振り切って連勝。
そのまま函館3歳ステークス(GⅢ)で重賞初挑戦したが、ソエ(管骨骨膜炎)に悩まされたこともあって逃げたミルフォードスルーを半馬身捉えきれず2着。初黒星を喫する。
その後はソエの治療を優先して一旦休養し、12月の朝日杯3歳ステークス(GⅠ)に直行。翌年から阪神3歳ステークスが牝馬限定の「阪神3歳牝馬ステークス」に変わったため、この年は年末の3歳GⅠが東西の3歳チャンピオン決定戦だった最後の年であった(ここ重要)。リンドシェーバーはデビューから3戦が1200mから直行ローテで1600mへの距離延長などが不安視されたか、1番人気に支持されたものの単勝オッズは4.3倍に留まった。
だがそんな不安視をリンドシェーバーはレースで一蹴する。好スタートから前のインにつけたところで少し下げて折り合いをつけたリンドシェーバーと的場均は、1000m57秒7というハイペースの流れを抜群の手応えのまま追走し、3コーナーで早くも前がいっぱいになり始めるのに合わせて進出開始。直線入口でもう先頭に立つと、2番人気ビッグファイトや4番人気ブリザードの追撃を全く寄せ付けず、力の差を見せつけるような1と1/4馬身差での完勝だった。
勝ちタイムは衝撃の1:34.0。このタイム、1976年に怪物マルゼンスキーが「唯一本気で走った」と言われる1:34.4、大差勝ちの伝説のレコードを14年ぶりに0秒4更新するものだった。
この年のダービー馬アイネスフウジンが前年にレコードタイを出していたこともあって、このリンドシェーバーのレコードタイムは非常に高く評価され、外国産馬でマルゼンスキー同様にクラシック出走権がなかったことも踏まえて「マルゼンスキーの再来」の声も挙がった。
この年の阪神3歳Sの方は、イブキマイカグラがこちらもサッカーボーイのレコードを更新して勝利。JRA賞最優秀3歳牡馬がどちらになるかが注目されたが、やはり「マルゼンスキーのレコードを破った」ということのインパクトは相当強かったようで、147票対23票の大差でリンドシェーバーが受賞した。
明けて4歳となったリンドシェーバーは、当時は東京・芝1400mだったヒヤシンスステークス(OP)で始動。58kgの斤量を背負わされながら4馬身差で圧勝する。
そしてリンドシェーバーは、皐月賞トライアルの弥生賞(GⅡ)に乗りこんだ。クラシックの出走権がないにもかかわらずトライアルに出走した理由はただひとつ、クラシック有力候補を蹴散らして真の世代最強を証明するためである。そして、その証明に相応しい相手が出走してきていた。そう、南井克巳の騎乗する西の3歳王者イブキマイカグラだ。この対決は大きな注目を集め、リンドシェーバーがここで勝ったら、リンドシェーバーとこの年のダービー馬とのマッチレースがJRAの協力で開催される予定だったというから凄い話である。この2頭が単枠指定され、当日のオッズはリンドシェーバー1.6倍、イブキマイカグラ4.3倍であった。
さて、ゲート内でカミノスオードが立ち上がったり、リンドシェーバー自身も枠入りの際に勢い余って飛び出してしまい入り直しになったりとちょっとゴタゴタしつつ始まったレース。ハナを切ったのは3番人気の超高額馬サンゼウス。リンドシェーバーはスムーズに2番手につけ、イブキマイカグラはインの中団に構えた。そのままレースは1000m61秒7で淡々と進み、3コーナーでサンゼウスとリンドシェーバーが2頭で後続を引き離すと、4コーナーでリンドシェーバーはそのまま馬なりでサンゼウスをかわして先頭へ。そこへ後ろから、イブキマイカグラが猛然と追い込んできた!
さあ5番のリンドシェーバーが馬なりでここで先頭に立ったか、
残り400m、各馬かなり外を回っておりますがリンドシェーバー先頭に立った、
リンドシェーバー先頭であります、サンゼウスが2番手、
さあイブキマイカグラが3番手から2番手に上がってきた!
さあリンドシェーバー的場が追う! 南井が来る! 南井が来る! 残り200mを切った!
外の方からはタニノボレロ勢い良く突っ込んで来る!
さあリンドシェーバー先頭だ! イブキマイカグラ!
