ルイス・ハミルトン 単語

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ルイスハミルトン

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ルイス・ハミルトン(Sir Lewis Carl Davidson Hamilton, 1985年1月7日~)とは、岡村隆史のそっくりさん

イギリス出身のF1ドライバーである。2008年2014年2015年2017年2018年2019年2020年ワールドチャンピオン

概要

F1初の黒人ドライバー(といっても、黒人イングランド人のハーフ)。尊敬するドライバーアイルトン・セナ黄色ヘルメットセナに対するリスペクトもあるのだろう。

カートを始めたのは1993年で8歳。この頃から非な才を見せ、マクラーレンロン・デニスに拾われる。1998年にはマクラーレンF1チーム契約を結び、以後のキャリアサポートされることになった。これが「マクラーレンの秘蔵っ子」と呼ばれる所以である。

2005年ユーロF32006年GP2を制し、2007年より名門マクラーレンよりF1デビューを果たす。開幕戦のオーストラリアGPでいきなり3位表台、第6戦カナダGPで初のポールポジション、そしてポートゥウィンでの初優勝を果たすなど、ルーキーイヤーから存在感を示していた。もちろんビューイヤーからこれだけの成績を残すドライバーは稀であり、数々の記録を塗り替えた。2007年は惜しくも1ポイント差で逆転を許しドライバーズラキング2位に終わったが、2008年には逆に1ポイント差で当時の最年少(22歳96日)となるワールドチャンピオンいた。(2010年セバスチャン・ベッテルに破られた。)

2009年マクラーレンマシンの不調から厳しいシーズンを迎えることになった。が、中盤以降息を吹き返し、結局チームメイトコバイネンがランキング12位だったのに対しハミルトンは5位でシーズンを終えた。

2010年チームメイトジェンソン・バトンを迎えた。非常に良好な関係であったという。ところがマシン開発一気にを付けてきたレッドブルベッテルの前に苦戦を強いられ、チャンピオン争いまで持ち込むも4位に終わった。翌11年もバトンチームメイトシーズンを戦った。この年はやたらマッサとの接触事故が多く、話題となった。3勝を挙げるも安定してポイントを重ねたバトンに及ばずランキング5位になった。2012年バトンとのコンビ3シーズンとなった。この年のトレンドである段差ノーズを採用しなかったマクラーレンは序盤好調で、多くの表台を手にした。しかし終盤戦で不運が連発し、終わってみればランキング4位となり、持ち合わせているほど結果が残せない印を残すシーズンが続いた。

2013年からはついにマクラーレンからメルセデスGPに移籍。チームメイトニコ・ロズベルグもがメルセデスマクラーレンより格下でありこれまでのような活躍はできないだろうと思っていただろうが、開けてびっくり、マクラーレンは大失速でメルセデスは好調であった。10戦中4度のポールポジションを獲得し、ハンガリーでは移籍後初の優勝を飾った。

2014年からはメルセデス一強の時代が到来、2年連続で王座を獲得。2016年マシントラブルが多く王座チームメイトのロズベルグに譲ったが、シーズン最多勝マーク2017年はついにアイルトン・セナミハエル・シューマッハの歴代ポールポジション獲得回数を更新し、通算PP獲得数単独1位に躍り出る。

新型コロナウイルス拡大のスケジュールが大幅変更となった2020年では全17戦11勝(新型コロナウイルス陽性で欠場したサヒールGP含む)と圧倒的数字を残し、ポルトガルGPでは優勝回数を92とし、ミハエル・シューマッハが持つ91回を更新し歴代最多となった。ワールドチャンピオン獲得回数もシューマッハに並ぶ7度となっている。

そして、2021年シーズン終了までに103回のポールポジション、そして103回の優勝回数を数えている。だが、2021年タイトルは最後の最後でレッドブルホンダマックス・フェルスタッペンにさらわれてしまうこととなり、前人未到の8度のワールドチャンピオン記録はお預けとなった。

また2021年の「スポーツ長者番付」では、年俸8200ドル(約89億7000万円)で総合8位にランクイン。これはマックス・フェルスタッペン(27位 4250ドル)を抑えて現役F1ドライバー中最高額であった。そして、2021年シーズンの終わりに英王室からナイトの称号を授かり、「サー・ルイス・ハミルトン」と呼ばれることになる。

ハミルトンアンチとファンの歴史

ハミルトンに対するアンチファン率から考えると、ハミルトンF1キャリアは次の3つの期間に分けるとわかりやすい。

デビューからアロンソとの確執(?)&翌年の初戴冠までの最もアンチが多かった期間

②「ライ・ゲート」からベッテル1強時代にかけての「どん底」から徐々に好感度を上げていった期間

③2度の戴冠から現在に至る、「F1最高のドライバーの1人」としての評価を固めていった期間

①2007年&2008年~衝撃のデビューから初戴冠まで~

2007年F1といえば、前年に皇帝ミハエル・シューマッハ引退した後「次はライコネンアロンソの時代になる」と思っていたファンが多数であった。

しかし蓋を開けてみるとハミルトンは開幕からの9戦連続表台、そしてポイントリーダーを(最終戦まで)キープするなどとてもルーキーとは思えない大活躍を披露する。

と、ここまではよいのだが元からプライドが極めて高かったチームメイトであるアロンソとの関係がぎくしゃくしはじめるとカーナンバー2だからね」「アロンソチームから出ていってほしい」などの「何様」発言を連発。これが日本人を中心に嫌われる第1の要因となる。

