ルカ・モドリッチ 単語

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ルカモドリッチ

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ルカ・モドリッチLuka Modrić;、1985年9月9日 - )とは、クロアチア出身のサッカー選手である。
スペイン ラ・リーガレアル・マドリード所属。サッカークロアチア代表

172cm66kg。ポジションMF。利き足は右足。

概要

東欧魔術師」「マドリー心臓」と称される世界最高のMF

ユーゴスラビアのザダル郊外にある”モドリッチ”という小さなの出身。6歳のときにクロアチア紛争に巻き込まれ一家難民となりながらもプロサッカー選手となった。その後、クロアチア・ザグレブ、トッテナム・ホットスパーを経て、2012年からスペインの名門レアル・マドリーへ移籍。

レアル・マドリードでは、UEFAチャンピオンズリーグCL)で3連覇を含む5回の優勝を経験。マドリー心臓と呼ばれるほど重要な働きを見せる中盤の要となっており、タイトル獲得に欠かせない存在となった。

天才的な麗なテクニックと泥臭い献身性を合わせた持った選手であり、見たは優男に見えるが、メンタルも強く、大柄な選手を相手でも球際でしっかり戦え、ハードワークもこなせる選手である。

2018 FIFAワールドカップではキャプテンとして大車輪の活躍によってクロアチア代表を初の準優勝に導き、大会最優秀選手に選ばれている。2022 FIFAワールドカップでも過密日程の中を戦い抜き、チームを3位に導く活躍を見せている。

2018年には、クロアチア人としては初となるバロンドールUEFA欧州年間最優秀選手賞、FIFA最優秀選手賞を受賞。リオネル・メッシクリスティアーノ・ロナウド以外の選手がバロンドールに選出されたのはおよそ10年ぶりという快挙となった。また、クロアチア年間最優秀選手賞には歴代最多の9度選出されている。

経歴

生い立ち

クロアチア軍のの整備士のと織物労働者のもとで生まれる。生まれ故郷のは当時の政情が不安定だったこともあり地雷の危険を喚起する看板が設置されているような環境だった。

まだ6歳だった1991年クロアチア紛争に巻き込まれ、故郷は戦場となりセルビア軍によって名付けである祖が殺され、一家を脱出して難民となる。ザダルへ逃れた一家難民が暮らすホテルを借り住まいとし、当時そのホテル駐車場で一日中サッカーをして過ごしていた。幼い頃からサッカーが大好きだったモドリッチは、爆撃があった日も避難所でずっとボールに触っていた。

10歳のとき、ハイドゥク・スプリトトライアウトを受けるが、体が華奢だったという理由で不合格となる。だが、この経験を糧に一層の努を誓い、地元のNKザダルの下部組織に入団する。16歳となった2000年にディナモ・ザグレブの下部組織へと移籍する。クラブ職員によって成長補助食品が与えられたこともあり、華奢だった体も成長するようになる。

ディナモ・ザグレブ時代

2003年18歳にしてディナモ・ザグレブのトップチームに昇格。クラブと10年の長期契約を結ぶことで、プロサッカー選手としてのキャリアスタートさせる。このときの契約家族が暮らすを購入し、このときようやくモドリッチ一家難民生活を終えることができた。

しかし、チームの同じポジションニコクラニチャールが居たこともあり、試合経験を積むためにボスニア・ヘルツェゴビナのHSKズリニスキ・モスタルレンタル移籍。18歳ながらキャプテンを任されると、クリエティブな才が開し始め、リーグ最優秀選手に選ばれる。翌年には、NKインテル・ザプレシッチへと貸し出され、クラブを最終的に2位へと導く活躍を見せ、2004年クロアチア年間最優秀若手選手に選ばれる。

2005年1月クラツァールが揉めた末に移籍したこともあり、急きょディナモ・ザグレブに呼び戻される。2005-06シーズンには、ガンバ大阪監督を務めたこともあるヨジップ・クゼ監督からとして起用されると、として強な攻撃を操り、前のシーズンで7位と低迷したチーム優勝へと導く活躍を見せる。2007-08シーズンには、チーム内でも確固たる地位を築き、公式戦43試合17得点という成績を残し、チームリーグ3連覇に導き、2007年2008年クロアチア年間最優秀選手賞を受賞する。

