ルカ・モドリッチ(Luka Modrić;、1985年9月9日 - )とは、クロアチア出身のサッカー選手である。
イタリア・セリエAのACミラン所属。サッカークロアチア代表。
クロアチア・ザダル出身。「東欧の魔術師」「マドリーの心臓」と称される世界最高のMF。レアル・マドリードとクロアチア代表で10番を背負う名手である。
旧ユーゴスラビアのザダル郊外にある”モドリッチ”という小さな村の出身。6歳のときにクロアチア紛争に巻き込まれ一家で難民となりながらもプロサッカー選手となった。その後、クロアチア・ザグレブ、トッテナム・ホットスパーを経て、2012年からスペインの名門レアル・マドリーへ移籍。
レアル・マドリードでは、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)で3連覇を含む5回の優勝を経験。マドリーの心臓と呼ばれるほど重要な働きを見せる中盤の要となっており、タイトル獲得に欠かせない存在となった。トニ・クロース、カゼミーロと形成した中盤トリオは当時の世界最高と言われ、クロースと共に攻撃陣を巧みに操るゲームメイクは至高といえるレベル。
天才的な華麗なテクニックと泥臭い献身性を合わせた持った選手であり、見た目は優男に見えるが、メンタルも強く、大柄な選手を相手でも球際でしっかり戦え、ハードワークもこなせる選手である。
クロアチア代表には2006年にデビュー。代表の歴代最多出場試合記録保持者。2018 FIFAワールドカップではキャプテンとして大車輪の活躍によってクロアチア代表を初の準優勝に導き、大会最優秀選手に選ばれている。37歳となった2022 FIFAワールドカップでも過密日程の中を戦い抜き、チームを3位に導く活躍を見せている。
2018年には、クロアチア人としては初となるバロンドール、UEFA欧州年間最優秀選手賞、FIFA最優秀選手賞を受賞。リオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウド以外の選手がバロンドールに選出されたのはおよそ10年ぶりという快挙となった。また、クロアチア年間最優秀選手賞には歴代最多の9度選出されている。
1985年9月9日、ヴェレビト山脈にある人口500人ほどの小さな村ザダルにおいてクロアチア軍の車の整備士の父と織物労働者の母のもとで生まれる。生まれ故郷の村は当時の政情が不安定だったこともあり地雷の危険を喚起する看板が設置されているような環境だった。
まだ6歳だった1991年にクロアチア紛争に巻き込まれ、故郷は戦場となりセルビア軍によって名付け親である祖父が殺害され、一家で村を脱出して難民となる。ザダルへ逃れた一家は難民が暮らすホテルを借り住まいとし、当時そのホテルの駐車場で一日中サッカーをして過ごしていた。幼い頃からサッカーが大好きだったモドリッチは、爆撃があった日も避難所でずっとボールに触っていた。
10歳のとき、ハイドゥク・スプリトのトライアウトを受けるが、体が華奢だったという理由で不合格となる。だが、この経験を糧に一層の努力を誓い、地元のNKザダルの下部組織に入団する。16歳となった2000年にディナモ・ザグレブの下部組織へと移籍する。クラブ職員によって成長補助食品が与えられたこともあり、華奢だった体も成長するようになる。
2003年、18歳にしてディナモ・ザグレブのトップチームに昇格。クラブと10年の長期契約を結ぶことで、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせる。このときの契約金で家族が暮らす家を購入し、このときようやくモドリッチ一家は難民生活を終えることができた。
しかし、チームの同じポジションにニコ・クラニチャールが居たこともあり、試合経験を積むためにボスニア・ヘルツェゴビナのHSKズリニスキ・モスタルへレンタル移籍。18歳ながらキャプテンを任されると、クリエィティブな才能が開花し始め、リーグ最優秀選手に選ばれる。翌年には、NKインテル・ザプレシッチへと貸し出され、クラブを最終的に2位へと導く活躍を見せ、2004年のクロアチア年間最優秀若手選手に選ばれる。