大外からイイデセゾン! 大外からイイデセゾン!
さあイブキマイカグラか! イイデセゾン! リンドシェーバー!
3歳2頭の戦いは! 関西に軍配が上がりました!
激しい追い比べの末、最後はクビ差かわされて無念の2着。内国産馬にクラシックの価値を守り抜かれてしまい、世代最強の証明はならず、ダービー馬とのマッチレース企画もお流れとなってしまった。後に的場は著書で「仕掛けが早すぎたのだ。僕が慎重に乗っていれば、負けてはいなかった」と悔いを吐露している。
ちなみに最後の直線でお互いに外に斜行して4着タニノボレロの進路を塞いだりしていたため、的場・南井の双方に過怠金が課されている。
この後リンドシェーバー陣営は当時のマル外裏街道であるクリスタルカップからのマイル路線転向を表明したが、クリスタルカップに向けた調教中に骨折。父Alydarが早世しており既に総額9億円のシンジケートが組まれていたこともあって、復帰することなく秋に現役引退、種牡馬入りとなった。通算6戦4勝[4-2-0-0]。
怪物の再来と言われた東のマル外3歳王者vsクラシックの権威を守らんとする西の3歳王者という、このたいへん熱い弥生賞は、伝説のレースとして語り継がれ……ることは特になかった。
なんでかというと、この世代の主役は別にいたからである。そう、言わずと知れた皇帝の息子、3度の骨折を乗り越えた稀代のイケメンホース、無敗の二冠馬トウカイテイオーが。イブキマイカグラが皐月賞でトウカイテイオーに蹴散らされてしまったことで、イブキマイカグラvsリンドシェーバーの名勝負は、単なる帝王の引き立て役vsさらにその引き立て役による前座ということになってしまったのであった。悲しいなあ……。リンドシェーバーが勝っててもどうせお互いの怪我でマッチレースは実現しなかっただろって? まあそれはそう。
しかし彼の後の90年代、競馬の国際化の流れにより、日本競馬にはシンコウラブリイ、ヒシアマゾン、ファビラスラフイン、タイキシャトル、シーキングザパール、エルコンドルパサー、グラスワンダー、マイネルラヴ、メイショウドトウなどなど、陸続と強いマル外が上陸。今から振り返れば、リンドシェーバーはその先陣を切った馬と言えるだろう。なぜか多かった鞍上:的場均という意味でも。
引退後は日高スタリオンステーションで種牡馬入り。初年度の種付け数は60頭に留まったが、その後も安定して牝馬を確保し続け、最盛期の2000年には139頭を集めた。中央重賞馬4頭、交流重賞馬2頭を輩出。後継となるような大物は出なかったものの、芝でもいけるがダートに強いパワー型の短距離馬を輩出し、地方向け種牡馬としても活躍した。
母父としてもフィールドルージュ、オースミハルカ、オオエライジンなどを輩出し、近年でもサルサディオーネの活躍が印象深い。
2006年にシンジケートが解散してからは種付け数が大きく減少し、2011年限りで種牡馬を引退。その後は引退名馬繋養展示事業の助成対象馬となって十勝軽種馬農業協同組合の種馬所で余生を送り、2016年10月14日、老衰のため死亡。28歳の大往生だった。
| Alydar 1975 栗毛 |
Raise a Native 1961 栗毛 |
Native Dancer | Polynesian |
| Geisha | |||
| Raise You | Case Ace | ||
| Lady Glory | |||
| Sweet Tooth 1965 鹿毛 |
On-And-On | Nasrullah | |
| Two Lea | |||
| Plum Cake | Ponder | ||
| Real Delight | |||
| *ベーシイド 1978 黒鹿毛 FNo.23-b |
Cool Moon 1968 黒鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
| Lady Angela | |||
| Mamounia | Chanteur | ||
| Minaret | |||
| Polondra 1968 黒鹿毛 |
Donut King | Determine | |
| Strayed | |||
| Alondra | War Admiral | ||
| Lady Lark |
クロス:Nearco 5×4(9.38%)、Bull Lea 5×5(6.25%)
1990年朝日杯3歳S
も1991年弥生賞
もニコニコにないという現実。YouTubeで見てください。
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最終更新:2025/12/08(月) 09:00
最終更新:2025/12/08(月) 09:00
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