トッテナム時代

2008年5月30日イングランドプレミアリーグトッテナム・ホットスパーへの移籍が決定する。移籍クラブの当時史上最高額となる2300ユーロ(約37億6000万円)。8月16日のミドルブラFC戦でデビューを果たすものの、中盤の底でゲームメイクをする慣れない役割を与えられたこともあって、加入当初はチームに適応できず、膝を怪していたのもあって期待外れのプレーが続いていた。しかし、10月末にファンデ・ラモス監督が解任され、ハリーレドナップ監督が就任すると、トップ下や左サイドといった2列の位置で起用され、レギュラーに定着。以後、本来の実イングランドで見せるようになる。

2009-10シーズンは、開幕してすぐの8月29日バーミンガム・シティ戦でリー・ボウヤーと接触し、右足の腓骨折。当初の予定よりも回復が遅れ、およそ4カ間の長期離脱を強いられることとなる。復帰後の年明けからはに戻り、ガレス・ベイルを中心にスピーディーな攻撃が売りのチームを操り、この年のトッテナム躍進の原動となる。チームプレミアリーグ創設史上最高順位となる4位でシーズンを終え、翌シーズンCL出場権を獲得。

2010-11シーズンは、自身初となるCL本大会での活躍が立ったシーズンとなった。2010年10月20日のアウェイインテル戦ではGKゴメスの退場に伴って前半12分で交代になるが、続く11月2日ホームでのインテル戦ではラファエルファン・デル・ファールトのゴールアシスト11月24日ヴェルダー・ブレーメン戦ではCLゴール記録し、決勝ラウンド進出に貢献。ラウンド16では、ACミランを下し、ベスト8進出を果たしている。プレミアリーグでは32試合に出場し、パス成功率とインターセプト数でベスト3に入っている。

2011-12シーズンには、すでにリーグでもトップクラスMFになっていたモドリッチに対し、移籍の噂が絶えなくなる。チームは4位でフィニッシュしながらCL出場権を逃すという理不尽なシーズンとなり、いよいよモドリッチの移籍が確実視されるようになる。自身も移籍を希望したことで2012年には練習欠席やアメリカ遠征辞退という強行手段を採り、チームから罰を科せられる。

レアル・マドリード時代

2012年8月27日ずっと噂にあがっていたスペインラ・リーガレアル・マドリードへの移籍が発表される。契約は5年間で、移籍は4200万ユーロ。発表から2日後の8月29日スーペル・コパ・デ・エスパーニャFCバルセロナとのエル・クラシコに途中出場でデビューを果たす。しかし、ジョゼ・モウリーニョ監督の戦術スタイルプレースタイルが合わなかったこともあり精を欠いたシーズンとなってしまう。シーズン後、マルカ読者が選ぶシーズン最悪の補強に選ばれてしまう。

2013-14シーズンに就任したカルロ・アンチェロッティ監督から中盤の要として重宝されると、前年とは打って変わって質の高いプレーを見せるようになり、チームに欠かせない存在となる。トッテナム時代のチームメイトであるベイルが加入し、クリスティアーノ・ロナウドカリム・ベンゼマBBCトリオにパスを供給する重要な存在となる。CL決勝のアトレティコ・マドリード戦ではコーナーキックからセルヒオ・ラモスの同点ゴールアシストするなど、ラ・デシマ達成に貢献。CL優勝を祝うセレモニーでは、トレードマークである長をばっさりと切った短で姿を現している。

2014-15シーズンに加入したトニ・クロースと中盤でコンビを組み、世界でも屈の構成を持つ中盤を形成するようになる。2014年10月25日ラ・リーガ第9節エル・クラシコでは、シャビ・エルナンデスアンドレス・イニエスタを擁するFCバルセロナの中盤を圧倒するほどのクオリティを見せ、勝利に貢献する。しかし、4月18日マラFC戦で靭帯損傷によって長期離脱となる。その後チームは失速し、シーズン冠に終わり、皮にもモドリッチの明することとなった。