2005年1月クラニツァールが揉めた末に移籍したこともあり、急きょディナモ・ザグレブに呼び戻される。2005-06シーズンには、ガンバ大阪で監督を務めたこともあるヨジップ・クゼ監督から主力として起用されると、司令塔として強力な攻撃陣を操り、前のシーズンで7位と低迷したチームを優勝へと導く活躍を見せる。2007-08シーズンには、チーム内でも確固たる地位を築き、公式戦43試合17得点という成績を残し、チームをリーグ3連覇に導き、2007年と2008年のクロアチア年間最優秀選手賞を受賞する。
2008年5月30日にイングランド・プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーへの移籍が決定する。移籍金はクラブの当時史上最高額となる2300万ユーロ(約37億6000万円)。8月16日のミドルスブラFC戦でデビューを果たすものの、中盤の底でゲームメイクをする慣れない役割を与えられたこともあって、加入当初はチームに適応できず、膝を怪我していたのもあって期待外れのプレーが続いていた。しかし、10月末にファンデ・ラモス監督が解任され、ハリー・レドナップ監督が就任すると、トップ下や左サイドといった2列目の位置で起用され、レギュラーに定着。以後、本来の実力をイングランドで見せるようになる。
2009-10シーズンは、開幕してすぐの8月29日のバーミンガム・シティ戦でリー・ボウヤーと接触し、右足の腓骨を骨折。当初の予定よりも回復が遅れ、およそ4カ月間の長期離脱を強いられることとなる。復帰後の年明けからは主力に戻り、ガレス・ベイルを中心にスピーディーな攻撃が売りのチームを操り、この年のトッテナム躍進の原動力となる。チームはプレミアリーグ創設史上最高順位となる4位でシーズンを終え、翌シーズンのCL出場権を獲得。
2010-11シーズンは、自身初となるCL本大会での活躍が目立ったシーズンとなった。2010年10月20日のアウェイのインテル戦ではGKゴメスの退場に伴って前半12分で交代になるが、続く11月2日のホームでのインテル戦ではラファエル・ファン・デル・ファールトのゴールをアシスト。11月24日のヴェルダー・ブレーメン戦ではCL初ゴールを記録し、決勝ラウンド進出に貢献。ラウンド16では、ACミランを下し、ベスト8進出を果たしている。プレミアリーグでは32試合に出場し、パス成功率とインターセプト数でベスト3に入っている。
2011-12シーズンには、すでにリーグでもトップクラスのMFになっていたモドリッチに対し、移籍の噂が絶えなくなる。チームは4位でフィニッシュしながらCL出場権を逃すという理不尽なシーズンとなり、いよいよモドリッチの移籍が確実視されるようになる。自身も移籍を希望したことで2012年夏には練習欠席やアメリカ遠征辞退という強行手段を採り、チームから罰金を科せられる。
2012年8月27日ずっと噂にあがっていたスペイン・ラ・リーガのレアル・マドリードへの移籍が発表される。契約は5年間で、移籍金は4200万ユーロ。発表から2日後の8月29日のスーペル・コパ・デ・エスパーニャFCバルセロナとのエル・クラシコに途中出場でデビューを果たす。しかし、ジョゼ・モウリーニョ監督の戦術スタイルにプレースタイルが合わなかったこともあり精彩を欠いたシーズンとなってしまう。シーズン後、マルカ読者が選ぶシーズン最悪の補強に選ばれてしまう。
2013-14シーズンに就任したカルロ・アンチェロッティ監督から中盤の要として重宝されると、前年とは打って変わって質の高いプレーを見せるようになり、チームに欠かせない存在となる。トッテナム時代のチームメイトであるベイルが加入し、クリスティアーノ・ロナウド、カリム・ベンゼマのBBCトリオにパスを供給する役割を担い、マドリーの絶対的な司令塔としての地位を確立。CLでは決勝トーナメントに入ってから全試合にフル出場し、正確なパスワークと豊富な運動量、高い戦術眼を駆使し、シャビ・アロンソやアンヘル・ディ・マリアらと共に攻守のバランスを保つ「リンクマン」として機能。2014年5月24日におこなわれた決勝のアトレティコ・マドリード戦ではコーナーキックからセルヒオ・ラモスの同点ゴールをアシストするなど、ラ・デシマ達成に貢献。CL優勝を祝うセレモニーでは、トレードマークである長髪をばっさりと切った短髪で姿を現している。