また同年のヨーロッパGP(ニュルブルクリンク)決勝では、大雨で1コーナーでグラベルに捕まったところ、クレーンを利用してリタイアを免れたり、日本GP(富士)ではセーフティー中に行走行をしてベッテルがウェバーに突っ込む原因となったりなどしたことが、さらにアンチの心を刺した。

さらにトルコGPではタイヤバーストしたり、中国GPでは明らかタイヤが終わっているのにピットに入らず、やっと入ったところでピットレーン入り口のグラベルリタイアしたり、最終戦ブラジルGP序盤でボタンを押し間違えて最後尾に後退&結果チャンピオンを逃す、などの事態が重なったため「ゴキルトざまぁww」などの感想を述べるものも少なくなかった。

2008年ライバルは大方の予想に反してフェリペ・マッサとなったが、前年のハミルトンマクラーレンの評判を引きずってやはりハミルトンアンチは多かった。

しかもこの年はカナダGPのピットレーンでライコネンクラッシュしたり、ドイツGPではレース内容自体はよかったものの勝利インタビューオーバーテイクを見られて楽しかっただろう?」などとアンチ逆鱗に触れる発言をしたり、ベルギーGPではバスストップケインショートカットを利用してキミ・ライコネンオーバーテイク(しかもその直後ライコネンニコ・ロズベルグに引っかかってクラッシュリタイア)したり、さらに次戦のイタリアGPでは「(ライコネンには)ガッツが足りない」と発言するなどやはりアンチ優勢であった。

2008年日本GPでの様子。彼への援の少なさが全てを物語っている。ちなみに1番人気ライコネンであって、マッサではないのが何か微妙


終戦ブラジルGPの最終ラップグロックを抜いて戴冠した際も、マッサブラジルと並んで日本アンチの盛り上がりも相当なものだった。

②2009年-2013年~「ライ・ゲート」からベッテル1強時代へ~

ハミルトンの評価が最も(世界的に見ても)下がったのは、2009年開幕戦の「ライ・ゲート」ではないだろうか。このレースではハミルトン虚偽の発言をしたためにレース失格となり、世界モータースポーツ議会ヒアリングにも召喚されるなど文字通りの「大事件」となった。

ハミルトンはのちにこの事件を振り返って「一時は引退を考えた」ともしつつ「辛い出来事を乗り越えて強くなれた」とも発言している。

ただ、転機はすぐには訪れない。

2009年マクラーレンは特に序盤で絶不調に陥り第5戦スペインGPでは特に何のマシントラブルアクシデントもなかったにもかかわらず9位(当時はノーポイント)でフィニッシュしている。

また2010年-2013年レッドブルベッテルの1強時代が到来する。

特に奇数年のベッテルは圧倒的な強さを誇り、2013年ベッテル1人のポイントコンストラクター2位メルセデス2人のドライバーの合計点よりも多いという、まさに圧勝劇であった。

タイトル争いの渦中から外れていたということもあるかもしれないがライゲート以降、「確執事件の中心」や「ヒール役」は徐々にベッテル&ウェバーレッドブルに移りつつあった。

またレッドブルベッテルが圧倒的な速さを見せる中ベッテルマシンがいいから」などと嫌味を言いつつも、優勝ポールポジション獲得をたまにするなどヒールベッテルへの対抗としての地位を確立した。

過去には自分自身がヒールとなり、対抗ライコネンマッサフェラーリと戦ったことを思い返せば、F1世界は実に変化のしいものである。

また2012年メルセデスに移籍した時のチームメイトは、カート時代からの僚友ニコ・ロズベルグであり、またディフェンディング・チャンピオンであるレッドブルベッテルを共に追いかける立場であったためか、当初はあまり関係がぎくしゃくすることはなかった。

③2014年~「F1最高のドライバーの1人」として円熟へ

2014年レギレーションは再び大きく変更され、結果メルセデスの1強時代に突入。

2007年デビュー時には21歳だったハミルトンも、すでに28歳とF1ドライバーでは中堅の域に達していた。

そして2014年に6年ぶりの戴冠を果たすのだが、メルセデスチャンピオンせる一のチームであることが明らかになると、いくら「カート時代の友」とはいえニコ・ロズベルグとの関係が怪しくなり始める。

ただ、2014年-2016年2007年の決定的な違いは「ハミルトン=ディフェンディング・チャンピオン=追われる立場」「ロズベルグ=冠(当時)=追う立場」ということである。

また「純スピードで優れるハミルトン」「知性のロズベルグ」という構図も2007年アロンソハミルトンとは対照的である。

ハミルトンとロズベルグの確執も、特に何か悪いことをしていないハミルトンに対しロズベルグが仕掛けて問題が発生する、というパターンありこれもまたハミルトンに対する評価を2007年とは違ったものにした。