2015-16シーズンの序盤は精を欠いていたものの、2015年ジネディーヌ・ジダン監督が就任すると、本来のプレークオリティを取り戻し、急速に復調したチームを牽引する。CLでは準決勝のマンチェスター・シティとの2試合を通して相手のプレッシングをことごとく効化させ、圧倒的なボールスキルと判断MOM級の活躍を見せる。決勝でアトレティコ・マドリードを下して自身2度CL優勝を経験。

2016-17シーズンも、クロースとの中盤のコンビゲームメイクで非な才を見せ、守備においても献身的に相手にプレッシャーをかけ攻守両面でチームを支えていた。2016年12月4日エル・クラシコでは敗色濃厚となった試合終了間際にフリーキックからセルヒオ・ラモスの同点ゴールアシスト。また、FIFAクラブワールドカップ2016にも出場し、シルバーボールを受賞。ラ・リーガではバルセロナとのデッドヒートを制し、自身初となるリーガ優勝を経験。さらに、2017年6月3日CL決勝では、ユヴェントスを相手に中盤を支配し、後半19分にはクリスティアーノ・ロナウドゴールアシスト。前人未到となるCL連覇に大きく貢献し、大会最優秀MFに選ばれる。

2017-18シーズン背番号を「10」に変更する。2017年スペイン税務局から脱税の容疑で告発され、未払い分と罰を支払うことで収監を免れたものの、そのと怪もあってシーズンを通して例年よりもやや低調なプレーになっていた。シーズン後半戦はCLにコンディションを合わせていたこともあって、CLで本来のを発揮する。2018年5月26日の決勝では、リヴァプールFC相手の勝利に貢献し、前人未到となるCL三連覇を達成。
CL三連覇に加え、この年のワールドカップでの大活躍が評価され、UEFA最優秀選手賞、FIFA年間最優秀選手賞、さらには11年間リオネル・メッシクリスティアーノ・ロナウドの独占状態になっていたバロンドールを受賞。各賞を総ナメにしたシーズンとなった。

2018-19シーズンは、インテルへの移籍の話が取り沙汰されるが、結局はレアルに残留する。しかし、ワールドカップを戦い抜いたからコンディションが悪く、不調に陥っていた。チームラ・リーガでは々と優勝戦線から離脱し、CLでもアヤックス・アムステルダムを相手にラウンド16で敗れ、4年ぶりに冠に終わる。

2019年も、年齢が34歳になったこともあり、再び退団の噂が取り沙汰されたが残留。2019-20シーズンは、さすがにコンディションを常時維持することが難しくなり、若いフェデリコバルベルデが台頭したこともあってスタメンを外れることが多くなる。シーズン後半戦あたりから調子が上向きになり、新型コロナウィルスによる中断を経たリーグ再開後は絶好調時のプレーを取り戻すことでバルベルデからポジションを奪い返し限界説を払拭。獅子奮の活躍によってレアル・マドリードの3シーズンぶりのラ・リーガ制覇に貢献。

2020-2021シーズンレアル・ソシエダレンタル移籍していた21歳のマルティン・ウーデゴールが復帰したことでしいポジション争いが予想されるが、怪人が続出するチームの中で前年を上回る高いパフォーマンスを披露し、黄金トリオと称されるようになったカゼミーロ、クロースと共に引き続き不動の中盤として君臨。35歳になったものの、攻守に渡って全盛期を維持したハイクオリティプレーを続け、チームに不可欠な存在となっていた。

2021-2022シーズンも変わらずチーム心臓として重要な働きを続け、堅守速攻のスタイルを切ったチームにおいても攻守両面で貢献。卓越したテクニックIQの高さを活かして攻撃の質を引き上げるだけでなく、豊富な運動量を駆使してハードワークするなど、守備でもチームを救う。2022年3月5日ラ・リーガ第28節レアル・ソシエダ戦では麗なステップから逆足の左足で圧巻のミドルシュートを決めてみせる。3月9日CLラウンド16 2nd legパリ・サンジェルマン戦では、圧巻のドリブル突破からの絶妙なスルーパスで同点ゴールアシストするなど、ハットトリックカリム・ベンゼマと共に大逆転勝利の立役者となる。4月12日CL準々決勝チェルシーとの2nd legは一度は3点のリードをひっくり返される苦しい展開の中、魔法のようなパスでロドリゴのゴールアシストし、120分間ハードワークを続けてまたも逆転勝利の立役者となり、世界中から称賛される。36歳となってもシーズンを通してハイパフォーマンスを維持し、重要なビッグマッチにおいて勝負強い働きをみせ、ラ・リーガCLの二冠獲得に貢献する。