2014-15シーズンは夏に加入したトニ・クロースと中盤でコンビを組み、世界でも屈指の構成力を持つ中盤を形成するようになる。2014年10月25日のラ・リーガ第9節エル・クラシコでは、シャビ・エルナンデスとアンドレス・イニエスタを擁するFCバルセロナの中盤を圧倒するほどのクオリティを見せ、勝利に貢献する。しかし、4月18日のマラガFC戦で靭帯損傷によって長期離脱となる。その後チームは失速し、シーズン無冠に終わり、皮肉にもモドリッチの影響力を証明することとなった。
2015-16シーズンの序盤は精彩を欠いていたものの、2015年にジネディーヌ・ジダン監督が就任すると、本来のプレークオリティを取り戻し、急速に復調したチームを牽引する。CLでは準決勝のマンチェスター・シティとの2試合を通して相手のプレッシングをことごとく無効化させ、圧倒的なボールスキルと判断力でMOM級の活躍を見せる。決勝でアトレティコ・マドリードを下して自身2度目のCL優勝を経験。
2016-17シーズンも、クロースとの中盤のコンビはゲームメイクで非凡な才能を見せ、守備においても献身的に相手にプレッシャーをかけ攻守両面でチームを支えていた。2016年12月4日のエル・クラシコでは敗色濃厚となった試合終了間際にフリーキックからセルヒオ・ラモスの同点ゴールをアシスト。また、FIFAクラブワールドカップ2016にも出場し、シルバーボールを受賞。ラ・リーガではバルセロナとのデッドヒートを制し、自身初となるリーガ優勝を経験。さらに、2017年6月3日のCL決勝では、ユヴェントスを相手に中盤を支配し、後半19分にはクリスティアーノ・ロナウドのゴールをアシスト。前人未到となるCL連覇に大きく貢献し、大会最優秀MFに選ばれる。
2017-18シーズンは背番号を「10」に変更する。2017年夏にスペイン税務局から脱税の容疑で告発され、未払い分と罰金を支払うことで収監を免れたものの、その影響と怪我もあってシーズンを通して例年よりもやや低調なプレーになっていた。そんな中、2017年12月にUAEで開催されたFIFAクラブワールドカップ2017ではチームの連覇に貢献し、大会のゴールデンボールを受賞。シーズン後半戦はCLにコンディションを合わせていたこともあって、CLで本来の能力を発揮。クロース、カゼミーロと共に形成する中盤の三人は「黄金のトリオ」と称されるようになり、圧倒的なパス精度、ゲームコントロール、ボール奪取力でエゴの強いタレント軍団の根幹となっていた。パリ・サンジェルマン、ユヴェントス、バイエルン・ミュンヘンといった強豪との戦いが続いた決勝トーナメントでも高い技術と不屈の精神力でチームを牽引。2018年5月26日の決勝では、リヴァプールFC相手の勝利に貢献し、前人未到となるCL三連覇を達成。
CL三連覇に加え、この年のワールドカップでの大活躍が評価され、UEFA最優秀選手賞、FIFA年間最優秀選手賞、さらには11年間リオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウドの独占状態になっていたバロンドールを受賞。各賞を総ナメにしたシーズンとなった。
2018-19シーズンは、夏にインテルへの移籍の話が取り沙汰されるが、結局はレアルに残留する。しかし、ワールドカップを戦い抜いた影響からコンディションが悪く、不調に陥っていた。チームもラ・リーガでは早々と優勝戦線から離脱し、CLでもアヤックス・アムステルダムを相手にラウンド16で敗れ、4年ぶりに無冠に終わる。一方、2018年12月にUAEで開催されたFIFAクラブワールドカップ2018では、決勝のアル・アイン戦で1ゴール1アシストの活躍により大会三連覇に貢献している。
2019年の夏も、年齢が34歳になったこともあり、再び退団の噂が取り沙汰されたが残留。2019-20シーズンは、さすがにコンディションを常時維持することが難しくなり、若いフェデリコ・バルベルデが台頭したこともあってスタメンを外れることが多くなる。シーズン後半戦あたりから調子が上向きになり、新型コロナウィルスによる中断を経たリーグ再開後は絶好調時のプレーを取り戻すことでバルベルデからポジションを奪い返し限界説を払拭。獅子奮迅の活躍によってレアル・マドリードの3シーズンぶりのラ・リーガ制覇に貢献。優勝を決めた2020年7月17日、ラ・リーガ第37節ビジャレアル戦ではベンゼマの先制ゴールをアシストしている。