例)

2014年ベルギーGPでのダブルクラッシュ:当時ロズベルグは「(自分が)故意に接触した」とした。

2016年スペインGPでのダブルクラッシュハミルトンニコミスしたからオーバーテイクを仕掛けた」

2016年オーストリアGPでのダブルクラッシュハミルトントップチェッカー&仕掛けたロズベルグは2位→4位に後退

また特に2016年マレーシアGPのエンジンロートップ独走中にリタイアを喫し、ロズベルグを追いかける立場になったころからハミルトンに同情し応援するが増えたような気がする。

ロズベルグは2016年に戴冠(そして引退=勝ち逃げ)し、2017年には「未来ワールドチャンピオン」といわれていたバルテリ・ボッタスチームメイトに迎える。

だがボッタスはロズベルグと違い、ハミルトンに全く対抗できずナンバー2として従順に仕事をしたため、彼のライバルフェラーリに移籍したセバスチャン・ベッテルに移る。

ベッテル2017年シンガポールでのOPラップでの自爆クラッシュや、2018年ドイツGPではトップ独走中に単独コースアウトリタイアをし、評価に傷をつけた一方でハミルトンはこれら両方のレース優勝

また、このころからポールポジション記録優勝回数、タイトル獲得回数といった記録もさらに伸ばしていき、上にはミハエル・シューマッハくらいしかいないというを打ち立てていく。

確かに現時点でもアンチはいるものの、彼の純スピードと、レースでの安定感&タイヤへの優しさについてはもはや認めざるを得ないのか、ハミルトンを大々的にたたくムードは、かなり昔のこととして思い返されるのみである。

F1における主な記録(2021年シーズン終了時点)

ワールドチャンピオン2008年2014年2015年2017年2018年2019年2020年(通算7回)

※通算1位タイミハエル・シューマッハ(通算7回)。通算2位タイファン・マヌエル・ファンジオ(通算5回)。

優勝回数:103

※ちなみにデビューイヤーである2007年以来、毎年必ず優勝している。現役ドライバーはもちろん、過去歴史上も同じ記録を持つドライバーはいない。

※ちなみに2018年に開催された21かすべてのレースで1回以上優勝している。

ポールポジション回数:103

※通算2位ミハエル・シューマッハ(68回)。通算3位はアイルトン・セナ(65回)

※ちなみにデビューイヤーである2007年以降、毎年必ずポールポジションを獲得している。

Topgearへの出演

有名人レースではウェットコンディションながら1.44.7という好タイムマーク

しかし路面状況に納得がいかなかったらしく、イギリス在住の立場を活用して数年後の2013年に再び挑戦。

結果的に1.42.9という、二位のベッテルに一以上の大差をつけて有名人レーストップタイムマークした。

記憶に残る発言

2018年ドイツGP予選後のコメント

「他人の失敗や苦しみを見て喜んでいる人たち、はあなたたちを気の毒に思うよ。どんな人生を送っているのか知らないけど、そんなに怒りや憎しみを抱えているなんてね。くそれが過ぎ去って、いいことがやってくるよう、は祈っている」

予選ではハイドロ系のトラブル満足に走れず16番手に終わったハミルトン。彼の「不調」を喜ぶコメントに対して、上記のように発言。まさかこの発言がフラグとなって、翌日にトップより1以上速いペースで走行して優勝メルセデスの1-2フィニッシュ&トップベッテルがまさかのミスリタイアという結果になるとは本人も思ってもみなかっただろう。

カーナンバー「44」について

44っていうのは・・・の特別なナンバーなんだ。でも、クルマに関わっている人たちは特に、をしていて44番のバスとかフライナンバー44の数字を見ると、それが自分の人生の一部のようになりつつあるって言うんだよ。それはすごくうれしいし、にとっても本当にそうなんだ」

2018年終戦アブダビGPでのコメント2014年から各ドライバーはそれぞれ固有のカーナンバーを付けることになったのだが、ハミルトンが選択した数字カート時代の番号である「44」。現役ワールドチャンピオンは代わりに「1」を付けることもできるのだが、ハミルトンが「1」を付けたのは同グランリフリー走行の1回のみ。

※ちなみにハミルトンライバルであるベッテルが選んだ「5」はF1初戴冠時のもの。F1以前のルーツゆかりのある番号を選んだハミルトンとは対照的である。

F1でのコースレコード

アルバートパークサーキットオーストラリア):1分211642018年

ポールカールサーキットフランス):1分283192019年

マリーナ・ベイ・ストリートサーキットシンガポール):1分36015(2018年

サーキットオブ・ジ・アメリカズ(アメリカ):1分32237(2018年

インテルラゴス(ブラジル):1分072812018年

ヤスマリーナベイ・サーキットアブダビ):1分34794(2018年

※上記はすべてドライコンディションのもの

予選でのキレた走りに定評があるハミルトン。「GT Sport」やF1ゲームF1 2018」などでハミルトンタイムに挑戦できるので、ぜひチャレンジ

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