2022-2023シーズンは開幕直後に長年ユニットを組んできたカゼミーロが電撃移籍する事態が起きるが、直後に開催された8月20日セルタ戦で快なミドルシュートを決め、勝利に貢献する。2022 FIFAワールドカップフル稼働したもあり、後半戦はコンディションを落とし、ビッグマッチ以外の試合ではスタメンを外れることも多くなる。レアル・マドリードからの退団も噂され、サウジアラビアから巨額のオファーを受けたが、契約を1年更新し残留。

2023-24シーズンジュード・ベリンガムら若いタレントが中盤に台頭したことで押し出される形で出場機会が減してしまう。2023年10月28日ラ・リーガ第11節FCバルセロナとのエル・クラシコに途中出場し、クラブ通算500試合出場を達成。ベリンガムの逆転ゴールアシストし、勝利に貢献している。11月ごろから怪人が続出したこともあり出場機会を増やすと、12月17日の第17節ビジャレアルCF戦ではシーズンゴールを含む、1ゴール1アシストの活躍を見せる。退団説も囁かれる中、2024年2月25日第26節セビージャFC戦では途中出場から圧巻のミドルシュートを決め、マドリー勝利をもたらす。

クロアチア代表

各年代の代表でプレーした後、2006年3月1日アルゼンチン戦で22歳にしてフル代表デビュー2006年ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップメンバーにも選出される。しかし、このときはまだ期待の若手という位置づけだったこともあり、グループリーグ2試合に途中出場したのみだった。

W杯後、U-21代表時代の恩師であるスラヴェン・ビリッチ監督が就任すると、従来よりも一列後ろのポジションで起用されるようになり、イヴァン・ラキティッチやニコクラニチャールとの共存が可となり、世代交代に成功したクロアチア代表の中心人物となる。W杯後、最初の試合となった世界王者イタリアとの試合で代表初ゴールを決める。EURO2008予選では、全試合に出場し、イングランドを蹴落としての本大会出場を決める。

大きな期待を背負って出場したUEFA EURO2008では、グループリーグの初戦の開催オーストリア戦で決勝ゴールとなるPKを決める。第2戦のドイツ戦では、クラニチャール、ラキティッチと共に中盤を支配してゲームコントロールMOMに選ばれる活躍でW杯3位の強を相手の金星に貢献。チームグループリーグを3戦全勝で勝ち抜き、準々決勝でトルコと対戦。延長後半14分にイヴァン・クラスニッチのゴールアシストするものの、直後に追いつかれてしまう。PK戦では、最初のキッカーとして失敗してしまい、ベスト8で敗のまま敗退。自身はUEFAから大会の優秀選手に選ばれる。

2009年は、トッテナムで負った腓骨折で長期離脱しており、代表の試合にほとんど出場できなくなる。その間にチーム2010W杯欧州予選で苦戦し、プレーオフに回ることもできず予選で敗退する。このとき、ビリッチ監督は成績不振の責任を取ろうとしたが、監督支持のあげたことで残留する。

EURO2012予選では、全試合に出場し本大会出場権を獲得する。背番号10を背負って臨んだUEFA EURO2012では、スペインイタリアといった強と顔を合わせたこともあり、グループリーグで敗退。前回は敗退となった2014W杯欧州予選では、ベルギーセルビアと同居したグループA2位で終え、アイスランドとのプレーオフに回ると、これに勝利し本大会出場権を勝ち取る。2014年6月ブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップでは、グループリーグ初戦で開催ブラジル相手に先制しながら逆転負け。第3戦でメキシコ引き分けたことでグループリーグ敗退となる。自身はブラジル戦で足を打撲しながらも3試合全てにフル出場している。