2020-2021シーズンはレアル・ソシエダにレンタル移籍していた21歳のマルティン・ウーデゴールが復帰したことで激しいポジション争いが予想されるが、怪我人が続出するチームの中で前年を上回る高いパフォーマンスを披露し、黄金トリオと称されるようになったカゼミーロ、クロースと共に引き続き不動の中盤として君臨。35歳になったものの、攻守に渡って全盛期を維持したハイクオリティのプレーを続け、チームに不可欠な存在となっていた。
2021-2022シーズンも変わらずチームの心臓として重要な働きを続け、堅守速攻のスタイルに舵を切ったチームにおいても攻守両面で貢献。卓越したテクニックやIQの高さを活かして攻撃の質を引き上げるだけでなく、豊富な運動量を駆使してハードワークするなど、守備でもチームを救う。2022年3月5日のラ・リーガ第28節レアル・ソシエダ戦では華麗なステップから逆足の左足で圧巻のミドルシュートを決めてみせる。3月9日のCLラウンド16 2nd legパリ・サンジェルマン戦では、圧巻のドリブル突破からの絶妙なスルーパスで同点ゴールをアシストするなど、ハットトリックのカリム・ベンゼマと共に大逆転勝利の立役者となる。4月12日のCL準々決勝チェルシーとの2nd legは一度は3点のリードをひっくり返される苦しい展開の中、魔法のようなパスでロドリゴのゴールをアシストし、120分間ハードワークを続けてまたも逆転勝利の立役者となり、世界中から称賛される。36歳となってもシーズンを通してハイパフォーマンスを維持し、重要なビッグマッチにおいて勝負強い働きをみせ、ラ・リーガとCLの二冠獲得に貢献する。
2022-2023シーズンは開幕直後に長年ユニットを組んできたカゼミーロが電撃移籍する事態が起きるが、直後に開催された8月20日のセルタ戦で豪快なミドルシュートを決め、勝利に貢献する。2022 FIFAワールドカップでフル稼働した影響もあり、後半戦はコンディションを落とし、ビッグマッチ以外の試合ではスタメンを外れることも多くなる。レアル・マドリードからの退団も噂され、サウジアラビアから巨額のオファーを受けたが、契約を1年更新し残留。
2023-24シーズンはジュード・ベリンガムら若いタレントが中盤に台頭したことで押し出される形で出場機会が激減してしまう。2023年10月28日のラ・リーガ第11節FCバルセロナとのエル・クラシコに途中出場し、クラブ通算500試合出場を達成。ベリンガムの逆転ゴールをアシストし、勝利に貢献している。11月ごろから怪我人が続出したこともあり出場機会を増やすと、12月17日の第17節ビジャレアルCF戦ではシーズン初ゴールを含む、1ゴール1アシストの活躍を見せる。退団説も囁かれる中、2024年2月25日第26節セビージャFC戦では途中出場から圧巻のミドルシュートを決め、マドリーに勝利をもたらす。4月30日のCL準決勝1st legバイエルン・ミュンヘン戦に38歳284日で途中出場し、CLのクラブ最年長出場記録を樹立。フェレンツェ・プスカシュの記録を58年ぶりに塗り替えた。
2024-25シーズンも契約を1年延長し、退団したナチョに代わってチームのキャプテンに就任する。途中出場が多いものの、シーズン前半戦のリーグ戦とCLには全試合に出場するなど変わらず重要なプレイヤーであることを印象付ける。2025年1月3日の第12節バレンシアCF戦では1点ビハインドの場面で投入されると、チームを救う同点ゴールを決める。この39歳116日でのゴールはフェレンス・プスカシュが持っていたクラブの歴代最年長ゴール記録を塗り替えるものであった。出場時間は減ったものの、キャリア最多となる公式戦57試合に出場し4ゴール9アシストを記録し、一時は契約延長と報じられたが、5月22日に今シーズンを最後に退団することが発表される。本拠地サンティアゴ・ベルナベウでの最後の試合となった5月24日のラ・リーガ最終節レアル・ソシエダ戦では後半41分にピッチを後にする際に両チームが花道を作って送り出し、さらに長年コンビを組んだ盟友クロースが姿を見せ、二人が抱擁を交わすエモーショナルな場面となった。6月からアメリカで開催されたFIFAクラブワールドカップ2025にも出場し、準々決勝のパリ・サンジェルマン戦がレアル・マドリードでの最後の公式戦出場となった。
