世界史上の有名人物は二度現れるとヘーゲルは書いた。だが、ヘーゲルは次の言葉を付け加える事を忘れていた。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。
ルイ・ボナパルトのブリュメール18日とは、ドイツ哲学者のカール・マルクスが当時のフランス皇帝ナポレオン三世(ルイ・ボナパルト)をマルクスがジャーナリストとして風刺的に描いた名著である。
資本論がマルクスの経済学批判だとすると、ブリュメールはマルクスの政治批判の書だと言える。この本も上記の冒頭の文章が有名である。ボナパルティズムという言葉を生んだのもこの本。
この本も例に漏れず実に読みにくい。その理由としてはブリュメールはフランス政治について書かれている為、フランスの政治家の名前やフランスの地名、当時の事件や情勢が説明なしに多用されているのだが、これが日本人にとって取っ付きづらいのだ。しかしマルクスの他書と同じく大きな含蓄を含んでいることも確か。
本書の要点は「代議制についての考察」。ルイ・ナポレオンが選挙に当選し、その後クーデターによって第二帝政を宣言するもわずか17年で崩壊していく様を描きつつ人々の政治への意識を鋭く描写している。「ブリュメール18日」とは、1799年11月9日のことで、ナポレオン1世が執政政府をクーデターで倒した日である。ボナパルトのクーデターはその再版という意味。つまり、「歴史は繰り返す。ナポレオン1世の時は悲劇として。ナポレオン3世の時は喜劇として」ということになる。
フランス1848年革命、通称2月革命は歴史上初めてのヨーロッパ同時革命であった。1830年のフランス7月革命で即位したルイ=フィリップは選挙権を拡大するなどの政策を取ったが結局得をするのはブルジョワジーだけであり労働者や農民の不満は高まっていた。不満は1848年に最高潮になり革命が発生。フランスで始まった革命はドイツやプロイセン、イタリアに伝播し急進的な動きを見せた。これは1789年のフランス革命(ベルサイユの薔薇のときの革命)とは違い、労働者を中心としてなおかつ欧州全体を巻き込んでいたため、マルクスの理想とする革命に近かった。社会主義者たちは革命に熱狂し、革命の結果誕生した第二共和制の臨時政府の中には高名な社会科学主義者が多く含まれ、すわ社会主義が達成されるかに思われたが・・・
しかし結局革命は失敗した。ナポレオンの甥、ルイ・ボナパルトが、社会主義者に土地を奪われるのを恐れた農民と組んで政治運動を行った結果、臨時政府の社会主義者は四月男子選挙で大敗。フランスは一気に反動(昔に戻ること)に転じた。そしてその後大統領になったルイ・ボナパルトは1951年にクーデターを起こし一年後ナポレオン三世として皇帝に即位して第二帝政が始まった。マルクスはこれに激怒しナポレオン三世政権とそれを支持する者共を散々に罵倒した。
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最終更新:2024/04/26(金) 06:00
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