4大会連続での出場となったUEFA EURO2016では、初戦となったトルコ戦では前半41分に見事なボレーシュートによる先制ゴールを決め、勝利に貢献。第2戦のチェコ戦では、負傷によって後半途中でピッチを後にし、チームはその後2点のリードを追いつかれて引き分けに終わる。第3戦のスペイン戦は欠場となるが、スペインのPKの場面で所属するレアル・マドリードチームメイトであるセルヒオ・ラモス情報仲間に伝え、結果GKスバシッチがPKを止めている。ラウンド16のポルトガル戦で戦列に復帰し、アドリエン・シウバマークに苦しみながら120分間を戦い抜くが、延長戦の末に敗れている。

EURO2016終了後にダリヨ・スルナが代表を引退したため、キャプテンに任命され、子供の頃からの憧れだったズヴォニミール・ボバンと同じくクロアチア代表の10番にしてキャプテンとなる。2017年10月6日ロシアW杯欧州予選のフィンランド戦で代表出場100試合を達成。予選では一時は予選敗退の危機に直面しするが、監督交代後のウクライナとの直接対決勝利し、2位を確保。2017年11月9日ホームで開催されたギリシャとのプレーオフでは、先制点となるPKを決め、本大会出場権獲得に貢献する。

ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップは、キャリアハイライトのような大会となる。グループリーグ初戦のナイジェリア戦では、後半26分に追加点となるPKを決める。続くアルゼンチン戦では、ラキティッチ、マルセロ・ブロゾビッチと共に中盤を支配し、後半35分には鮮やかなミドルシュートを決め、グループリーグ突破に貢献。2試合連続でMOMに選ばれたのも当然といえる完璧パフォーマンスを見せる。ラウンド16のデンマーク戦では、自身のスルーパスからPKを獲得するが、これを失敗。それでも、PK戦では3人キッカーを務めて今度は成功させる。準々決勝のロシア戦では、コーナーキックからドマゴイ・ヴィダのゴールアシストPK戦の末にベスト4進出を果たし、大会3度となるMOMに選ばれる。準決勝では、イングランドを相手に延長戦の末に勝利し、1998年の3位をえるクロアチア史上初の決勝進出を果たす。2018年7月15日フランスとの決勝は、死闘を繰り広げた疲労によって満身創痍の状態であり、フランスの執拗なマークに苦しめられるが、リードされても食い下がる不屈のチーム必死に牽引する。しかし、及ばず、結果は準優勝となり、初のタイトル獲得はならなかった。それでも、質の高いゲームメイクと献身的な守備でチームを引っったことが評価され、大会最優秀選手に選ばれる。さらに、上述したとおり、2018年バロンドールも受賞する。

ロシアW杯後にはマリオマンジュキッチ、2020年にはイヴァン・ラキティッチと長年代表で苦楽を共にした仲間が代表を引退する中、引き続きキャプテンとしてチームを牽引。ロシアW杯後のクロアチア代表は失速し、UEFAネーションズリーグでは惨敗を喫し、リーグB降格となる。それでも、EURO2020予選では組み合わせに恵まれたのもあって首位で本大会出場を勝ち取る。2021年3月27日おこなわれたカタールW杯欧州予選第2節キプロス戦で代表キャップ135試合に到達し、ダリオ・スルナが持っていたクロアチア代表の歴代最多出場記録更新。試合後、チームメイトからサプライズ祝福を受け、感を流している。

2021年6月に開催されたEURO2020では、第3節のスコットランド戦において1-1の同点で迎えた後半17分に右足での強なミドルシュートにより勝ち越しゴールを決める。その後、CKからイヴァン・ペリシッチゴールアシスト。1ゴール1アシストの大活躍で勝利をもたらし、2位でのグループステージ突破に導く。2022年6月6日UEFAネーションズリーグフランス戦で代表Aマッチ150試合出場を達成する。

代表でのキャリアの集大成ともなった2022 FIFAワールドカップでも37歳という年齢を感じさせない豊富な運動量とアイディア溢れるプレーチームを牽引。開幕当初こそチームは低調だったものの、尻上がり調子を上げてしぶとく勝ち上がっていき、準々決勝のブラジル戦では120分間を走り抜き、PK戦での勝利を得ての2大会連続ベスト4に貢献。準決勝のアルゼンチン戦では敗し、後半途中で交代になったときにはを見せたものの、3位決定戦のモロッコ戦で勝利し、1998年大会以来2度の3位入賞をもたらす。最終的に笑顔で大会を終え、ブロンボールを受賞。大会後、代表からの引退を否定し、引き続きクロアチア代表としてプレーすることを表明する。