2025年7月14日、イタリア・セリエAのACミランに加入することが決定する。契約は1年契約に1年間の延長オプション付きで背番号は14。8月23日、セリエA開幕戦のUSクレモネーゼ戦でセリエAデビューを果たし、40歳となって最初の試合となった9月14日の第3節ボローニャFC戦でセリエA初ゴールを記録。ミランでは中盤の底でレジスタの役割がメインとなり、パス成功数、相手陣内でのパス成功数、ラインブレイクパス、ボール奪取回数、インターセプト数の5項目でリーグトップクラスを記録。衰えぬ正確なパスと広い視野でミランの前半戦の快進撃を牽引する。2026年4月26日第34節ユヴェントス戦で左頬骨を骨折し、戦線を離脱。最終節となった5月26日のカリアリ戦で復帰するも、チームは敗れ、CL出場権を逃す。それでも34試合2ゴール3アシストを記録し、司令塔として高い評価を得る。
各年代の代表でプレーした後、2006年3月1日のアルゼンチン戦で22歳にしてフル代表デビュー。2006年にドイツで開催された2006 FIFAワールドカップのメンバーにも選出される。しかし、このときはまだ期待の若手という位置づけだったこともあり、グループリーグ2試合に途中出場したのみだった。
W杯後、U-21代表時代の恩師であるスラヴェン・ビリッチ監督が就任すると、従来よりも一列後ろのポジションで起用されるようになり、イヴァン・ラキティッチやニコ・クラニチャールとの共存が可能となり、世代交代に成功したクロアチア代表の中心人物となる。W杯後、最初の試合となった世界王者イタリアとの試合で代表初ゴールを決める。EURO2008予選では、全試合に出場し、イングランドを蹴落としての本大会出場を決める。
大きな期待を背負って出場したUEFA EURO2008では、グループリーグの初戦の開催国オーストリア戦で決勝ゴールとなるPKを決める。第2戦のドイツ戦では、クラニチャール、ラキティッチと共に中盤を支配してゲームをコントロール。MOMに選ばれる活躍でW杯3位の強豪を相手の金星に貢献。チームはグループリーグを3戦全勝で勝ち抜き、準々決勝でトルコと対戦。延長後半14分にイヴァン・クラスニッチのゴールをアシストするものの、直後に追いつかれてしまう。PK戦では、最初のキッカーとして失敗してしまい、ベスト8で無敗のまま敗退。自身はUEFAから大会の優秀選手に選ばれる。
2009年は、トッテナムで負った腓骨骨折の影響で長期離脱しており、代表の試合にほとんど出場できなくなる。その間にチームは2010W杯欧州予選で苦戦し、プレーオフに回ることもできず予選で敗退する。このとき、ビリッチ監督は成績不振の責任を取ろうとしたが、監督支持の声をあげたことで残留する。
EURO2012予選では、全試合に出場し本大会出場権を獲得する。背番号10を背負って臨んだUEFA EURO2012では、スペイン、イタリアといった強豪と顔を合わせたこともあり、グループリーグで敗退。前回は敗退となった2014W杯欧州予選では、ベルギー、セルビアと同居したグループAを2位で終え、アイスランドとのプレーオフに回ると、これに勝利し本大会出場権を勝ち取る。2014年6月にブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップでは、グループリーグ初戦で開催国のブラジル相手に先制しながら逆転負け。第3戦でメキシコと引き分けたことでグループリーグ敗退となる。自身はブラジル戦で足を打撲しながらも3試合全てにフル出場している。
4大会連続での出場となったUEFA EURO2016では、初戦となったトルコ戦では前半41分に見事なボレーシュートによる先制ゴールを決め、勝利に貢献。第2戦のチェコ戦では、負傷によって後半途中でピッチを後にし、チームはその後2点のリードを追いつかれて引き分けに終わる。第3戦のスペイン戦は欠場となるが、スペインのPKの場面で所属するレアル・マドリードのチームメイトであるセルヒオ・ラモスの情報を仲間に伝え、結果GKスバシッチがPKを止めている。ラウンド16のポルトガル戦で戦列に復帰し、アドリエン・シウバのマークに苦しみながら120分間を戦い抜くが、延長戦の末に敗れている。
EURO2016終了後にダリヨ・スルナが代表を引退したため、キャプテンに任命され、子供の頃からの憧れだったズヴォニミール・ボバンと同じくクロアチア代表の10番にしてキャプテンとなる。2017年10月6日ロシアW杯欧州予選のフィンランド戦で代表出場100試合を達成。予選では一時は予選敗退の危機に直面しするが、監督交代後のウクライナとの直接対決に勝利し、2位を確保。2017年11月9日にホームで開催されたギリシャとのプレーオフでは、先制点となるPKを決め、本大会出場権獲得に貢献する。
2018年6月にロシアで開催された2018 FIFAワールドカップは、キャリアのハイライトのような大会となる。グループリーグ初戦のナイジェリア戦では、後半26分に追加点となるPKを決める。続くアルゼンチン戦では、ラキティッチ、マルセロ・ブロゾビッチと共に中盤を支配し、後半35分には鮮やかなミドルシュートを決め、グループリーグ突破に貢献。2試合連続でMOMに選ばれたのも当然といえる完璧なパフォーマンスを見せる。ラウンド16のデンマーク戦では、自身のスルーパスからPKを獲得するが、これを失敗。それでも、PK戦では3人目のキッカーを務めて今度は成功させる。準々決勝のロシア戦では、コーナーキックからドマゴイ・ヴィダのゴールをアシスト。PK戦の末にベスト4進出を果たし、大会3度目となるMOMに選ばれる。準決勝では、イングランドを相手に延長戦の末に勝利し、1998年の3位を超えるクロアチア史上初の決勝進出を果たす。2018年7月15日のフランスとの決勝は、死闘を繰り広げた疲労によって満身創痍の状態であり、フランスの執拗なマークに苦しめられるが、リードされても食い下がる不屈のチームを必死に牽引する。しかし、及ばず、結果は準優勝となり、初のタイトル獲得はならなかった。それでも、質の高いゲームメイクと献身的な守備でチームを引っ張ったことが評価され、大会最優秀選手に選ばれる。さらに、上述したとおり、2018年のバロンドールも受賞する。
ロシアW杯後にはマリオ・マンジュキッチ、2020年にはイヴァン・ラキティッチと長年代表で苦楽を共にした仲間が代表を引退する中、引き続きキャプテンとしてチームを牽引。ロシアW杯後のクロアチア代表は失速し、UEFAネーションズリーグでは惨敗を喫し、リーグB降格となる。それでも、EURO2020予選では組み合わせに恵まれたのもあって首位で本大会出場を勝ち取る。2021年3月27日におこなわれたカタールW杯欧州予選第2節キプロス戦で代表キャップが135試合に到達し、ダリオ・スルナが持っていたクロアチア代表の歴代最多出場記録を更新。試合後、チームメイトからサプライズで祝福を受け、感激の涙を流している。
2021年6月に開催されたEURO2020では、第3節のスコットランド戦において1-1の同点で迎えた後半17分に右足での強烈なミドルシュートにより勝ち越しゴールを決める。その後、CKからイヴァン・ペリシッチのゴールもアシスト。1ゴール1アシストの大活躍で勝利をもたらし、2位でのグループステージ突破に導く。2022年6月6日のUEFAネーションズリーグのフランス戦で代表Aマッチ150試合出場を達成する。
代表でのキャリアの集大成ともなった2022 FIFAワールドカップでも37歳という年齢を感じさせない豊富な運動量とアイディア溢れるプレーでチームを牽引。開幕当初こそチームは低調だったものの、尻上がりに調子を上げてしぶとく勝ち上がっていき、準々決勝のブラジル戦では120分間を走り抜き、PK戦での勝利を得ての2大会連続ベスト4に貢献。準決勝のアルゼンチン戦では完敗し、後半途中で交代になったときには涙を見せたものの、3位決定戦のモロッコ戦で勝利し、1998年大会以来2度目の3位入賞をもたらす。最終的に笑顔で大会を終え、ブロンズボールを受賞。大会後、代表からの引退を否定し、引き続きクロアチア代表としてプレーすることを表明する。