2023年6月に開催されたUEFAネーションズリーグ2022-23 ファイナルではクロアチア代表発足以来初のタイトル獲得のチャンスということもあり、準決勝のオランダ戦と決勝のスペイン戦を2試合連続でほぼ120分間プレーし続ける。しかし、決勝のPK戦で敗れ、惜しくもタイトル獲得は果たせなかった。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2003-04 ディナモ・ザグレブ プルヴァHNL 0 0
リニスキ(loan) プレミェル・リーガ 22 8
2004-05 ザプレシッチ(loan) プルヴァHNL 18 4
ディナモ・ザグレブ プルヴァHNL 7 0
2005-06 ディナモ・ザグレブ プルヴァHNL 32 8
2006-07 ディナモ・ザグレブ プルヴァHNL 30 6
2007-08 ディナモ・ザグレブ プルヴァHNL 25 13
2008ー09 トッテナム プレミアリーグ 34 3
2009ー10 トッテナム プレミアリーグ 25 3
2010ー11 トッテナム プレミアリーグ 32 3
2011ー12 トッテナム プレミアリーグ 36 4
2012ー13 トッテナム プレミアリーグ 0 0
レアル・マドリード ラ・リーガ 33 3
2013-14 レアル・マドリード ラ・リーガ 34 1
2014-15 レアル・マドリード ラ・リーガ 16 1
2015-16 レアル・マドリード ラ・リーガ 32 2
2016-17 レアル・マドリード ラ・リーガ 25 1
2017-18 レアル・マドリード ラ・リーガ 26 1
2018-19 レアル・マドリード ラ・リーガ 34 3
2019-20 レアル・マドリード ラ・リーガ 31 3
2020-21 レアル・マドリード ラ・リーガ 35 5
2021-22 レアル・マドリード ラ・リーガ 28 2
2022-23 レアル・マドリード ラ・リーガ 33 4
2023-24 レアル・マドリード ラ・リーガ

個人タイトル

プレースタイル

10代の頃は典的な10番の攻撃的MFとして年代別代表でプレーしていたが、ディナモ・ザグレブ時代の2度のレンタル移籍を経てハードワーカーとしての資質も身につけ、20代半ばよりボランチやサイドハーフもこなす攻守万プレーヤーとして新地を開拓。

視野の広さと抜群のボールコントロール、両足から繰り出す正確なキックにより、世界最高レベルプレーメーカーと称されている。長短織り交ぜたパスで攻撃を巧みに操り、流れの中で時に最適格のプレーを選択できる高いインテリジェンスを持ち合わせる。特筆すべきは右足のアウトサイドでのパスで、インサイドと同じ精度で長距離でも短距離でも繰り出すことができ、局面を変える場面で多用している。

攻撃時は幅広く動き回って味方からのパスを引き出してボールに絡み、パスとドリブルによって攻撃を組み立てる。ビルドアップの場面では、に味方SBが攻めあがった後の後方のエリアまで下がって参加し、崩しの場面になるとハーフスペースライン間に顔を出し、得点に直結するパスやミドルシュートを狙う。また、単独でのプレッシング回避の技術にも優れており、トラップして反転して前を向いて相手をかわすプレーを特に得意としている。

また、オフ・ザ・ボールの動きにも優れ、その優れた戦術眼や戦略プランによるゲーム作りは、オーケストラ揮者や傀儡子、魔法使いなどにたとえられる。

体は華奢だが、的確な読みしい寄せによる守備も得意としている。プレミアリーグラ・リーガではリーグトップレベルインターセプト数を記録しており、運動量も豊富。レアル・マドリードでは、守備をしないアタッカーの分まで守備をしており、カゼミーロが加入しなかったら過労死していたかもしれないレベル。また、若い頃にボスニア・ヘルツェゴビナでのプレー経験があるため、ダーティープレーに対する耐性も高い。

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