2023年6月に開催されたUEFAネーションズリーグ2022-23 ファイナルではクロアチア代表発足以来初のタイトル獲得のチャンスということもあり、準決勝のオランダ戦と決勝のスペイン戦を2試合連続でほぼ120分間プレーし続ける。しかし、決勝のPK戦で敗れ、惜しくもタイトル獲得は果たせなかった。
2024年6月開催のEURO2024では、史上3人目となる5度目の出場を果たす。グループステージ最終節のイタリア戦ではジャンルイジ・ドンナルンマにPKを止められた数分後に38歳289日での大会最年長記録となるゴールを決める。しかし、チームは試合終了間際に同点ゴールを許し、クロアチアは1勝もできないままグループステージ敗退となる。
2026年6月、アメリカ、カナダ、メキシコで共同開催された2026 FIFAワールドカップに出場。グループリーグ初戦のイングランド戦では前半にPKを献上してしまうが、第2戦のパナマ戦では代表通算200試合出場の金字塔を打ち立てる。
| シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2003-04 | ディナモ・ザグレブ | プルヴァHNL | 0 | 0 | |
| ズリニスキ(loan) | プレミェル・リーガ | 22 | 8 | ||
| 2004-05 | ザプレシッチ(loan) | プルヴァHNL | 18 | 4 | |
| ディナモ・ザグレブ | プルヴァHNL | 7 | 0 | ||
| 2005-06 | ディナモ・ザグレブ | プルヴァHNL | 32 | 8 | |
| 2006-07 | ディナモ・ザグレブ | プルヴァHNL | 30 | 6 | |
| 2007-08 | ディナモ・ザグレブ | プルヴァHNL | 25 | 13 | |
| 2008ー09 | トッテナム | プレミアリーグ | 34 | 3 | |
| 2009ー10 | トッテナム | プレミアリーグ | 25 | 3 | |
| 2010ー11 | トッテナム | プレミアリーグ | 32 | 3 | |
| 2011ー12 | トッテナム | プレミアリーグ | 36 | 4 | |
| 2012ー13 | トッテナム | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
| レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 33 | 3 | ||
| 2013-14 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 34 | 1 | |
| 2014-15 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 16 | 1 | |
| 2015-16 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 32 | 2 | |
| 2016-17 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 25 | 1 | |
| 2017-18 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 26 | 1 | |
| 2018-19 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 34 | 3 | |
| 2019-20 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 31 | 3 | |
| 2020-21 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 35 | 5 | |
| 2021-22 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 28 | 2 | |
| 2022-23 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 33 | 4 | |
| 2023-24 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 32 | 2 | |
| 2024-25 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 35 | 2 | |
| 2025-26 | ACミラン | セリエA | 34 | 2 |
10代の頃は典型的な10番の攻撃的MFとして年代別代表でプレーしていたが、ディナモ・ザグレブ時代の2度のレンタル移籍を経てハードワーカーとしての資質も身につけ、20代半ばよりボランチやサイドハーフもこなす攻守万能のプレーヤーとして新境地を開拓。
視野の広さと抜群のボールコントロール、両足から繰り出す正確なキックにより、世界最高レベルのプレーメーカーと称されている。長短織り交ぜたパスで攻撃陣を巧みに操り、流れの中で瞬時に最適格のプレーを選択できる高いインテリジェンスを持ち合わせる。特筆すべきは右足のアウトサイドでのパスで、インサイドと同じ精度で長距離でも短距離でも繰り出すことができ、局面を変える場面で多用している。
攻撃時は幅広く動き回って味方からのパスを引き出してボールに絡み、パスとドリブルによって攻撃を組み立てる。ビルドアップの場面では、主に味方SBが攻めあがった後の後方のエリアまで下がって参加し、崩しの場面になるとハーフスペースやライン間に顔を出し、得点に直結するパスやミドルシュートを狙う。また、単独でのプレッシング回避の技術にも優れており、トラップして反転して前を向いて相手をかわすプレーを特に得意としている。
また、オフ・ザ・ボールの動きにも優れ、その優れた戦術眼や戦略プランによるゲーム作りは、オーケストラの指揮者や傀儡子、魔法使いなどにたとえられる。試合のテンポをコントロールする能力が他の選手とは一線を画しており、彼がいることでチームは試合全体を自分たちのペースで進めることができる。狭いスペースや強いプレッシャー下でも冷静かつ正確にボールを扱う能力も高く、相手のプレスを受けながらも、絶妙なタッチと判断力でボールをキープし、状況を打開する能力に長けている。
体は華奢だが、的確な読みと激しい寄せによる守備も得意としている。プレミアリーグやラ・リーガではリーグトップレベルのインターセプト数を記録しており、運動量も豊富。レアル・マドリードでは、守備をしないアタッカー陣の分まで守備をしており、カゼミーロが加入しなかったら過労死していたかもしれないレベル。また、若い頃にボスニア・ヘルツェゴビナでのプレー経験があるため、ダーティーなプレーに対する耐性も高い。持久力とフィットネスは目を見張るものがあり、全力のスプリントやタックルも厭わない。
大きな欠点の無い選手だが、体格が小柄なため体格差のある相手との肉弾戦や空中戦では不利になってしまう。圧倒的なスピードや推進力でサイドを切り裂くようなタイプではなく、走力で局面を打開するプレーは得意ではない。
掲示板
8 ななしのよっしん
2022/12/10(土) 16:15:44 ID: vScjda59b3
本当に衰えないな
レアルでもいまだに欠かせない重要選手だし
9 ななしのよっしん
2022/12/18(日) 09:20:09 ID: nXC4GIrDsr
パンパンってモドリッチが拍手した瞬間選手達が一瞬で静まり返って空気が変わるの凄い好き
カリスマっぷりが半端ねぇ(そして実際に納得のプレーを見せてくれる)
10 ななしのよっしん
2024/02/16(金) 15:38:26 ID: YACvQCtK7Z
モドリッチ、今季限りでレアル退団か。ベリンガム加入で出場機会減少
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レアル・マドリード(スペイン1部)に所属するクロアチア代表MFルカ・モドリッチ(38)が今季限りで退団する可能性が高まっているようだ。スペイン『レレボ』が伝えた。
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最終更新:2026/07/11(土) 17:00
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